外伝の2 魔人たちの送る日々 2
※前回の続きとなります。
それからしばらくの時が過ぎて。
<迷宮>に輝く太陽が、中天の均衡をわずかに横へ傾けた頃。
広げた混ぜ土に種を撒き、水をやって作業を終えた畑の上に、手を打つ小悪魔の声が通った。
「はーい時間でーす! クワを置いて下さーい! …………よし。今日は畑はこんなとこですね。それでは休憩時間にします! 終わったら家畜の方の作業に移るんで、しっかり休んでしっかり食べて、また労働に励みましょう! お疲れ様でしたー! オッス!」
「「「お疲れ様でした!」」」
一斉に下げられる大勢の頭が、耕した地肌に影を落とす。
息を吐く顔は一仕事を遂げた爽快さに晴れ、陽射しを背にしてなお明るい。
鼻や顎先に滴を浮かべる者もおり、右に左に倣ったテオも、姿勢を戻して額を拭う。
「いやー、今日も耕した。収穫するのが楽しみだな」
「ああ。今度は何日くらいで採れるんだろうな。頑張った結果がすぐに出るのは嬉しいぜ」
小悪魔の育てる迷宮の野菜は生長が速く、仕事の成果が目に見えるのも同じため、ついつい張り切る者が多い。
自分で食べる料理の美味さや、周囲の笑顔に繋がるのだから尚更だ。
期待に踊る胸を張り、わいわい言いつつ解散と移動を開始する。
(今日は結構耕せたかな。腕が重いや)
手を入れたばかりの土を避け、マス状に並んだ畑の隙間から横に出る。
耕作を逃れた草と地との感触は荒く、肩に担いだクワの揺れる行進が続いた。
遠目にはのどかな牧歌的光景。
常春に近い地下の陽射しと陽気だが、それだけに汗を抑えるには強く、土の香に男たちの体臭が混じる。
テオも支給されたタオル────白く清潔な上に驚くほど柔らかな───を片手に体を拭き、厚みを増した手の皮を見て感想をこぼした。
(でも。前よりクワも振れるようになったし。この調子でもっと頑張ろう)
<人間>より丈夫な<魔族>だが、<魔石>を宿すテオは狭義の『魔人型』だ。
体のパーツや特色の多い『亜人型』と比べると、身体能力は一歩劣る。
戦闘であれば魔法の運用には長けるが、農業の能率は少し低かった。
しかし前向きな精神は、健全な肉体の資質ともいえる。
「育てる野菜も種類が多くて飽きねえよなあ。ウチのガキなんて、食事の度に何が出るかってはしゃいでよ」
「おう。変わり映えって大事だよな。今だから分かる話だけどよ。ものは美味いしメニューは飽きないし、なんつーかもう、前の食事に戻れる気がしねえや」
前後を歩く仲間に当たらないようにしつつ、耳を澄ませて和やかな空気に身を委ねる。
周囲にはたまたま歳の近い魔人がおらず、顔見知りもどうやら他との会話に忙しい。
「そういや復興組の奴ら、種やら肥料やら色々と持たされてるらしいぜ。オレらもこうして育て方を教わってるし、戻った時に同じ事がやれるといいな。道具は作れる気がしねえが、種の方は収穫の一部で何とかなるだろ」
「違いねえ。よそでやると下手すりゃ土地が枯れるから、言われた通りに気をつけろって話だけどな。まあその辺は大丈夫だろ。こんだけよくして下さってんだ、コア様たちや魔王様に従わねえバカは、<魔人>にいねえよ。いたらオレがとっちめてやる」
「そん時ゃオレも呼べよ? あのままだったら飢えか寒さか、<人間>にやられて死んでた身だ。魔王様のおかげで一泡ふかせたし、このまま行きゃあ、死んだ奴らも故郷に墓を移してやれる。こんなにありがたいことはねえ」
幸いなことに集団の向きは統一され、目的地までの距離も近い。
畝を望む畦道の上、途中から繋がる無数の足跡が均した先に、簡易の休憩所が建てられている。
薄い壁に日除けを張り、正面を開けて長椅子を置いた仕切りのスペース。
休憩時間の歓談場。そして不調の際の療養所が、広く席を空けていた。
「ま、何だかんだでレーゼも取り戻せたし、よその連中もかなり<迷宮>に入ってきたけど、そんなに揉め事もないからな。あっても見回りが何とするから平和だぜ」
「ティア姫様は抑えが大変だろうけどな。町長だの村長だのが増えると。最初は不満っつーか動揺もあるだろうし、オレらだって慣れるのに時間がかかったもんだ」
「できれば打ち解けるように言われちゃいるけどなあ。そこは人間と違って同じ種族、付き合えば上手くやってけるさ。<酒場>で会うと普通に気のいい連中だぜ? 部屋割りや班は分けられてるけど、合同作業の予定もあるしな。こんな状況だ。王国を前には仲良くやっていかねえと」
「あまり下らないことでもめると、魔王様にもティア姫様にも悪いからな。姫様もずっと頑張ってるし」
その片隅へ多様な魔人がぞろぞろと歩き、明日も使う農具を集めて一ヶ所に置く。
何名かはそのままイスに腰掛けて話し出し、他も散って思い思いに雑談を始めた。
「あの歳で先代様を亡くしたってのに、オレらを見捨てず立ち上がってここまでずっと────」
「結局あの方に全部任せちまったからなあ。オレならとっくに逃げ出してるか、耐え切れずに潰れて────────」
畑道具は手入れや班の入れ替えのため、支給ではなく共用品だ。
持ち帰ることは許されておらず、纏めておくのが慣例となる。
補修や砥ぎ直しは担当の<武器屋>、《鍛冶》を修めた桃色の小悪魔の預かりで、翌朝頃には取りに行ける体制だった。
テオとしては便利で助かる。
(何で出来てるのか分からないけど、いつもピカピカでよく刺さるし)
肩に担いだ農具の感触、振るった時の手応えを思って少年がうなずく。
道行く魔人の後背で揺れる、銀よりはくすんだクワの頭。
<ステンレス>の刃は先に鋼を接ぎ、鋭くそして錆び難い。
(農具が全部金属製か。魔王様の所じゃ珍しくもないけど、改めて見ると木の方が見かけないって凄いや)
木製どころか鉄より優れた金属器。
現実の量産品も魔人においては良品で、農家の出身には『購入』を望む者もいた。
住民の間では<迷宮>の中で暮らすにつけ、折に触れて身近な品が評判となる。
(道具が使いやすいと暮らしやすいもんね)
生活用品も同様で、衣類であれば生地が柔らかで肌に優しく、鍋などは薄いのに頑丈だ。
とはいえ、ただでさえ<魔王>には恵まれる身分。
配給に加えて個別に要求することはなく、現状では自分で<道具屋>などから購入するのが主になる。
(故郷を取り返す時も、<霊薬>の山とか全員分の鎧とか、凄い数の魔物を用意して下さったし。全身金属の鎧っていくらするんだろう?)
