最終話 我らダンジョン侵略者!
炸裂した炎に、焦がされた悲鳴が空に上った。
「ぎゃああああ!?」
場所は<魔王の森>の外、木陰と森の緑を望み、厚く敷かれた野営陣。
その内部。
平原に組まれた木の柵が弾け、天幕が裂け、群がった兵士が天に舞う。
「ほらほらどうした王国軍! 勇者みたいに気合を見せろ!」
中心における嵐となるのは、完全武装の<魔王>ハルキ。
漆黒の鎧と兜を身に着け、三日月の大鎌を手に、黒の瞳が戦場を切る。
迷宮から遠い太陽の下、敵の陣地に躍り出た闇が、暴食を以て辺りを薙いだ。
「人の家まで攻めて来たんだ、それなりの覚悟はあるんだろう? 迷宮に下らない陰謀を持ち込みやがって。受けた借りは返させてもらうぞ!」
「くっ、くそ……! 撃て! 撃ち殺せえぇぇぇ!」
威圧を乗せて放たれる、<魔王>からの確たる怒声。
勇者と魔王の謀殺を図った敵の計略、『攻略』足らぬやり口が、迷宮の王の意志を煽った。
「総員抜剣! 放てぃ!」
対して、日もある内に仕掛けられた襲撃の対象。
ヴァラハール王国が騎士団の一つ、迷宮攻略を任じられた兵たちは、必死の抵抗を試みている。
彼方から現れ、捕捉した時には防御と監視を切り裂いた魔王。
彼らが初めて相手取るその本気を前に、囲んだ者が刃を抜いた。
「《オーラスラッシュ》!」
「《ブレイジングブレイド》!」
「《ランス・ストローク》!」
「《スプラッシュ・シュート》!」
《連携》し《同調》し、《集団化》された命の煌き。
装備も様々に切先から走る生命技能、意地と誇りと鍛錬の成果。
数十人から一斉に放たれた輝きは、虚空を翔けて美しく光るも────────勇者のそれより、あまりに脆い。
「温い! 弱いッ! オレを殺るには、数が500は足りないなあっ!」
言った魔王は死の鎌を振り上げ、周囲の大地を円状に抉った。
「《トルネード・カラミティ》!」
叫んだ声に続く轟音。
斬られた地から業火の如く闇が立ち、渦を巻いて陽を遮った。
地表を砕き、土砂を巻き上げ、噴く暗黒がハルキを覆う。
「なっ!?」
直後に着弾する攻撃の雨。
王国側の撃った光が漆黒の壁に巻き込まれ、残らず弾かれ、呑み込まれる。
一帯を揺らす彼らと同様、そして異質の魔王の技。
次第に散り行くその跡に、徐々にハルキの姿が覗く。
「高く積まれし糞山の王 貶められし威光の主 御身の僕を我が影に」
相殺。
いや明らかに押し負けた結果に、誰もが知らず身震いする。
「湧いて形成せ死病の軍勢 嗚呼、諸人に呪あれ 蔓延れ黒死と闇の霧よ」
そこで具現した魔法の効果が、残らず彼らに襲い掛かった。
「“五月蝿の葬列”」
「ひぃっ!」
その一部、魔王の背後に立つ者が気付いた、光景の変化。
ハルキの身に着ける鎧の下、その漆黒に繋がる影が沸騰する。
ボコボコと膨れ、浮かび上がる粘着の気泡。
光のもたらす闇の澱は、注がれた魔力に瞬時に液化と気化を経て、おぞましい呪の霧となった。
「ハ、ハエ……?」
現れたのは、一匹一匹は指先ほどの、複眼までが黒い蝿。
だが変化した魔王の影、闇を通じた彼方の底から召喚されるその数は、果たして千か、それとも万か。
虚空に湧いて渦を巻く黒雲。
顕現を終えた蝿の群が、羽音と共に飛来する。
「な、なんだ、ただの虫ケ────」
大気を引き裂く鈎爪と顎に取り付かれた、最も間近にいた兵士。
言うより早く覆われた体が、蠢く黒の彫像と化した。
「ああ、あああっ、あああ゛あ゛あ゛っ! 熱い゛!? い゛だいぃ!? かゆいい゛い゛ぃぃぃぃぃ!?!?」
膝をつき、すぐには外せぬ鎧の内を、掻き毟るように触れる彼。
その指先すら爪が覗くこともなく、犇き這いずる蝿の霧に、一片の隙なく全身が閉じる。
