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4、君主の娘

いつになく、長いです。おつきあい願える方だけどうぞ。


※タイトルに話数追加。どうしてもつけるの忘れちゃうんですよね……

 ラウルス城、通称『黒の王国』と呼ばれるこの城は、紀元前から存在するらしい。住人が増えるにしたがって増築され、現在では住人自身も迷子になるほどの広さを誇る。魔法で維持されるこの城は、月に一度の定期点検を行えば、朽ちることは無いと言われている。まあ、魔術師の多いラウルス城だからできることだが。

 住人が多いため、ラウルス城の一室一室はさほど広くはない。東大陸、黄の皇国出身のリー・シャンランが使っている部屋は窓がなかった。机、ベッド、クローゼットなど最低限の物しか置かれていない部屋は閑散として見えた。しかし、『黒の王国』の住人の部屋はだいたいこんな感じだ。


 ベッドの上で、シャンランはため息をついた。この時期になると、父が死んだときのことを思い出す。

 リー・シャンラン。東大陸人なので、リーが苗字になる。彼女は黄の皇国斉の前皇帝の娘、つまり公主だった。しかし、皇帝は帝歴1832年秋、亡くなった。

 それ以前に3人いた兄も父も亡くなっていたので、次の皇帝になったのは母の弟、つまりシャンランの叔父だった。

 シャンランが皇帝になればいいと言った人もいた。しかし、結局、15歳の娘に国を預けられないと判断された。シャンランは新皇帝となった叔父に預けられることとなったが、彼女が居心地悪く感じたのは仕方がないことだろう。ゆえに、シャンランは国を出てきた。前の皇帝の娘であるシャンランがいれば混乱を招くだろうし、黄の皇国の安定を欠くつもりはさらさらなかった。


 気づいただろうが、黄の皇国の前皇帝はシャンランの母である。皇帝は父親ではなく、母親の方。父はもともと国につかえる官吏で、外交官をしていたという話だ。思い返せば、2人は仲が良かった。


 その父が死んだのは雪の降る日だった。他殺だった。見つけたのは母だったと思う。


 禁城の庭。雪が積もり白くなった地面を、父からあふれた血が赤く染めていた。シャンランも目撃したが、衝撃的な光景だった。


 ――――少し前まで生きて、自分とくだらない話をしていた父が、もう、生きていないのだ。その事実を理解するのにしばらく時間がかかった。


 しかし、母の方がひどかった。当時、死体はいまだ見つかっていないが、シャンランの次兄、つまり母の2人目の子どもの戦死報告が来たばかりだったのもあると思う。次兄は異民族討伐に大軍勢を率いて出陣していた。

 雪の庭でこと切れていた父、遺体の帰ってこなかった次兄。母が発狂するのは時間の問題だと思った。しかし、さすがは皇帝と言うか、怒り狂ったものの、母が発狂することは無かった。

 長兄が亡くなっても、三兄が亡くなっても、母は皇帝業を黙々と続けていた。思えば、あれは皇帝の引き継ぎ作業をしていたのだと思う。長兄が亡くならなければ、母はもうすぐ長兄に譲位するはずだった。母は長兄が亡くなっても引き継ぎ作業をやめることは無かった。


 思えば、母は自分の運命に気付いていたのかもしれない。父が亡くなってから、母はたびたび病に伏せるようになっていた。もう長くはないと医者にも言われていた。だから、シャンランはある程度母の死を覚悟していた。

 だが、覚悟していても衝撃は大きかった。1人残された。もう、だれもいない。シャンランの心を大きな寂寥感が満たした。


『生きるのよ、シャンラン。生きて、いつか、天寿を全うしてわたくしたちの元へ来るのよ。そして、わたくしたちにこの世界のことを聞かせて』


 母は死の間際にシャンランにそう言った。シャンランが聞いた母の最期の言葉だった。殺されても死なないだろうと言われていた母なのに、意外とあっさりと逝ってしまった……。