多くの魔人に金銭的な余裕はないが、『上』の方では奨励策────<迷宮>での技術習得や熟練、生産性向上への報奨品────に用いる動きがあった。
「ん~っ!」
そんなことを考える内に順番が訪れ、自分のクワを立てかけたテオは腕を伸ばし、脇にそれて歩き出す。
「えーっと」
しばらく視線を巡らすと、陽射しの下で影のまばらな落ち着いた場所、地形を横切る小川へ向かった。
広大な空間の端から端までを一繋ぎに、彼方の丘や牧草の地と彼我を分ける、陽光に跳ねるせせらぎの煌き。
《釣り》もできる澄んで透明な水流は、そばに生えた草の緑が鑑賞に適したシートとなる。
次の仕事までは自由。
大体は昼食と団欒や会話に費やす時間を、テオは『先約』で待つことにした。
「…………」
川べりに寄ると雑草の感触に手をやって撫で、気持ち整えて腰を下ろす。
草の香に息を吐くと、清水が並べた銀光の反射が目の前に踊った。
低く淀みない行進が静かな曲を奏で、左から右へと爽やかに駆け去る。
何気なく視線で追いかけてみると、川下の方に花が散り、綿毛をつけた草があり、吹いたそよ風が種子を運んだ。
「うん。落ち着く」
言ってから虚空に手をかざすと、<流浪の座>から昼食を取り出す。
燐光を伴って手の平に落ちる、半透明な深底の容器。
内部には肉や野菜を具にしたパンが詰められ、食欲を誘う厚みと色彩を一杯に、フタの下で立ち上る香を閉じ込めている。
追加で果実を絞った────贅沢にも────ジュースを入れた水筒を取り出し、朝食とは異なるラインナップを楽しみにしながら、手早く昼の用意を済ませた。
「テオーっ!」
「っわわ!?」
そこで唐突に辺りへ響く、野を渡った高い声。
振り向かせた視界と映る緑。
空と大地を背後に収め、見知った顔が小走りに迫る。
「なんだ。アリサか」
「むむ。ちょっと聞こえてるわよ? 何だとはいきなりご挨拶じゃない」
途中で行った減速に、薄いラベンダー色の毛先が前で揺れる。
慣性に従った頭髪は続いて吹く風に流され、主の肩口でしばらく踊った。
「そっちこそいつも驚かさないでよ」
「アンタがいっつも元気がないから、私が活を入れたげてるの! 感謝なさいよ? ああもう、まーたこんなところに一人で座って。普段は大人しいのに変なとこで悪目立ちするんだから。ちゃんと見つける私にお礼を言いなさいよね」
規則正しい草踏みの音律をサクサクと奏で、手のバスケットを押さえながら彼に寄る。
「ふんだ。折角来てあげたのに。…………まあいいわ」
すぐそばまで来ると立ち止まり、むくれて見せたと思うと嘆息。
強く真っ直ぐに足を伸ばし、作った拳を腰に当てて胸を張り、テオを勝気に見下ろした。
「ちゃんと待っていたんでしょうね?」
「うん」
座ったままの彼から見上げる、小さくまとまった顔の造作。
意志の強い瞳は逆光の陰で変わらず、髪よりも淡い紫に輝く。
柔肌を覆う衣は白いブラウスで、袖は長く、胸のボタンに沿ったフリルが柔らかく下り、可愛げに主を飾っていた。
腰から先を覆うのは、折り目や段のない紺のスカート。
丈は長く、斜めに広がって余裕を持ちつつ、膝の下までぴんと伸びる。
踏みつけられる草の上ではきゅっと丸まった茶革の靴が、小さな足を保護していた。
「ん。よろしい。テオのそういう────なんていうのかしら。私に逆らわないとこは好きよ?」
「それって褒められてるの……?」
「私が『褒めてあげてる』のよ」
テオと同じ『魔人型』の幼馴染であり、数少ない同い年の少女。
独特の空気をまとったアリサという娘が、そう言い切って腰を下ろす。
引っ掛けないようにスカートを引いて隣に座ると、テオの鼻腔に、奇妙にスッとした匂いが香った。
「香水?」
「お、偉いわね。ちゃーんと気付いてみせるなんて。テオにしちゃ鋭いじゃない? ふふん」
彼に倣って昼食を広げていたアリサが手を止め、我がことのように鼻を高くした。
さっぱりとして冷たく鋭く、嗅いだ者の意識を醒ます、澄んだ涼感のある香気。
「実は今日から、ようやく<錬金術>のコア様に《調合》を許されたの!」
「本当に? 凄いじゃない!」
近付いたことで寄せられた肌から匂い立つ、常にない刺激。
色香とは異なる疑問に反応したテオが、された解説に食いついた。
「そうよ凄いのよ? 何といっても私が一番乗りなんだから。褒めなさい、そして讃えなさい!」
「もちろんだよ! アリサっ、おめでとう!!」
「あっ、ちょっとこら! 乙女の手を勝手に!」
そのまま少女の両手を取り、上下に振って祝福する。
今度は少年から身を寄せられ、純粋な目で見詰められる少女の顔が────彼の手が触れた瞬間から────一気に赤くなった。
「遠くに人もいるからやめなさい! 見えるからっ、見えちゃうから! やめっ……やめなさいってばテオ! ばかテオっ! うううううぅ~~~っ! はなしなさいってばぁ!」
「あ」
思い切り腕を振り払われ、ようやく冷静に返るテオ。
見れば解いた手を胸に、髪を乱して距離を取るアリサ。
興奮に息を荒げた幼馴染を前に、はっとして深く頭を下げる。
「えっと…………その、ごめん。つい嬉しくって」
「もうっ。アンタが喜んでどうするのよ! 私のことでしょうが!」
「うん。だから嬉しくって」
「~~~っ!」
言葉と同時に上がった笑顔を正面から見て、少女が耳まで赤くなった。
