第6話 邪悪の樹
空間を渡って移動した先は、打って変わって深い闇に包まれていた。
はっとしたティアが手を振り、首を巡らせても触れるもののない空間。
何も見えず聞こえない、まるで夜の海に投げ出されたような、急な不安が口をつく。
「あの、魔王様。ここは一体」
急激な明度の変化に慣れない視界は、暗く黒い。
単に光を閉ざしただけでなく、誰の出入りもない、沈んだ停滞がこごっている。
奥行きと高さが遠いのか、声の反響が耳に余韻した。
軽い混乱に襲われたティアは、数秒して理解する。
彼女もまた魔に属する存在であるためか、魔王の契約者であるせいか。
己が立つ場の特異性を、ゆっくりと意識が感覚し始めた。
「────」
耳を浸す静寂の重さに、肌に触れてくる常闇の冷気。
ともすれば怖気を誘う冥暗が、辺りに手足を張っている。
彼女らを内包する迷宮が造られたばかりの、新しいものであることに間違いはない。
なのに。何故だかどうしようもなく。
深淵ともいうべき何処かへ繋がった、ひどく異質で禍々しい場所に立つ怖気が、彼女の魂へと伝わった。
「地下七階」
どこか厳かな調子で魔王も語る。
それは迷宮中枢に置かれた玉座の、更なる深み。
「迷宮の本当の最深部で。心臓だ」
「あのっ」
ダンジョンにおいて最も隠すべき地点。
案内された場所の重要性を思い、魔人の姫は彼女が縋る相手を探した。
「あっちだよ」
指されたらしい場所を声の方向と雰囲気で追って、ようやく彼方に光源を見出す。
迷宮の床、あるいはむき出しの地面に描かれた、燐光を漏らす幾何学の図形。
「あれは?」
「転移魔法陣」
答えて歩き出す魔王の足音を追う。幸い足元は平坦らしい。
ぶつからないよう距離を測って付き従い、近付いてくる光を目指す。
迷宮内部を移動する魔法を既に見せた彼が、それを設置する理由は不明だ。
森の後方で待機中の魔人を迎えるため、送り出した老執事。
その出入りに設けられた裏口も同様の働きをするはずだが、ここに繋がっているとは聞いていないし、まず思えない。
(ですけど)
そこで、彼女は疑問にするのを止めた。
きっと必要はあるのだろう。魔王様のことだから、と。
これまで見せられた力と救われた恩、従える配下。
戦略と機能性を持った割り振りに、一定の信頼を持ち得たことが思考を緩める。
それは怠惰というよりも。
辛い境遇で、頼れる者を得た幼子の心理かもしれないが。
魔王と違って暗闇を見通す目を持たず、まして身長と歩幅の小さな彼女は、不思議と置いていかれることもなく、静かに彼についていった。
「ここだ」
やがて、薄闇に変わった暗さに現れるモノ。
言われて足を止めると、慣れた目に像を結ぶのは、告げられた通りの転移陣と────────見上げるほどの、一本の大樹。
生え伸びる枝と、逞しい幹の大木だ。
いや。
それは果たして。大樹と形容して届くものか。
「これ、は」
見上げたティアが絶句する。
辿り着いた先、床に敷設された陣の光に浮かぶのは、暗闇に育った漆黒の巨木だ。
異様である。
壁に埋め込まれ、高く縦に伸びる根と枝の向きは、天地が逆。
葉のない枝が下に、土に触れない根が上へと伸び、共に石材を侵食していた。
いくつかの洞を見せる幹は、穴の一つが彼女を呑み込むほど巨大。
食い破るように壁面から突き出た凹凸は、城砦の如く重厚で長大になっている。
森を食むとすらたとえられる超弩級の大樹木が、その場の空気に、深く根を張って支配していた。
「<邪悪の樹>」
魔王の告げる言霊に、心身が冷え込む。
高き暗黒の世界樹。
彼女の知る言葉ではそうとしか形容できない、生命の象徴でありながら枯れ果て、朽ちた死だけを、不気味に暗示するおぞましい老木。
命の気配を持たないそれは、同時に命ある者に絡んで吸い殺すような、凍える威圧でそそり立っている。
視線をこらせば、所々には果実に似た球状の膨れ。
だが、実をならしたにしては対比があまりに大きく、しかもその球部は根に枝に幹にデタラメに生え、一方で樹皮を裂き出ている面は、線で繋ぐと何かの図形になっていた。
「生命の樹の逆とかいわれる概念をベースにした……といってもアレだよなぁ」
見上げる魔王は冷静に、平気な語調で言葉を続ける。
「えーっと。魔物を作り出す樹、の方が分かるかな?」
