不理解
「心配する必要はない。涙を拭うだけで決して触れないよ」
「そういうことじゃないんです……」
「ならば、どういうことだ? それにどうして君は怒っているんだ」
「怒ってなんていませんよ」
「しかし」
「怒っていないと言ってるでしょうっ!」
私にはそれが怒りにしか見えなかった。声を荒げる姿など幼少期の一時期くらいのものであり、それ以降の時の中でそんな姿は見たことがなかった。かつてない事態は続き、私はやはり理解できない。沈黙が場を支配して、それを打ち破るかのように『それ』は言葉を投げつけた。静かに涙を流しながら。
「お願いです、私を一人にしてください」
「……君はその程度のことを『願う』のか?」
意図は全く理解できないが、それが心の底からの願いだと、ただそれだけは理解できたが、何故か『それ』は私の返答に目を見開き驚いた。状況を理解していない上でこの返答は軽率であったかもしれないが、この問いかけ自体は決して間違ったものではないと判断する。なぜなら私はそのためにここに居るからだ。そのためだけに私は『それ』とともに居るのだから。
本当に心の底から『それ』が一人になることを望むなら、私は全能を持ってそれを叶えなければならない。望みどおりに『一人』の世界で何をなし、どのような結末を迎えるのか、それが素晴らしきものであるのなら、次の次の次へ伝えなければならないのだから。ほんの僅かに、この時の終わりに期待し高揚している私の思考に、冷水を浴びせるかのごとく反応を『それ』は行う。まるで落胆したかのように吐息を吐き出し、こう言った。
「違う、違うの。『願い』なんかじゃないのよ。でも一人にして、お願いだから。『願い』ではないけれどお願いだから一人にして。お願いだから、お願いよ……」
「……分かった」
徐々に消え入るように漏れ聞こえるお願いという言葉には、確かに願いが込められていた。けれどもそれは『願い』では無いのだろう。全くもって理解できないが、あくまで推測に過ぎないが、心の底から願いながら、それを全く『願って』いない。そう、たしかに私は感じたのだ。やはり私には『それ』が理解できない。理解できないからこそ、『それ』の発したとおりに行動しよう。その先の答えを得るために、全ては次に繋がる何かを得るために。
理解の言葉を示した後、私はそっと立ち上がり、屋敷の中に入っていった。散りゆく桜はそのままに。そして私は自身の書斎へ向かってゆく。何故そこへと言う理由は特にない。私の部屋として区分されているのなら、そこにいるべきだと思ったからだ。扉を開きさらに進み、私は私の椅子に腰掛ける。
いつもの場所でいつものように。何も変わっていないかのように。けれども最後はいつもと違う行動を。『それ』に視認されないように空間を投射し、一人になった『それ』が何をしているのかを観察するとしよう。『それ』に対する対応で私は何かを失敗した。それは間違いないし認めている。だからこそ先程も述べたように、この経験を次に生かさなければならない。全ては次の次のためだけに。伝えるべき素晴らしきもののためだけに。私は何も、変わらない。
一人になった『それ』は放心したように、桜を眺めている。涙で頬を濡らしたまま、ただ呆然と桜を眺め続けている。瞳に理性が感じられない。この症状は見覚えがある。耐えられない現実に直面した人間の逃避行動によく似ている。精神活動を停滞させ、自身の心を守る防衛行動だ。しかしそれでは一つの疑問が浮かび上がる。先程までのやり取りで、どうしてそこまでの衝撃をうけるのかだ。『それ』は人間であり、私は人間でなく、ならば私の述べた事柄は当然の事実を語っただけである。一体何が『それ』の琴線に触れたのだろう?
私らしくもないがそのように、どうせ答えの出ない無為な疑問に思考をめぐらしながら、答えが提示されるのを期待して、『それ』の観察を継続する。そしてどれほどの時間がたったのだろう。ふいにそれは更に激しく涙を流し、こらえきれないように顔面を掌で覆い、嗚咽を漏らしながら降り積もった桜を涙で濡らし始めた。『それ』の行動は慟哭していると表現するべきなのかもしれないが、私にはなぜか泣き叫ぶ子供の癇癪のように見えた。ただ、嫌だ嫌だと駄々をこねる子供のようにそう見えた。何故そのように見えたのかは理解できない。『それ』はもはや子供ではなく、成熟しておりむしろ老境に差し掛かっている。ならばこのように感じるのは異常である。
けれども私には初めて出会い私に警戒している当時の『それ』がありありと思考に浮かび続ける。解答はそこにあるのだろうか? 思考の一部を過去への回帰に割り振るながら、『それ』の現状の観察を継続する。できうるならばこの今を継続したまま『それ』の願いを叶える時が来てほしい。記憶や感情をいじってしまえば、今まで『それ』の駆けた時は無駄にならずとも、結果として純粋な素晴らしきものは残らない。それでは何の意味もない。
私は『それ』は『それ』のまま願いを叶える日を夢見てる。変わらない光景と変わらない嗚咽が続く中、変化は不意に訪れた。乱れた髪からするりと落ちてカツンと響いた。かつて私が上げたかんざしが。解けた髪に絡む桜と同じ、黒の漆と桜のかんざしが。変化としては非常に軽微、けれどもそれは劇的だった。『それ』はかんざしに目を向けて、何故か視線も嘆きも静止した。流れる時を刻むのは降り積もる桜と枯れた涙のみ。
しんしんと続く時間の中で『それ』にいかなる変化が訪れたのか。落ちたかんざしを拾い上げ、手のひらで包み込む、大事そうに、大事そうに。何故か瞳に疑問を浮かべながら。片手を離し『トラル』に手を当て発した言葉を理解できた。少なくとも私はそう思った。
「教えてトラル。『彼』は私をどう思ってる?」
響く疑問にトラルは反応し、頁は答えを伝えるために開きめくれ、指し示す。何故それを尋ねるのか、その意図を私は読めなかったが、それでも答えだけは知っている。もちろんそれは当然だ。『それ』単体が私にとって何であるか、答えるまでもないだろう。『どうとも思っていない』のだ。私が望むのは『素晴らしきものを次に伝えること』だけであり、それ以外はどうでもいいのだから。そんなことを問うということは、私と『それ』はただ一点にかけては同じなのだろう。
私は『それ』を理解できず、『それ』も私を理解できない。




