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第9話 迷宮牧場、ダンジョン野菜




迷宮の外でいう朝の中ごろ、ハルキは緑も濃い草波の上に立っていた。


「うーん。なんともいえない開放感」


視界をいっぱいに占める自然と、匂い立つ土草の香。

今は素顔を晒している彼だが、辺りには前髪を浚う風が、ゆるく暖かに流れている。

遠くに望むなだらかな丘や森、置かれた柵の向こうからは牛に豚、山羊の声が耳へ響き、建てられた畜舎の一つからは鶏の朝鳴きも聞こえてくる。

広がる大地は所々に耕された剥き出しの土壌、伸びた牧草の色を並べ、一筋の小川に左右を切り分けられながら、雄大な自然を育んでいた。

耳を澄ますと届く気のするせせらぎの音。

目を凝らせば水流の上に渡された木橋の影には、銀色の煌きが返っており、よく締まった川魚の背を発見できる。

天上では太陽、とも思える魔法の照光具(マジックライト)がゆっくりと動き、一個の世界で天体の運行を刻んでいた。


「んーっ」


彼のいた現実では一度も目にしたことがない、なのに気が弛む牧歌的光景。

伸びをした魔王は訪れた場所、迷宮の通路から開いた先で迎えた景色に、思わず小さくアクビをする。

森から飛ぶ鳥のさえずりが、のんびりと頭上を通過していった。

今、彼がいるのは迷宮の農業区。

ゲーム中の迷宮では使われない名称だが、食糧生産に合わせて集中的に農業向けのフィールドを創造したことから、便宜上そう呼ぶことにしていた。

ティアとの会議の後、住民の問題を把握したハルキが急いで対策に動いたため、既に新たな居住区と、食糧生産地の増設は終わっている。


迷宮の機能は広範に渡り、その半分は侵入者への迎撃用、もう半分は決して彼らが見ることのない生活者、つまりは存在する魔王のための慰安用だ。

人間の感覚として暗い場所や、出ることのできない閉所で長く時間を過ごすと気が狂う。

データの気軽さだからこそ、擬似的にでも開放的な空間を用意しておくことは、VRゲームの運営上必須の措置だった。

どのみち既存の土地のデータや生産職のシステムを流用するだけなので、特に手間はかからない。

そんな理由でこの異世界でも迷宮は多様な機能を有し、彼もまた気楽に利用している。


「魔王さまーっ!」


と、呼ぶ声に対して黒髪が振られた。

聞きなれて────はいないが────《召喚》によって驚きと共に記憶した、<小悪魔>の声。

急な呼びかけに出所を探り、徐々に増していく声の大きさに方向を突き止めて首を向けると、目を剥いて驚愕する。


「いぃっ!?」


近付いてくる声は、やがて地響きを連れて彼に迫った。


「魔王さまーーーーーっっっ!!!」


柵組みに囲まれた牧草地の上、山羊たちが闊歩(かっぽ)する彼方の丘。

そこに姿を現した影が、仕える主に突進を見せる。

目に入ったのはまるで豆粒のような緑と、巨大な白い牛だった。


「待て待て待て待て、ちょっと待て!」


騎乗しているのは『緑』の<小悪魔>。

バニースーツとウサギ耳に悪魔の翼を飾った少女、迷宮における生産担当、中でも<食糧>を担う一人がウサミミを揺らしている。

役職的にも農業地区の統括者が、小悪魔の中でも短めの髪を上下させ、巨大な牛にまたがっていた。

ぺしぺしと背をたたいて急かされている家畜は、サイズが丘か小山の如く、並の牛の数十倍。

足元で逃げ散る牛たちの背が腹にもつかず、ぶら下げる乳に呑まれていく。


「ヴモォォオオオオオオーーーッ!」


乳牛、と分かるが突進の勢いは闘牛さながら。

何に闘志を燃やしているのか目を血走らせ、左右に生やした白い角を、振り乱しながら駆けてくる。

巨大な蹄が踏み込む度に地を抉り、土ごと舞い散る牧草エサの山に、家畜たちが叫びを上げた。

小川の水が波紋を浮かべ、森からは鳥がいっせいに飛び立つ。


「ハイヨーっ!」

「モ゛ーーーーッ!」


小悪魔がいうと鼻息の嵐で草が倒れ、跳躍してから柵と小川をまとめて越し、彼の前で大地をブレーキに停止した。

身をよけて首を傾けると、牛の後方には掘り起こされ、土草の派手に禿げた地表。

さながら耕運機の幅で、長い轍ができている。