 寝返りを打ったシャンランはそのまま起き上がった。ガウンを着こみ、外を見に行こうと思った。さっきも言ったが、この部屋には窓がないのである。

 家族の写真はある。だが、自分は家族の顔を写真なしで思い出すことができるだろうか。思わず考えてしまうくらい、みんながいなくなってから時間が過ぎた。


 廊下に出ると、子どもの泣き声が耳に入った。シャンランは窓の方へ向けた足を方向転換してそちらに向かった。眼に入った人物に声をかける。


「ハオシン。どうしたのですか?」

「ああ、シャンラン」


 困ったような表情で男は振り返った。同郷のチャン・ハオシンだ。同郷どころか父方の従兄である。母親に似ているシャンランとはあまり似ていない。

 ハオシンは30代半ば。もともと、シャンランの長兄の側仕えをしていた。彼はシャンランの長兄が亡くなった時、とても悔やんでいた。自分がもっと早くに気付いていれば、と。長兄は病をこじらせて亡くなったのだ。

 シャンランもそうだが、ハオシンもかなり若く見える。とても30を越えているように見えない。シャンランもダニエルやエリーザと同じくらいにみられることが多い。東大陸人は童顔のきらいがあるからだ。


「大丈夫だよ。一緒にお部屋に戻ろう」


 ハオシンの体で隠れて見えなかったが、女の子と男の子が1人ずついた。泣いているのは男の子の方だ。女の子は東大陸人で、10歳前後に見える。もしかしたらもう少し年上かもしれないけど。もう1人の男の子は西大陸人で、年は6歳くらいだろうか。


「どうしたのですか? あなた、お名前は?」


 シャンランが女の子の方に尋ねると、彼女はしっかりとした口調で言った。


近衛美代このえ みよ


 どうやら、秀一と同じ蒼の王国の出身らしい。男の子の方の名前も聞くと、アルノーというらしい。名前からすると、赤の帝国出身だ。シャンランは微笑んだ。


「アルノー。こんな夜遅くにどうしたのですか? 何か怖いことでもありましたか?」


 そう尋ねると、アルノーはびくっと体を震わせ、再び泣き出した。シャンランは困って美代の方を見た。


「美代。あなたは何があったのか知っていますか?」


 アルノーに尋ねてもらちが明かないので、シャンランは美代に尋ねることにした。美代は小首を傾ける。


「わからない。わたしはもっと小さい子たちの様子を見てたんだけど、突然アルノーが泣き叫んで出ていったから、追いかけたの」


 美代はまだ子供だが、割と長くラウルス城にいるらしい。アイク語の発音がきれいだし、異常行動をとる住人達に鍛えられたせいか、かなり冷静にあったことを話してくれた。

 さすがにシャンランも困ってハオシンを見た。彼が困惑していた理由がわかった気がする。

 とりあえず、シャンランはアルノーに尋ねた。

「アルノー。お部屋に戻りたくないのですか?」

 こくっと彼はうなずいた。それを見てシャンランは決断した。


「わかりました。こんばんは私と一緒に寝ましょうか。美代も一緒にいらっしゃい」

「わかった。行こう、アルノー。シャンランさんは大丈夫だよ」


 美代がアルノーの手を引く。その様子にシャンランは苦笑した。しっかりした少女だ。シャンランは彼女を知らなかったが、彼女はシャンランを知っていたらしい。美代の判断はシャンランを日々観察して得た答えのような気がする。


 ラウルス城に逃げてくるのは、少年少女、大人ばかりではない。幼い子供や、時には赤ん坊が城の門前に捨てられていたこともある。幼い子供たちは自力で逃げることは難しいから、たいてい、たまたま派遣された『オーダー』の騎士や諜報員が連れ帰ってくる。来るもの拒まず、出るもの追わずのラウルス城だから、人が増えるのは道理と言える。

 さて。連れ帰ってきた子供たちは、城内にいる大人たちに世話されることになる。ラウルス城内では子どもが1人でも暮らせるような設備が整っているが、幼い子供にいきなり1人で生活しろと言っても無理がある。だから、住人達が助け合って子供たちを育てていた。

 子どもの間は、何人かが集まって同じ部屋で眠っている。たいてい五・六人の集まりになる。よほど小さな子供がいれば大人が付き添うが、美代やアルノーくらいの年の子たちの部屋には大人はいない。最年長の子どもがリーダー格としてほかの子どもたちをまとめている。まあ、これも社会勉強の一つだろう。美代はそのリーダー格なのかもしれない。


