2、大切なもの
タイトルに偽りあり、かもしれません。しっくりくるものが思い浮かばなかったので、そのうち変えるかもしれません。
今回は赤の帝国出身の2人が語り部です。またグレイスがやらかします。
※5月15日、サブタイトルを変更しました。
「お帰りぃ。お疲れ様、エリーザ、エーリカ」
のんきな声でそう言われ、エリーザは目を開いた。思った通り、金髪にエメラルドグリーンの瞳をした眼鏡の女性が、身の丈ほどもあるロッドを片手に笑っていた。足元では床に掘られた転移魔法陣が明滅し、やがて光を失った。
「ただいま。相変わらずね、メアリ」
「ふふっ。あなたたちも無事で安心したわ」
エーリカとメアリが手を取り合って再会を喜んでいる。エリーザとエーリカがこのラウルス城に戻ってくるのは1か月ぶりだった。
ラウルス城、通称『黒の王国』。翠の王国ヘルウェティアに存在する不可侵の領域だ。もともとは騎士団『オーダー』の本部だったらしいが、気づいたら世界になじめなかったものが集まるようになっていたらしい。エリーザ自身も、なじめなかった人物である。
翠の王国自体は永世中立をうたっている。侵略せず、侵略させず。その理念ゆえに、西大陸にありながら四半世紀前の科学大戦をほぼ無傷で生き残っていた。
その翠の王国には、主だった軍事組織がない。その役目を、『オーダー』が担っているからだ。翠の王国が『オーダー』を保護し、代わりに『オーダー』は軍事力を提供している。宮殿の警護なども『オーダー』の騎士の役割だ。ちなみに、エリーザは今のところ王室警護についたことは無い。
お貴族様のお悩み解消から戦争の支援まで、さまざまな仕事を行う『オーダー』だが、今回、エリーザは諜報官のエーリカとともに青の王国セリエールに行っていた。青の王国は現在、情勢不安で内乱が起こっている状況だ。その様子を見に行ったのである。あまり知られていないが、『オーダー』は情報戦も得意だ。
「2人とも、戻ったならアウラの所に報告に行ってね。2人の帰りを待ってるわよ」
「了解。エリーザ、ボーっとしてないで行くわよ」
メアリに手を振り、エーリカが部屋を出た。先ほどの部屋は『オーダー』に所属する魔術師が管理している。転移魔法陣が掘られているためだ。転移魔法は魔術の中でも難しい部類に入る。正確に何処に出るかわからなければ、肉体が分裂してしまうこともあるという。
あの部屋の魔術師たちは、この城の外にある魔法陣から、城に戻ってくるときに間違わないように誘導してくれる。なので、戻ってくるときはこれで戻ってこられるのだが、出ていくときは難しい。行先に誘導係の魔術師がいるとは限らないからだ。正確に出られなければ、転移魔法はかなり危ない。
基本的に、魔術が使えれば問題なく転移魔法陣は使用できる。出発は自分で行えばいいが、到着には手助けがいるということだ。だから、エリーザたちも行きは馬で青の王国まで向かった。
「アウラ、失礼します」
エーリカがアウラの執務室をノックし、部屋に入った。続いてエリーザも中に入り、そっとドアを閉める。『オーダー』の執行機関である評議会の議員は執務室をもらうが、アウラのそれは他のメンバーのものより広い。
「エーリカ、エリーザ、よく帰ってきましたね」
優しく微笑むのがこの『オーダー』、そして通常『黒の王国』と呼ばれる城の事実上の最高責任者であるアウラだ。淡い金髪碧眼。優しげな風貌で、すでに100歳は越えているはずだが、せいぜい20代半ばくらいにしか見えない。エルフの為、耳はとがっていた。
彼女がいなければ『黒の王国』は回らない。そう言われるほど、『黒の王国』の運営に貢献した人だ。優しくも厳しい彼女は、多くの住人から尊敬を集める。
「ただいま戻りました」
エーリカが微笑んで言った。穏やかな面差しのエーリカに睨まれ、エリーザもようよう口を開く。
「……ただ今戻りました」
「ええ。お疲れ様でした。簡単に報告を聞かせていただけますか?」
アウラは聖女のような顔で微笑んだ。詳しいことは報告書で伝えることになる。諜報官であるエーリカが簡単にかいつまんで状況の説明を始めた。
