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第19話 ヴァナルガンド






現れた影の口は大きく、何よりも(おお)きく、天に届いた伝説を想い起こさせる。

体毛は、全てが薄闇に淡く煌く銀。

極北の凍土を思わせる毛並は荒々しく吹雪き、透徹とした冬の空気と対極に、口から噴く炎が舌先を舐める。

口と顎を長く突き出す顔に並んだ眼球は、縦に六つの二列で十二。

汚濁の浮いた黄の単色で視野を作り、かつて下に連ねた牙である神の腕を食い、終末(ラグナロク)には主神(オーディン)を呑んだ獰猛さを見せる。


「コイツは……!」


フェンリル。

言わずと知れた神話の巨狼、名高き魔獣をモデルに生まれた大魔狼だ。

魔物でありながら80に達するレベルを持ち、食い合わせればドラゴンさえもエサにする、強大なモンスターの一角。

灼熱を吹いて他者の五感を底冷えさせる化物が、そこに厳然と存在していた。


「メルリーウィ! お前はなんてモノを……!」

「言うなよローエイン。我ながら楽しくなってきたところだ」


散開して言い合う二者を足しても、下腹にさえ届かない。


「グゥルルルルル」


咆哮に遠く及ばない唸りで広間が震え、燃える吐息の熱量に、一帯の温度が上昇を始めた。


「くっ!」


魔王側も、即座に臨戦態勢を取る。


(フェンリルだと!? よりにもよってここでコイツを喚ぶバカがあるか……!)


ハルキの内心は冷や汗ものだ。

勇者陣営から離し、魔狼のみをはめ込んだ視界に、最大限の集中を注ぐ。

召喚直後で状況を把握でないのか、口から火を吹き、鼻を鳴らして動かないフェンリル。

だが一度でもその巨躯が跳ねれば、<魔王の間>でさえ檻として狭い。


殺せない相手ではないが、それにしても間違いない強敵。

何せ過去にハルキも使役し、最深階層に配した魔物だ。

頼れるペットが一転、戦力のバランスを覆しかねない要因となれば、文句の一つも言いたくなる。

銀狼の呼吸で炎獄に近づいていく空気に、今日初めて、魔王が本気の焦りを見せた。

そのタイミングで。


「いやあぁぁぁ!?」


勇者と魔王、両陣の戦闘から一度も聞こえなかった声が、悲鳴となって硬直を裂いた。


「なん────っ、ティア!?」


玉座に向けて振り返るハルキの、開いた双眸に飛び込むティア。

出てくるなと、そう言われた彼女はそのことすら忘れ、惑乱の表情で巨狼の足元を見ている。

巨体の影に沈んで散るのは、砕け散った魔石の欠片だ。


「お父様っ! お父様の……っ!」

(しまった!)


続く言葉が、ハルキの脳裏で状況を繋げた。

以前に聞いた話の中にあった、彼女と父に共通の特徴。

前魔王のそれは、娘の瞳と同色の石だったという。

父の形見。

いやそのものとすら言える遺骸の一部を目の前で割られ、加えて実行したのが仇。

侮辱への怒り、絶望や悲しみ、魔王を討った者への恐怖。

どれが限界を超えてもおかしくない。

戦闘の模様を考えれば、これまで耐えたことすら見事だった。


(魔王の召喚石なんて聞こえたせいで!)


反応せずにはいられなかったのだろう。

思い至り、打つ手を考えあぐねた魔王の視界で、影が動く。


「タントラ!?」

「~~~~っ! デカラビア止めろ! 奴だけ撃て!」

「はっ!」


反射で追った魔王の視界を抜けたのは、《隠業》を駆使した暗殺者。

全員の注意が少女に揃った隙の初動。

予期しない存在、戦力にならない者がいる意味を察し、更に魔王の反応から確信を得たタントラが、玉座へ駆ける。


「何かあるな! 悪いが確保させてもらおうっ!」

「“水は流れ、触れ(エッジウォーター)るを断ち切る(・ストリーム)”ッ!」


高水圧の刃をジグザグにかわし、なおもダークエルフが走った。

ティアも鈍った反応で気付くが、遅い。

暗殺者の背後、投げた短刀が熱線の追撃を浴びて弾け、安全を確保した五体が跳ぶ。


「くそっ! 《省略》 “夜森の(シャドウ)────」

「アリスにげて!」

「もらったぞ」


叫ぶ魔王とコレルを尻目に、暗殺者の衣が翻る。

舞い上がった黒衣が、眼下の姫に向けてはためき始めた────────刹那。

その姿が(・・・・)影に食われた(・・・・・・)


