理想と現実と今
「……どういう意味だ」
「どういう意味? うんうん、君はやっぱり嘘を付くのが得意だね。僕は好きだよ、そういうところ。ま、いっか。せっかく楽しくお話してるんだ。さくさく進めてしまおうか! 晴明くん、榛名ちゃんって地味な女の子だよね。特別優しくもないし、特別可愛くもない。街を歩けばいくらでも。そこら辺にいるようなありきたりな女の子だ。むしろもっと可愛い女の子や、もっと優しい女の子だってたくさんいる。そんなそんな、何のへんてつもない女の子なんだよ、そう思わない?」
「ちが───ッ!」
「違わないよ。榛名ちゃんは特別じゃない。君が吊り合わないと思うほど素敵な女の子じゃないんだよ。僕は分かるんだちゃーんとね。むしろ……本当に特別なのは君の方だ」
わかっていると理解していると、俺のことを知っているし認めていると、ほんのちょっとの表情と、ほんのちょっとの声色の変化で伝わってくる。理解できない気持ち悪い。嘲笑い、悪意を振りまいた次の瞬間、まるで母が子に、父が我が子に向ける、そんな慈しみに満ちた顔をする。
俺はこいつが嫌いだし、恐ろしい。そう思っているし、その感覚は変わっていない。どうして、だって、違うのに、それでも思ってしまうんだ。どうしても分かってしまうんだ。だってこいつは───。
「そうだよ、晴明くん。僕はよくわかる、分かるんだ。君が本当に優しい子だってことを、君が強い子だってことを、君が弱い子だってことを。君が頑張っているってことを。君が……何より特別だってことを。認めるし信じるし、事実だと思うよ。僕は誰より君を信じてる。だってそうだ、世の中の大半の人間はできないんだよ、目標に向けて真っ直ぐ進むということが。どれほどそれが大切だと、それが一番正しいとわかっていたとしてもだよ? でも君は違う。愛されたいと、君に好きだと言って欲しいと。誰でも持っているような、そんな思いをどこまでも一途に貫いて前へ前へと進んだじゃないか。それがどれだけすごいことか、それがどれだけ大変だったか。周囲に決して苦労を見せず、頑張って頑張って、見合う男になりたいと誰より求め頑張って。努力する自分を守るため、ほんの少し、歪んでいたかもしれないけれど、それが君の輝きを曇らせる程のものだとは思わない。僕はそれをわかってる。君と同じくらいによぉくよ~く」
肯定に肯定を重ねがけ、一切の否定を否定して、深く深くより深く、どこまでもどこまでもどこまでも。切実に俺に伝えようとするその姿は一片の偽りも感じられず、すべてが真実だとしか思えない。
「僕は嘘はつかない。僕は真実しか話さない。君が今思っているとおりにだ。君は特別なんだ、君はすごいよ。だから願いを叶えてあげたい。君に幸せになってほしい。たとえ……望まない形で願いがかなったとしても、君ならきっと幸せになれると僕は思うし、榛名ちゃんも幸せに出来ると信じてる」
「だからって、あの榛名はッ!!」
「よく分かるよ、君が思っているとおりだ。あの榛名ちゃんは『たんぽぽ』じゃない。でもさ、僕がさっき言ったことを覚えてる? 元に戻した所で彼女は君の『たんぽぽ』には成り得ないんだ。現実を見なよ、まっすぐ見なよ。現実の『榛名ちゃん』は別物だ。嘘もつくだろうし、裏切ることも有るだろう、海斗くんを好きなのだっていつまで続くかわかりはしない。だれにでも優しいなんてそれこそ絶対にあり得ないし、心のなかには君だって知らないような悪意が隠れ住んでいる。何度だって言うよ、僕は嘘だけはつかないんだ。君に幸せな結末を迎えて欲しい。だから今僕が言ったことをよく考えて、よく考えて見て欲しい。『君のたんぽぽ』と『僕が変えたひまわり』のどこに違いが有ると思う?」
違うと叫ぼうとした。しかし声が出なかった。それが何より雄弁で、だからトラルは微笑んだんだろう。優しく優しく見守るように。
「うんうん、それは間違ってないよ、それは正しいよ。言葉で出さなくてもいいんだ、僕が代わりに話すから。榛名ちゃんはどこにでもいる普通の子だ。さっき言ったみたいにどこにでもいるようなそんな女の子なんだ。そう、君の『理想』は存在しないよ。盲目的に思っていただけ、勝手に祭り上げてただけさ。だってそうだよね。そっちのほうが、もしも想いを受け取ってもらえなかった時、諦めがつきやすいもんねぇ?」
一瞬、トラルから漏れでた気配は何だったのか、それすら考える余裕を失って思考は泥沼に沈んでく。本当の榛名を見ていなかった? 自分の理想を押し付けていた? 否定の言葉は無数に浮かび、しかし意思が持てなかった。断固として否定する強い強いその意志が。
「ねぇ、晴明くん。頑張って頑張って奮い立って、ここまできた君だからこそ提案するよ。君の理想はどこにもいない。それなら……決して手の届かない『理想』より、決して手の届かない『現実』より手が届く確かにキミの手の中にある『今』の方がいいとは思わない?」
天使のような悪魔の笑顔で、トラルは『不完全』な俺の心に優しく優しく、そっと触れた。




