25、助けられるもの、助けられないもの
だいぶ間が空きましたが、よろしくお願いします。
「お願いっ! 彼を助けて!」
その言葉は、慟哭だった。
帝暦1840年10月上旬。ユーディットは久しぶりに『黒の王国』と呼ばれるラウルス城を訪れていた。従兄のヴィルヘルムとその従者、ハインリヒも一緒である。先触れが出ていたのか、迎えが来ていた。
「こんにちは、ユディ」
「お姉様っ!」
もうすぐ名実ともに『姉』となるエリーザに抱き着く。ヴィルヘルムが彼女と婚約したと聞いたときは驚いたが、ユーディットは嬉々として彼女が姉になることを受け入れた。国王夫妻もヴィルヘルムが自分の思いを遂げたことでほっとしている様子だった。
「エリーザ、出迎えご苦労様」
「今回は先触れが来ましたから」
笑みを浮かべてエリーザをねぎらったヴィルヘルムだが、エリーザは相変わらず無表情だった。だが、ヴィルヘルムに手を取られると、一応はうれしいのか頬が少し緩んでいた。
「姫さん、ほんとにそいつと結婚するのか……」
何故かがっくりと肩を落としているのはキースだ。ちなみに、ユーディットは彼が少し苦手だ。何を考えているかわからないし、元殺人鬼と言うことで。いや、この国にいる以上そう言ったことで偏見を持つのはよくないと思っているのだが、どうしてもキースだけは苦手なのだ。
もしかしたら、エリーザになついているから、嫉妬しているだけかもしれないが……。
「後ろから蹴られたくなかったら黙りなさい」
「姫さんに蹴られるなら本望なんだが」
「……」
エリーザは早々にキースを説得することをあきらめた。キースがにやにやしている。何故かヴィルヘルムはにこにこしており、ハインリヒがため息をついていた。
「それで、今日はどうしたんですか?」
最近は寡黙とは言えなくなってきたエリーザの問いである。彼女と並んで歩くヴィルヘルムが答えた。
「うん。君のお兄さんが結婚したって」
「どの兄ですか? ベネディクト殿下は先日、クイーン・ジェインと結婚されたと聞きましたが……」
「ああ、皇帝の方のお兄さん」
「ギルベルトお兄様ですか」
エリーザは納得したようにうなずいた。九月初め、赤の帝国は新皇帝に代替わりした。エリーザの異母兄、第8皇子であったギルベルトが皇帝として即位した。それを気に、兄弟たちは臣籍降下したり嫁や婿に行ったりしている。
第1皇子であったジークハルトはそのまま臣籍降下、宮廷に役職をもらっている。第4皇子だったベネディクトはクイーン・ジェインの婿に収まり、ギルベルトの同母弟、第10皇子クリスティアンはクラウディアと結婚したらしい。エリーザの育ての親だと言う女性の子である第15皇子も臣籍降下。宮廷で働いているという。
皇女の方も、第3皇女ミリヤムは修道院入り、第5皇女ヴィルヘルミーネはハルツハイム公爵に嫁いだという。そして、第12皇女エリーザベトは翠の王国のヴィルヘルムに嫁ぐ。
「相手は誰でしょうか」
「ライスター公爵令嬢のアンネリーゼだって。知ってる?」
「いえ、わかりません」
「だろうねぇ」
ヴィルヘルムはエリーザの返答に苦笑した。ハインリヒによると、ライスター公爵家は赤の帝国の有力貴族らしいが、エリーザは記憶にないようだ。年は彼女と同じと聞いているのだが。
「ええっと。祝いの品は何がいいんでしょうか?」
「それは私の方で手配しておくよ」
「あ、お願いします」
エリーザはあっさりヴィルヘルムに投げた。
アウラの執務室に着くと、エリーザは問答無用でキースを追い出した。ユーディットは内心ほっとしたのだが、エリーザには気づかれた。
「ユディはキースが苦手?」
「……うん。ちょっと。何考えてるかわからないし……」
「そうだね……あれ以上の性格修正は断念したんだけど」
あ、一応性格を治そうとはしたのか。エリーザの強力な精神魔法を使えば不可能ではないだろうが、悪ければ廃人になると聞いている。それに、精神魔法は意志の強い人にはあまり効かない。
雨が降ってきた。
緯度の高い翠の王国は、この時期になると寒い。雨が降るとかなり冷える。帰りは転移魔法陣になるかな、と考えていると、執務室の扉が開き、アウラとヴィルヘルムの会談は中断された。
乱入してきたのは狙撃手のアニェーゼだった。
