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サルノテ  作者: アリアリア
裏表紙 『名も無き貴方に捧ぐ物語』
72/95

 煌々と燃える暖炉に照らされながら、お膝の上にはトラルの顔が。うんうんうんうん、悔しげに。真っ赤に染まった右腕をだらんとぶら下げ気怠げに。左の腕は二つの赤い瞳をころころと、潰れないように退屈そうに、暇をもてあますかのように。そんなトラルを眺めながら元の色すらわからぬほどに赤く染まったトラルの服をどうしようか考え中。やっぱり手洗いですかねぇ。捨てたほうが早そうですけど。トラルの体温とともに赤く赤く染み込んで、私の服も洗わないといけません。白のエプロンは失敗でした。次は赤色にでもしておきましょう。カーペットだって赤黒くなっちゃってますし、お掃除を頑張らないとなぁ。そんな未来に思いを馳せながら、目の前の現実に立ち戻ります。なんというか今この体勢は俗に言う膝枕というやつなのですが、これって手の置き場に困りますよね。だからだから、これは手の置き場に困ったからでして、決して他意はありません。自然と収まりがいい場所へ、私はそっとそっと、トラルの髪をなでました。金糸のような髪が揺れるたび、赤の粒子がパラパラと、せっかくのきれいな髪が台無しだなぁと思っていると、くるんとトラルが首を動かし目があいました。


「……なんで何も聞かないの?」

「そうですねぇ、貴方の様子を見ていますと、みーこちゃんは無事そうですし。なら特に聞くことはありませんから」

「僕はこんな姿なのに?」

「みーこちゃんのじゃないでしょう。それに貴方が喜んでいないならそれはきっと良いことです」

「……でもひどい目にあってるかもしれないじゃない」

「ありえませんよ。だって悔しそうですから。違います?」

「…………」

「やっぱりそうなんじゃないですか」


 ぷいっとそっぽを向いて、左手の赤い瞳を握りつぶしてカーペットに軽く軽く投げ捨てました。……誰が掃除すると思ってるんでしょうね、この人は。再び沈黙が訪れて、だから私は訪ねます。机の上を見つめながら。


「この二冊の本はどうするんですか?」

「一つは燃やして、一つは置いておく。ずっとずっと、次の次まで」

「燃やすのは?」

「もちろん傑作の方に決まってる。ラストはしりすぼみだったけれど、過程はとても素晴らしい。『愛する人にずっとそばに居てほしい。自分だけを見てほしい』あんまりにも切実に願うから完璧に、手段を選ばず与えてあげた。愛されなかった男の願いを僕は真正面から叶えてあげた。手段も方法も喜ぶ心も与えてあげたのに。……悲しいよねぇ、愛する人を見分けることができなくなってしまったんだから。まぁ、でもさ、自分さえ嫌いな自分を誰かに愛してほしいなんて、虫の良い話だよねぇ」

「……その人はどうなったんですか」

「それは僕の姿が何より雄弁に物語ってると思うけど?」

「どうして?」

「愛する人をついに引き当ててしまったからねぇ。本人はそれがわからなかったみたいだけど。当時は子供なんていなかったしね。だから見分けもつかないのに違うと憤って普段はしないバラバラに、御池に捨ててポチャーンと。彼の愛した女の子はあの時のままだったんだろう。可哀想だね、悲しいね。だから全くもって傑作で、次に伝える価値は欠片もない物語だった」

「どうして貴方は、殺したんですか」

「ああ、そっちだった? みー……、彼女は結局願わなかった。それどころか、僕の幸福を望んでた。自分の願いを投げ捨てて、僕の幸福を望んだんだ。ほんとうにほんとうに本当に、筆舌に尽くしがたいとはこのことだ」


 言葉は強くけれども、顔に表情はなく、能面のようにつらつらとトラルは言葉を続けます。


「けれども、僕は願いを叶えてしまった。それを取り消すことはできないんだ。これは『トラル』のルールだから。たとえ願いを否定したとしても。願わなかったとしてもね。けれどもそれでは駄目なんだ。彼女の願いを叶えていないから」

「それが理由?」

「そうだよ。原因から刈り取ったんだ。傑作を八ページほど振り返って、そこからごっそり破りさった。彼は『最愛』に出会っても決して気づきはしないんだ。どれだけ物語を進めても同じ結末の繰り返しだ。……そうだそうだ、これは彼のためでもあるんだ。願いを叶え続けながら叶えることのできない彼を救うためでもあるんだよ」

「救う?」

「物語は終わらせなければならないんだ。どんなお話でもどんな結末でも」

「それが殺すことなんですか」

「いいや、それは『過程』だよ。主人公が怪物に襲われ死んだ。それはあくまで結末だ。『終わり』っていうのはね」


 そう言ってトラルは私の鼻先でパチンと指を鳴らします。乾ききらない赤の飛沫が頬にはね、鼻孔をくすぐり、私の顔をしかめさせます。けれどもそれより大きなことが、黒い黒い赤黒い、本が一冊。激しい音を立てながら一瞬にして燃え尽きました。後には灰すら残さずに、影も形も消え失せて。


「こういうことを言うんだよ。誰かが彼を見れるならそれは終わりなんかじゃない。それは続くという結果だ。誰にも知られず存在さえも忘れられ、後には何も残さない。残す価値すらなくなったそんなものが『終わり』なんだ。そしてそれが『傑作』なんだ。だからこれは彼のためなんだ。終われない彼のためなんだ」

