第3話 眷属召喚
振り返る魔王と少女と執事と、魔人の視線が一カ所に集う。
「ま、待てい……!」
いつの間にか異常の解けた体を恐怖で縛っていた者達が、逃げ行く獲物に声を上げた。
「に、逃がさんぞ魔族どもめ! 穴倉にこもろうとする獣がっ、我ら王国の剣を侮辱するか!!」
感情を荒げて喚き散らすのは、最初に口上を述べた指揮官。
落とした剣を拾って握り締め、振り回しながらがなり立てる。
「どうしたお前たち! 我が麾下の兵は腰の抜けた弱卒ばかりか!? 王国に仕える、栄えある騎士の矜持はどうした!」
自分自身がほど遠い姿でありながら、一方で恐怖に硬直した空気を破るには、視覚の変化を伴う言動は有効だった。
上官に従順であることを教育された兵は、一度は感情を揺さぶられたからこそ、思考停止のチャンスに飛びつく。
「あの魔王……なる者と前魔王の娘、それに<壊拳>の執事を討ち取った者には、名誉と褒賞を約束しよう! 他も首一つで手柄とする! 各員、大いに武勲を打ちたてよ────────行けぃっっ!!」
握られる武器と、仲間との同調。
更には欲望を刺激されて目が眩み、失った戦意が呼び戻される。
指揮官も必死だ。
もし100人もの兵がいて、敵が強くて戦いにならないため追わなかった、ではお話にならない。
他の隊からの証言も傍証もないとあっては、論功の場で責められたとき、自身と部下を庇えないからだ。
敵わないなら敵わないで、後続の部隊に敵の脅威を伝える意味でも、せめて一当てする必要があった。
そこから実際に兵を動かした手腕を思えば、この規模の統率者としては十分といえる。
「「「うぉぉおおーーー!」」」
「まだやるのか!?」
よって、敵の判断は決して間違ってはおらず。
強いていうなら、ただただ相手が悪かった。
「矢を射かけよ! 魔法を撃てっ! 槍を突けぇいっ!」
突撃を始めた先鋒から離れた後衛も杖を構え、弓の弦を引き絞る。
(どうする)
思考する魔王。
もう一度《魔眼》をかけるか、それでは慣れた相手の復帰がより早くなり、より苛烈にならないか。
瞬時に検討した内容に、抱えていた兜をかぶり直して決断する。
「仕方ない」
存在の強さで敵を見た現在、己の安全は確保できる。
だが攻め寄せる集団に焦らないわけでもなく、自身が冷静に加減できるかも疑問だ。
流れ矢を警戒し、彼の迷宮に入ろうとしている者達から離れる訳にもいかない。
そこで。
「我が血に服う僕たちよ 彼方より来たりて力を示せ “眷属召喚”!」
魔王は極めてRPGのボスらしく、自分以外の手数を増やした。
「デカラビア! コレルッ!」
名を呼ぶ。
詠唱化した発声入力が虚空に魔法円を描き、告げられた識別名が、彼方の存在を招いた。
<ファンタジー・クロニクル・VR>の特異言語が外円で回り、内に大小無数の記号、中心に紋様と紋章を輝かせる三重法円。
集束されたそれが亀裂を生み、破砕されると、光を放つ欠片が舞い散る。
煌きの残滓が溶けて消えた時、召喚の跡には、燐光を纏った者たちが揃って顕現していた。
「デカラビア、参りました」
「コレル=コーレル、きたよっ!」
現れた二者を、呼び出したハルキはよく知っている。
片やサッカーボール大の内部に複雑な図形を入れた、空中に浮かぶクリアな球体。
片や全身を金色の鎧に包み、身の丈を越える大盾を、両手に構えた小柄な少女。
羽根飾りをつけた兜からはわずかに栗色の毛が後ろへ伸び、顔面部からは快活な笑顔が露出している。
魔王としての特性で所持を許された、忠実にして強力な従者。
パーティーを組めない魔王職の唯一のお供、頼れる<眷属>の参上だった。
しかし。
「本日はどのようなご用命でしょうか! もっとも? 魔王様が我らを頼りとすることの意味と状況、このデカラァァビアア! が心得ていないとは申しませんが!」
「まおーさま久しぶりだね! こんにちは、おはようございます! 今日は誰をぶちのめせばいいの?」
非常にキザったらしい抑揚で話す口のないボールと、頭の悪いセリフを物騒に言う全身鎧。
開幕から個性をべったりつけた下僕を前に、ハルキに戦慄が走った。
(しゃべったあああぁぁぁぁぁぁぁ!?)