「!?」

「ゴフっ。グルフ、ウウゥゥ。グオオウルルルルル……ッ!」


フェンリル。

今の今まで止まっていた怪異の銀狼が、風が吹いた、と感じた時には暗殺者に向かい、彼を(あぎと)に捕らえていた。

《瞬動縮地》。

もう一つの特性(・・・・・・・)と合わせ、災厄の獣をあらゆる者(プレイヤー)に恐れさせた、初手必殺の絶対先制。


「な……、あ……!?」


それが、味方であるはずの男に牙を剥く。

冗談のような光景の転換。

誰も動けない空間の中、沈黙をもたらした魔狼が、自らそれを裂いた。


「ごっ……!? げぶっ、ああっ、あぐぁぁあああ────」

「クルルルゥ」


鮮血が滴り落ちる。

刹那で暗殺者を牙にした巨狼は、焦れるほど緩やかに振り向いた。

呼気に替わって漏れるのは、食らった獲物の断末魔。

噛み合わされた歯の隙間、破れたローブと上半身。

半ばから断たれた暗殺者の胴より血が溢れ、涎と共に口を伝って流れるそれを、美味そうに舐め取るフェンリルが鳴く。

咥えられた暗殺者は腕を痙攣させ、仲間たちへと伸ばしたが、震えるその手は空を掻き、誰にも届かず落とされた。


「ひっ!」

「ああ、あ」

「「「タントラァァアアアッッ!」」」


広間を満たす複数の絶叫。

仲間の声に揺れた体が、(はらわた)の紐を引いて崩れた。


「ちくしょ……!」

「 動 く な あ っ ! 」


身を浮かせた仲間にメルリーウィが叩きつけ、振り向く戦友の怒りを、その表情で凍て付かせる。


「【即死】だ。失血より早く声が途絶えた。…………もう殺られている」

「ウォウルルルゥ」


半分(うえ)は彼らへ。残り(した)は胃の腑へ。

器用に前脚で口を拭ったフェンリルが鳴き、一度、喉がごくりと動いた。

それから首を巡らせ、誰も近寄らないのを見るとつまらなさそうに鼻を鳴らし、顔を下げて残る半身を転がすと、口に含んで噛み潰す。

二度目は丸呑みにせず、まるで獲物を誘うに、音を立てて咀嚼した。

骨の砕ける音に肉のそれが続き、血の塗ったぬめりが、不協和音を奏で立てる。


「ヴッフ、グルッフ」


どこまでも意識に余韻する、嬉しそうな謝肉の調べ。

食われた仲間の最期を視、更なる犠牲を防いだ勇者が、震える聖剣を握り締めた。


「お前の相手は魔王のはずだぞ……!」


己で無駄と知りながら、怒りを搾った非難の声。

仲間を止めるのが精一杯だったか、今は表情を烈火に変え、赤髪を振って歩を詰めた。

魔王には終始向かなかった感情の炎。

憤怒と憎悪を交えた紅蓮が、その総身から噴き上がる。

熱波の如き赫怒を受けたフェンリルが、並ぶ瞳を一斉に歪め、細く鋭く吐息した。


「ひっ、ゃ」

「ティア」


一方では、震える声に呼びかけ。

視線を交える両者を余所に、眷属を戻し、移動の魔法で抜けたハルキが、姫の背後に現れる。

玉座の手前、魔狼の尾からわずかに離れた空白地帯。

暗殺者の噛まれる瞬間を目にし、それを為した化物の後ろで震えていた彼女に、ハルキがそっと手を差し伸べた。

縋りつくように触れた指は、小刻みにひどく揺れている。


「ま、魔王様っ」

「静かに。下手に動くと標的になる」


動揺で呼び名を戻すティアに、魔王が告げる。

フェンリルの先程の一撃は、動いた者への本能的な反応に見えた。

彼にとっては心当たりのある挙動だ。


(本当に召喚だけ(・・)しやがった……!)


ゲームなどでありがちな、こちらから攻撃しなくても、特定条件で積極的(アクティブ)に襲うタイプの魔物。

そのルーチンを利用した、完全な無制御召喚と開放。

周囲の被害を省みず、ただ無差別に破壊をもたらす、オンラインゲーム特有のテロだ。

技能不足や高過ぎるレベルで命令を受けないこともあるが、あるいは【暴走強化(バーサーク)】を付けたか。

勇者たちの反応からそう見えないが、では後者として誰が、何故。


「ルオアァァァ!」


フェンリルが動いた。

四足の屈伸。

獣のバネで跳躍し、銀毛を軌跡に、雷撃と化して食らいつく。

勇者達に突き立ったそれは、クドラクの鎧に食い込むと、強かに振り回して投げた。


「行くぞぉっ!」


その間にアッシェの矢が虚空で分裂、炸裂して顔面を打ち据え、メルリーウィがすれ違い様に銀毛の下の首筋を狙い、セラフィが神官の防護魔法を付与し、ローエインが雷を落とす。

背中から不意を打たれたのでもなく、1人で立ち向かうのでもない、パーティーとして機能した、勇者と続く英雄の反攻。

一人を殺され、向こうから仕掛けられた以上、既に敵対は必至だ。

倒すべき魔王を他所にした彼女らは懸命に、そして堅実に、仇討ちの戦を展開していった。


(今だ!)