「でも本当にコア様から許可が出たんでしょ?」
「そ、それは本当よ? 私がテオに嘘を言うわけないじゃない。当然だわ!」
髪を直す素振りで集めて耳を隠し、横を向いて呼吸を落ち着けること数秒。
表向き戻った表情の各所を緊張に引き、当てたままの手の平で胸の鼓動を抑え、努めて冷静に少女が答える。
傍目には、実にボロボロで剥がれたメッキだったが。
「確かに許可はいただいたわ。その…………一番簡単な調合表だけど。<染料>と<香料>で迷ったら、『君にはこっちがいいよ』ってアドバイスされたから」
「そうなんだ」
張ってしまった見栄の手前か乙女心か、言い難そうに補足するアリサ。
対するテオは素直に頷き、聞く体勢を維持している。
「それでもアリサは凄いよ。錬金術って、やっぱり難しいんでしょ?」
「それは。まあね」
頷くのに合わせて紫髪が垂れ、しばらく表情を少年から隠した。
それから脱力して足を伸ばし、膝を抱えて引き寄せる。
「これでも手先は【器用】だし、頭もいいつもりだったんだけど。いざやってみるとさっぱりよ」
視線は<迷宮>の太陽から遠く、地に落ちて重い不満をこぼした。
「最初に<エメラルド碑文>っていうのを見せていただいたけど、何書いてるのか意味不明だったし。<賢者の石>の練成は過程も目的も抽象的過ぎるし、<第五精髄>の抽出は手順が複雑過ぎて。効果の高い物になると、話を聞くだけでお腹いっぱい。<万物融化剤>がはねた時なんて死ぬほど怒られたし、散々」
「た、大変なんだね」
「そうよ、大変なの!」
幼馴染の賛同を受けた途端、顔を跳ね上げてにじり寄る少女。
困惑するテオに、アリサは憤懣やる方ないという風に頬を染め、口を開くとまくし立てた。
「<錬金術>っていうくらいだから、そりゃあ動物の死体だの虫だのくらいは覚悟してたわよ。けどね、いくらなんでもアレはひどいわ。今は火を見たり冷ます時間を計ったり、コア様の使う材料を運んだりで、簡単な手伝いだけだけど。その材料が馬糞だの硫黄だのアンモニアだの、おまけに<ホムンクルス>に至っては男の人のせっ、精え────────もう! 臭いが付いたり汚れちゃって大変よ。ここの暮らしにシャワーやお風呂がなかったら、お嫁に行けなくなるところだったわ」
「せいえ……? ??? でもそんなことないって。ほんとに大変そうなのは分かったけど、ちょっとくらい汚れたってアリサは綺麗だよ」
「~~~~そっ、そういう問題じゃないのよこのばかテオ! いいから黙って聞いていなさいっ!」
「ご、ごめん」
「う。べ、べつに分かればいいのよ」
謝罪に低頭する相手の隙に逆を向き、赤くした顔で必死に呼吸を整える少女。
たまたま訪れた風の精が頬を冷まし、穏やかな歩みで草を踏んで去っていく。
離れた場所では他の魔人が慣れない箸を操りつつ、『またやってるのかあの2人』と、話のオカズに見守っていた。
「それに。私の方から投げ出すつもりは、これっぽっちもないんだから」
仕切り直しと腕を組み。
成長途中の小さな胸と、高鳴る鼓動を隠した少女が少年へ切り出す。
「確かに憶えることは多いし、素材の重さはすっごく細かくて量り難いし、《調合》は複雑で嫌になるけど────」
言葉の途中で上げられた視線は空を向き、ここでない何処か、今よりも先を見ているようだった。
「でも、頑張れば将来、自分のお店が持てるかもしれない。<迷宮>やコア様の技術が貴重なのは間違いないし、ほんのちょっとでも覚えられれば儲け物よ。迷宮の設備なしじゃほとんど作れなくても、中級以上の<霊薬>一つでお客さんは十分に呼べる。開店資金や根回しなんかも大変だけど、きっとやり甲斐はあると思うわ」
「アリサ、そこまで考えてたんだ」
「当然でしょ? 女だって強かでなくちゃ生き残れないんだから。<錬金術>や<武器屋>に関しては手が足りないから人を出したって話だし、恩返しついでに教えまで授けてくれるんだから、逃げ出すようなら殺されても文句は言えないわよ。そのつもりもないしね。折角ティア様に選んでもらえたんだから、畑仕事、アンタもしっかりやるのよ?」
「大丈夫だよ。緑のコア様も色々教えてくれるし、気持ちはアリサと同じだから」
「ならいいわ」
つん、と背けた顔に現れる感情を見せず、続ける声で少女が呟く。
「…………それに、私が少しでも早く<霊薬>を作れれば、救える魔人もいるかもしれない。道具の数が増えれば迷宮も助かるし、私たちや魔王様に余裕が出れば、町の復興も早くなるわよ」
「アリサ」
「なによ」
呼ばれて振り向く彼女の頬はわずかに膨らみ、気恥ずかしさや照れを隠すようでもある。
微笑ましさに口元を緩めた少年と、少女が見詰め合う束の間の静寂。
行く川の流れが返す陽の輝きをたたえ、紫の瞳がかすかに潤んだ。
アリサ=エステルティ。
勝ち気で自信家で頭もよく、今やわずかに生き残った、歳と距離の近しい友人。
「うん。何ていうか、上手くいえないけど」
父のように、母のように、妹のように。
欠けなくてすんだ仲間の姿と、共に過ごす暮らしを思って。
「これからも頑張ろうね」
「ふふん。当ったり前でしょう!」
安寧の続きを願った声に、応じた相手が胸を張る。
請け負う言葉は自信に満ち、強く小川のせせらぎを打った。
もっとも。
(むううぅ~~~っ。このばかテオ!)