 シャンランは美代とアルノーとともにベッドで身を寄せ合って眠ったが、アルノーがおびえていた理由は翌日知れることとなった。


「ゴースト……って、幽霊の事ですよね」

「そ。最近出るって住人たちの間で噂になってんの」

「ああ……今までも何度かありましたよねぇ」


 情報をもたらしたのはメアリだった。メアリはこの城に来て6年、シャンランは7年になる。この決して短くはない期間の中でこうした事件はたびたび起きていた。幽霊事件も初めてではない。

 メアリは朝食のパンにバターをぬり、ほおばった。それを呑みこんでから話を続ける。


「今回の目撃者は子どもばっかりなのよね。クラウディアの所のレオンハルトとか美代とかは平気みたいだけど、ローレルたちはかなりおびえてるわねぇ」

「そうなのですか……」


 シャンランは少し眉をひそめた。ちなみに、レオンハルトはクラウディアの10歳年下の弟だ。美代は夜中にあった蒼の王国人の少女、ローレルはグレイスの娘。


「子供って……どの範囲までですか?」


 法的には16歳からが成人になる国が多い。翠の王国もそうであり、ラウルス城では翠の王国の法に習って16歳から成人としている。しかし、それはあくまで文章で定められた法律上の事であり、実際が伴うわけではない。美代などはせいぜい10代前半くらいだろうに、かなりしっかりしていた。


「んー。見たって子の中では10歳前後が最年長かな。私も詳しくないけどね」

「それだけわかってれば十分でしょう……メアリ。諜報員に転身してもやって行けるのではありませんか?」


 メアリの情報収集能力には恐れ入る。しかし、メアリは外見に特徴があるので、諜報員には向かないだろう。隠密活動が基本の諜報員には目立たない人物がいい。エーリカなどの美人な諜報員もいるが、彼女らのような美人は結構まれだ。


「まあさ。城内を一気に除霊しちゃうのが一番いんだよね、きっと」

「そんなこと、できるんですか?」

「できないから困ってるのよ。あ、エリーザならできるかもしれないけど」

「エリーザですか? あの子なら、今、そこに……ああっ」


 シャンランは先ほど見つけた黒髪の三つ編みを視線で追い、ため息をついた。メアリもシャンランの視線を追い苦笑する。


「相変わらずだねー、あの子」


 あの子呼ばわりされているエリーザは、飛んできたコップが頭にあたっていた。彼女の身体能力なら問題なく避けられるはずなのに、起き抜けでボーっとしているのだろうか。相変わらずの不幸体質である。そもそもなぜコップが飛んだのだ。


「おーい。エリーザ!」


 メアリが大声でエリーザを呼んだ。この城内には食堂が5つあるが、ここはもっとも広い食堂になる。ゆえに人が多かった。メアリの大声に興味深そうに彼女を見る人が続出したが、彼女は歯牙にもかけなかった。

 こちらに気付いたエリーザが朝食を乗せたトレーを持って近づいてきた。今日も長い黒髪を三つ編みにして垂らしている。


「おはよう、エリーザ」

「……おはよう」


 おお。返事が返ってきた。その程度で感動してしまうくらいには彼女は無口だ。彼女自身の能力に起因する弊害なので、そうそう責めることはできないのだが。


「エリーザ。城内の噂、聞いてる? 幽霊が出るってやつだけど。あんたは見た?」


 メアリが身を乗り出すようにしてエリーザに尋ねた。彼女はシャンランの隣に座ったので、メアリとはテーブルを挟んで斜め向かいになるのだ。

「……話は聞いてるけど、見たことは無い」

 単語ではなく文章で返答があった。

「もしもさぁ。除霊してって言ったら、あんた、できる?」

「たぶん、できると思う」

 おおっ、とシャンランとメアリが声を上げた。しかし、エリーザは言った。


「でも、現実的に不可能。私には生きている人間と死んでる人間の見分けがつかないから」

「ええっと。生者と死者の違いがわからないから、除霊しようと思ったらどちらにも影響を与えてしまう……ということですか?」


 シャンランがもう少し詳しく尋ねてみると、エリーザはうなずいた。メアリがため息をつく。


「ま、確かにあんたの魔法は大雑把だもんね。効果も大きいし……そんな顔しないの」


 ほぼ無表情だが、6年7年の付き合いのメアリとシャンランにはエリーザが微妙に顔をしかめたのがわかった。


「でも、あんた、もったいないのわかってる? それだけの魔力があるのに、操れないっていうのは危険でもあるのよ。せっかく魔術師の才能があるのにさぁ」


 メアリが頬杖をついて言った。シャンランはくすくすと笑う。彼女も武術の心得はあるが、使える魔術は補助的な効果の小さい魔術だ。もっとも、『歩く大砲』と呼ばれるメアリと、『戦慄の歌姫ディーヴァ』と呼ばれるエリーザに並ぶほどの魔法が使えるものなどほとんどいない。