漆黒の視界、それでも気配で仲間へ寄った兵士から、全員が思わず距離を取った。
しかし。
「や、やめっ」
「来るな……来るな!」
「魔法隊、何をしてる! 焼き払────」
圧倒的な不快感と、呪を与える死病の葬列。
拡散を始めた黒色の霧が、あっという間に全軍を襲った。
「ええい逃げるな! 撤退の命まで戦わんか!」
恐慌に驚き、次々に食われ、いっせいに逃げ散る兵士たち。
指揮する者が必死に叱咤し激励するも、頼りの勇者が現れず、魔王がこうしている以上、絶望するには十分だ。
己が国の謀略を、前線にいる彼らは知らない。
「こっちに関しちゃ本当に脆いな」
勇者と対比して呟く魔王は混乱を目に、決着をつける手をとった。
「それは儚き無貌の夢 久遠に静けき闇の水面 原始原初の泡沫よ」
瞬間。
混沌たる灰の空間が、魔王を中心に拡大を始める。
「醒める混沌 覚醒の時 無限の調べはいま終わる」
放たれた異界の波動に触れ、色を失って枯れていく陣地。
吹き飛んだ草、支柱の折れて崩れた天幕、数多の兵と防備の柵。
風の日の雲の影のように、大地を滑る光景の変化が、世界を淡く塗り潰した。
「とっ、止めろ! 誰でもいいから、魔王を止めろぉおぉおぉおぉおおおっ!」
「星辰の揃う時は来た 暮れて泥む微睡の刻限 正邪、陰陽、万象万物、ものみな此処に終焉す」
誰かが必死に命じるも、応じる余裕は誰にもない。
駆ける者に固まる者、誰をも無差別に色の褪せた混濁が包み、そして闇へと引き摺っていく。
「おのれ! おのれ……! 勇者めとんだ役立たずが! 魔王一人を弱らせることも出来んのか…………!」
どこかから聞こえる悪罵の声。
それを耳に、あまりの勝手に溜息を吐き、魔王は最後の詠唱を連ねた。
「さあ 無垢なる白痴を解き放とう」
視界の色は灰から全てを失った白、そして全てを飲み込む闇へ。
何者も逃さぬ深遠が開き、絶望と共に暗く這い寄る。
「くそっ! このっ、化も─────」
「“原初の混沌”ッ!」
瞬間、爆縮する魔力と軋む空間。
暗黒のもたらす絶大な圧力に視界が弾け、最も神聖なる邪性が、事象と概念を貪った。
色を失くした中空に、掠れて瞬く気泡と触手、その欠片。
極大の存在規模に負け、崩壊してゆく世界と常理。
貪られる光が分解の中で炸裂し、閃光が眩く祝福を生む。
「…………悪夢だ。これは、悪い夢だ」
誰かが言った直後に落ちた、窮極による大災害。
千人を数えた王国軍の派遣団は、この日、あえなく壊滅した。
「これで力は見せ付けた。後のことは連中次第だ。完全に撤退するならよし、これでも領土を諦めなければ────」
渦巻く破壊にただ一人、誰にともなく呟くハルキ。
風に乗りて歩んだ彼の言の葉は、やがて彼方に溶けていく。
その先にあるのは戦いか、あるいは。
近い予感を胸に秘め、<迷宮の魔王>は己がダンジョンへと引き上げた。
「えー、あー。テステス。あー、あー。ただいま発声のテスト中」
抜けるほど深い蒼穹の下、風吹く平原に声が通る。
「まおーさまーっ! 落ちついてー!」
「あー、コレルは黙ってるように。分かってるから」
空には輝く太陽とたなびく雲、地には快い風の音と、吹き抜けていく気流の感触。
涼風がそよいで頬を撫で、髪を一房、摘み上げては弄るのに飽き、去っていく。
「えっと。聞こえているとは思うけど、できれば改めて聞いて欲しい」
迷宮でも<魔王の森>の広場でもなく、その付近でもない何処かで。
<迷宮の魔王>であるハルキの声が、遠く風に運ばれていった。
「今日、オレたちはオレの………まあ自画自賛のようだけど、オレの造った迷宮を離れてここにいる」
「そんなことはありません魔王様! このデカラビア────」
「座って、いいや、お前は低空でいろ」