そこに不満がないわけではなく。
(さりげなく好きっていったんだから、ちょっとは反応しなさいよ!)
少女の健やかな内心に向け、<魔王>の造った人工の天は今日も晴れ、暖かな陽射しを注がせていた。
あるいは少年と少女の間のやり取りを、どこか祝福するように。
かくて<迷宮>とその主は、今日も彼らに平和な暮らしを提供している。
王国の撃退やレーゼの奪還から時が経って。
既に<迷宮>では小悪魔の下に選抜された魔人が置かれ、生産班として従事していた。
彼らの役目は不足の手を埋める『弟子』兼労働力であり、同系の職業に就いていた者を中心に、各<職>の指導を受けている。
特に<錬金術>や<武器屋>では厳選され、魔王直々に適正や技量を見て抽出していた。
5人の小悪魔と<迷宮>の持つ生産技術。
多少であろうと習得できれば彼女らの負担を減らせるし、アイテムを増産することも可能だ。
提案したティアと多くの魔人側にとっては、極めてありがたい待遇と言えた。
通常であれば専門の職人に弟子入りし、奉公を経ながら許可の上で習得を重ね、安易に盗めば恐ろしい罰や、取り返しのつかない傷を受けても仕方のない技術。
農業だけでも優れた肥料の種類と素材、製法、農法や酪農法などの他、結果を変える知識は多い。
<霊薬>の《調合》や素材の《鑑定》、優れた《鍛冶》の腕があれば、復興を待つ町や各地で生活の質を向上させ、最終的には魔人の文明そのものの底上げすら望める。
<迷宮の魔王>には劣るとしても、上手くすれば<人間>の域には。
それを授けてくれるなら、この異世界のこの時代、教わる側のやる気が高く、感謝が深いのは当然だった。
小悪魔の待遇改善に悩んだハルキと、民の行く末を思うティアとが意見を交わした結果。
元より迷宮の設備頼りである以上────ハルキ視点ではレベルの低さも加わり────生産可能な品の方が少なくはあるが、それでも『無い』よりは余程いい。
ハルキとしても物を与えて終わりではなく、<迷宮>に生きる者の文化や文明を富ませ、より多くを残せるなら幸いだ。
王国によって策謀まがいの攻略をかけられ、対王国の宣言を号し、己の擁する魔人全体と関わってから、彼の思考は<迷宮>単体の段階を過ぎた。
今や彼は、誰もが認める魔人の王。
複数の拠点を奪還し、復興を進め、合流した魔人を収容し回復させ、多くのアイテムを各地の前線に送っている。
<迷宮の魔王>が離れ過ぎるのは都合が悪く、魔物においては最悪支配が解けるため、魔王本人の勢力圏こそ広がっていないが。
それぞれの前線では装備と物資、追加の人員を以て戦況を持ち直し、王国を多分に苦しめていた。
あるいは、遠からず『人材』と『技術』も加わるかもしれない。
魔王から見れば小悪魔の過酷な環境改善が最優先で、一時的に効率が下がってもデメリットはなく、技術の拡散や流出警戒も時期尚早。
究極、迷宮と同じ設備と人員なくしては、同じ業は不可能だ。
魔王との契約ある限り、小悪魔の立場にも影響は出ない。
仕事が楽になるのであれば否やがないため、人員の増加で浮いた時間の一部を指導に当てている。
張り切っているのが一番暇な紫という皮肉はあったが、出だしはおおむね順調だ。
やることがある。出来ることがある。役に立ち、覚えられることがある。
その事実自体が閉所に暮らす住民の意識を、極めて良好に保っていた。
ずい、と出された手に握られた小瓶に、テオの目が瞬く。
「これは?」
「私のと同じ香水よ。あげるから大事にしなさいよね。仕事のたびに汗をかくの、気にしてたでしょ?」
「えっ、もらっていいの?」
「もらっていいから渡すのよ。感謝して毎日使いなさいよね? なくなったら補充して上げるから。《調合》の練習にもなるし、腕の見せ所だわ」
不意の譲渡の申し出と、陽光に煌くガラスの容器。
保存された液体に生え草の緑が映り、差し出した彼の手に渡ると、傾けられた中身が揺れる。
菱形の頭のフタには花柄のリボンが巻かれ、挿し込む口の部分でしっかり結ばれていた。
「ありがとう! その、実は前に一度、疲れちゃって風呂に入らず戻ったら、クレオに臭いって言われちゃって。それから気を付けてるんだけど…………助かるよ。ありがとう」
「自分の分を作るついでだからいいのよ。ただそうね。もしも本当にありがたいと思うなら、使った感想を聞かせない。アンタに合った匂いの濃さとか調整するし、記録も取りたいから小まめに。言っておくけどテオから私に会いに来ること。アンタにだからあげたんだから、他の連中に渡したり、連れてきたら承知しないからね? あ。クレオちゃんの分くらいなら都合して上げるわ」
「分かった、そうする。クレオには後で聞いてみるよ」
「ん。よろしい」
両手で持った小瓶を脇に置く瞬間、隣でガッツポーズした幼馴染は、少年から見えない。
この異世界でも匂い付けという行為はあるが、両者が知らないのは幸か不幸か。
意中の相手と逢瀬を交わせる約束を取り付け、その行動を素直さにだけは活かせないアリサが、内心で鼻歌を歌い始める。
彼女の認識するライバルが身近な女性、朝の配給時にいた『近所のお姉さん』であることなど、テオにはいまだ知る由もない。