「かなり荒れていましたね。地方に行くにつれて、人は少なくなるし、土地は荒れていました。治安は最悪。エリーザがいなかったら、私、どっかで死んでたと思います」
優秀な諜報官の割には、エーリカの戦闘能力は低かった。彼女はもともと赤の帝国で諜報官をしていたらしい。
確かに、青の王国の状況は最悪と言ってよかった。歩けば死体を見つけ、立ち止れば野盗に襲われる。そんな状況だった。
そもそも、エーリカとエリーザと言う組み合わせもあまりよくなかったのだと思う。エーリカ・フィルツは癖の強い肩にかかるほどの褐色の髪に青の瞳の美女だ。たれ目気味の大きな目元は知性をにじませ、穏やかながら凛とした顔立ちをしている。体形も女性らしい。
対してエリーザ・リューベックを名乗る少女は長身痩躯。やせ過ぎと言われたこともある。しかし、エーリカに引けを取らない美人だった。長い黒髪は三つ編みに結われ、紅玉の瞳は切れ長の釣り目。気が強そうだが、目が死んでいるとよく言われる。身なりに気を使わないので髪は痛んでいるし、目が死んでいるが、とにかく美人だった。
よりにもよって、諜報に行った2人が目立つ容姿だったということだ。目立つということは狙われやすいということ。エリーザ1人でも対処できるレベルだったからよかったが、逃げ切れなかったらと思うと今でもちょっと恐ろしい。
「王都にも行ってきたのですか」
報告書に目を通したアウラが少し驚いたように言った。エーリカが「はい」と答える。
「はい。私たちの外見だと、都会の方がなじめるんですよね」
エーリカは平民層の有識者の女性に見えるし、エリーザはぐれた貴族子息にみられることが多い。聡明そうな2人の顔立ちに原因があった。
「どうでした? ドゥメールの様子は」
「混乱は激しいですね。ジャン15世とマリユス7世の軍が、毎日のように戦っています。状況はこう着状態。各国の大使も引き上げた様子でした。住民は地方に避難しています」
かつて花の都と言われた青の王国の王都ドゥメールは、見る影もなく崩壊していた。いや、実際にエリーザやエーリカが花の都だったころのドゥメールを見たことは無い。2人が生まれる前、18世紀末の彼の国の革命、そして四半世紀前に起こった科学大戦ですでにあらかた破壊されてしまっていたからだ。
しかし、かつてのドゥメールを知っているものは言う。美しい街であったと。
青の王国は世紀末の革命後、絶対王政から共和制、帝政、第二王政、自由主義王制と政権が変遷していった。これだけのことがたった40年の間に起こったのだから、混乱するのも仕方がない。このラウルス城に逃げ込む人は、赤の帝国の次に青の王国の人間が多かった。どちらの国も貧富の差が激しい国だ。
「政府の対応は?」
「それどころじゃありませんよ。だって、その政府が二つに割れてるんですからね。指揮系統もめちゃくちゃ。内戦と言うより、乱闘と言った方が近いですね」
エーリカが苦笑して言った。アウラは憂いの表情を浮かべてため息をついた。
「エリーザも何か言うことはありますか?」
アウラに尋ねられ、エリーザは首を左右に振った。エリーザが言いたいことは、大体エーリカが言ってくれている。
「わかりました。2人とも、ご苦労様。ゆっくり休んでくださいね」
最後にアウラの慈愛の笑みを見てから、彼女の執務室を出た。エーリカがぐっと伸びをする。
「これでひと段落ね。なんだかんだで、あなたには感謝してるわ」
「……」
エーリカがエリーザを見上げて言った。
「ここに来るまで一人で諜報活動をしてたけど、いかに危険だったか自覚したわよ」
「……そう」
そっけないエリーザを見て、エーリカは「相変わらず愛想がないわね」とため息をついた。
「じゃあ、あなたもしっかり休みなさいよ」
「……お疲れ様」
「ん」
エーリカは少し微笑み、自分の部屋に向かって行った。エリーザも自分の部屋の方に歩き出す。と。
「!?」
長い三つ編みが後ろに引っ張られた。後頭部に手をやり、振り返るとそこにはエリーザより背の高い女性がたっていた。『オーダー』執行機関・評議会の一員であるグレイスだ。