拡声器があるわけでもなく、大鎌さえ持った完全武装の身振り手振りで語る彼の前には、数百の聴衆と、同数以上の魔物がいた。
魔人は誰もが手に手に武器や盾を取り、鎧を身につけて立っている。
いずれも<小悪魔の部屋>は<武器屋>、ハルキ自慢の迷宮で生産されたものだ。
「あれから…………えーと迷宮生活が始まって、特に勇者がカチコミかけてきた時から、まあまあ色々あった」
「結局、私はお嬢様の安否も分からず、先代様の仇討ちにも参加できずに終わったのでしたな」
「悪いグラン。それは真剣にゴメン。でも来たら死んでたから許してくれ」
勇者の強襲と王国の巨狼退治が終わり、既に半月が過ぎていた。
降伏した勇者たちの処分は、既に決めた通りに済ませている。
解放の時。
内心複雑と思われたティアが、ハルキを見て微笑んだことに、違和感は残ったが。
事態そのものは、極めて平穏に終始した。
『ハルキ様が殺さないのなら、私も殺しません。ハルキ様が殺さなくてはならない時は、私が代わりに。でなければ共に手を下します。それがハルキ様を《召喚》した、私の責任と願いですから』
後に詳しく聞いた話では、そんなことも考えたらしい。大した肝の入り方だった。
自分に負担をかけないためとはいえ、見た目美少女が誰かを殺す算段をつけていた、というのは中々に驚く。
「さて、と」
そんな回想をしつつ、ハルキは前を向く。
見据える群衆は同時にこちらを見詰めてもいて、少々ばかり息苦しい。
しかしこれからの騒動に比べれば、演説程度は大したことじゃないだろうと、緊張を抜いた魔王が言う。
「────オレたちは。魔族は! 魔人は! これから王国に奪われた町を、全力を挙げて取り戻しにいく!」
魔王の宣言に、眼前の集団からどよめきが起こった。
その漣はやがて立ち消えるものではなく、彼らの中で波及していく。
期待と興奮と、わずかな不安。
感情の比率を輝きに寄せた瞳は、一心に魔王ハルキを見詰め、言葉と指示を待っていた。
「<魔王の森>から一番近いのが、レーゼっていう町なのは聞いた。ここを取り返せば、他に生き残って分断されている魔人たちに、反撃と集合の合図を伝えられるのも」
レーゼの町。
王国軍に押し込まれたティアたち魔人の一派が、最後に失った生活の場。
今は敵が彼らを狩るための部隊を置く、<魔王の森>への橋頭堡だ。
勇者撃退の翌日。
敵の襲撃と被害によって戦略を転換したハルキは、迷宮の復元が済むまでに打って出ることに決め、最初に出会った王国軍を壊滅させた。
「悪いがこっちも一杯一杯なんで、戦いたくない奴は戦わなくていい、とは言わない。予め募集して、ここには希望者しかいはずだしな」
死者は出ていないはずであるものの、物資や陣地を滅茶苦茶に荒らされ、破壊され、投入した兵士の多くが負傷して撤退したのである。
本来は専守防衛を旨とする<迷宮の魔王>だが、流石に勇者すら裏切って利用した王国と、彼女らを差し向けた内部の人間に対し、冗談抜きで自分を殺しにきていることを肌で感じたハルキの、華麗な早業であった。
無事な資源に関しては当然略奪し、迷宮に魔人に還元している。
「オレが1人で行って片付けてもいいけど、下手に大事な物ごと吹き飛ばしたりしたら大変だしな。あと、オレが奪い返したんだからオレが魔王として統治すべき、って押し付けられるのも困る」
やり過ぎたとは思っていない。
土台ハルキがティアたちに協力する限り、王国こそが謀略を用いて先代を殺し、進軍してきた侵略者である。
迷宮においては歓迎すべき、侵入者にすら値しない。
先に仕掛けた側がボロ負けして文句を言えないのは、現実の国家間の競争や、オンラインの陣取りゲームと同じである。
奇しくも王国の方から揺さぶって変えた、彼の意識。