「クレオちゃんには香水よりも、人形がいいんでしょうけどね。そこまではちょっと時間がないし。クレオちゃん、まだ帰りたがっているんでしょ?」
「うん。クレオのお気に入りだった人形は、町に置いてきちゃったから。残っていても無事じゃないと思うけど…………あきらめられないみたい」
「テオとお父様、お母様で買ってあげたプレゼントなんでしょ? 誕生日の。仕方ないわよ。大切なものだもの」
そこで声のトーンを落とし、アリサは川の流れの先、透明な色の果てを見詰めた。
「きっと、仕方ないことなのよね。家が焼けても、物がなくても…………家族がみんな死んでたって、帰りたがる人はいるものね。うちのお母さんもそうだし」
「アリサ」
「いいのよ。私は踏ん切りが付いてるから、事実だけを口できるわ。恋人とか友達とか家族とか、町に戻っても死んだ仲間がいないのは本当。だけど、帰ればそこに何かあるとか、思い出だけでも取り戻せるような気がするのも本当。思っちゃったら動きたくなるのが当然よね」
続いてテオの方へと移された瞳はどこか色を欠き、くすんで生気を失っていた。
「みんな言ってるでしょ? 『故郷よりは寂しいが、家にいるより快適だ』って。逆に言えば家にいるより快適でも、やっぱり故郷には帰りたいのよ。魔王様の下さった生活は素晴らしいけど、やっぱりこればっかりはね」
「それは……うん」
語られる<魔人>の現状に、テオも否定できずに頷く。
「旅人なんかなら違ったり、いっそ全部、綺麗さっぱりなくなってれば別なんでしょうけど。どうしても愛着があるのよね。戻って暮らすかは別にしても、最低一度は帰らなくっちゃ」
テオとアリサの産まれた故郷、彼らの取り戻したレーゼの町。
<人間>に奪われ奪い返し、二度の戦火に襲われた地は、相応の痛手を負っている。
散乱する瓦礫に燃え落ちた家屋、壊れた建物や魔法で地形の変えられた場所。
失われてしまった個人の品から維持がされずに朽ちた施設、道具、食料植物に『死体』など、その内容は様々だ。
「まあその辺はほんと、流石は魔王様とティア姫様ってとこかしら」
現在────────そのレーゼの町を始め、奪還を済ませた各拠点は、急ピッチで復興されている。
「取り返したと思ったら、すぐに人手を出して復興を決めて。必要な食料から道具から何から、<迷宮>で作ったり<道具屋>のコア様から買ったり。元々途中から疑ってなかったけど、今代の魔王様…………ハルキ様がみんなの心を掴んだのって、間違いなくあの時の演説よね」
「そうだね。あの時は魔王様もだけど、聞いてるみんなの雰囲気も凄かったよ」
復興自体は魔人の手による人力だ。
規格外の<迷宮>と違い、いかな魔人の拠点といえど、再生能力は備えていない。
そして<魔王>の生産力は迷宮ありきで、ハルキは今でも<魔王の間>の玉座に深く座しつつ、あらゆる努力で彼らの活動、故郷の復興と再起にかける各人の想いを支援している。
「そりゃそうよ。『奪われたものは取り返す。取り戻したものは守り切る。だから安心して待っててくれ。一度守ると決めたものを、オレは簡単に壊させない』…………あれだけ無理だと思ったのに取り戻せた町で、あそこまで手助けしてくれた方に、ああまで言われたらね。実際、<迷宮>で暮らしてて<人間>がここまで着いたことだって一度もないし、心配しろって方が無理よね。<人間>の侵略もそうだけど、数ヶ月前の私に言っても信じないわ」
「<勇者>も倒されちゃったしね。一度だけ揺れた時はどうなるのかって思ったけど。結局たいしたことなかったし」
「…………ハルキ様って、魔王としての【号】は<迷宮の魔王>だったわよね? <迷宮>の機能といい統治といい、あのとき仰ってた『オレは守るための魔王だ』って内容、案外本当なのかも。元の種族がどの<魔族>かは分からないけど、信じるかどうかとか先行きの不安とか、あれでどうでもよくなっちゃったわ」
今のところは手透きの者や成人して動ける者を集め、グラン率いる行政系のまとめ役が、現地に赴いて指示に作業に当たっている。
魔人全員の移動は流石に無理があり、始まっていた農業など、<迷宮>での生産との兼ね合いもあったためだ。
肉体の優れた魔人だが、生活空間を確保するのに1ヶ月以上、建物の補修や建て替えが済むまで────家一軒ではなく壊れたもの全てを並行して────ざっと数年十数年かかり、人口に関してはおそらく数十年以上かかる。
全員が元の暮らしに戻れるのはかなり先で、その見通しは伝えてある。
<迷宮>での日々に不便はなくとも『理屈の問題ではない』ことは承知しており、ハルキも徹底した慰撫や激励に務めていた。
実際、単純に戻ったところで隣人の多くが死んでおり、壊されたという事実、失った悲しみまでが消えるわけではない。
仮に戻れる日が来たとしても、魔王の厚意が絶たれない限りは<迷宮>にいくらかは残り、生産作業に従事することになるだろう。
「聞いた話だけど、復興組が行き来する時もかなり食糧とか持たせてるそうよ。王国がこなきゃいただいた装備で十分なのに、<眷属>のコレル様まで護衛に付くらしいし。こっちと同じ畑も作っているっていうし、テオみたいに作物の育て方とか家畜の飼い方とか習ってる魔人が一番多いし…………ってあら? もしかして」
