枯れない桜
「……手を出しなさい」
「えっと……、こうですか?」
私は『それ』の手の上に、事前に生成しておいた物を決して触れないようにそっとのせる。期待通りに効果が現れれば良いのだが。
「……これってかんざしですか?」
「ああ、そうだ。随分と髪がのび、邪魔そうだったからな。今度からはそれを使いなさい。結い方がわからぬのなら『トラル』にでも聞くと良い。まぁ、なんだ。外界での成人は既に過ぎている。だいぶ遅れたが祝い代わりにするといい」
あえて、素直に祝えていないふうに偽装しながら発言してみたが、しげしげと『それ』は興味深そうにかんざしを見つめていて、あまり私を見ていない。かんざしには黒の漆に桜をあしらってみた。そう、初めて『それ』が桜を見たときの黒の着物と、舞う桜吹雪を意識して。
なぜ、このような物品を『それ』に与えるかだが、渡す理由は二つある。一つは単純に利便性。長い髪を適当に縛っていては非常に邪魔になるだろう。事実、何度か引っ掛けているのを見たことがある。こんなどうでも良いことで精神的な負荷となるのは望ましくない。
もう一つは打算である。ある程度成長した個体には物を送る風習があらゆる場所に存在する。その際に物品を贈り関係は親から子へ、または信頼関係の結ばれた誰かから贈るのが一般的だ。なので私が『それ』に贈るのだ。信頼は目に見えないものだ。そして人は目に見えないものを信じ保つことは難しい。
なので物品という形で残すことにより、私はあなたのことを思っていると示すのだ。『それ』が如何に希少種であるとはいえ、この法則は当てはまるだろう。強いて言うならば贈られた『それ』が喜ぶかどうかだ。物品で証明しようとも、喜ばれなければ十全な効果は期待できない。
まぁ、たとえ使われなかったとしても行為自体に勝手に意味を見出し、信じたいままに解釈するのが人間だ。私が行った仕草と表情によりまず間違いなく良い方に解釈してくれるだろう。しかし、効果は大きければ大きいほど良いのも事実。『それ』は喜んでくれるだろうか?
「これを、私のために作ってくれたんですか?」
「ああ、君のために作ったものだ」
私がそう答えるともう一度手の中のかんざしを眺め、次に私の瞳をまっすぐ見つめてくる。そして、そして、ほんの少し潤んだ眼差しで────
「ありがとう」
満開の桜のように微笑んだ。私は『それ』の反応を見た後に、僅かにかつわざと気づかれるように安堵した表情を偽装する。結果はどうやら成功のようだ。願いを叶えるその日まで、大事にしてもらえるととても助かる。私と『それ』の信頼関係の尺度に使えるのだから。
「あの、聞いてほしいことがあるんです」
目的を達成し、安堵していた私に『それ』は言葉を投げかける。まさか、本当に願いが見つかったのだろうか? それならば大した手間ではなかったが、そのかんざしは無意味であったなと、表情には一切出さずに思考する。私は今、疑問を浮かべているように見える表情を意識しており、その上で少しでも情報を得ようと『それ』を観察する。
頬は上気し潤んだ瞳はそのままに、心臓は早鐘のようにけたたましく血流を加速させ続けている。不可解だ、何が『それ』の肉体面に影響を与えているのだろう? 私には理解できなかった。
そのまま、一枚二枚と桜は落ち続け、静止したような時が流れ続ける。ふと意を決したように、思い詰めたような顔で『それ』はやっと口を開こうとする。「あ」「お」「す」最初の一言目を言おうとしているのだろうか? しかしそれは本人の意志かどうかは分からないが、言葉にならずに霧散する。私から何か促すべきだろうかとも思ったが、何を言えば良いのかわからない。だから、私は『それ』が私に話しやすいように、促そうと考えた。
困惑から微笑みへ。可能な限り対象を安堵させるように意識して。人が伝えるのをためらう言葉とは、殆どの場合において現状を打ち崩す可能性のある言葉である。人は変化を恐れるものだ。変わった先が今より良いものである保証などない。だから私が保証しよう。何があろうと変わらないと、優しげに優しげに、『それ』が信じてしまうように。
もしも仮に、『それ』が何かを願うならこの関係性は壊れるだろう。『それ』はきっと私を憎悪するだろう。他の者と同じように。そして私に抗うだろう。そのために知識を、『トラル』を与えたのだ。本人の希少性と合わさって、きっと私にとてもとても素晴らしい何かを見せてくれるだろう。私は何よりそれを期待して、慎重に慎重に大胆に、言葉を選んで口にする。