「……」
エリーザは無言で天使の美貌ともいわれるグレイスの整った顔を見上げた。実のところ、エリーザの三つ編みを引っ張る子供は多い。エリーザが寡黙で、そうしても何も言わないからだ。さすがに髪を切ろうかと思っている。
それはともかく、グレイスである。
「………」
「……」
「…………ただいま」
「ん。お帰り」
エリーザがぽつりと言うと、グレイスはうなずいてそう言った。それにしても、何の用だ。
「エリーザ。ちょっと付き合ってくれない?」
「……」
「ちょっと聞いてほしいんだ」
「……」
エリーザは無言を貫いたが、グレイスは初めから返答を求めていなかった。どうやら、とにかく話を聞いてくれる人を探していたらしい。こぢんまりとした談話室に連れて行かれ、目の前にグラスが置かれた。
「まあ飲みなさい」
せっつかれて一口飲む。飲んでから気づいたが、ストレートのウィスキーだった。
「でね。ちょっと聞いてほしいんだけど」
エリーザの向かい側に腰かけ、グレイスが切りだした。彼女も片手にグラスを持っている。
「斬り殺したい奴がいるんだけど、リアムは『黒の王国』の法にのっとって裁けっていうんだ」
うん。状況がさっぱりわからないから意見しようがない。とりあえずエリーザはグレイスにそう伝えた。グレイスが簡単に説明してくれたところによると、昨日、グレイスとリアムの娘が行方不明になっていたらしい。2人の娘はローレルと言う6歳の少女だ。はっきりとグレイスと似ているとわかる顔立ちをしている。
ローレルは、その日のうちに見つかったという。何でも、ラウルス城に住んでいる避難者の1人に監禁されていたらしい。世界から締め出された者が多く集まるこの城だ。ローレルを監禁した奴はマッドサイエンティストだった。
「いわく、有翼人に興味があったらしくてね」
有翼人イーリイ。現在確認されている有翼人は、グレイスのみ。その名の通り、背中には白い翼が格納されており、有事ともなればその翼で飛ぶことができる。また、肉体も異常に強い戦闘民族でもある。
グレイスの娘のローレルは有翼人と普通の人間の混血になる。翼はあるが飛べず、肉体も普通の人間より少し頑丈かな、と言う程度。翼がある以外はただの人間に等しかった。
「研究対象にするなら、私にすればよかったのに……!」
グレイスは純血らしい。研究し甲斐はあるだろうが、そもそもグレイスなら捕まらないだろう。監禁することも困難だ。彼女は大理石を握力だけで砕いたことがある。とりあえず、気になったことを聞く。
「……ローレルに怪我は?」
「怪我はなかった。ただ、いろいろな計器で脳波とかを測定されたらしくて、今もおびえてる」
ローレルはもともと臆病な少女だった。しかも、監禁されて訳の分からない器具を取り付けられたりするのは、子どもじゃなくても怖いだろう。
「明日にでもあってあげて。あの子、あなたになついてるからね」
グレイスに頼まれ、エリーザはうなずいた。話は大体わかった。すべて聞いたわけではないが、たぶん、ローレルを発見して事情を聞いたグレイスがブチギレ、そのまま監禁者を斬り殺そうとしたのをリアムが止めたのだろう。グレイスはいたずらなどを笑って受け流せるタイプだが、キレるとかなり暴力的になる。
「それで、どうすればいいと思う?」
自分のグラスにウィスキーを注ぎ足しながら、グレイスが意見を求めてきた。エリーザは少し考える。
「……私は法に従うべきだと思う。理由なく城内で人を殺せば、グレイスがこの城を追い出されることになる」
ラウルス城、と言うか『オーダー』は治外法権になる。と言っても、法律がないわけではなく、ラウルス城の住人に適用される法律はある。その法の中に、理由なく人に危害を加えれば城を放逐されるという取り決めがある。さらに、エリーザもだがグレイスは『オーダー』の騎士だ。『オーダー』にも規則がある。その中に、非戦闘民を殺すべからずというものがある。グレイスがそのマッドサイエンティストを斬れば、その規則にも抵触する可能性があった。
「……っ! わかってるさ。あああああああっ!」