「一回扱ったタネなら何とかなるよ。コア様が面倒見てる神獣は別だけど、普通の獣なら世話もできるし」
「その神獣は分からないけど。魔王様、もしかして今アンタたちに任せてる家畜をそのままか、同じやつを復興組にも与える予定かもしれないわね」
与えられたものとはいえ、自らクワを入れた畑や慣れた環境を離れることに、抵抗を覚える者もいる。
故郷に一度は帰りたいが、一度帰った後を今と天秤にかけ、便利な方を捨てられるかは分からない。
ティアなど上層部は既に調整へ走っているが、子供や老人を抱える家ほど、その傾向は強まるだろう。
今は他の拠点と行き交う連絡役がいるのみだが、遠からず迷宮と復興地の魔人が分離し、独立しつつも<魔王>の統治下で交流を育むかもしれない。
「はーあ。そうか。そのための布石かぁ。上に立たれる方だけあって、どうにも考えが及ばないわ。ハルキ様、別の魔族を率いた経験でもあるのかしら?」
「何かアリサでも分からないことがあるの?」
「うぐ。ち、違うわ! 分からないんじゃなくて、理解はできるけど発想で後手に回ってるだけよ!」
自分の知る限り最も聡明な少女の言葉に、疑問を抱いたテオが尋ねる。
片思い中の相手を前に、緊張と見栄で情けない宣言をしたアリサは、人差し指をピンと立てて彼に見せた。
「いいこと? たとえば魔王様が、かなり初期にお造りになった<共同墓地>。あれ、何のために造ったと思う?」
不意打ちの角度で放たれた、テオにとっては過去の問題に属する質問。
「それはその……墓地なんだから、死体を埋めるためじゃないの?」
「半分正解。いや3分の1、もしかして4分の1かしら。まあいいわ。あそこは私もテオも利用したし、今でも毎日人がいるわよね?」
「うん」
「そこで何をしてるか分かるでしょ?」
「へ?」
続いて顔を寄せたアリサの問いに、テオが口ごもる。
「えーっと」
「こ、こほん」
さっと頬を赤くした少女は瞬時に引いて咳をしたが、訊かれた側は質問の方に集中しており、少し考えて答えを出す。
「それはやっぱり、死んだ人に祈っているんじゃないの?」
「そうよ」
「?」
「ほら、そこで疑問に思うだけで終わらないのっ。今度訓練用に置かれてる<魔導書>でも読んで、頭を使うのに慣れなさい」
嘆息したアリサが肩を竦めるが、テオとしてはどうにも要領を得なかった。
相手の様子を見て取った少女は、そのまま素早く解説を始める。
「もう。あの墓地が造られたの、いつのことだったか思い出してみなさいよ。2日目よ2日目。魔王様が《召喚》された翌日、王国を撃退して私たちを<迷宮>に入れた次の日には、もうお造りになってるの」
「それは憶えてるけど。それがどうかしたの?」
「どうかしてるからいってるんでしょうが」
「???」
西洋風の<共同墓地>や、埋められるべき棺桶を集めた<棺の間>、あるいは<霊園>。
複数の墓所は確かにハルキが建造したもので、<迷宮>初日、居住区拡張の次の朝には行っていた。
それも本来は罠や魔物を配置する場所に、編集を加えてわざわざ間取りや棺の数、墓石の種類を変えての話だ。
「いい? 私たち魔人は<人間>にやられて…………大勢殺されたけど。逃げ回って助かったばかりのあの時点じゃ、取りあえず自分や周囲の仲間が生きること優先で、それ以外は考える余裕がなかったわ。……悔しいけど、私も<魔王の森>の奥で、震えることしかできなかったし」
「そう、だね」
「だけど余裕ができればね、生き延びられた嬉しさと一緒に、失った悲しみも湧いてくるの。私もテオも、ロッゾやデイルやカノンやミーナたちのために、何度もお祈りにいったでしょ?」
「うん。だって、それくらいはしなくちゃって思ったから」
「────テオは優しいわよね。そういうところは大事になさいよ? 誇るのは私がやったげるから」
「アリサ?」
「はいはい、続き続き。しっかり聞きなさい」
迷宮生活の一日目。
奇しくもティアが魔人の諸問題を告げ、嘆願し、受け容れられた最後にハルキへの感謝と、祈りの姿勢を見せたあの日。
魔人にも祈る作法や習慣があるのだと。
そして彼らの様子から、死者を悼む感情もそこにあるはずと、気付いたハルキの取った行動。
「今の魔王様、ハルキ様は私たちにそれが必要になるって理解してたの。大勢死んで、生き残って、それで魔王様の<迷宮>で余裕を取り戻して。そうしたら必ず死者のために祈る場所が必要になるって、最初から」
戦災や被災の過ぎた現場で欠かせない、生きている者が立ち直るために必要な措置。
生き残った者の心が死なぬよう、今日を明日を生かすための浄化の場。
「今だから想像できるけど、身近な人が死んだ時に祈れない、祈るための場所すらないのってかなり辛いでしょ? 埋める体が残ってなくても、棺に納める遺品すらなかったとしても。『その人のためのお墓』があって祈れることは、多分誰かの救いになるのよ」
「本当にそこまで考えて? 今の魔王様って元は魔人族と同じでもないのに?」