この瞬間が、彼の最も混乱した時であったかもしれない。
過去の迷宮で時に侵入者の撃退に走らせ、時に共に戦った配下。
人格プログラムも会話のルーチンも組んでいない、装備とレベル、スキルだけを鍛え続けてきた眷属が、口を開いて会話をしている。
(どういうことだ!?)
ゲーム中であれば、眷属や使い魔は人格を持たない。
学習プログラムで反応を変える程度ならともかく、舞台上必須のNPCを除けば、そんな手間とリソースは無意味。
ハルキが自身でプログラムを組んだ憶えもなく、そんな技能もないため、召喚した彼らが喋り出すなど、あり得ないはずだった。
「まおーさま?」
「魔王様、いかがなされました? ……はっ!? これはまさかこのデカラビアに対しての、『我が誇るお前への信頼を口に出すまでもない。我が望みはお前が最もよく知っているであろう。さあ、我に逆らう愚か者どもを疾く撃滅して見せよ』という、沈黙のメッッッスエェェェィジ! なのではっ!?」
なのに喋っている。
口のないスケルトンカラーのボールまでが一風変わったベクトルで話し、鎧少女は低い背丈で子犬のごとくまとわりつくと腕をつかみ、ペットに構えといわんばかりに、ぶんぶんと振る。
ハルキはそこまで筋力値が高いキャラではないので、後者はぶっちゃけ重かった。
「あー。とりあえず、アイツらを殺────倒してくれ。それから後退して迷宮の警戒」
まさか異世界よろしく、知性を持って実体化したとか。
あまりの事態に思考を止めて棚上げし、広がった王国兵を示す。
その動作に、様子を見ていた兵士たちが反応した。
「…………ほぉう?」
「よおーしぃっ!」
命じられた方は、球体が図形の移動で首を向けたことを示し、重量犬が盾を打ち鳴らして気合を入れる。
「コレルよ、競争だな。1分だ! 私は1分で倒す! どちらが魔王様のお役に立てるか、このデカラビアこそ一の従者と証明してくれよう!」
「あっ! それならデカラビアには負けないんだもんね! ボクの方がつよいぞー、かっこいいぞーってまおーさまにほめてもらうんだから!」
勝手に燃え上がる従者の戦意と、言葉の端に出る忠誠度。
とんと憶えのないやり取りにドン引きする主を前に、デカラビアが空高く舞い上がると、コレルは右足を引き、短距離走の姿勢を取る。
薄く輝く球体がすぐに小さくなり、鎧の接ぎ目が加重によってギリギリと鳴った。
「それじゃあ。ジャーン、ケーン……突撃ッ!」
「遅いわぁ! 《省略》《倍加》《最大化》っ、“氷の五月雨”!」
瞬間、戦端が開かれ、もとい強引に千切られた。
全身を包む重装鎧、移動を犠牲にした防御を見せている少女の、目立つ姿が掻き消える。
その残像と疾駆の軌跡、舞い散る草と地の陥没を追えたのは、ハルキの他にたった2人、残る眷族と老執事。
空いていた距離を一息に踏破し、始点と終点に深い跡を刻んだ鎧は、映像を飛ばしたかの如く、兵士の前に現れた。
「ばぁ!」
「えっ? うわ!?」
反応が遅れて硬直した体に、少女の引き連れた突風が当たる。
ぎょっとする敵の前、兜越しに浮かぶ笑み。
邪気もなく、悪意もなく。
手品のように現れた顔に、兵士が頬を引き攣らせた瞬間、彼女の腕がうなりを上げた。
「じゃあねぇ……えへへっ♪ どっかーん☆」