 説教がましくなってしまった自覚があるらしいメアリは、雰囲気を変えるように言った。


「まあ、そのうちアウラやグレイスが手を打つわよね。考えなくていいって楽よねぇ」

「全くですね」


 シャンランは心から同意した。



――*+○+*――



 フロレンツィアは馬車で翠の王国を北上していた。つまり、山の方に向かっていた。紋章などはついていないが、明らかに貴人が乗っていると思われる質のいい馬車だ。当然である。フロレンツィアは翠の王国ヘルウェティアの第1王女だった。ちなみに、現在20歳。

 しばらく馬車に揺られ、見えてきたのは治外法権・ラウルス城。兄のヴィルヘルムはよく訪れているようだが、フロレンツィアは2年ぶりくらいだろうか。


「いつみても、この城はきれいね」


 白亜の巨城、ラウルス城。2万人近くが住んでいるこの城は、かなり規模が大きい。

 世間からはじき出された人が集まるこの場所は『黒の王国』とも呼ばれているらしい。つまり、存在しないはずの場所という意味だ。来るもの拒まず出るもの追わずのこの城は、今のところ年々住人が増えている。


 翠の王国は永世中立国だ。このラウルス城の住人を保護することでその中立を保っている。『黒の王国』の中核をなしているのは『オーダー』という騎士団であり、翠の王国は独自の戦力を持たない代わりに、彼らに国防を担ってもらっていた。

 現在、『オーダー』の騎士は8千人ほどいるらしいが、そのうち半分以上が国防に駆り出されている。国の規模から考えれば少ないのだが、『オーダー』の騎士は普通ではない。ちなみに、今フロレンツィアを護衛している騎士も『オーダー』の騎士だ。


 カール・シュルツ。フロレンツィアが物心つくころにはすでに宮殿の護衛としてたびたび顔を合わせていた。今では警備の総責任者だ。ちなみに、赤の帝国出身。その内情と国土の広さから、どうしても赤の帝国の人間が多いのは仕方がない。

 カールは年齢は40歳手前ほど。栗毛に翡翠の瞳のなかなかに風采の整った男である。宮廷の警護はその人の戦闘力と性格で選ばれるから、どうしても人選が偏ってしまう。穏やかな気性の彼は宮殿勤めが多い、という話だ。


 そして、もう1人同乗者がいた。銀糸の髪に瑠璃色の瞳。透けるように白い肌。従妹のユーディット・クロイツェルだ。父方の従妹であり、彼女の両親が亡くなったため、国王が引き取り養女とした。そのため、戸籍上はフロレンツィアの妹。フロレンツィアより2つ年下。

 月のようにはかなげな美少女のユーディットにたいし、フロレンツィアは割と平凡な美人だった。意味不明な言葉だが、この言葉が一番的を射ていると思う。なんと言うか。美人なのだが思わず見入ってしまうほどの美人ではない、ということだ。


 金髪に明るい緑の瞳。条件だけ見れば兄のヴィルヘルムと似ているが、顔立ちはあまり似ていないと言えよう。兄ほど華やかな顔立ちをしていないのだ。と言っても、フロレンツィアは自分の顔には満足していた。

 ラウルス城の前についた。御者が恭しく入り口を開けてくれる。フロレンツィアはユーディットとともに城に足を踏み入れた。もちろん、カールも降りてくる。


「相変わらず中に入ると適温ね……あら?」


 フロレンツィアはエントランスから2階へ上る階段を見上げた。吹き抜けの2階

部分にいる少女と目があった。本を抱えているから、図書館にでも行くところだったのだろうか。見覚えのない少女だ。この城はしばらく来ないとすぐに人が増えるから、フロレンツィアは特に気に留めなかった。


「……誰?」


 よく声の響くエントランスだから聞こえたのだろう。それくらい小さな声で少女は言った。年はユーディットと変わらないくらいだろう。フロレンツィアは口元に笑みを浮かべた。だが、彼女が口を開く前にカールが少女に言った。