「だと思うわよ? 祈れもしないなら最悪自分を責めちゃうし、そんな魔人があふれ返ったら<迷宮>の治安も大変だもの。もちろんティア姫様からお願いしたかもしれないし、グラン様とか周囲からかもしれないけれど。それならそれですぐに理解して実行に移れる、情と計算を併せ持った方になるわね。魔王様は」
それは戦争と悲劇が続く彼の世界で連綿と紡がれ、重ねられた歴史と知恵とが導いた答えだ。
死者に眠りを、生きている者に今日の糧と明日への一歩を、同時に与える<魔王>の配慮。
「────────」
テオとしては言葉もない。
「そうなんだ」
<迷宮>を支える深謀遠慮を見た心地がして天を仰ぎ、件の魔王が造った太陽に目を細める。
次いで閉じた空間に春の風が吹き、髪と額とを撫で上げると、彼方で鳴いた家畜の声が耳に届いた。
沈黙に意識を浮かべること数秒。
傍らの少女から発された情報を処理しきれず、やがて言の葉が吐息に乗った。
「けどそうすると。そこまで考えてる魔王様の下にいる僕たちって、結局どうすればいいんだろう?」
「このばかテオ。絶対に言うと思ってたわ」
嘆息したアリサが疑問を掴み、よいしょ、と姿勢を正して向き直る。
「何だかひどくない?」
「アンタのことなんかお見通しよ。悔しかったら賢くなること。私以外にバカにされるようじゃあダメなんだから。いいわね?」
その表情は小川の輝きを横顔に浴び、口調ほどには険しくもなく。
気のせいでなければにこやかに、テオのことを見詰めていた。
「それで、結局どうすればいいかだったわね。そんなの簡単よ」
「本当?」
自身の頭では悩ましい問いに即答され、疑惑と困惑の目を向ける少年。
「当ったり前でしょ。ここまで言ったら答えなんて一つじゃない。…………教えて欲しい?」
「教えて欲しい」
「ふっふーん。じゃあ教えてあげるわ!」
返ってきた誘惑に、一も二もなく頷く。
受けた少女は手の平を胸に、得意げになって口を開いた。
「────────ズバリっ! 考えなくていいの!!」
静まり返った2人の頭上を、<森>からやって来て囀る鳥が過ぎて行く。
天から地へと視線を引けば、小川の上に羽虫が飛び、跳ねた魚に食われて消えた。
「へ?」
刹那だけ上がる飛沫の落ちるまでを見届け、たっぷりと余韻させてから振り向く。
自信満々に言い切った顔は変わることなく、満面にいっぱいの陽射しを受け、紫髪の輪郭を際立たせていた。
「その…………アリサ…………?」
「なによ。ここは私を讃える場面でしょ?」
「それって解決になってないんじゃ」
「テオは何をいってるの? 解決すべき問題がないから当然じゃない」
「ええ!?」
「だーかーらー」
溜めを作って立ち上がり、少女が再び逆光を浴びると、陰の中に咲かせた笑みで彼を見下ろす。
そこに一切の躊躇はなく。
彼女は高らかに断言した。
「<魔王>ハルキ様の下なら、なーんにも心配いらないってこと!」
草と土の覆う野に、小川を越えて畦道を渡り、畝を踏んで森へ抜ける宣言がされる。
「だってそうでしょ? 上が考えてくれる分には助かるし、それこそ問題は解決されるわ」
「それは他力本願っていうんじゃ」
「ティア姫様を立たせてる時点で何いってるのよ。姫様の歳、私たちとほぼ同じなのよ?」
「あ」
ぽん、と。
手を打ちそうなほど見事な納得の間を挟み、少年を前にした解説は続く。
「ソーロン様が亡くなった時点でどうしようもなかったんだし、あの方でどうにもならないようなら魔人は終わりっ! 住む部屋も服も水も食糧も道具も安全も、武器も戦力も何もかも全部頼りっぱなしで、他にどうにかなるわけないでしょ? 別に生産に関わっていたって、私たちは自分で用意してないんだから。<魔王>が討たれれば追い込まれるのは<魔族>共通、2回も続けば崖っぷちまで追い込まれたのが、追い落とされるに変わるだけよ」
捲し立てられる内容に、テオは圧倒されるばかり。
言われてみれば疑問を挟む余地もなく、むしろどうして抱いたのかと思うほどだ。
────────その原因は相手の話の運びにあったが、少年が気付くことはない。
「考えても無駄無駄。それで作業が遅れたり、不安や不満を解消したくて暴動とか、私でなくても対策打って潰すからね? そういう不平とか雰囲気とか、巻き込まれないよう気を付けること。今の<迷宮>の暮らしなら無いと思うけど、上の事情も分からないし、バカなやつは考えるより寝てればいいの。私くらいなら違うけどね!」
ふふん、と鼻息も荒く背を反らし、ブラウスの下の胸を張る少女。
日光に映える純白の中、ボタンの列を飾るフリルがそよ風に揺れ、紫の髪がそれに続く。
「だからアンタは毎日頑張って働くこと! 考えることは私が考えてあげるから、とにかく仕事を覚えなさい。レーゼに戻れたらお金だってまた付き物だし、コア様たちも向こうから教えてくださる以上、少しでも技術を吸収するのよ。私たちは第一陣だし、その成果が後々他の魔人にも響くんだからね? 頑張れば結果が良くなるし、そうでなければ悪くなるって心得ること!」
仁王立ちした足の下、丸い革靴が草を擦れば慣れた香水の匂いに混じり、緑の香がテオに届いた。
「そんなに単純でいいのかなぁ」
「こんなに単純で別にいいのよ。魔王様もティア姫様も、それでいいように頑張ってくれてるんだから。私たちがそうしなくってどうするの?」