その内容は、むしろ堅実に過ぎたが。

目の前で仲間を殺され、【即死】の手段を持つ敵を相手に、やり直しの利かない命で向かう者の危機は、想像に容易い。


「ティア、思い切り掴まってくれ」

「は、はいっ」

「“夜森の影道(シャドウゲート)”!」


短距離の影を繋ぐ魔法を唱え、勇者たちの後方に跳ぶ。

魔王との闘争から逃げ、広間の脱出を図るのでなければ、転移制限も働かない。

内外の遮断による空間の孤立。

遠距離に徹する敵の戦法を禁じないそれは、内側の自由を許す代わり、姫を外にも運べなかった。


「“眷属召喚”」


《召還》した眷族を再召喚して布陣を直すと、ハルキは頼りにする従者へ、王としての命令を告げた。


「コレルはティアの護衛を。絶対に守れ。デカラビアはオレと行くぞ」

「りょうかい! 気をつけてねまおーさまっ!」

「はっ! このデカラビア、どこまでもお供いたします!」


主命を受け、姫君の(そば)に立つ守護者と、主の横に浮く魔法球。


「……すみ、ません」


そこでかけられた声。

戦場を前に、背にした少女に謝罪を送られ、ハルキが振り返る。


「私が…………私がワガママを言ったばかりに、魔王様にご迷惑を」


認めた姿は全身を震わせ、受けた恐怖とそれ以上の罪悪感で、胸に手を遣る姫のもの。

吐息は切れ切れに。

力のない瞳で彼を見詰めるティアは、己の失態、かけた迷惑を一体どうすれば償えるかと、青い顔で凍えている。

まるで歳相応の子供のように。

ハルキも知っている性格と、年齢に対して過ぎた立場に責任感。

細い手足でそれらを背負って耐えながら、弱弱しく立つ少女がいた。


「…………」


ふと過ぎる回想に、《召喚》以降、彼女の見せた姿が浮かぶ。

最初に目にした緊張と、次いで開いた華やかな笑顔。

滅び行く同胞を懸命に導く凛々しさに、時に見せる無垢や可憐さ。

今にして思えば。

自分の過ごしたこの10日は、迷宮に暮らす他者の代表、契約者たる彼女にとっては、どのように映ったのだろうか。

そんな思考を共にして、ハルキは2人の距離を詰めた。


「っ!」

「ティア」


鎧を微かに鳴らし、鎌を握るのと逆の手を上げて。

強く肩を跳ねさせる少女へ、己がそうして欲しいように、相手の名を呼ぶ。




「気にしなくていいって」




ぽん、と。篭手の先を金髪の上に軽く置き。

ただ優しく、彼は彼女に言葉をかけた。


「魔王に囚われのお姫様を救うのは勇者の特権だけど、女の子を守るのは野郎の義務だ。無事でよかったよ。正直、2度目はごめんだけれど」


それから置いた手を除け、肩や肌に触れようとして躊躇ってから、その震えを見て引っ込めた。

後には困ったような顔をして、再び姫から距離を取る。

ティアには思いもしなかった、赦す以前に罪ともしない魔王の心配。

その手も声も姿すら、自然体の、心からの振る舞いだった。


────────そもそもの話。

召喚されたあの日から、魔王ハルキ、異世界人の鷹風 晴樹が彼女に付き合う理由は、大半それである。

己の迷宮を守り抜き、何かを守護して戦い抜く。

それが<迷宮の魔王>の、変わることない本分だ。

加えて決して言葉にしないが。

守るものに気になる誰か、己を慕ってくれる者、共に楽しく過ごせる者、あの温かな団欒があれば、最早ハルキに否やはない。


この戦場を前にして。

彼は常にそうあるように、彼女の前に立っていた。

あの日と変わらぬ力強さに、出会いの時には持たなかった、ほんの少しの気遣いを添えて。


「あっ、あの!」


不意に点けられた感情の()で、赤く照る頬を手で挟むティア。

相手も初心な歳、情報化社会に晒されていない娘となれば、直情な言葉も割合に効く。

どちらに自覚がないとしても。

古今、多くの物語がそうであるように。

美しい少女のため、加えて彼女のはにかむ顔を見られるなら、単純な男はいつの時代も、勇姿の一つは見せるものだ。


「その。────ハルキ様に、ご武運を」

「ありがとう。それじゃ、勝ってくる」


誰に請われたからでもなく。それしかなかったからでもなく。

勝利の女神に祝福され、笑う魔王が進み始めた。


注意(ヘイト)と時間は勇者が勝手に稼いでくれる。最大火力で吹っ飛ばせ」

「了解致しましたぁ!」


応じて離れる眷属を背に、恐れることなく戦場へ迫る。


「ゴアッアアァァァァアアアアアァアァアァアァアァアァアアアアア!!!」

「いい加減、さっさとくたばりやがれぇ!」


神話の化物と勇者。

それもまた一つの構図となる空間では、咆哮と爆発、衝突と流血が入り乱れていた。

体毛の銀を軌跡に光らせる大魔狼は、前後左右と上下までを雷速で駆け抜け、緩急と三次元移動、回避と致死の一撃、衝撃化した咆哮と、ブレスの炎熱で世界を貪り尽くしている。


対する側はエルフが弾幕で牽制し、神官が重ね掛けした補助で耐久を上げ、獣人が矢の雨で飛来の方向を狭めると、隙間を重戦士が塞ぎ、勇者が指示と剣撃に回って汗を飛ばす。

乱れ、しかし艶を帯びた炎髪が虚空に踊り、青の鎧と対比して美しく、白い剣閃を交えて踊る。

筋力より体捌きに感心した魔王が距離を詰めると、巨狼の爪を受けて盾ごと弾かれた勇者が、至近で受身を取って寄った。


「どうした魔王。悪いがお前と戦う余力はなくなったぞ。どのみち勝てはしなかったが、やるなら後にしてくれないか? もしも冥府に番犬がいたら、あれの骨を土産に遊ぶつもりでな。借りられる手なら歓迎するが?」

「協力はしてやる。で、色々と言いたいことはあるけど、どうしてこうなったのか説明してくれ」

「何だ。そんなことか」


珠の汗を浮かせて息を上げ、それでも表情は涼しく、勇者が応じる。


「国というのは思ったより腐っているらしいな。私たちがお前に勝てればそれでよし、勝てないまでも、消耗させれば一網打尽か。浅はかだが、確かに共倒れなら連中は一挙両得だからな。褒美と称して毒杯なんぞは(まつりごと)の常なのだろう。想定の内にはあったのだが」