「すまないが、グレイスかアウラを呼んできてくれないか?」


 少女がカールの徽章を見てはっとした。カールがしているのは『オーダー』の徽章。この城に住んでいるものなら初めに覚えさせられる。少女にもフロレンツィアたちがこの城の関係者だとわかっただろう。

 だが、少女が人を呼びに行く前に乱入者が現れた。


「グレーテル。こんなところに……」

「あ、お姉様。人が」


 少女はその女性に駆け寄って訴えた。女性はフロレンツィアの姿を認めて、あわてて階段を降りてきた。


「姫様。珍しいですね、いらっしゃられるとは。カールさんもお久しぶりです」

「ええ。久しぶりね、クラウディア」


 フロレンツィアはにっこり笑って言った。

 赤の帝国クラウゼヴィッツ辺境伯クラウディア。身分を隠すものも多いこの城において、これだけはっきりと身分が割れている人間は珍しい。まあ、言わなくてもどこからか漏れたりするものだが。

 クラウディアは2階を見上げると、下を覗き込んでいた少女に指示する。


「グレーテル! 図書館に行ってちょうだい。それと、どこかで捕まえられるようならメアリかエリーザを捕まえて教師役をしてもらって」

「あ、うん。わかった」


 グレーテルと呼ばれた少女はうなずくと、本を抱えたまま図書館の方へ向かった。カールが目を細める。

「勉強時間の途中だったのか。邪魔をしてしまったな」

「いえ。教師役ができる人は多いですから」

 クラウディアはそう言うが、彼女は学者並みの知識を持っているらしく、彼女以上の教師はいないだろうと言われている。しかし、読み書きくらいなら教えられる人が多いだろう。何しろ、この城でそれらを教えているのだから。基礎として読み書き計算、発展型としてそれぞれの知識を持つものが教鞭をとり、歴史や文学を教えていたりするのだそうだ。よくできていると思う。


 まあ、それはともかくだ。一応『オーダー』に名を連ねるクラウディアに会うことができて幸運だった。『オーダー』の騎士であるクラウディアなら、グレイスやアウラ、つまり『評議会』議員の許可をいちいちもらわなくても城内を案内できる。


「さっきの子は、妹?」


 フロレンツィアが先ほどの少女を思い出して尋ねると、クラウディアはうなずいた。

「ええ。マルグレーテと言います。年は今年で15歳くらいでしょうかね」

 クラウディアの言葉は淡々としていてちょっと怖い。しかし、その中に少しだけ家族愛を感じることができ、フロレンツィアはほっこりとほほ笑んだ。

 クラウディアに連れられてアウラの執務室についた。『評議会』議員はそれぞれ執務室を与えられている。フロレンツィアたちを見たアウラは目を見開いた。


「まあ、姫様。ユーディット様も、よくいらっしゃいましたわ。カールもお久しぶりですね」

「ええ。アウラも変わりないようで」


 カールも母親のようなアウラは特別らしい。いつもの無表情が緩み、少なからずフロレンツィアたちを驚かせた。


「お邪魔してるわ、アウラ。ユディも挨拶なさい」

「こ、こんにちは」


 ユーディットの背中をつつくと、彼女はおっかなびっくりあいさつした。こういうところがかわいいとは思うのだが、人見知りは何とかしなければならないだろう。しかも、彼女は少々情緒不安定気味だ。護るように抱えている細身の銀の剣が異様である。

 アウラはフロレンツィアとユーディットを見て目を細めて微笑んだ。フロレンツィア自身も、母親のようなアウラには頭が上がらない自覚があった。いや、翠の王国王妃はまだ生きているのだが。彼女に促され、フロレンツィアはソファに座った。ユーディットは隣に座ったが、カールとクラウディアは控えるようにそれぞれフロレンツィア、アウラの背後に立った。


「どうなさったのですか? ヴィルヘルム殿下ならともかく、姫様方がいらっしゃるのは珍しいですね」


 優しげにアウラが言った。フロレンツィアははしたなくも足を組み、ソファの肘掛けに頬杖をついた。ここでは、こんな姿勢も許される。今のうちに堪能しておく。どうせ、すぐにこんなことはできなくなってしまうのだから。


「ええ。もしかしたら、これが最後かもしれないと思うとなんだか行きたくなったの。……わたくし、嫁ぐことになったの」


 アウラとクラウディアがはっと息をのんだ。ユーディットとカールはすでに知っている。ユーディットが不安げなのは、もうすぐフロレンツィアがいなくなるからかもしれない。そううぬぼれたくなるくらいには、従妹の彼女を妹として愛してきたつもりだ。