そのため、日々の迷宮で耳にする魔人の願いもあり、ハルキは動いたのだった。
「戦力は出すし手助けもするけど、あそこに住んでた連中が元通りの町と暮らしを取り戻すなら、やっぱり自分でやらないとな。自分たちの帰る場所は、自分たちで勝ち取って欲しい」
迷宮の守護から、迷宮を置いた土地の守護へ。
迷宮に暮らす魔人への庇護から、魔人という種族全体への庇護に。
魔人領という事実上の国土と、一つの種族を構成する全て。
かつて仮想の世界ではなかった本物の殺意と、王国という国家の策略。
この異世界で受けた影響を現実のものとし、拡大し変化した彼の意識に気付く者は────────まだいない。
「だから」
そうして続けられる言葉に、反対の声は上がらなかった。
《召喚》以来、この魔王に頼りきりというのは、この場の誰もが感じている。
その中には、いつか外部から来たこの魔王が、暴君や敵になることを恐れる者もいるが。
それで受けた恩を忘れる愚か者は、この場に存在しなかった。
「だから。まあ気軽にとは言わないけどさ」
そこまで計算して不快に思うでもなく、ただ同じことを考えて顔を曇らせるティアを、何とかしてやりたいと、彼は願って決心する。
「戦いに────────いや、勝ちに行こう!」
物語における悪い魔王なんてものは、大抵、自分の根城と美しい姫があればいいのだ。
魔人の統率はティアの領分、彼が口を出す必要はない。
「迷宮はどれだけ広く作っても、結局は閉鎖された場所だ。大勢の魔人がまとまって生活を続けるには無理があるし、奪われた領土をそのままにして、連中が力をつけて襲ってくるのを、のんびりと待つ義理もない。奪われた故郷がそのままでいいヤツもいないだろう」
最近は魔人からも会話のついでに相談や頼りにされることも増えてきたし、現実になってしまったゲームの世界と、この世界で本物の魔王になった自身を踏まえ、やはり少しは外に出た暮らしと、そこでの笑顔を見たいと思う。
己の召喚者もそれを望み、優しい彼女はその時にはきっと、よりよい笑顔を見せてくれることだろうから。
「オレとしても、迷宮を壊すような場外戦術の余地は、もう絶対に許さない」
何より現状、最大の理由として。
こと迷宮に関する限り、<迷宮の魔王>は売られた侵略は買う方だった。
「だから。今度は逆に、オレたちが連中を攻略してやろう」
あるいは本当に、<魔王>が板についてきたのか。
「戦力を整えて。装備を作って、道具を持って。魔物を揃えて反撃だ」
小悪魔などは徹夜稼動を続けており、ひいひい悲鳴を上げながら、例のブラックジョーク・キャンディを舐めている。
<邪悪の樹>は変わらず魔を孕み、闇の仔を今も産み落としていた。
「迷宮を攻略されるんじゃなく────────迷宮で連中を攻略してやる」
そこで一度、言葉を切って聴衆を眺める。
しん、と。吹く風も止んだ静寂が、しばし辺りを覆った。
ただそれは、魔人たちが、彼の言葉を解するまでの間に過ぎず。
「やりましょう」
顔を上げた彼らの姫。
ティアが視線を真っ直ぐにハルキと、そして周囲へ告げた。
「これ以上、ハル……魔王様の力を借りるのは、心苦しいですけど。それでも、やりましょう。皆が安心して暮らしていた場所を取り戻して、そして取り返したものを、守っていけるように。私たちの手で。私たちも、戦うんです!」
本当は事前の打ち合わせ通りの、魔人の行く末を握る問題として、代表者で話して決めた流れ。
しかしセリフの一字一句はこの場で彼女が心から思った、協議の時もそして今も、ハルキを召喚した日から、嘘偽りない自身の言葉だ。
本当の意味で魔人の集団を率いる少女の、小さく、覚悟を負った背中へ賛同が続く。