役目を果たした英雄は不要。

立ち寄った野営地で見せた、彼女らの不審の理由である。


「うわ黒。異せ……ここまできて政治か。英雄の宿命ってやつ?」

「そうらしい」


元々、互いに敵意殺意はあっても憎悪はなく、淡白に言葉を交わす両者。

勇者は仲間のリスクが減れば御の字、ハルキからは怒りに加えて排除が必須の相手だが、殺害に至る動機はない。

魔王の敵は勇者だが、勇者にとっての本当の敵は、魔王亡き後の人間。

大抵の物語の原則だ。


魔王より強い人間は、魔王より恐いのが道理。

超人として恐れられるか、人気のあまり邪魔になるか。

役目を終えた英雄は、いつの時代も毒杯を受ける。

断れば不敬として責められ、飲めば地獄。

それを英雄が受け取るか、この世や国から姿を消すまで執拗に続ける。

勇者や英雄といった偉人の悲劇は、どの世界でも同じらしい。


「長い間依頼だけ受け、取り込まれるのは避けたからな。味方でないのは敵だけさ。ましてお前の先代を討って勇者となり、少し有名になり過ぎた。こんなやり方で仕掛けたのはただの阿呆だろうが。あるいは<光の勇者>がいる教国の細工か、帝国の仕業か貴族の手か。魔王を二体も討たれると、困るのは魔族だけでもない。王の意思ではあるまいが、使い潰してくれたものだ」