「何だかだまされてる気がする」
「はいはい。テオが騙されてるかどうか、判るくらい賢くなるのを期待してるわ。…………嘘じゃないんだからね」
何となく自分も立ち上がり、テオがアリサと向き合う。
といっても相手の顔はそっぽを向き、もじもじと指を操る体のみとの対峙だったが。
少女の方は瞳だけをちらちらと寄越し、探るようにして次第に表情を見せてくる。
そして。
『はいはーい! 休憩終了まであと10分でーす! 各自トイレは早目に済ませておくよーぉに! 飼育場で大をした日にゃ二重に豚のエサなんで、命と名誉が惜しいなら事前に申告すること! 先生怒りませんからねー。聞こえてますか野郎共ー? オッス!』
「「「「「オッス!」」」」」
瞬間に聞こえてくる小悪魔の大声。
解散時と異なり散った全員に伝えるため、<拡声器>を用いた掛け声が疾風の如く抜ける。
「も、もうそんな時間?」
「ちょっと、私まだお昼に手をつけてもいないんだけど!? いけない、つい喋りすぎたわ!」
慌てると揃って座り直し、隣り合ってお互い昼食に取り掛かる2人。
集中のあまり完全に時間を失念していた。
<迷宮>の通路や室内なら<時計>も存在するが、個人の配給品にはない。
太陽と異なる規則の生活には慣れても、秒や分単位の感覚まではそうそう身に着くものでなかった。
ティアなどは魔王に合わせるための腕時計までもらっているが、彼女の場合は別である。
「は、早く食べようよ!」
「分かってるわよ。こっちはもうちょっと時間あるけど、その分<小悪魔の部屋>まで戻るんだから! ああもうテオっ、これとこれ上げる! 後で感想を聞かせなさいよね!」
「ちょ、ちょっとアリサ!?」
『はーいそこのお2人さーん! 時間までは許しますけど一秒でも過ぎて交尾ってたらワタシが収穫に行きますんで、せいぜい覚悟してくださいねー? お前ら晒し者にしてやろうかー! あと食材にはきちんと感謝して食べてください!』
「「えええぇぇ!?」」
聞こえる方向と内容でほとんど名指しされ、頓狂な声を上げる男女。
驚きのハモりは果たしてペアかカップルか。
『アベーック!』と叫ぶ小悪魔だが、指摘に関しては流石に緑の<食糧>らしい。
「「い、いただきます!」」
手を合わせ、拝み、それぞれの消化を始める2人。
農場の一部では他の魔人が遠くからその様子を瞳に、仕様もないといった風に見物していた。
犬も食わぬ喧嘩を好む悪食でもなく、彼方に駆ける一角馬に蹴られるつもりもないのか。
傾きを強めた陽射しの下で、テオとアリサは競うように弁当を片付ける。
「ん、ぐ……!?」
「ああもう急いで食べるからっ。ほら飲みなさい! 背中叩かなくて大丈夫?」
その最中にも、微笑ましい光景はあったが。
「アリサ、もう行った方がいいよ。それとありがとう、オカズおいしかった」
「分かってる。それにそうやってきちんとか、感謝すればいいの! 香水、ちゃんと使って会いに来なさいよね!」
「────うんっ!」
かくて男女の出会いと別れ、交流の時は保証され。
<迷宮の魔王>ハルキが築き、手がけるダンジョン。
<迷宮>は今日も平和であり────────平和に保たれ、変わることなく守られていた。
1人の魔王の手によって。
毎度ギリギリか遅れた更新で申し訳ありません。
今回はキャラの性格と状況上、セリフの多いパターンとなりました。
一応ここで切ることも可能ですが、詰められなかったネタが幾らかありますので、最終的に外伝の1と同じ構成になりそうです。
そちらも終われば一区切りでしょうか。予定ではおおよそ一週間から10日以内に。
外伝の趣旨が最低限読者の皆様に想像の土台を提供させていただく「つなぎ」のパートですので、残りは<食糧>以外の生産現場とティア視点での行政処理、眷属周りくらいでしょうか。
以下捕捉ですので、ご興味のある方だけ。
本作の主人公は特に頭がいい設定ではないので、先にお詫び申し上げます。
「外伝の1」の後編ラストで、青コアの言っていた伏線を回収しました。
本来ここに入れる予定はありませんでしたが、前回の感想などでご意見をいただきましたので、折角ならと追加した次第です。
現状ワードだけ散りばめていますが、迷宮を「生活空間」にする上で、ハルキ君も色々と。
魔人は王政貴族政を敷いていないので、姫のティアでも普通の魔人の場合でも、等しく姓名があります。
代わりに長ったらしいバージョンはないイメージ。
空気を読まずに自称する輩はいるかもしれません。
原因は記述しませんが、ティアなどがそうであるように、プレイヤーも使う<魔人>といいますか<魔族>のメンタルは、一定割合でリアルの我々に近いです。
レーゼの町侵攻で焼くという表現が度々出ますが、王国側が後で使う拠点を無駄に破壊したのではなく、この世界だと攻防に魔法が使われるので、必然火が点いたり凍ったりが出てくる感じですね。
意図的な破壊も勿論ありますが。
それでは、今回もお付き合いいただき、ありがとうございました。
次回もお読みいただけましたら幸いであります。
※00時に予約掲載分が実行されましたが、2分後に細かい修正をしたバージョンで更新しました。念のため。