「やりましょう!」
「我々の町を取り戻しに!」
「魔人の未来のために!」
「人間に反撃を!」
「万歳! ティア姫様万歳!」
「魔王様万歳!」
魔人というのも人間に似て現金なのか、彼女のカリスマが高いのか。
動き出した民衆の中、あっという間に輪の中心に置かれたティアに笑みを浮かべ、ハルキがさっと手を上げる。
拳を握って集めた視線を顔に寄せ、湧き上がる戦意を誘うように、あえて静かに口にした。
「オーケー。それじゃあ、始めよう」
彼方にあるレーゼの町。
まさか魔王と魔人の方から攻めてくるとは思ってもいない、無防備な拠点を指で差し、大鎌を振るう。
虚空を裂いた刃は回転を経て肩に担がれ、主の口を刀身に映した。
鋭く。そして愉快そうな笑みの形を。
「オレは<迷宮の魔王>だからな。一応ここで宣言しておく。目標としては皆のためでも、魔人の安全な暮らしのためでも、オレにとってはこっちの方が分かりやすい」
それは<魔王>たる彼が、胸にただ一つ掲げる矜持。
「迷宮……だと語呂が悪いから、妥協してダンジョンだな。よし。これからオレたちが行うのは、ダンジョンの、ダンジョンによる、ダンジョンのための攻略だ」
言葉の遊びには、それでも確かに意志を燃やす効果がある。
「どうせあの手の連中は、自分のことを棚に上げて言うだろうから、いっそこっちで先に決めよう。どのみち戦争になったら善も悪も関係ないんだ。悪役っぽく名乗るくらいで丁度いい」
皮肉げに歪めた唇を挑発的に見せ、この世界に来て始まった、新たな魔王の名乗りを上げる。
魔物を造り、食糧を生み出し、道具を揃え、武器を鍛え。
そしてそれらを与えた魔人を率いる、この異世界での王としての。
「オレたちは侵略者だ! ダンジョンを使って王国に戦争を仕掛ける、売られた喧嘩を買った侵略者!」
突き上げた拳は高く、天の太陽を衝いて唸りを上げた。
「やる気のあるヤツはこの魔王に続けっ! |我ら────────ダンジョン侵略者なり!」
雄叫びが風を押し退け、草を揺らし、雲を見上げる視界を揺らした。
吹き上がる新たな魔王と魔人の産声は、空の彼方にまで響き、遥か大陸を描く地図に、一つの勢力の新生を告げる。
「さあっ! 行くぞぉ!」
「「「「「うおおぉぉぉぉーーーっっっ!!」」」」」
魔王が往く。魔人が続く。魔物が追う。
走り出すハルキの横には執事に手を引かれた姫が懸命に駆け、魔王の背には、2人の眷属が従った。
魔王を1人、眷属が2人、数百の魔人と、魔物を率いた魔軍の進撃。
迷宮に住まう魔人が団結し、<邪悪の樹>の産んだ魔物が咆哮し、小悪魔の作った武器が矛先を並べ、全てを支配する<迷宮の魔王>が反撃を告げる。
闇と呼ばれる者達の、あまりにも光に満ちた幕開け。
王国の歴史と版図と、幾つもの常識を書き換える彼らのダンジョン侵略が────────今、空の下で始まった。
それから魔人が勝利するまで。
王国にとっての時間は、地獄のように流れた。
「我らの町を取り戻せえぇぇぇっ!」
「魔族共を近寄らせるな!」
平穏を焼いた喧騒が広がる。
石垣に築かれた安寧が、脆くも崩れ去る。
巡らされた防備が、押し寄せる魔人の津波に削られ、怒号と矢玉が頭上を飛び交う。
「ぎゃあああぁっ!?」
「押せ押せ押せええぇぇーーーっっ!!」
何百と唱えた土の魔法で土塁を作り、石材を重ねて防壁としたレーゼの町。
上空から見た門は2つ、王国側に通じる右と、魔王の森を向いた左。
その片方、左から押し込まれた兵士が必死に前線を固め、並べられた盾や鎧に、魔物と魔人が突撃していた。
魔王ハルキの号した侵略宣言の後。
彼が率いた軍勢を前に、今や鉄門の一つは破れ、王国軍は押されている。
「グォォォオオオオオオンンッッ!」