「どうしましたか、アニェーゼ」
話を中断されたが、アウラが微笑んで尋ねた。アニェーゼはとんでもないところに乱入してしまった、と言う顔をしていたが彼女の言葉にはっとした。
「あの! さっき、若い男女の2人組が城の中に駆け込んできて!」
治外法権であるラウルス城には様々な人が逃げ込んでくる。駆け落ち、と言う人も多い。その人たちも駆け落ちなのだろうか。
「その、男の人の方がすごい怪我をしてるんですけど……!」
「すぐに行きます。ヴィルヘルム殿下、申し訳ありませんが……」
「ああ、私も一緒に行くよ。エリーザ、ユディ」
言わなくてもハインリヒはついてくるので、ヴィルヘルムは少女2人を読んだ。アウラはため息をつく。
「エリーザ。殿下を」
「了解」
エリーザはヴィルヘルムが差し出された手を取った。なんだかんだ言って二人は気が合うようだ。ユーディットは思わずニヤニヤしてしまった。
「ユディ。顔がゆるんでるぞ」
「……わかってます」
ハインリヒに指摘されて、ユーディットはあわてて表情を引き締めた。
ユーディットたちが先ほど後にしてきたエントランスには多くの人が集まっていた。しかし、アウラが近づいて行くと人垣が割れた。
エントランスではずぶ濡れの若い女性が倒れた男性にすがっていた。あとから聞いたところによると、ラウルス城ではよくあることなのだそうだ。
「お願いっ! 彼を助けて!」
彼女が叫んだのは、『オーダー』医療班担当のキリルだ。しかし、血まみれの彼は聞いておらず、周囲に指示を出した。
「ダメだな。出血が止まらない。誰か、氷魔法使える奴いる?」
「あ、はい。使えます」
思わず反応してしまった。しかし、ヴィルヘルムとハインリヒがユーディットの手をつかんで止めた。
「すまないね、キリル。この子は無視していいから」
お兄様、ひどい。ユーディットは涙目になった。確かに、ユーディットの氷魔法はまだ完全にコントロールできていないけど。
ほかの氷魔法を使える魔術師と、アウラが怪我をしている男性に駆け寄る。
「大丈夫よね!? 彼、助かるわよね!?」
女性が近づいてきたアウラにすがりつくように尋ねた。アウラは厳しい表情で答えない。
「誰か。この人を連れてって」
キリルが男性にすがりつく女性を示して言った。こういう場合、グレイスが出張ってくることが多いのだが、身重の彼女はリアムに外出禁止命令を出されていた。
「放して! 彼の側にいるわ!」
「いやいや! 邪魔になってるから!」
アニェーゼが女性を無理やり引き離そうとする。しかし、うまくいかずに彼女はエリーザを見た。エリーザはため息をつき、ヴィルヘルムを見上げた。
「少し失礼いたします」
「うん。頑張ってね」
ヴィルヘルムは笑顔でエリーザを見送る。ユーディットは少しヴィルヘルムに寄り添った。何となく、エリーザが離れると不安になるのはなぜだろうか。
エリーザは無理やり泣きじゃくる女性を引き離すと、身をよじって離れるのを嫌がる彼女を無理やり連れて行った。
「……キリル」
「そうですね……。さあ、野次馬は退散してくれ。従ってくれないと、武力に訴えるからね」
アウラに名を呼ばれただけで察したキリルは周囲に明るく言った。野次馬の自覚がある人達はさっさと去っていく。だが、ヴィルヘルムは逆にキリルたちに近寄った。
「……この人は?」
「ダメですね……内臓まで傷ついています。アウラに治せなければ、もう無理です。この城の治癒術師では治せません」
キリルがはっきりと答えた。ひっ、と悲鳴をあげたユーディットをハインリヒが支えた。
ラウルス城には様々な人がやってくる。時々この城に出入りしていたユーディットだが、こうした場面に立ち会うのは初めてだった。
気が付けば、ユーディットは城の一室で座りこけていた。
「……お兄様は?」
「アウラとエリーザ様の所です」
ユーディットを見ていてくれたらしいハインリヒが答えた。ユーディットは「そう」と答えると、座っていたソファに身を沈めた。
「……ラウルス城に、ああいう人が来るのも、わかっていたはずなの」
そう。わかっていたはず。
「私だって、人を殺したことがないわけじゃないわ。でも、あの女の人が叫んでるのを聞いて……」
あんなにも、人は人を思えるのだろうか、と思った。