グレイスが身悶え、グラスを一気に空にした。ウィスキーは一気飲みするものではない。しかし、グレイスはシャレにならない酒豪だから、大丈夫かなともちょっと思う。
空になったグラスが叩きつけられるようにテーブルに置かれた。
「……グレイスの気持ちはわからないわけではないけど、グレイスはもう少し衝動を抑えるべきだと思う。暴れたりないなら、私が相手してあげるから」
最後の方、何だか言い聞かせているようになってしまった。グレイスはすでにかなり飲んでいるので、言っていることがかなり支離滅裂だった。
「だってぇぇええっ。ローレルを閉じ込めたのよ。私だって外に出て戦いたいのにぃぃぃいいいっ!」
「…………」
返答のしようがなくて、エリーザは口を閉ざした。しばらくぶつぶつと文句を言っていたグレイスは唐突にパタッとテーブルの上に臥せった。
「!」
驚いたエリーザは手を伸ばし、グレイスの脈を計った。生きていた。いや、ただの酒の飲みすぎなのはわかっていた、なんとなく。ソファにそのまま寝かせるのも気が引けるし、どうやって運んだものかと思案していると、見計らったようにリアムが入ってきた。
「ここにいたか。探し回ったぞ」
「………」
「あいさつくらいしろよ」
そう言われて、エリーザは「ただいま」と言った。すると、「ちょっとずれてるんだよなぁ、お前」と言われてしまった。ずれてるって、何が?
「グレイスに付き合わせて悪いな――って、お前ら、どんだけ飲んだんだよ!」
リアムにつっこまれて、エリーザは空いた酒瓶を数えた。計3本。ブランデー、ウィスキー、ウォッカが1本ずつ。エリーザはジュースで割っていたので、ジュースの瓶も空いている。
「……3分の2はグレイスが飲んだ」
グレイスは本物の酒豪だ。今日は興奮していたため、酔って眠ってしまったようだが、いつもならどれだけ飲んでもけろりとしている。有翼人イーリイは消化も早いらしい。
「つまり、3分の1はお前が飲んだってことだろ。お前は自分で立てる?」
エリーザはリアムの問いにうなずくと、立ち上がった。その瞬間、くらっと来た。右手はテーブルにつき、左腕はリアムに引っ張られる。
「ほら、飲み過ぎだ! すまんがグレイスを抱えるから、お前は頑張って歩いてくれ」
リアムはグレイスを抱えるとその状態で部屋の扉を開け、廊下に出た。エリーザもよろよろと続く。リアムはゆっくりと歩くエリーザに歩調を合わせてくれた。こういうところは紳士的だと思う。
リアムは、エリーザの剣の師匠だ。ラウルス城に来て剣を学びたいと言ったエリーザに、彼は一から剣の扱い方を教えてくれた。何もわからないエリーザに剣を覚えさせたリアムは辛抱強く、そして教え方がうまかった。彼のおかげでエリーザは今、『オーダー』として活動できている。だから、エリーザはリアムを尊敬していた。
「お前、グレイスと何話してたんだ? ローレルを監禁した変人科学者の話しか?」
エリーザはうなずいた。それを見て、リアムはため息をつく。
「……グレイスの気持ちは、わからないわけではないんだ。かわいい娘を監禁されて、起こらない方がどうかしている。あまつさえ研究対象にしようと下だと? その所業は到底許されるものじゃない」
「………」
今口をはさむと、話しがこじれる気がしたので黙っておく。
「だが、だからこそ、俺は『黒の王国』と『オーダー』の法律に基づいて裁いた方がいいと思う。斬り殺したら、グレイスまでこの城を追い出されることになるからな」
そうなれば、子どもたちが悲しむ、とリアムは言う。その通りだろう。母親がいなくなれば、子どもは悲しむ。
エリーザの生母はすでに他界しているが、育ててくれた母親はいる。エリーザも、彼女がいなくなったら、悲しいだろうと思う。
「じゃあな、エリーザ。よく休めよ。付き合わせて悪かったな」
なんだかんだでエリーザの部屋の近辺まで送ってくれた。エリーザがグレイスに付き合ったのは自分の意志だ。嫁の所業を謝るリアムは律儀だ。
エリーザは部屋に入ると、ベッドに倒れこみ、寝た。
――*+○+*――