「カッカカカカカ!」
迫る行軍の上げる粉塵を櫓から認め、俄かに色めき立った兵が鐘を鳴らし、ラッパを吹いて迎撃の態勢へ移ってから少し。
接触を前に飛来した黒線、魔王の放った高威力の魔法が門扉を砕き、魔物の群が食いついた。
成長したスケルトンが中心の、オルトロスやミノタウロスとの混成部隊。
<迷宮の魔王>に作り出された異形の兵士、国の精兵に並んで超える化物たちが、こぞって武器を叩き付け、あるいは噛み付き、爪で引き裂く。
「ぐあぁあぁぁぁ!?」
落とされた戦斧が兵士を構えた盾ごと潰し、突いた槍衾が鮮血に濡れ、跳躍した影が戦陣に潜って食い散らかす。
意思を持たぬ身でありながら、人外の怪異はそれぞれの形で武具を振るった。
鍛鉄に鋼鉄にダマスカス、果ては霊銀や金剛素材の刃たち。
手に持たれ、牙にはめられ、爪に装着された武具が、次々と浴びる血に光る。
「ヴモォォオオオ!」
「何としても食い止めろ!」
「今だっ! 突き崩せえぇ!」
「させるなっ! 押せ押せ押せーーーっ!」
牛頭の巨人の突進が、数人の重戦士を蹴散らして止まった。
指揮官の叫びで新たな盾が前線に連なり、魔物の勢いが止まると、その背後から現れた魔人が槍を突き、剣で斬り、魔法による火力で被害を広げる。
防壁の上、高台からの射撃にはクリアゴーストが《透明化》で仕掛け、跳ね回るケルベロスが、ブレスを吹き付けて無力化していった。
時たま当たる矢に魔法も、大きな戦果は上げられない。
弓兵の眼下、大通りを塞ぐ自軍に攻め寄せる魔人は、彼らの王から守護を得ていた。
「人間如きの攻撃に怯むな! 魔王様の加護に応える意気を見せるぞ!」
魔物たちの武器にも増して配備された、盾や兜、鎧などの身を守る防具。
複数の腕を持つ者のために篭手や肩当を増やし、第三の瞳を持つ者のために穴を空け、1人1人に合わせて小悪魔の鍛えた装備品が、陽光を浴びて照り映える。
板金の輝きが、盾の凸面が降り注ぐ射撃の尽くを弾き、防ぎ、無効化して負傷を減らしていた。
魔王ハルキが出会って以来、魔人の物としては見ることのなかった、装具の数々。
装着された兜の額や盾の表面、鎧の内では刻み込まれた勝利の刻印が発光し、敵の血を得て強度を上げる。
交わされる刃は先陣を務める魔物が受け、前線が疲弊するのに合わせて魔人が進攻、固めた防御で受ける被害を最小限に、王国の兵力をすり減らしていく。
魔物と違って代えの利かない民の命、死者を悼む姫に配慮した采配が、敵を終始翻弄していた。
「魔人どもめっ! 薄汚い魔族が人間の真似を!」
「負傷者は一旦下がって治療しろ!」
あまつさえ戦場の呼吸に合わせて兵を下げ、《錬金術》による<霊薬>で回復まで行う。
頭から浴びせられ、あるいは経口で臓腑に染みる治癒の雫。
王国ですら揃えていない<上級薬>が湯水の如く消費され、回復をした後陣が、位置を替わって攻め立てた。
「こいつら、一体どうやって……!?」
守勢に徹する敵兵が呻く。
彼らが目にしたのは過去の例、そして魔族の歴史からすれば、驚嘆するしかない行動だ。
原始的ながらも戦術に則り、武装を纏って道具を用いるその姿は、人間と何ら変わらない。
本来あり得ない光景だった。
「うおぉぉぉーーー!」
かつて。
大陸の動乱期に中央から叩き出され、より細かい単位で各地に散った魔族たちは、勝者である人類ほどの設備や技術、人口に加えて資源を持たない。
一方で疲弊した人類の方は、覇権と共に大陸中央の山脈を手に入れた。
そして豊富な鉱物資源から農具に武器に、様々な品の性能と生産性を向上させ、各国内を一気に富ませて人口を増やし、交流と交易で国力を上げて今に至る。