仄暗い闇に浮かんだその手が、弾いた人差し指で、虚空に軌跡を描き始めた。
示したのは、ティアが目を奪われた球体である。
「物質主義。不安定、貪欲、色欲。醜悪、残酷、無感動。拒絶に愚鈍、そして無神論」
頂点の『物質主義』と評した球から始め、順番と道筋を確信でなぞる。
「あの樹にできたコブっぽい球体が、迷宮の臓器みたいになってる。魔王がダンジョンを造るとき、こいつが土地の魔力を吸い上げてサポートしてくれるんだ。しかも普通、魔力が自然に結晶化して生まれる魔物を、吸い上げた魔力で人工的に固めて産み出す」
その全てが、神から遠ざかる堕落の悪徳。
数えた闇の象徴の終わり、最下部にあった『無神論』を指し、魔王はそっと手を下ろした。
語る口調は無感動で、言い切った顔にも特別さはない。
眷属や小悪魔の時のような相手の反応も、予想に関しての意外性も、話す本人にはないからか。
他人の作った設定を、ただ読み上げる抑揚で終えると、見詰めるティアの瞳の中、魔王の輪郭が闇にかげった。
(…………)
装備は漆黒、黒髪黒目。
その存在には闇と静寂こそ馴染むのか、迷宮で最も太陽に遠い深淵で、彼は今日一番の自然体に見えた。
考えてもみれば、喚び出した彼女は、彼のことを魔王としか知らない。
性格に価値観、嗜好に過去。
玉座での会話は魔王側が情報を聞き出す姿勢にあったが、出会って既に数時間以上。
常に互いの近くにおり、過ごした時間が無言の逆だったにしては、間違いのなく不足だった。
(私は。私たちの都合で召喚した方のことを、何も知らないのですね)
《契約》を後にした召喚に応じる時点で、魔人からして都合か願望、境遇などに問題がない存在とはいえ。
放せぬ希望をコントロールするためより、単純にそれでいいのかと、私心で以て彼女は思う。
(あとでもいい。魔王様のことを、もっと知らないといけません)
それが彼女の姫としての資質であり、魔人に慕われる理由であると、この場においては2人ともがまだ知らない。
「……あー、その。別に衒学趣味はないんだけど。ごめん、やっぱり分かりにくかったか。悪い。何か質問があれば遠慮なく頼む」
思考に沈んで押し黙る形となった姫へ、魔王が若干の不安から話す。
はっと顔を上げた彼女は、反射的に聞いた内容を整理して、一つの疑問を投げかけた。
「それでは、産まれた魔物はさきほど見せていただきましたが、実際はどうやって造る……生み出す? のでしょうか」
「ん? そこか」
反応を得られたことで声の調子を上げ、応える魔王が踏み出した。
「何があったかな。レベル30から40……この際50でもいいか。今から見せるから、ちょっと離れててくれ」
呟いて注意する迷宮の王。
ティアを置いて<邪悪の樹>に寄ると腕を振り、燐光を伴ってアイテムボックスに干渉し、鞘入りの剣を取り出した。
輝きから抜かれた武器は、手にされると目映い電光を放ち、鞘のまま紫電を走らせる。
直接戦闘はしないティアの目にも一見して業物、それも魔法を恒常的な性能として取り込んだ、達人級の品であると理解できた。
暗闇の底で、お互いしかいない男女の片方が剣を取る。
傍目で見れば愁嘆場かより危険だが、ティアの側はこれといった緊張もない。
実際、魔剣を携えた魔王は、慣れた様子で両脚をたわめて跳躍すると、中途でで『残酷』の球に触れ────────手にした武具で貫いた。
「こ、れ、で」
落下しながら姫にいい、着地を終えると向き直る。
「あとはすぐだよ。刺した剣を見てるといい」
「……あっ!」
促された彼女が仰ぐと、鞘入りのまま球体に埋まった刃が動き、ゆっくりと内部に飲み込まれていった。
雷を纏う魔剣が完全に没すると、空間に突如の揺れが生じる。
「さてさて。何が出るかなっと」
漆黒の巨木が胎動する。魔王の言葉によれば、魔を孕む母胎樹。
その球体の連なりが、強く心臓の音を鳴らした。
「きゃっ……!?」
壁に埋め込まれた<邪悪の樹>の根から枝から、まるで血を吸うように魔力の光が赤く集い、血管の如く脈打ちながら幹を這う。
樹皮を走る輝きは、次第に集まり果実の一つに注ぎ込まれ、残酷と呼ばれた球は卵の殻さながら、闇の仔の姿を覗かせた。
内部で生まれ育まれる、太い四肢に三つ首の多頭。
その輪郭に体毛の尖りを見せる巨体が、鼓動に合わせて痙攣する。
やがて闇の枯木が自らの色を戻すと静寂が降り、一点、新たな生命を宿した胎盤が、鮮烈に光った。