クラウディア・クラウゼヴィッツは辺境伯だ。正真正銘の伯爵である。出身国である赤の帝国アイクシュテットは、基本的に爵位は長子相続。クラウディアは前辺境伯の長女だった。
クラウディアは4年前に、7つ年下の妹と、10歳年下の弟を連れてラウルス城に駆け込んだ。当時18歳だったクラウディアは、すでに辺境伯の爵位を持っていた。
辺境伯でありながらラウルス城に逃げ込んだのには当然だが、理由がある。クラウディアが爵位を継いだのは、やむを得ない状況ゆえだ。前クラウゼヴィッツ辺境伯が暗殺されたのである。母と父の妹、つまりクラウディアの叔母は、直ちにクラウディアに爵位を継がせ、彼女と弟妹を屋敷から逃がした。今、母と叔母がクラウゼヴィッツ伯爵家を事実上護っている。
クラウディアが爵位を持って出奔した以上、その爵位は叔母に譲られてもおかしくないところだが、叔母はあくまで自分は留守を預かるもの、まだ若い辺境伯であるクラウディアは留学しているのだという態度を貫いた。
赤の帝国の法律上、クラウディアが留学しているだけであるならば、彼女の承認なしに爵位を彼女から剥奪することができない。不思議な法律だが、そう言うことらしい。
叔母がクラウディアを逃がしてまでクラウゼヴィッツ辺境伯の爵位を護ろうとしているのは、この爵位が特別だからだ。クラウゼヴィッツ辺境伯は7人いる選帝侯の1人だった。
選帝侯とはそのままだ。次の皇帝を選ぶ権利を持つのが選帝侯になる。むしろ、この選帝侯に選ばれなければ、皇帝になることはできない。基本的に多数決が取られているが、たいていは満場一致で皇帝推挙となる。
まあ、そう言ったクラウディアの込み入った事情も、『黒の王国』にいる以上関係ない。ここでは、相手の事情を探らないのが暗黙の了解となっていた。ただし、何となく察せることはいくつかある。例えば、クラウディアが貴族だと気付いているものは多いだろう。身のこなしを見ていれば、何となくわかるものだ。
また、『黒の王国』では多様な言語が用いられている。事実上の公用語は彼の帝国で使用されているアイク語である。ラウルス城が存在する翠の王国の公用語がアイク語だからだろう。ここにいると、多様な言語が話せるようになる。
それはともかく、クラウディアは城の廊下で珍しい人に遭遇していた。いや、珍しくはないか。彼はたびたびこの城を訪ねてくる。
「……こんにちは、殿下」
「久しぶりだね、クラウディア。今日も美しいね」
「相変わらずですね、殿下は……」
さらりと気障なセリフを混ぜる彼は翠の王国の王太子ヴィルヘルム・リーフェンシュタールだ。さらっさらの金髪にジェイドグリーンの瞳の甘めの顔立ち。文句なしの美形だが、よく見ると目つきは結構鋭かったりする。翠の王国の王族であるということは、『オーダー』への出資者と言うことにもなる。最大の顧客であり、最大の擁護者。それが翠の王国王家だ。
現在の王太子であるヴィルヘルムは、ことあるごとにこの城を訪れていた。100年以上この城にいるアウラによると、彼ほど頻繁に尋ねてくるものはほとんどいないのだという。クラウディアは彼を何度か見るうちに、気が付いたことがあった。
「今日はどうなされたんです?」
すでに殿下が愛称、そして姿を現し過ぎて敬意をいまいち払われていない気がするヴィルヘルムは、それでもニコリと笑った。
「青の王国から使者が帰ってきたと聞いたからね」
「ああ……」
にわかにクラウディアは納得する。なるほど。
「エリーザなら、今朝方、青くなってましたよ。相変わらず眼が死んでましたけど」
「僕はまだ何も言ってないよ……」
ヴィルヘルムは基本的に気障だ。だから、クラウディアに強く出ることもなかった。探しましょうか、とばかりに二人は廊下を歩きだした。
「まあ、エリーザに会いに来たのも本当だけど、青の王国の報告を聞きに来たのも本当なんだ」
歩きながらヴィルヘルムが言った。
「じゃあ、先にアウラの所に行きましょう」
「そうだね。頼むよ」
『オーダー』では報告はすべてアウラまで上がってくる。彼女が事実上の最高責任者だからだ。彼女はたいてい城内にいるし、執務室に行けば会える可能性が高い。