各種生産体制の発展と、技術開発による総合的な戦力強化は、仮に戦時を挟むにせよ、いずれも一定の人口と安全、それに資源が必須だ。
まして魔人は人間より個体差が大きく、鋳型など、共通規格で大量生産が行えない。
ハルキの知らない歴史において、魔人が人に追われた理由。
数で劣り、武器で負ければ質で勝っても限界がある。
軍事力という点で、魔族が人類に及ばぬ一因だった。
「チクショウ、どんな手品だ! 今までこんなことなかったのに、武器や道具が湧いて出たっていうのかよ!?」
「うわああぁぁぁぁぁ!」
────────それを、たった1人の魔王が覆した。
王国の兵も、そして一時は<魔王の間>に踏み込んだ勇者も、未だ知らない。
広大にして深淵な、要塞ともいうべき迷宮の中、安全の下に確保された体制を。
人的資源と切り離され、消耗前提で次々に生まれるモンスター。
システムに沿って製造される装備や道具、食糧の効果と、それらを消費して放出し、循環させる経営と経済。
魔王と魔物の住む迷宮の戦力ではなく、それを支える、より広範なダンジョンとしての恐ろしさを。
<迷宮の魔王>と迷宮の、本当の意味での特異性。
個体でありながら軍勢を生み出し、強化し拡大する王の能力。
『ダンジョンを以て敵を攻略する』と宣言した、ハルキの言葉に嘘はない。
依頼を受けただけの勇者、それも騙された被害者ならともかく、明確に自身を殺しに来た王国とその戦力は、今や確実な彼の敵だ。
直接手を汚すというなら、まだそれなりに抵抗はある。
しかし間接的になら。
魔物や魔人を介した戦闘、あくまで魔人に対する支援で、戦争という環境によるなら。
元々掲げてない不殺を、自衛を捨てて徹底するほど、彼は聖人ではなかった。
ましてこの異世界で。
現実の魔王となった彼は、本人も知らぬまま徐々に、近しい存在に惹かれている。
人よりも魔に。悪逆なる<人間>から、むしろ善良なる<魔人>に。
そんな魔王の支援を受けた魔人たちの脅威度は、既に旧来より上だ。
成人した魔人は、並の人間兵より強い。
そんな彼らが同等の装備や道具をその手に入れた時、両者の力の差がどうなるか。
「姫様に栄光を! 魔王様に勝利を!」
答えは、戦場における彼らの武勇で示されていた。
人間に追われていた時とは違い、今や美味で豊富な食糧の供給があり、安全な休息の時間がある。
各自の体に合わせた装備が支給され、効果を高めるルーンが漏れなく刻印されている。
多量の道具と錬金術の産物が備えられ、負傷を魔物が引き受ける。
奪われた町を取り戻す大義と得られる戦果、姫への忠誠、魔王への感謝によって、戦意も限りなく高い。
最早、負ける道理はなかった。
「魔人の勝利のために! 魔人の未来のために!」
「我らの町を! 我らの家を!」
幾度目かになる突撃が始まり、ついに破られる拮抗が、決定的な総力の差を生む。
倒れる兵士に減っていく戦力。
削られる陣形に押し込まれる陣地。
かつて同じ行いでこの町を占領した敵からは、怨嗟の声が血に混じった。
「おのれ、魔族どもめ。野蛮な魔人どもめ!」
「王国に栄光あれ……! 魔族どもに呪あれ……っ!」
「くそ! 止むを得ん、ここは放棄する! 撤退の合図を送れーっ!」
己を省みない掠れた呪詛に遅れ、ついに撤退のラッパが吹かれる。
甲高く、弾けるように空気が鳴らされ、命令に兵が翻った。
生き残りが負傷兵を抱えて下がり、わずかな殿を残して魔人の逆、いまだ王国の領土に通じる門を目指して退く。
既に助からない骸を残した者たちは、嵐の如き鎧と鉄靴の響きを後に、狂乱の態で駆け去っていった。
「追う必要はありません! それより負傷者の回収と治療を!」
後方で指揮を執っていた姫が声を張り、言われて血気を下げた魔人が作業に掛かる。