「どうも魔王さま! おはようございます! 仕事の確認ですか? こっちゃーしっかりやってますよ!」


反芻(はんすう)でもないのにヨダレを垂らす牛から飛び降り、挨拶してくる緑の小悪魔。

2人の姿はすっぽりと牛の影に隠され、爽やかというにはいささか暗い。


「い、一体どうしたんだ?」

「? 魔王さまの姿が見えたので、朝の挨拶にうかがっただけですよ? 挨拶は大事ですからね! 押忍!」

「そのためだけにお前……いや、いいや。それより生産は上手くいってるか?」

「モチのロンです!」


(かぶり)を振る魔王へ、Vサインで応じる少女。

生やした翼が風を起こし、ウサミミがぴこぴこ左右に揺れる。

振り返って手をやると、顔を下ろした巨牛の鼻先が指に触れた。


「コイツもいい具合におチチを出してくれますし、魔王さまの下ならどんな家畜を放したってハゲ山はできませんからね。バッチリ任せちゃってください!」

「モーーーオオゥ」


顔を戻し、生暖かい吐息を吹いてくる家畜。

魔王が乾いた笑みを浮かべ、気を取り直すと手前の少女に目を向けた。


「何百人分の食糧となると、家畜の飼育は必須だからな。肉牛、乳牛、山羊に豚に鶏、卵。必要になったら<道具屋>に追加させるから、遠慮なくどんどんやってくれ」

「アイアイサー!」


黒翼をたたんで敬礼で応じる小悪魔に、表情を崩したハルキが尋ねる。


「<バロールの乳牛(ちちうし)>、にしちゃ白いな。やたらデカいし。<フィンヴェナフ>か?」

「さっすが魔王さま、お見事。正解です!」


汚れによって灰のようにくすんだ体毛を見たハルキが、一頻り観察して飼い主に問うと、元気のよい肯定が返った。


「コイツもいい牛なんですよねー。<ドウン>の奴と一緒におけないのは手間ですけど、今は孕まされても困りますし。何せ魔人の人たち全員に飲ませる分が要りますから、いっぱいオッパイを絞りますよ~。うぇっへっへ」

「ほ、ほどほどに頼むな?」


部活仲間と猥談(わいだん)する少年のようにニヤニヤする緑に、引き気味の反応を投げて後ずさる魔王。

やる気をなくされても困る相手に強くは言えず、まだあまり知らない小悪魔の、性格の一つとして言動を記憶するのだった。


────────<バロールの乳牛>と<フィンヴェナフ>。

この二頭はどちらも実在の神話に登場する牛だ。


ファンタジー系のゲームが多くそうであるように、<ファンタジー・クロニクル・VR>でも実際の神話から多くの要素が盛り込まれ、他の例に漏れず、その内容もゲームとしての都合や、演出優先で再現と改変がされている。

でなければ数百人分の食糧を0から用意するとは、流石の魔王もいわなかったに違いない。


「? どうかしました?」

「いや。忘れてくれ」

「はあ」


そんな家畜を飼いならす小悪魔をしばし見詰め、聞かれて視線をそらした魔王が、追求を避ける。

首を巡らせて望む先には、丘に森に平原に川に、姿もサイズも様々な家畜や家禽たち、養殖の魚が飼われていた。

かつては小悪魔とシステムに任せ、狭い範囲でやらせて見にも行かなかったが、こうして一大農地化すると、雄大な自然と牧畜の模様が広がっている。


囲みの柵、ユグドラシルを素材にした杭と板に近い平地で牧草を食むのは、体毛も濃く、北欧神話で始祖の巨人ユミルを育てた巨大な神牛<アウズンブラ>。

その先にある丘で寝そべっているのは、ギリシャ神話のゼウスを育てた牝山羊<アマルテイア>に、ヴァルハラの英雄に振る舞う蜜酒を、乳として出す<ヘイズルーン>。

駆けたり跳ねたりして二匹でお互い戯れているのは、雷神トールの戦車を引き、料理されても骨と皮が無事であれば復活する山羊たち、<タングリスニル>と<タングニョースト>か。


「壮観っちゃあ壮観だよな」


森の方で木々の間をトコトコと歩き、鼻を鳴らして果実や木の実を探しているのは、ダーナ神族トゥアハ・デ・ダナーンの父神ダグザや海神マナナンが持つとされる、調理しても蘇る豚だ。

柵と森の間に線を引く小川に目をやれば、その半ばには不自然に曲がって突き出た水の溜まり場があり、そばには低いハシバミの木が赤い実をつけ、英雄フィン・マックールが知恵と治癒の特殊な力を得たという、<知恵の鮭(フィンタン)>が落下を待ちわびている。