「よく知らないが、そんなことで魔王と勇者をまとめて始末か。結局どんな世界でも、人間が一番恐ろしい」


何せ悪魔の兵器や悪魔の知恵、悪魔のようなと呼ばれるものは、全て人間の発想だ。

しかしレベル80、それも能力値が高めのレアモンスターとはいえ、一体だけで魔王と勇者を始末となると、2人にとってはお笑い種。

知恵はあっても戦場を知らず、レベルが遥かに低い者の考えと言える。

実際のところは魔王の実力が想定を超え、両者が瀕死になってからを予定した札が、早期に切られただけだったが。

知る由のないハルキには、愚か以外の感想が出ない。


「生きて帰れたら、色々考えるとしよう。それで、手は?」

「超火力で一撃」

「シンプルだな。予想の中では一番いいぞ。私好みだ」

「だったらこのまま引き付けてくれ。足まで止める必要はない」

「いいだろう!」


頷いた勇者の姿が消える。

状況を察して時間を稼いでいた前線に戻り、崩れた戦列の立て直しにかかった。


「<オハンの盾>よっ!」


声に従い、掲げられた黄金の防具が光を発する。


『アアアアアアアアア!』


甲高い絶叫が響き渡り、金色の盾が変形した。

周囲に巻かれていた四つの角が回転して直立し、前面に生えていた牙が開くと敵側へ伸び、対象へ食らいつく形を取る。

一説では魔剣カラドボルグを防ぎ、絶叫した盾が危機を知らせ、兵を呼んだという防具。

戦陣を構築した仲間に《鼓舞》や《活力》、《連携》などの効果がかけられ、合算で上昇した能力が、更に堅固な守りを叶えた。

本来であれば犠牲覚悟の、強引な撤退戦の切り札。

魔王に対しては頼りないそれも、獣を狩るには十分といえる。


「ガッ! バッハアアアーーーッ!」

「させんぞ! “激流の壁ウォール・ウォーターフォール”!」


遠退く獲物の歯応えに、腹を膨らませた巨狼が劫火を吹く。

だが火炎の波は魔法使いの滝に触れ、爆発を起こして白煙に去った。


「────────そこ!」


立ちこめる蒸気に紛れた銀毛、走り去る獣の引いた尾が、猫耳の射手に捕捉される。


「う~~~っ! にゃーーーあ!」


引き絞った弦に番えた、(しろがね)の破魔矢。

怪異退治に由緒ある素材の一刺しを、半月の形の武器に合わせ、跳び交う化物へと向ける。

切先で白熱するのは生命の煌きで、煙る視界で目立った獲物に跳び掛かるべく、四足を撓めた巨狼の胸を、放たれた矢が貫き去った。


「ギャウアアァァアアアアッ!?」


背までを鏃に撃ち抜かれ、堪らずもんどり打つフェンリル。

離れ際に振り向かせた顔では既に2つ、潰れた瞳が黄色い粘液をこぼし、憎悪と共に滴らせた。

暗殺者の仇と斬られ、叩かれ、焼かれ穿たれ銀毛を濡らす流血も、同じように散っていく。


「“無の混濁(ケイオスフィールド)”」


そこに魔王の放った地形効果・状況変化を初期化する魔法が広がり、漆黒の波動が水滴の霧を取り去った。


「ルアアァァァァッッ!!」


全員が目視で敵の背を見つけ、発見に気付いたフェンリルが、疾走と共にターンする。

爪で地を噛む脚部が跳ね、低くした背が反動を乗せて銀光と化すと、もはや何にも構わぬと顎を開き、暴食の牙を天地に並べた。


「よーしよし、よく見える」

「おい魔王よ。大丈夫なのか?」

「耐久力でも特性でも問題ない……はずだ」


迎え撃つ────────いや、武器を収め、受けて立つ構えでハルキが出た。

予想の反応を聞く暇もない迅雷の接敵は、瞬く間に接触へと近づき、見定めた魔狼が躍動する。

疾走する全肢、捕食者の踵が更なる暴力で足場を砕き、全身を加速に炸裂させた。

体毛の銀が煌きにしか映らない、高速を超えた魔速の突撃。

音を破る跳躍、直線の弾道と化した噛み付き(バイティング)が魔王を襲い、甲高い金属音を経て、牙にかけて持ち上げる。


「お前っ、そんな鎧じゃあ!?」


鉄壁を誇る重戦士が、顔を青褪めさせて叫んだ。

彼の防具は所々が焼けて焦げ、唾液の汚れにベタつかされ、あちこち深く削れている。

低純度ながら、アダマンタイトを含有させた合金の鎧。

それを着込んでようやく無事なクドラクの脳裏に、次の光景が描かれる。

数瞬の後、響く破砕音を立てて口が閉じ、幾つかの牙が噛み合わされた。


「ガァッ、アアァァァァァアアアアアアーーーーーーッッッ!!」


魔王の体が揺れる。

噛んだ獲物を放り投げたフェンリルが、強く天井へ鳴いた。


「悪いが、【即死】と単純な物理は効かないんだ」


そして放られた魔王が空中で笑い、魔狼の喉を苦痛の悲鳴(・・・・・)が突き上げる。

獲物の肉を裂き、容易に骨を断つフェンリルの牙が、暗黒の鎧に圧し折られていた。


「ギャウオォオアアアァァァッッッル!?!?」

「じゃあついでだ。 “血は繋がり(ブラッドカース)て獣を縛る(・レージング)”!」


詠唱に伴い足元から湧き出る鎖の束、怨嗟を溶かした黒血による呪詛封印。

悶える魔狼に手足を這った縛りが絡み、繋がり、増していく太さで以て獣を封じた。

レージング。奇しくもそれは、神話においてフェンリルを縛った最初の鎖。


「ガッア! アア! アァアァアァアァアアア゛ア゛ア゛ア゛!!」

「しっかしヨダレがベタつくなぁ。うちで戦った連中、こんな感触を味わってたのか。《省略》 “奈落の輝斥(アビスコート)” っと」


何事もなかったかのように着地した魔王が、汚れを払って感想を呟く。

魔王ハルキがこの世界に現れたあの日、超高々度から落下してなお、無傷で済ませた神域の武装。

彼がかつて口にした銘を、<(マイナス)の鎧>。

通常の物理ダメージを逆転させて回復に換え、反対に魔法や回復効果のあるアイテム、生命技能や一部装備で無効化され、場合によっては弱点となる高位武具。


各<魔王>職で有名な、初見殺し装備(シリーズ)の一つだ。

防御力自体は高くない、むしろ不要としている凶悪な鎧は、魔王の優勢を覆せなかった、勇者の敗因の一つでもある。

暗殺者を殺した食いつきも、威力があるだけ通せない分の衝撃が返り、牙を圧し折られたのだった。


「まあ」


そして拠点で待ち構えるボスは、【即死】効果では死なない。

ほとんどのゲームで共通している常識が、この異世界でも法則となって彼を護る。

暗殺者を殺したのは一定ダメージで発動する、《終焉の牙(ラグナロクファング)》のスキル効果だ。

魔狼フェンリルが神話の主神を食い殺し、世界の終焉に寄与した伝説の要素。

耐性を下げる《耐性破壊》特性を備え、完全を超えた【絶対耐性】以外の全てに通し得る、致死致命の滅びの牙。


「それでも」


それすら魔王には効果がなく、相性差を知らずに突っ込んできた獣の知能が、光景の結果を分けたのだった。


「これで隙はできたかな? ─────デカラビァアッ!」

「ウォウウゥゥ……ッ!?」


捕食者のプライドまで折られたか、前足で口を押さえたまま、縛られ震えているフェンリル。

そこに駄目押しの《魔眼》から【呪縛】効果を通した魔王が、ついに絶対の隙を作った。




「了ぉぉ解しております魔王様っ! あとはこのデカラビアにお任せ下さい!」




次いで、主からの命を受け、これまで沈黙を保って後方に待機し、天井に張り付いて標的になることより逃れながら、一撃の準備に腐心した眷属。

全ての力を魔法という火力に注ぎ込んだ従者が、殲滅の砲門を声高に開いた。


「サラマンダーよ熱く燃えよ ウンディーネよ水を清めよ シルフよ羽ばたけ ノームよ(ひそ)め」


普段は蹴り足に乗せられるサイズに圧縮した、積層三次(・・・・)元魔法円(・・・・)を球状にする彼の体。

詠唱に伴ってその外皮膜が切れ込みを入れ、複数に解けると、花の開くかの如く、内に秘めた陣と力を開放する。


「我は栄えある七十二の王騎が六十九席 神の指輪 天使の書 小さき鍵よ

 我が五芒の司る諸力の元に 王の帰する門を開け」


現れた五芒星が剥がれるように複製されて上下に離れ、迸る輝光で中央に六芒星(ヘキサグラム)を描く。

それぞれの狭間には紋様が入り乱れて線形を取り込み、零れる輝きすらも記号の形で空間を彩る。

放射された魔力の赤光は、やがて凝集して立体図を囲み、数多の小片となって土星の輪を生んだ。

放つ光輝まで天体の域に達した眷族が、鍵を回すように身を捻ると────────眼前、魔王の間の虚空に、無数の砲身が並べられる。


「偉大なる 強大なる 力強き諸侯 宰相 総統 大王 王子たち

 天より落ち天に昇らんとする者 数多の列記さるる者よ 我らが魔名の高きを以て知らしめん」


生長する枝葉の如く、彼を中心に生まれゆく新たな魔法円。

迷宮の天を彩る綺羅星は増殖し、倍加し、幾つもの光を振り撒いて視界を制圧する。

赤熱し発光して充填を終える魔の砲塔。

漏れる紫電を鎖に構築される砲術陣形。

生まれ行く全ての円陣は、やがて銃身(バレル)に弾をこめて回転し、連環し、撃鉄を起こして標的を定める。


「騎士の喇叭(ラッパ)を吹き鳴らせ 天使の歌を響かせよ 我は三十の軍団を率いてこれに続かん」


伝承に謳われる大悪魔(デカラビア)が、朗々と告げる。

実際には詠唱の《圧縮》と威力を高めるスキル群で待機させた、瞬間の中の高速呪言。


「聞け 我が王はここに見出せり 今こそ勝利の門を開けよ いざ叛逆の徒を滅ぼさん」


宣告が落ちる。

己が主を讃える言霊が完成し、直下、全ての砲門に号令が轟いた。


「“聖王賛歌(ゲート・)(オブ)七十二柱(・ソロモン)”」


────────破滅の砲撃が光を生んだ。

砲身と化した魔法円から煌き、刹那に駆け抜ける光輝(ひかり)光彩(ひかり)光明(ひかり)