命じられた内容はただの確認に近く、やがてほとんどいない欠員を数え、防壁で囲まれたレーゼの町を、渾身の勝鬨が一杯に満たした。
「「「「「うぉおぉおぉおぉおぉおぉおぉぉぉおおおおおおおおおーーーーーーーーーっっっ!!!」」」」」
腕を振り上げ肩を組み合い、疲れた足で何度も跳ねる魔人たち。
突き上げる拳が天を打つ。故郷を領土を、取り返した歓喜が町に響く。
「やりましたな。お嬢様」
「ええ」
集団の後方では執事の声に応じ、銀色の魔杖を握ったティアが胸を撫でた。
頭には魔王から贈られた品、《指揮》や《鼓舞》の技能付きの羽根兜をかぶり、胸や急所を中心に守る軽鎧を身に着け、赤いフレアースカートを履いている。
万一に備えてと渡された品で、思い出して視線を巡らせた少女の視界に、遠方、建物の上で佇む魔王の姿が映った。
数百の魔人の全てに装備を与え、道具を渡し、戦場を俯瞰しながら数多の魔物を操って助けた、新たにして無欠の彼女らの王。
偶然か、目が合ったらしい彼が手を振る。
ティアの双眸に映り込む漆黒の装備と、同じ色の髪に瞳。
それが今日の勝利によって自分たちの掲げる御旗、王国と人間と、果ては人類そのものとの戦いの先頭になり得ることに、鈍く胸が痛んだ。
「勝ったぞ!」
「勝った!」
「人間に勝った!」
「オレたち魔人の勝利だ!」
だが、それも全ては後のこと。
「さ。お嬢様」
周囲の視線が自身に向けて集うに従い、彼らの姫君、魔王と異なる御輿を自覚する少女は、従者に促されて立つ。
「…………」
己の一言を待ち、水を打ったように静まる辺り。
共に戦い、生き残った一人一人の顔を見渡し、噛み締めた唇を離す。
肩を上げた呼吸を一つ。
「私たちの────────勝利です!」
「「「「「~~~~っっっ!!!」」」」」
宣言に応え、言葉にならない歓喜が轟いた。
咆哮に似た大合唱は朗朗と響いて四方を巡り、彼女らの下へと戻った町に凱旋する。
掴み取った勝利の報せは、抵抗を保つ各地の拠点に続々と運ばれ、灯した戦火は風に乗り、遠からず王国にも届くだろう。
奪われた物を取り返し、追い立てた者を追い返し、確かに手にした自負と希望。
一度は滅びに瀕した魔人の復興は、これより、ここから始まるのだ。
一人の魔王と、そして少女の手によって。
結末は勝利か敗北か、存続か滅亡か。
魔人の姫、ティアリス=ミューリフォーゼの瞳に、額の魔石に、その未来は映らない。
しかし、いずれにせよ。
反撃の狼煙、革命の起こり、歴史の転換点。
新たな魔王、<迷宮の魔王>ハルキ率いる魔人族のレーゼ奪還は、かくて大陸の戦史へ、深く刻まれた。
そしてレーゼの町の陥落と、奇しくも同日。
騎士団の一つを壊滅させられ、頼みの勇者との間にも亀裂が入り、新たな魔王は健在と、進退の窮まるヴァラハール王国。
その領内では、あるお触書が立てられていた。
『王国に現れし新たなる魔王、<迷宮の魔王>の討伐者及び、その迷宮攻略者を募集する。これに成功した者には国王レイモンド=ゲオルギス・ル・ラ・ヴァラハール10世の名において爵位と領地を与え、栄えある王国貴族の一員として迎え、名誉と褒賞を以て遇することを、此処に宣言する。勇気ある者、力持つ者、王国を愛する者、みな彼の地にて戦うべし。王国の平和を脅かす迷宮を攻略し、かの魔王を討伐せよ!』
それもまた、王国側のダンジョン攻略なのだった。
世はグローリア大陸、第二の動乱の時代。
魔族と人類と、国と国と、魔王と英雄との存亡をかけた戦いが────────今、始まろうとしていた。
ここまでお付き合いいただけた、全ての読者の皆様に感謝を。
物語そのものの完結となるかは未定ですが、その辺りを含め、のちほど適当に「後書き」をUP致します。