「……フロレンツィア様……嫁がれてしまうのですね。おめでとうございます、と言えばよろしいのでしょうか……」


 アウラが戸惑いがちに言った。彼女は100年以上をこの『黒の王国』で過ごしているという。何度も、王女が嫁ぐ様子を見て来ただろう。だから、こんなことを言われるのはちょっと不思議だった。アウラならもっとうまく返してくれると思った。いや、失望してわけではないから。


「世間一般的には、おめでとう、でいいのだと思うわ。でも、わたくしの場合は政略結婚だからね。まあでも、一応、先方がわたくしを気に入ってくれたらしいのだけど」

「まあ……」


 アウラが少し目を細めた。笑ったのだと思う。その割には複雑そうな表情だけど。


「どちらに行かれることに?」

「紫の王国」


 紫の王国ゼレノフは西大陸から東大陸に広がる北方の国だ。大陸最北の国であり、寒い。もともとは帝国を名乗っていたらしいが、ずいぶん昔に同じく帝国を名乗る赤の帝国の圧力に屈して王国と名乗るようになったらしい。

「紫の王国……寒いですわね」

「そうなのよ。別に政略結婚とかはいいんだけどね」

 翠の王国も大概寒いが、それより北に行くことになるとは思わなかった。


「さみしくなりますわ」

「わたくしもよ。お兄様ほどこの城には親しみを感じていなかったのだけど、いざ離れるとなるとさみしいものだわ」


 というわけで最後に探検でもしてみようかとユーディットとともに出てきたのだ。放っておくとこの子は引きこもるので、社会勉強も兼ねている。一応。


「では、最後にお城を見学されていきますか?」

「行くわ。ユディも行きましょう。不安なら手をつないであげるわよ」


 フロレンツィアは笑ってユーディットに手を差し出した。ユーディットは視線をさまよわせて迷うそぶりをしたが、結局フロレンツィアの手を取った。


「仲がよろしいですね」


 アウラが微笑ましそうに言った。護衛としてカールとクラウディアもついてくるが、彼女が護衛として役に立つのかはちょっと不明である。

 城内を歩いていると時折爆発音などが聞こえてくる。2年前とあまり変わらない。前に来たときもこんな感じだった。

「今、この城って2万人近くが住んでるのよね?」

 フロレンツィアが尋ねると、アウラがうなずいた。

「ええ。日々増えていますわね」

「住んでる人って把握できてるの?」

「……『オーダー』のメンバーは原則、氏名の確認をしていますが、ただの住人に関してはチェックしていない場合もあります」

 なぜかアウラに見つめられたクラウディアがよどみなく答えた。たぶん、彼女は住人把握に関わっているのだと思われる。


「ふうん。じゃあさ、気が付いたら住みついたりしてる人とか、いないの?」


 とフロレンツィアが尋ねた瞬間、背後で剣戟の音が聞こえた。驚いて振り返ると、カールが住人の1人と打ちあっていた。


「え!? 何!?」


 いくらラウルス城が非常識な場所だろうと、これはないだろうと思う。いきなり斬りかかってこられるような場所だっけ、ここは?

 などと思っていると、クラウディアが叫んだ。

「あなた、だれ!? ここの住人じゃないわね!?」

「ちょ、あんた、ここの住人の顔、全部覚えてるの!?」

 フロレンツィアのツッコミは無視された。だって2万人だ。普通、覚えられない。


「とにかく、離れましょう。カール、相手は頼みました。ディアも行きますよ」


 銃のロックを外していたクラウディアにも声をかけ、アウラはユーディットの手を引いて廊下を走った。何事かと出てきた住人たちを追い立て、離れるように言う。

「アウラ! ストップ!」

 聞き覚えのある声だ。その声の指示に、アウラではなくユーディットがしたがった。手をつないでいたアウラを引っ張り、足を止めさせる。すると、今度は前から鎌鼬が飛んできた。それは背後から追ってきていた住人の1人に当たり、彼は「うっ」とうめいて動かなくなった。


