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サルノテ  作者: アリアリア
第四冊 『名もなき誰かの物語』
83/95

近づく年月

 月日が流れるのはあまりに早く、私にとって瞬きのように短いものだ。その時の中でも全ては変化してゆく。それを私は常に外から観察する。全ては伝えるためだけに。


「『あなた』、お風呂入りましたよ」

「ああ、ありがとう」

「お夕飯の準備もあと少しで終わりますから、早く入ってくださいね」

「わかった、ありがとう」

「シーツも変えておきますね」

「……ありがとう。君は本当によく動くな」

「ええ、とっても楽しいですから」


 微笑む『それ』は本当に楽しそうで、だからこそ理解できない。いや、そもそも『それ』に関しては私は半ば理解を放棄し、現状維持を行っている。しかし、毎度毎度、飽きもせず同じことを繰り返すものだ。私は『それ』の機嫌を損ねず、安定した精神状態でいてもらうために、入る必要のない風呂場へ向かう。


 一度、反応を見るために無視してみたが、『それ』は静かに怒りを示し、口を利かなくなってしまった。何を考えているのかわからぬ存在が、口を利かなくなってしまうといよいよ何を考えているのかわからない。それは非常に困った事態だった。


 対処法がわからなかったので素直に「君の声が聞けないととても困る。君の声を聞きたいんだ」と言うと、頬を赤く染め、非常に機嫌が良くなり、以前にもまして饒舌に話すようになった。率直に言うと無駄な情報が多く辟易したが、喋らないよりは遥かに良かったので妥協することにした。


 このような経緯があったために、私は非常に素直に今、湯船に浸かっている。私は代謝を行っていないし、屋敷と同じく常に塵や埃といった不純物は寄せ付けないようにしているので、まったくもって無意味であるが、その程度の手間で『それ』が安定するのならば、甘んじて行おう。


 そういえば『それ』も随分と成長したものだ。人体としては既に完成しているだろう。なのに何も願わない。外に出たいとも願わない。いつものように「願いはないか」と問いかけても、何故か苦笑しながら「はいはい、何もありません」と返してくる。


やはり『それ』の行動は異常であり、希少種である。行動原理が理解できない。そうだそうだ、もう一つ異常行動をとっていた。こちらも非常に難解であり、かつそれ以降の行動様式に変化が見られたため、解明が急務となっている。……残念なことに遅々として進んではいないのだが。そう、あれは14度目の桜を見たときだった。


 必要ないと言うのに、私の分まで食事を作り重箱に詰め、布を地に敷き私が咲き誇らせた桜を眺める。何が楽しいのかわからぬが『それ』は非常にその時間を喜んだ。ならば付き合うことに意味がある。如何に私にとって無意味であったとしてもだ。『それ』が私に願うその時まで『それ』には幸福であってもらわなければ困るのだから。


『それ』の微笑みに、微笑みで返す。もはや慣れたものである。しかし、このときは少し……、いやかなり様子がおかしかった。私と視線が合うたびに微笑みこそすれ、すぐに視線をそらしてしまう。その上頬はわずかに上気して心臓の鼓動も加速している。


病を疑ってみたが、その類は一切なかった。ならばこの異常は心因的なものだろう。


 もしや、私の意図に気づかれた? いや、それならばこうして私と桜なぞ見てはいないだろう。……やはり私には『それ』を理解することはできないようだ。あまりに変化がめざましく、次から次へと異常性があらわになる。このままでは埒が明かないと判断し、私は『それ』に尋ねることにした。


「どうかしたのか? 少し様子がおかしいが……」

「……ふぇ!? な、なんでもないですよ?」


 視線は宙を泳ぎ、挙動は安定せず、鼓動はさらに跳ね上がる。明らかに不審である。この反応に近いものがかつてあったな。そうだ、口調を改めたときだった。


「……」

「……」


 私にとってはどうでもよく、『それ』にとっては気まずいであろう沈黙が続く。ちらりちらりと、私を横目でうかがっているが、言いたいことがあるのならさっさと言ってしまえばいいだろうに。もしや、何か願いでも見つかったのだろうか? 今まで断っていた手前、言いづらいという可能性はないだろうか……。


それならば非常にありがたいのだが、かすかな期待に思考を巡らせてみるが、経験上『それ』は私の予測をよく裏切る。現実はそれほど甘くはないのだ。待っていても意味は無いと判断し、私は私の予定を行うことにしよう。



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