「ごはぁっ!?」
はにかむようにして両盾を左右から合わせ、巨大な面にしてぶちかます。
突進は武装ごと相手の骨をいくつか砕き、雑兵を軽く空へ放った。
内臓を潰された吐血と鼻血が舞い上がり、天に昇って落ちてくる。
赤い雨は、冷たい氷を伴っていた。
「なっ……!」
「そ、空がっ!?」
「た、盾をよこせ! アレは────ぎゃああ!?」
どよめく王国の兵たちに、無数の雹が降り注ぐ。
滞空していたデカラビアの更に上、晴れた空に、白く浮かんだ塊が敷き詰められていた。
日光を受けてキラキラと輝く氷塊の群、硬く重い暴力の雨。
「ハーッハッハッ! 食らえい!」
魔法によって作り出した水分を凍らせ、圧縮をした範囲魔法が放たれる。
射線を描いた氷石群が落下の加速で爆撃となり、煙の代わりに血反吐と悲鳴を上げさせた。
「うわあああ!」
「いったぁ!? ちょ、デカラビアっ!」
「敵に一人で突っ込んでる方が悪いのだよ! 当たる場所にいなければいい! 嫌なら黙って見てるんだな…………かかったなアホめ!!」
一定範囲を面制圧する攻撃は、無論のこと無差別。
兜越しに頭にもらった仲間がにらむも、抗議は煽られるだけに終わった。
「むっきー!」
「ファファファファファ! くやしければここまで上がってくるがいい! 鎧を着たチビには無理だろうがなっ! これが頭脳戦というものよ!」
それでも周囲が行動不能になっていく中、大したダメージを受けないのか。
地上戦力は再び突撃を敢行し、反撃を弾いて蹂躙を始める。
その在りようは戦車さながら。
地表に線が引かれるたびに敵陣は吹き飛び崩壊し、少女の描く図形の隙間は、氷の飛礫が埋めていく。
「さあ。今のうちだ」
「は、はい」
阿鼻叫喚の地獄絵図を尻目に流し、魔王が少女を先へ促す。
執事と連れ立ったその姿は、迷宮の闇に消えていった。
見送りった魔王も猛威を振るう従者を背に、案内をすべく続いていく。
(それにしても)
心中で深く嘆息した。背後で増える鮮血の量に頬を掻く。
「とんでもないことになったなぁ」
独白の調子はひどく重い。
目にした王国兵の出血。味方の無双状態より、そちらの方が問題だった。
『とある国』では標準の倫理規定により、事前の表記と合意、自分からの選択がなければ、『人間』の流血に規制がかかる。
どれだけ技術が発達しようと誰かが唱えるエゴであり、だからこそ創作物の歴史は、人と似て非なる人外の姿を洗練させた。
当然、この世界が<ファンタジー・クロニクル・VR>のゲーム内である限り、人間キャラクターの出血は、自動で存在しないはずである。
で、あれば。
(これが異世界召喚か。夢が叶ったのは嬉しいけど)
ようやくにしてそうとしか考えられないのが、彼の思考の帰結だった。
ここまで積み重ねた考察と情報が、結論を肯定してしまう。
そのために。
「さてさて。どうやってこの先生きのこったものやら」
憂鬱そうに溜息を吐いて。
この世界で本物の<魔王>となった彼は、自らの造った、現実のダンジョンに引き上げたのだった。
続きは明日(12月1日)中の投稿を予定。
第4話「ダンジョン、対話」は06時、第5話「小さな悪魔とウサ耳バニー」は18時の予約掲載となります。