そんなことを考えているとき、遠くから爆発音がきこえた。何故か甘い匂いのする煙が漂ってきた。
「……ここは相変わらずだね」
ヴィルヘルムがしみじみと言った。まさか翠の王国の宮殿であるイェレミース宮殿でこんな現象が起こるわけがないから、ヴィルヘルムの言葉はまっとうだ。と言うか、爆発が建物の中で起こること自体が珍しい。
「まあ、いつもの事ですから」
ラウルス城には2万近くの人が暮らしている。それだけの人がともに暮らしていれば、こういうことが起きるのは仕方がない。たいてい人間関係の拗れで起こる事件なのだが、今の爆発はかくまっているマッドサイエンティストが起こしたのだろう。この城は変人が多くて困る。
ふと目をやると、廊下の一角に人だかりができていた。
「……何かしら」
「何かあるのかな」
2人して似たようなことをつぶやく。クラウディアはざっと野次馬を見て、知った顔に声をかけた。
「シャンラン」
「あ、ディア。殿下も、お久しぶりです」
振り返ったのは黒髪の少女だった。いや、年齢は22歳のクラウディアとさほど変わらないので女性、と言うのが正しいか。しかし、このリー・シャンランと言う女性が、少女、と言いたくなる童顔であるのは確かだ。黄の皇国の出身である彼女はリーが苗字であり、東大陸の人間に多い幼げな顔立ちをしているのだ。
「シャンラン、久しいね。今日もかわいらしい」
「ふふっ。ありがとうございます」
すでに7年はこの城にいるシャンランは慣れた様子でヴィルヘルムの賛辞を受け流した。さすがに年季が違う。
「これ、何の騒ぎ?」
クラウディアが尋ねると、シャンランは困ったように眉を顰め、首をかしげた。
「さぁ……グレイスが騒いでるみたいだけど」
「またか」
そう言われるくらいにはグレイスは騒動を起こしている。そろそろ30に届こうと言う年なのだから、そろそろ落ち着いてほしいものだ。
クラウディアは人垣を押しのけて騒動を見に行ってみた。後ろからヴィルヘルムとシャンランもついてくる。そして目撃した。
「ああ……」
「ばっちり巻き込まれてますね……」
グレイスがリアムに羽交い絞めにされ、その背後にグレイスの息子であるエリスを抱いたメアリと、同じくグレイスの娘ローレルともう1人、東大陸人の少女を腰に引っ付かせたエリーザがいた。なんだかよくわからないが巻き込まれている。シャンランのつぶやきもさもありなん。
それにしても何が起こっているのかさっぱりわからないのだが。そう言えば、昨日だかにローレルがこの城に身を寄せているちょっと危ない系の科学者に監禁される事件が起こったらしいが、もしかしてそれ関連だろうか。
クラウディアは荒ぶるグレイスの顔を見て、それからエリーザにしがみつくローレルの方も見た。
……うん。その可能性が高いな。
このまま放っておけば、グレイスは自分の娘を監禁した科学者を斬り殺すだろう。おっとりしているように見えて意外に短気なのがグレイスだ。しかし、何の理由もなく誰かを斬り殺したりすれば、『オーダー』と『黒の王国』の規範に抵触する。だから夫のリアムが必死に止めていると思われる。
「放せ、リアム! 切り捨てないと気が納まらん!」
「だからやめろって!」
「そうよ! こんな小さい子を監禁するなんて、その所業! 万死に値する!」
「メアリも頼むから煽ってくれるな!」
1人で二人にツッコミを入れているリアムは大変そうだ。渦中の人間になってしまっているエリーザは目どころか顔が死んでいるし、頼りにならないだろう。
アウラを呼んできた方がいいだろうか。そう思ったちょうどそのとき、人垣がさっと割れた。できた道から聖人のように現れたのは、今クラウディアが脳裏に思い描いた人物、アウラだった。
「……グレイス。いい加減になさい。怒るのはわかりますが、ここは『黒の王国』の規範に沿って裁くのが一番です。おやめなさい」
「……むう。失礼しました」
さしものグレイスも最高責任者アウラにはかなわないらしい。彼女が問題を起こすたびにアウラはかばってくれるので、アウラにそむくわけには行かないのだと思う。
