悪いのは
息を切らせて絶え絶えに、駆け抜けた彼女の話は要領を得ず、教室で何かあったと分かった瞬間、俺と海斗は走りだす。階段を駆け下り、大鏡を通り過ぎ、教室目指して走りだす。甘かった甘かった。榛名がおかしいのは分かり切っていたことで、海斗に対する態度を見れば、問題を起こす可能性だって簡単に考えついたはずなんだ。ああ、なんて俺は不完全。こういう時に限って頭が回っていない。海斗とともに教室にたどり着き、扉を開け放つ。するとそこには……。
「あ、晴明!」
赤い赤い水たまり、はまるで向日葵のような笑顔で、微笑む榛名がそこにいた。
「な……ッ!」
あまりの光景に絶句しながらも、本来ならあり得ないはずのその光景が、恐ろしいほどに今の榛名に似合いすぎ、声にならない声を叫び、あまりの衝撃に絶句して。それでもなお、視界はすべてを捉えきる。血だまりの仲見知った男が三人倒れている。見知った顔だ、クラスメイトだ。それぞれ耳、ほほ、首が引き裂かれ、血を垂れ流す。苦悶の表情で呻くそれはしかし、傷口を押さえていない。それもそのはず、真っ赤な真っ赤なシャープペンシル。手の甲を突き抜け、手のひらに。両手で支え、呻く蠢く。水たまりの中で苦しむ3人の姿が榛名が何をしたのか明確に、正確に、恐怖を持って物語る。信じたくないイヤダイヤダ。榛名が恐ろしいと思う日が来るとは思いもしなかった。
俺を見つめ、満面の笑みで、倒れた男の頭を蹴り飛ばし、榛名が俺に駆け寄ってくる。周囲の、あまりの状況に呆然と、または怯えるクラスメイトの視線が俺に突き刺さる。だが、そんなことはどうでもいい。今は榛名が恐ろしい。俺を見つけて心の底から幸せそうな向日葵の笑みでを浮かべる榛名が恐ろしい。それより何より、榛名をこんな風にしてしまったその事実こそが恐ろしい。
「晴明、もうどこ行ってたのよ。せっかくお昼一緒に食べようと思ってたのに!」
ベチャッと、錆びついた鉄の香りに包まれた手で、愛おしそうに掴み抱き寄せ、少しふてくされたような顔をする。いつもの榛名らしからぬ、態度と仕草でありながら、俺が望んだその光景は近ければ近いほど、どこまでも俺の理想から離れてゆく。
「何を、してるんだ、榛名」
「何って……。お昼一緒に食べようと思ってたって言ったじゃない。なのに海斗と一緒にいるなんて、私も誘ってくれれば─────」
「そうじゃないッ!」
かつてないほど声を張り上げ、榛名の言葉を粉砕する。時が止まったかのように、しかしそれは一瞬で、ほんのり微笑むその姿は、何をいいたいのかわからないわ、だから私に教えてほしいと、小さな子供に語りかけるそんな笑顔だ、恐ろしい。ふと、榛名と交互に動く俺の視線に気づいたのか。興味なさげに血溜まりを見下ろし再び俺に振り向く。笑顔を絶やさず、元気に元気に元気よく。
「そうそう、晴明、聞いてよ。この人達晴明の悪口言ってたのよ!」
「悪口……?」
「そうよ、晴明の事悪く言ってたの。ちょっと顔がいいからって調子に乗ってるとか。でも、そんなのすごく失礼よね。晴明はの顔はすっごくかっこよくて『完璧』だもの。他にもちょっと頭がいいからって俺達の事を下に見てるだって! 晴明はすっごく天才でちょっとなんて言葉じゃ足りないくらいすっごく『完璧』なんだもの。全然晴明のこと分かってないのに。晴明はすごいって全然分かってないのにね。だからそんなひどい人たちにほんのほんの『ちょっと』だけ私怒っちゃったのよ」
えへーと甘えるように頭を俺に預ける遠い榛名。たったその程度のことで榛名はこれをやったのか? どうして、なぜ、何でなんだ。後悔と怒りとともに、多くの言葉が雪崩のように浮かんでは、渦を巻いてぐるぐると。矛先を見つけられず、荒れ狂う波の様にぐるぐると。
ああ、でも本当はわかってる。答えは分かりきっている。褒めて褒めてと言うように擦り寄ってくる榛名の姿が何より雄弁に物語る。この血だまりは榛名がしたことでは決してない。悪いのは全部全部俺なんだ。榛名は断じて悪く無い。どうすればいいどうすれば、俺は一体どうすれば……。思考はまとまらず渦を巻き、深く深く言葉とともに、底へ底へ沈んでゆく。光は遠く夜のように、暗く暗く沈んでいく。
「晴明」
青い顔と振るえる唇。決死の覚悟で飛び出すように、海斗は暗い暗い渦の底を、言葉を持って断ち切った。