「君が何を言おうとしているのかわからないが、それで、私達の関係が崩れることはないとここに誓おう。どんな答えを返せるかわからないが、それでも誓う。だからどうか教えてもらえないだろうか。君が何を伝えたいのか」
「……ふふ、優しいですね。本当に」
もしも関係性を壊すとすれば、私ではなく『それ』である。私の立ち位置は変わらない。いつだって変えるのは人のほうだ。私がここに存在し、『それ』と今、会話を行っているのはすべて、『それ』の希少性故である。なので私の言葉は真実であり、関係性は変わらない。私のあり方は変わらない。何があろうと絶対に。
それでも私の言葉は『それ』に勇気を与えたらしい。覚悟を決めたように私をまっすぐに見つめ、切実に不安を必死に押し込めながら私に言った。結論から言ってしまうと私にとってそれは理解できないものだった。
「『あなた』と、呼んでいいですか」
わからない、理解できない。たかが私をどう呼ぶか、その程度でここまでの決意が必要なのか? 呼びたいように好きなように呼べばいいだろうに。心臓はより早く、息をするのもつらそうに、それでも言葉を紡ぎ続ける。私にとっては意味のない言葉を紡ぎ続ける。
「『おまえ』と、呼んでくれますか」
さらに赤みを深め、今にも泣き出しそうな『それ』を、とにかく私は真剣に聞いているように装いながら、必死に困惑する思考を押し隠す。全くもって理解できない。だから、だから? とにかく私は言葉通りに返すことにした。他にどうしろというのだろう? どうすれば正解なのだろう?
「それで君の笑顔が見れるなら」
「……えっと、良いんですか?」
「良い悪いではないよ。私は君に……『おまえ』に笑っていてほしい。そんな泣きそうな顔ではなくね」
すべてが終わるその日まで。最後の最後の最後まで。願いを叶えるその日まで。素晴らしきものを見るその日まで。君に笑っていてほしい。何も考えず幸せそうに。なぜならその方が楽だから。どうすれば喜ぶだろうと考える手間がかからずにすむのだから。盲目に幸せそうに君には笑っていてほしい。
「……っ!」
「どうし───」
泣いていた。僅かな嗚咽とともに項垂れて『それ』は確かに泣いていた。なぜだ、比較的に『それ』を慮った発言をしたはずだ。『それ』が今まで喜んでくれた発言を組み合わせたはずだ。何をどう私は間違えた? とにかく表情を動揺している風に装って心配しているように見せかけた。少しでも長く時間を稼ごう。情報を集め対処法を構築しよう。とにかく少しでも気遣うように、『それ』の機嫌をとらなければ、そう思い行動しようとする私を『それ』は慌てたように押しとどめた。
「だ、大丈夫です。えと、とても……。はい、とてもうれしくて」
「嬉しい?」
「はい、こういうことってあるんですね。嬉しくて涙がでるなんて。『トラル』も教えてくれませんでした」
「……私は知ってはいたが。ああ、しかし心臓に悪いのでやめてくれ」
「ご、ごめんなさい。心配してくれたんですか?」
「当たり前だ。心配しないわけがないだろう」
「そ、そうですか」
ほんの少し気まずそうに、それでも笑みをこらえきれないように。幸福、安堵? とにかく私が今まで見たこともない『それ』である。何度も何度も私を見つめ、そのたびにこらえきれないように頬が緩む。そのたびに、頬を赤く染め上げる。何度繰り返すのだろう?
それで機嫌を維持できるなら何度でも私は付き合うが。『それ』にとっては大した時間ではないだろうが、私にとっては桜が枯れ果てるほどの時が経ち、『それ』はやっと落ち着いたのか、ついに意味ある言葉を私に紡いだ。
「これからもずっとずっと、よろしくお願いしますね。『あなた』」
「あ、ああ、よろしく。……『おまえ』?」
ほんの少し吹き出すようにおかしそうに『それ』は笑った。どうやらこれでよかったらしい。やはり笑っているのは良いことだ。理解は全くできないが、管理は非常に楽だから。願いを叶え、素晴らしいものを記録して、用済みになるその日まで。『これがずっと続けばいい』その一点だけは私は『それ』と同じようにそう思う。この咲き誇る枯れぬ桜と同じように。
私は『それ』を『おまえ』とよんだ。『それ』は幸せそうに『あなた』と返した。