更にはあちこちに転がった不自然な岩があり、よく見てみれば瞳が一つ、表面にあって動いていた。

光を受けてもどこか暗い肝臓のような形と色は、大地の気があれば無限に再生して肉が取れる、中国の<視肉>と呼ばれる物だ。


「…………インパクトがあるのとグロいのは、生きてる時とか調理途中は見せない方がいいかもなぁ。やっぱ」


そのほとんどが大量または無限の恵みをもたらしてくれる、世界の人間が古に願った豊穣の具現、飢えることなき楽園の夢。

並のレベルでは扱えない神話の生物たちで、ハルキ本人も必要な技能は持っていない。

<魔王>職といえどそんな万能さは運営が許さず、そういったスキルは小悪魔が担い、彼女らを介する手間や時間が課せられていた。


「むしろ早めに慣れた方がよくないですかね?」


農耕牧畜の場合は、<食糧>からの派生で『緑』。

正確には、ハルキが選んで習得させた。

設備などは前の迷宮ごと失ったが、そういった意味では眷属がそうであるように、育て直しとならずに良かった。


(でなけりゃ精神的に即死ものだったな)


高位生産職(ハイクリエイター)並のスキルを持たせた、小悪魔たちがいてこその現状。

<道具屋>での追加購入は安くなかったが、態勢を整える時間を省略し、手に入る資源の総計が増えたのだからよし、とハルキは考えている。

かつては宝箱に入れる分と自分で食べる分のみ作らせ、目当てにしてくる侵入者たちの調整用にする日々だったが、今の状況では有効だ。


「住む場所があってメシが美味けりゃ、そうそう不満は出ないっていうし」


彼の庇護下にある魔人たちには、できれば美味しい食事で喜んで欲しい。

自身の迷宮で誰かが飢えにあえぐことや、まして餓死者など許せない。

何故なら彼は<迷宮の魔王>。

非難も歓喜も迷宮に対する評価であり、今や住民の幸せは、彼に向けられる最大の賛辞に他ならない。


「戦力としても、できるだけ強化はしたいしな」


話は家畜だけで終わらず、森の木々も種類や大きさを一定の距離で分けてあるため、いずれはそれぞれに異なる果実をつけるだろう。

あるいは地に生える野草、薬草、咲く花まで入れればどれほどの効果が見込めるか、ハルキは早くも頭の中で試算していた。

特殊な効果を持つ食材を如何に生産し、どう組み合わせて魔人たちを養い、あるいは人間との戦いに備えて『強化』していくか。

神話上には口にするだけで知恵や力を増すモノも多い。

迎撃体制の構築と同じく、彼としては心躍るシミュレーションだ。


「それじゃあ様子を見にきただけだったし、オレはもう移動するよ。いっておいた食事の用意は問題ないよな? 家畜は大丈夫みたいだけど、畑の方は何かあるか?」

「問題ナシです! そっちは腕によりをかけますよー? 畑に関しちゃこの後で希望した魔人を集めて、説明とやり方の指導ですね。だいたい農家だった人がくるでしょうけど勝手が違うかもしれませんから、きっちりビシバシしごきます。肉と魚に乳だけじゃ力が入りませんし、子供の発育にも悪いですからね! オッス!」


気合を入れたのか、ぐっと拳を握る小悪魔。

後ろで呼応したフィンヴェナフが咆哮するが、吐息という名の突風を魔王はスルーした。


「結果は楽しみにしてるけどやり過ぎないようにな? よろしく頼むぞ、コア」

「はいはいさー! 魔王さま!」


ビシっと姿勢を正す小悪魔に見送られ、魔王が背を向けて退出していく。

入ってきた扉が開かれ、ゆっくりと閉じられると、静寂。

鎧を着た背中が通路に消えるのを見届けると、緑髪の悪魔が、笑顔のままでぼそりといった。


「…………いっとくけど、誰か見かけても食っちゃダメだからな?」

「ウモーゥ」


警告する主に対し、白い巨牛は心外な、とでもいいたげに鼻を鳴らした。





魔人強化計画第1弾終了。

神話系の名称なんかは個人的に語呂の良さそうな読み方のものを採用しています。


次回「第10話 コレル=コーレル」は12月8日(日)18時更新。

ようやく出せます。


また、昨日に週間ランキングで第2位をいただきました!

────────と思ったら本日12月7日、第1位にランクインしているのを確認致しました!


画面の前で自分がフリーズするという極めて貴重な体験をしております。

本当にここまで拙作に付き合っていただけた皆様のおかげです。

変わらず頂戴しているご覧やご感想、評価やお気に入りへのご登録にも感謝を。

皆様、ありがとうございます。

一応、調べてみたところPVが40万を突破していました。

重ね重ねありがとうございます。


本作は次話で総量の半分を消化する予定。

今しばらくのお付き合いをいただけましたら幸いであります。


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