グレイスがとりあえず落ち着いたのを見て、リアムは羽交い絞めはやめたが、腕はしっかりとつかんでいた。
「まったく……まあ、殿下。いらっしゃっていたのですね。気づかずに申し訳ありません」
見世物が無くなったので野次馬たちが三々五々に散っていく。そのため、背の低いアウラにもクラウディアたちが見つけられたようだ。
「こんにちは、アウラ。いつでもお美しいですね」
ヴィルヘルムが生まれる前から『オーダー』と『黒の王国』を取り仕切るアウラには、彼も敬意を払う。クラウディアたちに対するよりも丁寧な口調だった。
「殿下は青の王国の情報をもらいに来たらしいわ」
クラウディアが端的に説明すると、アウラは「そうですか」とうなずく。
「わかりました。ですが、少々お待ちいただけますか? この問題児たち」
と、アウラはグレイスと科学者を掌で示した。
「の処遇を決めますので。グレイスは評議会議員の資格剥奪も覚悟しなさい」
「……すみません」
やはり憤然とした顔でグレイスは言った。資格剥奪は前例がないわけではない。グレイスはまだ評議員一年目なので、新しい議員が急きょ選ばれることになるだろう。『評議会規範』は読んだことがないからよくわからないけど。
「エリーザ」
「……」
無心の表情でローレルの頭をなでていたエリーザの目がこちらを向いた。やはり目が死んでいるが、わけのわからない騒動に巻き込まれたのだから、仕方がないともとれる。
「エリーザ。殿下をしばらくよろしくお願いします。グレイス、そちらのあなたもついてきなさい」
アウラの指示でグレイスと科学者の男は連行された。メアリが護衛代わりに連れて行かれる。子どもたちを引きはがしたエリーザはヴィルヘルムにあいさつした。
「……こんにちは、殿下」
「久しぶりだね、エリーザ。しばらく会わない間に、ますます美しくなったね」
「……」
にこやかなヴィルヘルムの世辞に、エリーザは無言を返した。クラウディアも似たようなものだが、言葉がない分エリーザの方がひどいと思う。たぶん。シャンランがハラハラしながら見ていた。
鉄壁の無表情のエリーザに対し、ヴィルヘルムは気を悪くすることもなくニコニコしている。どうやら、ヴィルヘルムはエリーザに惹かれているらしい。初めは妹的なあれかと思ったが、しばらく見ていると違うことがわかった。
「じゃあエリーザ。アウラが戻ってくるまで、青の王国の話を聞かせてくれないか?」
こくっとエリーザがうなずいたのを見て、ヴィルヘルムが彼女の手を取って談話室に向かった。隣でシャンランがほっと肩をなでおろす。
「シャンラン、緊張しすぎ」
「ええ……だって……エリーザがいつもあんな調子ですから。ここに来たばかりのころから殿下に対しては比較的心を開いていましたが」
もともと言語の違う国から来ているシャンランはたいてい敬語だ。きれいな言語を初めに習うため、それがそのまま定着するのだそうだ。
それにしても、あれが心を開いているのか? むしろエリーザはアウラやリアムに心を開いている気がした。
それが表情に出たのだろう。シャンランは苦笑した。
「顔を合わせてあいさつをするだけで彼女にしては心を開いている方ですよ。私、あの子とはこの城に来た当時からの付き合いですが、私にも初めはあいさつすらしてくれませんでしたからね」
「……エリーザの頭はどうなっているんだろうな……」
シャンランは童顔で、いかにも優しげな顔をしているのに。
「あっ。姉上!」
後ろから弟の呼ぶ声が聞こえた。妹とは違って常識をわきまえている弟は走って抱き着くようなことはせず、クラウディアとシャンランの前に来た。
「シャンランもこんにちは」
「はい。こんにちは」
ニコニコとシャンランも笑みを返す。
『黒の王国』での生活は、たいていこんな感じ。
ここまで読んで下さり、ありがとうございます。
読んでいてわかったと思いますが、このシリーズの国にはモデルにした国や制度があります。あえて言いませんけど。人物は私の想像ですけどね(笑)
今回出てきたリー・シャンランですが、漢字では李祥蘭と書きます。
ちなみに、翠の王国イェレミース宮殿のイメージはヌーシャテル城です。