直線に曲線に稲妻(ジグザグ)滅茶苦茶(デタラメ)に、72の魔砲が流星の輝きを照射して焼滅を引き連れ、接触して炸裂し、交差して爆裂し、重なる熱と衝撃が増幅されていく。

広間の闇を一薙ぎに断ち切る瑞光の乱舞、閃光が全てを照らし出しては埋め尽くす。

さながら新たな開闢の如く。

降り注ぐ明星が鮮やかに駆け抜け、隙間ない檻に獣を囲った。


「ギャッ────!?」


終末(ラグナロク)に世界を焼いた炎のように、地に落つ光から爆ぜ狂う劫火。

膨れる熱獄が陽炎の揺らぎより早く地を舐め、コンマ数秒反応の遅れた、遅らされたフェンリルを、飛び込む純白の星光が包む。

天から直角で落ちた光条。

打撃された頭部が床に顎を埋め、噛んだ悲鳴が閉ざされると、抵抗に跳ねた四肢が背が、流星の雨に貫かれた。


「グル、ギィィィ……!」


飛び交う砲光の乱打が獣を打ち据えて磔にし、爆ぜる火精と灼熱の乱舞で、その生命を剥いでいく。

獲物を捕らえた砲火は次々に集結を果たし、重なり増大する輝きの内部が紅蓮を超えると、やがて真白い炎の渦巻く災禍と化した。


「────────」


焦げるより早く体毛が赤熱して焼き尽くされ、咆えるための喉が雪崩れ込んだ炎熱に炙られ、炭となって焼け落ちる。

潰されなかった眼球の残りが気泡を浮かべて一斉に膨らみ、沸騰と同時に弾けとぶ。

零れた汚濁の粘液すらが音を立てて蒸発し、輪郭を失った牙が溶け出し、舌が唾液ごと灰になった。


肉が焼けて神経が焦がされ、痙攣する足で必死に立てた爪の先が軟らかく曲がり、滑った巨体が床に倒れ込む。

煮え立つ床の上、焼けた肺から黒煙が漏れ、熱気の交差に巻き込まれると、抵抗もなく千切れて消えた。

肉の焼失で体積を減らしていく姿は、恐怖に縮んだ痩せ犬の如く。

威容もなく。暴威もなく。

もはや形も曖昧に溶け出す大地へ、反抗も出来ずに狼王が伏した。


「なんという……」


退避した全員が障壁と防護を重ね掛け、張り巡らせた水と氷の緩衝材が、片端から溶けるまでの時間。

ハルキの知るゲームより詳細(リアル)で、おぞましく、一滴の容赦もない滅殺が燃える。

魔道を歩むエルフが熱気にくべた言葉は、全員の心情を代弁していた。


「……ッ…………ヵ…………!」


そうして。

燃え尽きた松明といった全形を残し、黒く染まった燃え滓のような何かが転がる。

肉は灰に、脂は臭気に、骨は炭となったそれは、魔物でありながら消滅せずに生きているのが不思議だった。

だが、吹けば崩れる残骸でも形は保たれており、従って止めを刺さなくてはならない。


「じゃ、やるか」


いまだ一帯が燃え、逆転した炎の天幕(カーテン)が彩る余韻に手を入れると、魔王が仕舞っていた武装を取り出す。

語調はあくまで平静で、王国の入れた横槍の始末に、大した感想は抱かない。

後々のケジメは必要だろう、と考えるのみで。

迷宮に必要なのは魔王と配下、罠に戦闘に宝箱。そして勇者と侵入者だ。

暴れるだけの化物なんぞお呼びじゃないし、邪魔した奴にも用があるのは落とし前だけ。

だから。

<迷宮の魔王>たる彼は、あくまで速やかに。


「はぁっ!」


駆け出した先で跳躍し、勇者たちには使わなかった【即死】効果さえ大鎌に纏わせ、魔物が相手とはいえ、初となる殺しの感触を得て。

ギロチンと化した刃で、悪い狼の首を落とした。
















消え行く魔狼の骸を見届け、鎌を担いだ魔王が向き直る。


「さて。勢いトドメもさしたけど、勇者としてはまだやる────────」


乱入した獣を片付け、元の対立に戻った構図。

油断はできないと線を引いた彼の意識に、不意の足音が踏み入った。


「ハルキ様っ!」

「あ! アリス!」

「ティア?」


護衛の眷属を背後に、彼を目掛けて駆けてくる少女。

辺りに散った炎を避け、雪色のドレスを赤く揺らし、彼女なりの全力で走って。


「ハルキ様……!」


寸前で止まると思われた少女は、そのまま彼へと抱きついた。


「ティ、ティア!?」


瞬時に沸騰するハルキの頭。

混乱で押し退けることもしないが、それ以上に相手の方から胸を押し、腕で抱いて身を寄せる。


「どうし────」

「心配しました!」


上げた顔には涙の粒。

潤んだ瞳に、魔王の姿が揺れて映る。


「私、不安でっ。ハルキ様が噛まれた時には、どうしようかと……!」

「あ」


金髪を振って告げる姫に、今さらながら思う魔王。

暇も必要もなかったため、伝えなかった先ほどの作戦。

確かに彼女の性格を思えば、ショッキングな光景だったかもしれない。

その様子から、魔人の未来への不安より、ただ純粋にハルキの身を案じてくれたのだろう。


「ハルキ様がっ…………お父様に続いて、ハルキ様まで……!」


普段や最初の態度はどこに行ったか、彼の胸で泣きじゃくるティア。

姫たる彼女にして歳相応の、ともすれば更に幼い姿。


(そっか。父親も<魔王>。その遺品を目の前で仇に叩き割られて、そこからあの光景じゃあな)