「ウゥゥゥヴォォオオオオオオオーーーーーンンッッッ!!!」
夜気を震わせる咆哮が、殻を裂いて外界へ跳び出す。
閃光の中を駆け抜ける姿が頭上を越え、濃い影を置いて着地した。
「こ、これが……?」
「ケルベロスか。まあ当たりかな」
現れたのは荒々しい体毛を闇に溶け込ませた、巨大な犬、あるいは異形の狼だった。
首と頭はそれぞれ三つ、目は無数。
顔の後ろからタテガミの如く生えた蛇が獰猛に絡み、その上に尻尾と一体化した、別の大蛇が舌を伸ばす。
犬の黄色と蛇の赤い眼が爛々と輝いて恐怖を煽り、首の根元が姫や魔王の頂点より高く、剥き出しの牙が時折ヨダレを滴らせた。
「んー。いい出来だ」
ティアが言葉もない一方、ステータスを把握した魔王は、ペットをほめる調子でいった。
「じゃ、もういいぞ。行け」
「クーン」
追い払うように手が振られると、鼻を鳴らした冥界の番犬は、主に従って身をひるがえし、転移魔法陣に向かう。
三つ首の巨犬は振り返ることもなく目的地に着き、輝く図形の上に乗ると、姿を消した。
ティアが疑問を抱いた魔法陣の存在、生成した魔物を、指定階層のランダムフロアに送る効果が発揮される。
「と、こんな感じかな」
実演を終えた魔王は、意見を求めるように手を広げた。
「ある程度の強さのモンスターを造る場合、単に魔力だけじゃなくて、高純度のそれの核が必要になる。同じように魔力を宿した高位の武器に防具、装飾品にアイテム類。強力な物からは強力な魔物が生まれて、より強い侵入者を倒して更にいい物を────────というのが、迷宮の戦闘サイクルなんだ」
<邪悪の樹>。
生命の樹と対になる概念で、本来は実物の樹木ではなく、上下を替えたものでもない。
だが、<ファンタジー・クロニクル・VR>の迷宮システムに組み込まれたそれはアレンジを施され、闇を産む生命の樹として機能しているのだった。
「す、凄いですね」
実際に目にしてみて、ティアとしてはそれしか言えない。
ケルベロスは高名な魔物で、強さも同様だ。
並の兵士や魔人なら、倒そうと思えば2ケタは死傷者の覚悟が要る。
一匹一体を送り込めば、地上に陣を敷く敵の内、小隊程度は束で壊滅させられるだろう。
「50レベル装備の魔剣一本が必要経費だとなると、そうぽんぽんとは造れないのが悩みだけどね。前と違って今は補給のアテもないし、強い魔物ばかりを産むにも、植えたばかりのクリフォトじゃあ、まだ未熟だし」
特に感慨もなくいって、魔王がティアに歩み寄った。
「で、どうする? これで二大設備の案内は終わったけど。こっちは他を回って小悪魔のところに戻るから、居住区の魔人の様子が気になるなら、そっちに行ってもいいよ。案内はする」
「お気遣いありがとうございます。けれど、大丈夫ですから。魔王様にお供します」
尋ねる魔王に姫が応え、伸ばされた手をしっかりと握る。
姫としてはまだ知らぬこと、迷宮と魔王のそれを知るため、共にするべき時間は長い。
「了解」
短く転移を唱える魔王を見上げ、視界の片隅にふと<邪悪の樹>の姿が映る。
見れば、砕けた球が再生して元に戻りつつあり、魔力の働きによるものか、かすかに脈動の音が聞こえた。
去り際に響いたその鼓動が、迷宮の、さらには魔王の心音に聞こえたのは────────果たして、気のせいだっただろうか。
気付いたら本日12月3日、小説家になろう様の日間ランキング3位に入っていて驚いている作者です。
皆様にあらん限りの感謝を。
始めて数日で予想外の評価をいただき、何かお礼をと考えましたが何が一番と言われると常識的に更新なので、予定を前倒しで投稿しました。
今回は暗いシーンですが、次回は「第7話 その日の終わりに」。
掲載予約は12月5日(木)18時で更新。
魔王による具体的な救済と感謝、待っていただければありがたく。
ご評価、ご感想の書き込み、ここまでいただいた閲覧に感謝を。
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また、予約掲載完了の報告などは活動報告にて行っております。
拙作が少しでも皆様にお楽しみいただけますよう。また、どうか完結までお付き合いのほどを、よろしくお願い申し上げます。
※投稿早々に気付いた誤字を修正中