ユーディットの父は、野心を抱き、時の女王エレオノーレ自らの手にかかり、処刑されたという。母は父ともに粛清された。ユーディットが物心つく前の話だ。
故エレオノーレ女王はそうするしかなかったのだ。いとしい我が子であっても、謀反をたくらんだ以上、殺すしかなかった。今は、それがわかる。
わかるからこそ、苦しい。
世の中には、そうすることしかできないこともある。助けられることもあるし、助けられないこともある。ユーディットの父や、あの青年は助けられない人だった。
でも、状況が全く違う。青年は、あの女性に愛されていた。父は、どうだったのだろう。謀反を起こそうとした父を、母は愛していたのだろうか。
「ユディ。あまり考えすぎるものではないぞ」
「……うん」
ユーディットは目を閉じて、ハインリヒの言うように頭をからっぽにしようとした。だが。
「……っあ……」
頬を、涙が滑って行く。手で拭っても追いつかなくなり、頬を伝った涙がドレスにシミを作った。ハインリヒが手を伸ばし、ハンカチで彼女の頬をぬぐう。
「今は泣いておけ」
「……うん」
そして、ユーディットはしばらくの間、泣いた。
――*+○+*――
「どうして!? 助かるんじゃなかったの!? 彼はどこ!?」
キリルは泣きじゃくる女性がいる現場に、アウラ、ヴィルヘルムとともに突撃した。
病室の一つに女性はいた。彼女はアニェーゼにすがり、そんな彼女の肩をエリーザが後ろからつかんでいた。
「……エリーザ」
「了解」
アウラに名を呼ばれただけで理解したエリーザは、パッと女性から手を放してヴィルヘルムの隣に立った。ヴィルヘルムが尋ねる。
「事情は聞けた?」
「はい。2人は碧の公国から逃げてきたようですね」
碧の公国サニエ。青の王国から独立した国で、代々公爵が治めている。緑の王国側から見て、青の王国の向こう側に存在する国である。小さな国だ。
「彼女の名はレナエル。先ほどの青年はシモン。駆け落ちしてきたそうです」
おそらく、魔法を使っていないとは思うが、短時間でそれだけ聞き出せた彼女はすごい。いや、聞きだしたのはアニェーゼかもしれないけど。
「シモンが亡くなったと聞いて取り乱しまして……私はこういったことは不得手で」
そう言いながらも子供によくなつかれているエリーザである。キリルはこっそり苦笑した。
「それと、キリル。気になることがあるんだけど」
「ん、なに?」
名指しで呼ばれて、キリルは彼女の方に目を向ける。エリーザは相変わらずの無表情、しかし、どこか表情に戸惑いを乗せて言った。
「彼女、妊娠してるんじゃないかな」
「……」
キリルは一度深呼吸した。それから尋ねる。
「どうしてそう思ったの?」
「少し熱が高くて、何と言うか、グレイスと同じような感じがする」
グレイスは現在、妊娠中だ。エリーザの言葉はほとんど勘を頼っているような気がするが、この際気にしないことにした。魔術師の勘が鋭いのは事実だ。
キリルはアニェーゼにすがっているレナエルに近寄ると、微笑んで話しかけた。
「レナエル、だったね。少し診察させてほしいんだ。いいかな?」
すると、レナエルはキリルを睨んだ。
「どうして! どうして彼を助けてくれなかったのよ!? 私には、彼しかいないのに……っ。もう、生きていたくない……っ」
絶叫のような声に、キリルは思わず身を引いた。そこに、音楽が、歌が聞こえてきた。エリーザだ。
精神感応系能力の強いエリーザの『歌』は人の心を落ち着ける。いつも凶悪な面を見せるエリーザの『精神矯正魔法』であるが、本当はこのように使うのが正しいのかもしれない。
キリルは落ち着いたレナエルの腕を取り、脈を計る。本人に断ってから彼女の額に手を当てた。確かに微熱がある。
キリルは魔法医として見られることが多いが、正確には医者ではない。医療の知識があり、治癒魔法が使えるだけだ。これは正式な医者に診てもらわなければはっきりしないだろうが、エリーザの勘は正しい気がする。
「アウラ。ちょっと」
キリルが呼ぶと、アウラもレナエルを診察し始めた。彼女はエルフであるが、キリルよりは確かな診察ができるだろう。
「……はい。エリーザ、もういいですよ」
歌い続けていたエリーザは、アウラのその声で口を閉じた。アウラがレナエルに告げる。
「レナエルさん。あなたは妊娠しています」