父の死から始まり、彼と会うまで絶えず続いた恐怖や苦境。

<魔王>が2度倒れるとあらば、彼女には確かにトラウマだ。

よって。


「大丈夫だって」


つとめて明るく、優しくその頭に手を置く。

年下の子供をあやすように、今度は少し、金糸の流れを左右に撫でた。


「実際オレは無事だったし。これでも仮にも<迷宮の魔王>、看板を背負ってやってるんだ。そう簡単には負けないし、ティアを泣かせもしないって」


膝を曲げ、高さを落として目線を並べる。

彼女も抱きつく腕を解き、気付いたように、涙を拭って彼を見詰めた。


「ほ、本当でしょうか?」

「本当本当。勇者にだって負けやしないよ」


まだ混乱があるのだろう。常の彼女の態度ではない。

ただそれは、だからこそ。

彼女が秘めた内心や不安の吐露であり、偽りない姿の告白だった。


「私、は」


一度、魔王から離れた少女が俯く。

それから泣き腫らした顔を、できる限り元に戻して。


「ありがとうございます。ハルキ様」


憂いの晴れた、綺麗な笑みで答えた。

彼女らの王たる憧れの異性。

彼女と契約し、彼女らを守り、そして庇護した優しき魔王。


「本当に」


今、改めてその手に触れ。

過去よりも深く、最早己に彼を疑う余地などないと、少女は静かに決心した。


「う~。なんだかアリスだけずるーい! まおーさま、ボクもボクもー!」

「うおぅ!?」


そこで護衛として付けていた子犬(コレル)が、自分も構えと抱きついてくる。

ティアより低い位置を挟まれ、揺れる視界に、デカラビアも来るのが見えた。


「────────それでだ。魔王よ」


魔王側が一ヶ所に集い、これまで黙っていた勇者が声をかける。

誰よりも早く反応したのは、主から離れて構えるコレルと、回転を止めたデカビア。

そんな露骨な警戒を前に、距離を詰める男女の一団。

間合いの外で足を止めた集団の長が、再び口火を切った。


「仲間の仇を始末できたこと、先ずは礼を言おう。助かった」


言葉の通りに頭を下げ、垂れた炎髪の尾に、魔王の瞳が瞬いた。


「そのままトドメも刺されるとは思わなかったがな。いや、固まっていたこちらが悪いが」


これまで受けた殺気からは意外な態度に、反応が止まる。


「ところで、武器……いや、装備と道具が引き替えであれば投降を認めるという言葉。まだ変更はないかどうか、聞いてもいいか?」


答え如何では今からでもと、言外に語る彼女の視線。

冷めた双眸にかすかな、抱えた心理の揺れを見止めて黙考する。

中断された戦闘の、半ばで口にした条件。


「今後は魔人に関わらないのも含めれば、だっけか。まさか、今更そのつもりに?」

「ああ」


迂遠ながらも確かに敗北を認める言葉。

戦場での降伏宣言を、勇者が魔王へと発する。


「あれだけのモノを見せられれば、な。そっちの丸いのはともかく、お前ともう一人はまだまだまだ余力があるのだろう? 正直、もう勝てるとは思えん。だから…………できれば、降伏を許して欲しい」


鞘に納めた剣を鳴らし、再びなされる低頭の姿勢。

面食らう魔王を見上げ、背を戻した勇者が、どこか気落ちした様子で語った。


「受けた依頼は魔王の討伐だけだから、元々魔人は関係ない。勿論、それでいいなら幾らでも約束する。私はどうなってもいいが、できれば仲間は無事に返してくれ。これ以上は、失いたくない」

「メル!」

「いい。どんな理由があっても仕掛けたのはこちら。助かる数の方が多いなら、少しの犠牲は当然だ。これでもパーティーの代表だからな、挙げる首には適切だろう。…………できれば、私一人で済ませてくれるとありがたいが」