「……メアリ。相変わらず過激ね」


 身の丈ほどのロッドを持った魔術師に言うと、いつものように彼女は明るく言った。

「助かったんだからいいでしょう。姫様、あなた、何かしたんですか?」

 唐突な問いに、フロレンツィアは首をかしげた。


「何かってどういうこと? 何もしてないわ」

「いや、だって。今この城に翠の王国の王女が来てるから、攫ってどうのこうのって話をしてたので」

「……何それ」


 フロレンツィアは素でそう言った。眉を顰め、怪訝そうな表情になる。

 攫ってどうのこうのって、身代金目的? っていうか、ラウルス城内で攫おうとする時点で計画は失敗してるわね。

 攫うのなら、馬車で移動中がよかったのに。あの時なら護衛はカールしかいなかった。まあ……。ちらりとユーディットの方を見る。この子もいたから、たぶん、何事もなかっただろうけど。そんなことを考えているフロレンツィアの横で、クラウディアが質問を発した。


「それで、その話をしてたやつらは?」

「シャンランとダニエルが締め上げてる。ああ、エーリカがグレイスを呼びに言ったから、そろそろグレイスが来ると思うよ」


 ……なんだろう。グレイスが来ると言うだけで感じる、この安心感は。

 そして、本当にすぐにグレイスが来た。


「お待たせ。姫様、お騒がせしてすみません」


 ニコッと天使の美貌に笑みを浮かべてグレイスは言った。少々トラブルメーカー的なところはあるが、彼女は優秀だ。


「珍しいですね、グレイス。あなたが自分から事件に首を突っ込まないとは……」

「ちょ、アウラ。まあ、否定できないけど。でも、今回は幽霊事件を調査してたの」

「ああ、シャンランが依頼したやつね!」


 メアリがぽん、と手を打ってそう言った。なに、幽霊事件って。

「それそれ。あれって、幽霊じゃなくて」

 グレイスが言いかけた瞬間、近くで爆発が起こった。とっさに結界を張ったメアリの機転に助けられたが、周囲は焦土(簡易版)となった。さすがに口元を手で押さえる。

「姫様、ユーディット様、お怪我は!?」

「わたくしは大丈夫よ」

「わ、私もです」

 フロレンツィアとユーディットがクラウディアに手をあげて無事を示した。そこで、フロレンツィアは自分の手から血が流れていることに気が付いた。

「治るって言っても、これ、痛いのよ」

 グレイスの声に振り向くと、半身を血で染めたグレイスが手りゅう弾らしきものを持った女を取り押さえていた。どうしてそうなった。


「誘拐するんじゃなかったの? これだったら死んじゃうでしょうが、馬鹿ねぇ」


 がすっとグレイスが女の頭を踏んだ。容赦がないな、この城の人間は。

 頭が少しはっきりしてきたところで、怪我をした腕が痛んできた。グレイスとクラウディアにかばわれたからか怪我がないアウラは、フロレンツィアに近づいてくる。

「姫様! すぐに治療を……」

 アウラは言葉を切った。フロレンツィアの側の不穏な空気に気が付いたからだ。

 ユーディットである。

 目に見えるほどの魔力で、彼女の銀糸の髪がぶわっと広がった。


「お、お姉様に……なんてことを……!」

「ちょ、ユディ! 落ち着きなさい! わたくしは大丈夫……って、寒い! 寒いから!」


 声はおびえているようだがこれは怒っている。フロレンツィアはあわててユーディットを落ち着かせようとしたが、彼女の氷の魔法は止まらなかった。休息に周囲の空気が冷えていき、凍っていく。

「メアリ!」

 すがるようにメアリの方を見るが、洋服をボロボロにした彼女が首を左右に振った。


「ダメよ! 私と魔力の桁が違いすぎ……そうだ! エリーザ呼べ、エリーザ!」


 なぜエリーザ!? フロレンツィアは兄が思いを寄せる少女の死んだような顔を思い出す。彼女は何となくユーディットと似ている。


「何でもいいけど、早くしないとグレイスが出血と低体温で死んじゃうよ」


 クラウディアが冷静にツッコミを入れてきた。冷静なのはいいが、さらっと恐ろしいことを言うな! 姉なのに、こんな時には役に立てない。

 これはもはや魔法の暴走だ。止めるにはユーディットを止めるしかない。彼女を殺しても魔法は残ってしまうだろう。まあ、殺す気はさらさらないが。

「―――っ! 何、これ……」

「エリーザ! なんといいところに! 反対魔法、反対魔法!」

 メアリが突然現れた黒髪の少女に狂ったように叫んだ。エリーザはいぶかしみながらも口を開いた。


「その両手は命を抱きしめ、生あることに感謝する。人々は恵みを与える大地に祈りをささげ、守りを与える天に歌を送る。その声は聞こえなくても、その言葉は世界に力を与える」