「にんしん……」
「はい。子供がいるのです。あなたのおなかの中に」
アウラはレナエルの腹に触れる。
「この子を生かすも殺すも、あなた次第です」
「……」
「このラウルス城は、何人も拒みません。として、出ていくものも追いません。ですから、あなたが生きていたくないと言うのなら、それを止めるすべを、わたくしたちはもっていないことになります」
残酷ともとれる言葉だが、これは事実だ。キリルも、エリーザも、アニェーゼも、アウラも。自分の意志でラウルス城に来た。行きたいと願ったから。それを、この城は拒まなかった。
「この世界には、助けられる命と助けられない命があります。あなたの恋人は助けられませんでした。しかし、この子は、助けることができます」
「……」
「あなたの意志ひとつで、この子は助けることができるのです。どうか、助けられるものと、そうでないものを見誤らないでくださいね」
アウラは微笑み、立ち上がった。
「先ほども言ったように、わたくしたちはあなたを拒みません。ここにいるもいないも自由です。いると言うのであれば、後で医者を寄こしましょう」
「……私は」
「すぐに決めなくとも結構ですよ。アニェーゼ。しばらく見ていてください」
「了解です」
アニェーゼがうなずいたのを見て微笑み、アウラは病室を出た。それにキリルとエリーザ、ヴィルヘルムも続く。
「久しぶりにこんな場面に遭遇しました」
ヴィルヘルムが言った。彼はそんなことを言っているが、エリーザと仲よさげに腕を組んでいる。もしかしたら、ヴィルヘルムが組ませている、と考える方が正しいのかもしれないが、はたから見れば一緒である。
「この城には、多くの人が逃げこんできます。駆け落ちは珍しいことではないのですが……どうやら、人狼に遭遇したようです」
アウラがため息をつきながら言った。最近ではあまり見なくなったモンスターであるが、いなくなったわけではないようだ。
レナエルの恋人シモンの腹部の傷は明らかに牙に貫かれたものであった。人を襲えるほどの牙をもつ獣。そうなると、自然に対象が絞られてくる。
ラウルス城には魔術師が多い。魔術師が、ヴェアヴォルフによる傷だと断定した。
「早々に討伐隊を出さなければなりません。殿下、申し訳ありませんが、今夜はこの城に泊まって行ってください」
「わかりました。その方がいいでしょうね」
ヴィルヘルムが快く了承した。この城からイェレミース宮殿までは転移魔法陣が直結しているが、むやみに使わない方がいいだろう。この魔法は強力で、多用しすぎると人体に影響が出る可能性がある。
外は雨だが、『オーダー』の討伐部隊は優秀だ。明日までには人狼を始末できるだろう。
「私も行く」
「いいえ。エリーザは殿下とともに待機です」
「……了解」
今までとは違い、不本意そうに彼女は返事をした。
「キリルは医務室で待機していてください」
「りょうか……まじか」
まさかの徹夜だった。
翌朝。夜の間に人狼討伐隊は帰ってきた。巻き込まれたかわいそうな人間は、リアムを筆頭に秀一、ダニエル、クレール、キースを含めた20人の騎士だった。戦闘力だけで言えば、リアムとキースだけで十分なような気がするが、この2人に加え、魔法支援を行える者がついて行ったようだ。
討伐した人狼はエントランスに運び込まれていた。狼の姿のまま討伐されたらしく、人体と同じほどの大きさだ。そして、牙が大きい。
「……すごいな」
討伐部隊と同じく徹夜明けのキリルだったが、この人狼を見て一気に目が覚めた。こんなのが周辺をうろうろしていたとは。
人狼。人ならざるこの人狼も、人間の世界を追われてきたのだろう。もしかしたら、ラウルス城はこの人狼を受け入れることができたかもしれない。だが、人狼は人を殺した。つまり、助けられないものだった。
この世界には、助けられるものと助けられないものがある。きっと、そういうこと。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
せっかくなので、エリーザのセリフを、ところどころドイツ語風にしてみました。個人的に、「ヤー」という返答が好きです。
次は1840年末。『評議会』議員選挙の模様をお送りしたいと思います。……たぶん。