「……そうですか」

「そうだよ。彼のためであり、僕のためで更には僕も同じなんだ。特に僕は『彼』の最高傑作になるんだから。きちんとちゃんと終わらせないと」

「結末ではなく?」

「結末ではなく。僕にとっては『終わる』ところまでが結末だからね。じゃないと彼が始まらない。そして『終わり』を理解して『彼』はやっと『思い』を知るんだ」


 無表情から一瞬で楽しそうに楽しそうに。それはいつか必ず訪れる、未来を語るかのように。最上の結果が訪れると確信を持って称えるように。だからその笑顔を壊すためにトラルの聞かれたくないことを。トラルが聞きたくないことを。私はトラルの尋ねるんです。私はトラルが嫌いですから。


「楽しそうにしている所、申し訳ありませんが一つ訪ねたいことがあるんです」

「何を聞きたいの? 僕はたった今、機嫌が良くなったからね。なんでも聞いていいよ」

「では、機嫌が悪い私が遠慮なく。なんでみーこちゃんを幸せにしてあげたんですか?」


 とびっきりの笑顔とともに私はトラルに突きつけます。だって長いなが~い『言い訳』に付き合って上げたんですからこのくらいは良いと思います。これくらいは良いはずなんです。


「…………」

「なんで黙るんですか、トラル」

「幸せになんて……」

「してますよ。わざわざ遡ってまでお母さんを助けてるじゃないですか。願いを取り消すだけなら死んでいても構いませんよね。だってみーこちゃんはお母さんに会ってはいないんでしょう? 願いを拒絶したんですから」


 笑顔からほんのちょっぴりイライラに。そして私はニコニコに。普段色々されてますからね。こういう時くらいトラルに苦ーい顔をしてほしいです。苦虫を噛み潰したようならなおのこと。そういう顔のトラルは好きですよ。トラルのことは嫌いですけど。


「そんなこと無いよ」

「否定するんですね。そんなことありますでしょうに。放っておいたのはトラルなんでしょうけど、お母さんを殺したのはトラルじゃないでしょう。救う理由なんて無いでしょう。間違ってます?」

「…………そうだね」

「なら、どうして助けたんです?『トラル』らしくないですよ」

「だって……」

「だって?」


 トラルは私の顔から目を知らし、私の私の、お腹に顔を埋めます。ぎゅーとぎゅーとぎゅーって。だから私はトラルの頭を優しくなでます。何度も何度も何度でも。


「彼女は飴をくれようとしたんだ」

「……飴ですか?」

「うん、彼女のなけなしの善意だった。彼女のしっている最も尊い言葉に乗せて。願いっていうのは悪意なんだ。自身の努力なくして叶う願いは全部、悪なんだ。だから願いには罰がいるんだ。『彼』はそう定めたから。僕は罰を与えるのが好きなんだ。生まれたときから楽しかった。心の底から本当に。彼はそう言っていたんだから」

「……それは、つまらないですね」


 なでる手を止め平坦に。抑揚はごっそり抜け落ちて、ただただ私の言葉だけが響きます。無機質で無意味な言葉だけが。それでも構わずトラルは言葉を紡ぎます。


「願いは悪だ。でも、彼女はそれを否定して、僕に善を投げつけた。なら……、そうだ、そうだよ! 僕は彼女を『幸せ』にしたんじゃない。やられたからやり返しただけなんだ!」


 ばっと起き上がるトラルにちょっぴりムッとしながら、そのままトラルの頭を手を当てて、膝の上に戻します。無抵抗なトラルに少しすこーし満足し、私は黙ってトラルの言葉を聞き続けます。声は弾んで、うつむいていた顔を上げて、キラキラした目でまっすぐ私を見上げます。私はほんのり期待を込めて、見たいものを見るためだけに、トラルを見つめ返します。にっこり笑って『トラル』を見ずに。


「悪をぶつけられたんだから僕は悪意で答えるんだ。だから善をぶつけられたから、僕は善意で返したんだ。僕は間違ってない、僕は正しい。僕は変わらず『トラル』らしいんだ! 僕はどこまで行っても『トラル』だから。僕はトラルで『トラル』だから。彼女を幸せになんてしてないよ。『僕』はそんなことを望んでいない」

「そうですね」


 トラルのなけなしの、理屈にすらなっていない理論武装を肯定して、私はうんうんとうなずきます。ええ、ええ、貴方は『トラル』ですものね。貴方にとってはとてもとても大事なものですものね。私は今のトラルの言葉で大変満足しましたので、さらに満足するために期待を込めて、もう一つだけ確認しましょう、そうしましょう。


「トラル、もう一つだけ良いですか」

「なに?」

「それは『トラル』のルールですか?」

「……そうだよ、これは『僕』のルールだよ?」


 不思議そうな顔で返答し、本人さえも無自覚で、だから私はトラルの頭を今まで以上にそっとそっとなでながら、間髪入れずに続けます。だって気づかれたくありませんから。否定してほしくなりませんから。否定なんて認めませんから。


「トラル」

「……真冬?」


 真っ直ぐ私を見つめるトラルの蒼い瞳。せせらぎのように波打ちながら、水底のように碧い瞳。それをまっすぐ受け止めて、私の黒い瞳は奥の奥の奥深くまで突き刺しえぐるように真っ直ぐに、私の言葉をのせてのせて。


「私は『トラル』が嫌いです。それでも『貴方』は好きですよ」

「……僕は『真冬』が大好きだけど、そんなことを言う『君』は嫌いだな」


 絡み合った視線は私を拒絶するかのように、トラルがまぶたを閉じることで絶たれます。それでも私は見つめます。『トラル』を見つめず見つめます。『貴方』を覗き込むために。


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