 とん、とエリーザはユーディットの肩をたたいた。反対魔法のおかげか、だいぶ納まっていた魔力の拡散が、その行為とともに完全に納まった。そのことにほっとする。

「グレイス! 生きてる!?」

「生きてるよ」

 グレイスの返答にメアリのほっとした声が聞こえる。巻き込まれてしまったかわいそうな住人達にはクラウディアが声をかけて回る。フロレンツィアは、いつの間にか自分の腕の怪我が治っていることに気が付いた。アウラの方を見るが、彼女はすでにクラウディアとともに確認作業に入っている。

 とりあえず。うずくまっている妹を何とかしようと、フロレンツィアはユーディットににじり寄った。


「ユディ。大丈夫よ。そんなに被害はないから」

「……そうです。魔法の暴走なんて、よく有ることです」


 よくはない、とフロレンツィアはツッコミをいれようかと思ったが、やめた。たぶん、エリーザにもよく有ることなのだろう。ただ、表情が無機質すぎて怖いけど。


「でも……だって……私、みんな、怖いって……」

「あー……」


 フロレンツィアは思わず口ごもった。怖くないと言えばうそになる。ユーディットは正真正銘の魔女だし、対してフロレンツィアは大した対抗手段がない。だから、怖くないと言えばうそになるのだ。

 しかし、それ以上にユーディットのことを愛している。それを伝える前に、エリーザが言った。


「別に怖くありません」


 息を吐くような彼女の声がいやに大きく響いた。ユーディットの潤んだ瑠璃色の瞳がエリーザの方を向く。


「怖く、ない……? 本当?」

 ええ、とエリーザは言い切って見せた。

「私は自分の力の方が怖いですから」


 その理論ってどうなの!? と思ったが、エリーザとユーディットはその後、仲良くなった。

「そう言えば、エリーザ。よくここがわかったわね」

 魔法で周囲を片づけながらメアリが首をかしげた。エリーザはああ、とうなずく。


「……彼女が教えてくれたから」


 エリーザが示す方をつられてみる。そして、フロレンツィアは悲鳴を上げた。


「きゃぁぁぁああっ! 幽霊!?」

「あながち、その表現は間違っていませんが……」


 戸惑ったように言葉を発したエリーザの隣にいたのは薄く透けた若い女性だった。しかも、床から浮いている! これを幽霊と言わず何を幽霊と言えと!?


「姫様。彼女はシルキーです。確かに幽霊の一種と数えられますが、悪さはしません」

「なるほどぉ。彼女たち、時々出てきて人を脅かしていくもんね。幽霊騒ぎの原因はこれかぁ」


 アウラとメアリがそれぞれ言った。メアリと同じく魔法で周囲を整理していたグレイスが振り返る。


「そう言うこと。私たちは彼女を『シルキー』と認識しているから、新しく来た子供たちの話しと食い違ってしまってたんだね。子どもたちは『幽霊』と認識していたから」


 まあ、これだけ幽霊情緒あふれているのだから、シルキーを幽霊と間違えちゃった子供たちの気持ちはよくわかる。にしても、なんて迷惑な行為なのだろうか。少し落ち着いてから尋ねたところによると、シルキーは人を驚かせるのが好きらしい。そうか。この城になれてしまった人は驚いてくれないもんね。

 何となくすっきりしないものを感じながらも、いい思い出ができたとフロレンツィアは思う。


 思い出と言えば、この時、フロレンツィアを誘拐しようとした事件だが、のちに思わぬ形で詳細が明かされることになる。


ここまで読んで下さり、ありがとうございます。


君主の娘であるシャンランとフロレンツィアでお送りしました。シャンランは元君主の娘になりますけど。ちなみに、チャン・ハオシンは張浩津と書きます。


シルキーとはイングランド地方に存在する幽霊だそうです。古い屋敷に気まぐれにあらわれ、家事を手伝ったりしてくれるそうです。シルクを着ているからシルキー。詳しいことは自分で調べてもらいえるうれしいです。

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