ラスト 青空
「水島と付き合うことになったとしても、あたしすごく嬉しいと思う」
意味深な言葉を残したまま。
ヒナは、飛行機に乗って、行ってしまった。
でっかい飛行機は、きれいに晴れた空に吸い込まれて、どんどん小さくなっていった。
見送りにはあたしと水島だけが行った。
ヒナは笑っていた。
ヒナのお父さんも笑っていた。
ヒナのお母さんも笑っていた。
水島も笑っていた。
あたしも笑っていた。
でも、泣きそうだった。
空港からの帰り道、電車の中で。
あたしは空いてた席に座って、水島がその前に立った。
「ねー」
「ん?」
「ヒナと付き合うの?」
何も知らないふりをして、聞いたら、予想どおりの答えが返ってきた。
「んー、いや?つきあわねえよ」
「え、なんで?」
また知らないふりをして聞いた。
水島は、あたしの顔をちょっと見て、答えた。
「や、だってそんな感じじゃねえもん」
「…よくわかんない」
「んじゃわかんなくていーや」
「…」
ふくれっつらをして水島を睨むと水島は、
「ごめんごめん」って笑った。
「そんな感じじゃねえんだよ。付き合うとか、付き合わねーとか。
俺はあいつにずっと思ってたこと伝えられただけで満足なんだ」
それから、あたしをまっすぐ見下ろして、
「ありがとな、おめーのおかげだ」ってまた笑った。
その顔が、笑顔が。
ほんとに満ち足りていて。
水島のくせに、すごく、大人びていて。
らしくなくて。
水島のくせに。
水島のくせに。
「………バーカ」
「あ!?」
ちっちゃい声で、聞こえないように言ったつもりだったのに、
水島の顔はいきなり子どもっぽくゆがんで、のどの奥から変な声が漏れた。
あ、やっぱり水島だ。
「おまっ、俺がこんなにへりくだって礼を言ってやったのに、バカってなんだよバカって!!」
「バカだからバカって言ったに決まってんでしょ」
「んだとぉ!?」
「うっさい、電車ん中なんだから静かにしなよっ!」
「………!!」
そんなバカ水島のムスったれた顔を見ていると、なんか笑けてきた。
「…今さっきまで泣きそーな顔しといて、なにニヤけてんだよ」
「え?教えない」
「んだよ、ずりーな」
あたしの顔を見て、水島もちょっと笑う。
ずりー、とか言いながら本気ではそう思ってないような顔。
ちょっとだけ意地悪そうな、だけど目の中には優しい光。
あたしは水島のこの表情が好き。
きっと、ヒナも。
正直、あたしは頑張った。
気づいたら、水島のことが好きで。いつも目で追うぐらい、好きで。
バカなこと言って笑ったときにちょっと見える八重歯も、
走り出す直前に前をまっすぐ見据える、怖いぐらいに真剣な目も、
国語が嫌いでやってらんなくて、眠そうに教科書をぱらぱらめくる指も、
意地悪そうな顔のくせに優しい声も、意外とさらさらの髪も、日焼けした肌も、
ひとつひとつの言葉も、照れたときにちょっとうつむく癖も、
ぜんぶ、
ぜんぶ、
ぜんぶ好きで、好きで、仕方なくて。胸がつぶれそうになるぐらい、涙が出るぐらい、大切で。
水島が、ヒナを見るみたいな目で、あたしを見てくれればいいのに。
そしたら、あたしだって憎まれ口なんかたたかないで、素直にかわいらしく笑えると思うのに。
どうしてあいつは、ふざけてばっかりでちゃんとあたしを見てくれないんだろう。
どうしてあいつは、遠くの空の中にヒナの笑顔を見ようとするんだろう。
あたしはこんなに近くにいるのに。
ヒナはあんなに遠くにいるのに。
なんであたしじゃないんだろう。なんでヒナなんだろう。
そう、何度も思った。
そしてそのたび、自分が嫌になった。寒気がするぐらい嫌になった。
いくらあたしがひどいことを言っても、わがままなことを言っても、
ふんわり微笑んでいてくれる、だけど時には涙を流しながら叱ってくれる、
いいトコも悪いトコも含めて、あたしなんかのことを大好きでいてくれる、
あたしなんかの一番の友達でいてくれるヒナに嫉妬するなんて。
そう、そんなヒナだから、
ヒナだったんだ。
あたしじゃなくて、ヒナだったんだ。
そんなこと、わかってた。
だけど、そんなヒナだから。
あたしのことを大好きって言ってくれる、大好きなヒナだから。
あたしはヒナと水島がくっつくように祈った。
あたしの気持ちなんか、この際どうなってもいいって、本気で思った。
ヒナじゃなかったらきっと、こんなふうに思わなかったと思う。
だけどやっぱり寂しくて、切なくて、のんちゃんや斐川、菅谷の前で泣いてしまった。
今までずっと、3人ともあたしのそういうことには触れないでいてくれたし、
だけどあたしをいたわるような目を時々してて、そういう目からあたしは3人の優しさを肌で感じた。
あたしは、でも、なんだかんだで、水島とヒナがくっついて欲しかった。
二人が幸せそうに、頬を赤らめながら笑いあう姿を見たかった。
…ヒナが、あたしと水島が付き合うことになっても自分は嬉しいと思うって言ったのは、
あたしの、こういう気持ちと同じようなことなんだと思う。
だってあたし、水島とヒナがもしくっついたら、やっぱり嬉しかったと思うもん。
だけど、二人はくっつかなかった。
こんなに頑張ったのに。
あたし、二人のためにつらい思いしたのに。
正直、そう思った。
けど、遊園地からの帰り道、
ヒナから、ヒナや水島の思いを聞いて、そのとき、
あたしは、意外とあたしが大切にされていたことを感じた。
うれしかった。
だけど、やっぱり、
でも、あたしの頑張ったの、意味あったわけ?