反発する仲間を諭し、一度は切りかかった相手に向き直る勇者。

メルリーウィ=テスラ・アナスタシア。

魔王に敵わず、王国にはめられ、仲間を失った彼女は今や精彩を欠き、その顔に初めての、疲れた人間味を見せていた。


「ティア」


変化する己の勇者像を意識の隅に、魔王の方は姫を向く。

あの場では軽く口にしたが、正式に、となれば魔人の立場は無視できない。

ハルキにとっては脅威でなくなった勇者達も、彼らにとっての実力差と、そして因縁からは別だ。


「ティアはどうしたい?」


まして、父を討たれた娘には。


「ハルキ様」


問われ、この場において自らの戦果、命を懸けた闘争の結果に魔人を関わらせる彼に、少女は瞳を熱くする。

見方によっては当然の配慮。

しかし戦いにおいて何ら貢献していない魔人、その代表たる彼女に対し、ハルキは自然と意思の表示に与る権利、対等なそれを認めていた。


話し合いの席で討たれた前代魔王。王国の謀略、言葉の届かぬ侵略と敗退。

弱肉強食のグローリア大陸、強き者が権利を勝ち得る世界の中で、その姿勢はひどく尊い。

およそ力に生き、暴虐を振るう者からは遠い寛容さ。

王として、確かに彼が彼女らを守護する立場の証に、少女も真摯に応じると決めた。


「私は、ハルキ様にお任せしようと思います」

「…………いいのか?」


驚きを間に、確認の瞳が姫を見詰めた。


「はい。迷宮も今日の戦果も、全てはハルキ様のものですから。どうか、ハルキ様のなさりたいように」

「けど」

「いいんです。それがハルキ様の望みであれば」


屈託なく笑う少女。

その姿は彼の心理を見抜いたようであり、また決して、内心を覗かせもしなかった。


「私は────────私たちは、それでも」


過去の嘆願、食糧や住居といった生死に直結するものならともかく、勇者そのものの優先度は、魔人にとって高くない。

先代の魔王の仇であり、この侵略の引き金を引いた戦士たち。

彼女の父を強烈に信奉していた者、たとえば彼女の執事などは勇者に怒りも憎悪もあるが、王国に対するよりは薄弱。

冒険者とは、受けた依頼をこなすだけの言わば道具。

任務の受諾に個々の意志が関わるにせよ、その立ち位置は、射手を放れた矢に過ぎない。


そして降伏を認めず殺害を宣言したならば、彼女らは同時に決死の修羅と化すだろう。

その場合、魔王といえども無傷で済まない可能性が高い。

恐らく無害となるだろう勇者と、自ら戴く王の負傷。

立場と仲間、計算と感情、自身も気付かぬ内心を交え、出した結論がそれだった。


「あの日に救ってくれたアナタを、信じてますから」


装備の喪失、不可侵の約束による脅威の低下、および無力化。

王国の計った策略を思えば、魔人に関わる依頼は二度と成立しない。

そしてハルキが、彼女の王が、誰かを手にかける事態の回避。

姫として個人として少女として、全てを載せた天秤だ。


「じゃあ」


かけられた想いの強さはまだ知らぬまま、ハルキが応じる、

仮想ではないこの異世界、これが現実だからこそ、同じ人間や似た者は、出来れば無駄に殺したくない。

結局のところ、命の危機もなかった戦闘。

仕掛けた王国ならともかく、彼女らもある意味被害者で、既に仲間が死んでいた。


惨殺どころか食い殺されたその死体は、ハルキの指示で灰となり、もはや供養もできないだろう。

元より敵だ。

菩提も弔えなくしたのは、罪に思うことはないが、個人としては哀れを誘う。

高難易度の依頼に臨む最強装備の全損だけでも、まず間違いなく強烈な痛手。

帰って王国に味方することもないだろう。

ならば最早、追撃を必須とすることもなかった。


「そういうことでいいか? 勇者」

「ああ。感謝する、魔王」


礼をいう勇者が抜いた剣を横に寝かせ、突き出してから手を放した。

滑るように下を向く刀身、床に転がる鋼の音。

戦いの終わりを告げる鐘が、高く<魔王の間>に響いた。


「あとはこの首一つで手打ちか」

「くっ……!」

「いや、人間の首とか要らないし。オレを何だと思ってるんだ?」

「魔王ではないのか?」

「確かに魔王だけどさ。はあ」


溜息を吐いたハルキが、何度か頭を振る。


「兎に角、犠牲や証拠の人質なら不要だ。管理も掃除も手間だし、全員きっちり無事で帰す。首は要らない、金目のものだけ置いていけ」

「くくっ。ははは! 賊の類でもあるまいに、ひどい文句をいう魔王もあったものだな!」


何が切欠になったのか、出会って初めて普通の笑みを浮かべる勇者。

迷宮の経営サイクルとしては当然の言葉。

ハルキが眉をしかめて半目を向けるが、勇者の手では届かなかった彼の首級、兜の内の表情は見えない。


「全員、私に従ってくれ。こんな魔王だ。背中を撃たれることもないさ」

「了解した」

「どうやらそうみてぇだな」


長に続いて武装を解き始める仲間たち。

軽重も硬軟も様々な素材の音を連ね、地に落ちていく彼らの武具。

黄金を超える価値のそれらが、<魔王>の前に積み上がる。


「それでは」

「ああ」


鎧などを外して薄着になった勇者が歩む。

傷んだ炎髪を誇らしげに揺らし、いつの間にか戻した生気を瞳に収め、手に持てるだけの装備と、出した道具をいくつか乗せ。


「この勝負。私たちの負けで────────」


彼女なりの、敗者としての筋か流儀か。

膝を折り、魔王に向けて捧げる品を、すっと恭しく差し出した。

深く(こうべ)を垂れて首筋(うなじ)を晒し、魔王を前には心許ない、捧げられる贄の薄衣で、静かに御前に控える。


「────────お前の勝ちだ。魔王」


もしもこの場に見る者あらば、おそらく絶望しただろう。

勇者が魔王に屈服し、命を乞うて己の刃と誇りを差し出す。

その小さきは希望の光、強大なるは闇の王。

物語ではあり得ない、人の望まぬ逆転の夢。

その光景の深淵たるや。


「ああ。これで」


それも異世界たればこそ。

一人の姫が異界の魔王を攫ったように。光に追われた魔人が闇に縋ったように。

真なる敵は、闇でも光でもない<人間>、傲慢なりし国の民。

闇と言われた種族の王が、光よりも清廉に、屈した勇者に慈悲で報いる。

実態は複雑だとしても、後の世には、そう語られる戦いの一つ。


「オレたちの勝ちだ、ティア!」

「はい! ハルキ様っ!」


その結末に、姫と魔王が瞳を交え、少女が男と手を合わせる。

押される胸は鼓動に熱く。

それはどちらか、それとも2人か。


どちらとしても。

混沌とした混戦に、かくて一先ず幕は降り。

魔人と王国、魔王と勇者のぶつかり合いは────────少女と魔王の勝利で、決着したのだった。






次回「最終話 我らダンジョン侵略者!」は明日、12月27日(金)18時更新。

全ての意味を繋げます。

稚拙ながらの集大成。どうか最後のお付き合いを。

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