と、ちらっと思ったりした。
でも、その気持ちはしゅるるるーって、しぼんで消えたような気がする。
ヒナの、水島への想いも、
水島の、ヒナへの想いも、
あたしが思っていたより、ずっと、静かで穏やかなものだったらしい。
「恋の炎が燃え上がる」みたいなちょっとダサい言葉、どっかで聞いたりもしたけど、
あたし、そういう風に思ってたけど、
どちらかといえば、静かで深い、海のような。
どちらかといえば、穏やかで淡い、月のような。
そんなもののような気がする。
「…アヤセっ、おいアヤセコラ!」
「ん、あ、えっ!?なによぅ」
「なによぅじゃねーよ!駅、駅っ!!」
「…あ」
『ドアが閉まります、ご注意ください』
プシューッ
パタン
ガタンガタン
ガタンガタン…
「……」
「……」
「ばかやろーっ!!起きてて乗り過ごすことなんて初めてだぞ!」
「なによっ、あたし疲れてんだからもっと早く言ってくれればいいでしょー!?」
「ずっと言ってただろ!揺さぶったりもしたんだぞ!?なのにおめー、何の反応もしねーし!」
「うそ!ぜんぜん気づかなかったもん!」
「ウソなわけねーだろ!お前目ぇ開けて寝てたんじゃねーだろーな!」
「…ちょっと考え事してただけだもん!」
「うそつけ!だったら1回呼んだら反応しろよ!」
「んなっ、だったら別にあたしのコトほったらかして降りりゃいいじゃん!」
「アホか!んなことできねーだろ!それにおめーなぁ、電車ん中で騒ぐんじゃねーよ!」
「………!!」
さっきあたしが言ったことをそっくりそのまま返された。
水島は「勝った!」とばかりにニヤッとする。
…むかつくぅーーー!!!
「ほれ着いたぞ、次は降りろよ」
「わかってるわよ!」
ほんとに降りなきゃいけない駅の次の駅であたしたちは電車を降りた。
はー…。向こう側のホームで折り返しの電車待たなきゃじゃん。
「マジめんどくさいんだけど」
「おめー、誰のせいでこうなったと思ってんだよ」
「あんたがちゃんとあたしに教えないから」
「はぁ!?おめーがボケッとしてっからだろ!」
「ボケッとしてない!考え事!」
「んじゃ何考えてたんだよ、言ってみろよ」
「うっさいな、もう忘れた!」
「ほれ、やっぱ考え事なんかしてねぇんじゃねーか!」
「あんたに教える気なんかないの!」
またバカなことで言い合いをしながらあたしたちは階段を下りる。
そしてまた階段を上って、逆のホームの椅子に座る。
だけど、あたしは嬉しかった。
『あたしのコトほったらかして降りりゃいいじゃん』って言ったときの、
さっきの、水島の言葉が。
「アホか!んなことできねーだろ!」
今はまだ、なんとなく。
胸の中が、つん、とするときもある。
ちりちりと、胸の中で何かがくすぶっているような感じがする。
だけど、いつか。
大丈夫になる気がする。
あたしの、水島への想いも、
いつか海になる気がする。
いつか月になる気がする。
そしたら、きっと、ちゃんと、伝えられる。
ヒナに。
水島に。
きっと、ふたりとも、穏やかで優しい笑顔をあたしに向けてくれるだろう。
そして、あたしも、穏やかで優しい笑顔をふたりに向けることが出来るだろう。
「…アヤセ!おいアヤセっ!」
「ん、え?なによぅ」
「なによぅじゃねーよ!電車っ、電車!!」
「…あ」
『ドアが閉まります、ご注意ください』
プシューッ
パタン
ガタンガタン
ガタンガタン…
「ばかやろーーー!!行っちまったじゃねーかよ!!」
「ご、ごめん…今度はあたしが悪いわ」
「さっきもだよ、バカ…次の電車まであと何分だよ?」
「…えー…とー…35分」
「……」
時刻表を見たあたしの言葉に、水島が頭を抱えて絶句した。
「………ご、ごめん」
「しゃあねーなぁ…歩くか、待つか」
「…水島が決めていいよ」
「じゃ、こうなったら意地でも電車乗って帰るぞ」
「えー…歩いた方が早くない?」
「なんだよお前、決めていいっつったそばから文句言いやがって」
「…だってー…」
「いいんだよ。ゆっくり帰ろうぜ」
水島が、あたしの顔を見て笑った。
あたしも、水島の笑顔につられて、笑ってうなずいた。
なんか、よくわかんないけど、とりあえずこの時間と空間が優しくて穏やかで、愛しかった。
今日の空は、すごく高い。
とても、まぶしい。
ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。これからも、どうかよろしくお願いします。