プロローグ 迷宮の魔王
「助けてください────────魔王様」
電脳の闇に不規則な電子音が響く。
「よしよし。いい調子だな」
何もない虚空でキーをたたく動作をしながら、朧な影が呟きをもらした。
どことも知れぬ古めかしい密室。石材の床と柱で作られ、篝火を配した大広間。
部屋の主の腰かけるイス、金銀の玉葛と宝玉の飾りで意匠された玉座の前に、燐光が集っている。
座の上で口を開くのは、声の高低から少年もしくは青年と思える、漆黒の鎧を着た男性だ。
愉快そうにいう表情は兜のために見えないが、その指先が虚空で踊ると終点に音と光が生まれ、何らかの作業に打ち込む様子を示している。
周囲には数枚の表示窓が滞空し、群れて浮かぶ平面が彼方を映していた。
「ここでもうちょっと距離を詰めて……お、そうくるか」
見詰める瞳の先では、廃墟か遺跡らしい朽ちた道と、忙しなく動く人影が受信されている。
薄闇でざわつく人波は左右に分かれ、攻め手のように押し寄せる側と、受け手に回って返す側とに立っていた。
両者はぶつかる度に中央で白い煌きを交わし、金属質の輝きを打ち合う。
乱れる刃が写し取るのは、人間の殺し合いだった。
もっとも────それを交わす者を『人』と呼べるのなら────ではあったが。
「だったらこれはどうかなっと」
空間を隔てて見守る彼が打鍵をすると、入力された指令によって光景が変わる。
『カカカッ!』
『うわあぁぁ!?』
上下左右を石の造りに囲まれた小道。
人間2人の横幅に、距離を置いて焚かれる炎が照らすのは、弓や剣で武装した骸骨。
欠けた部位もない人骨そのままの化物は、骸骨戦士、派生の弓兵と呼ばれている。
重なる時とホコリで汚れた白骨はくすみ、鎧を着込んでぎこちなく動く。
皮膚もない体は動作に合わせて関節を軋らせ、伝う足音は骨だけの重さで軽く硬い。
腐り果てた死者は眼窩に漆黒をはめ、機械的に朽ちた体を駆っていた。
首を震わせてアゴを鳴らし、歯をかみ合せて獲物に走る。
怨念によって汚れた魔力が物質化したアンデッド、その代表たるスケルトン。
不死者の群は彼の指揮で動き出し、後衛が放った矢に合わせ、剣を持つ個体が突撃を仕掛けた。
受け手の戦列が鏃の雨を浴びて綻び、突っ込んだ骨が刃を振るって切り崩す。
『うおぉぉぉ!』
『魔法と回復、たのむっ!』
しかし敵もさる者か、白兵戦に優れた者が攻撃を受け、あるいは捌き、通路の狭さを利点に変えて後衛を守る。
『凍土の息吹 降り立つ霜の足枷よ 氷の女王の抱擁よ!』
『加護と治癒の祝福を』
そして背後の仲間は得られた時間を代償に、呪文詠唱を響かせた。
『“霜付きの檻”!』
『“聖光の癒し”!』
満ちた光が闇の帳を押し上げた。
起動詞を連ねた発声入力がシステムと結びつき、対応するスキルとエフェクトを放つ。
現実において、遥か昔より虚構とされてきた魔法という現象。
幻想を電脳に、虚構を情報に置き換えたこの世界でのそれは、確かなものとして実現される。
『よしっ!』
敵陣を抜けて凍り付かせる極北の風と、味方を包む温かな癒し。
2種の魔法はそれぞれ攻勢と支援をかけ、戦場の光景を一変させた。
『カ……カッ……!?』
閉所に吹くはずのない風。
放たれた息吹が駆けた瞬間、一帯の温度が急激に下がり、白骨の群に霜が貼り付く。
パキパキと澄んだ音を鳴らし、骸にまとわりつく冬の枷。
雪色の化粧は死者をたちまち純白で覆うと、床ごと凍らせ縫いつける。
足元からは鋭く尖ったツララが突き立ち、氷結した骨を砕き散らした。
『そらそらそらぁ!』
キラキラと輝く白氷の残滓。
骨片の舞う景色に回復をすませた前衛が駆け出し、武器を振るって残党を処理する。
まだ動けた者も氷付けで攻撃を受け、ガラスが割れるかの如く、光となって溶けていった。
「まあ、ここの構造じゃ密集させればこうなるよな」
襲撃側の戦力は、後方に待機する骸骨弓兵が数体。
前衛が全滅した現在、弓しか持たない中~後衛では敗北必至だ。
相手側も慌ててかかることはせず、緊張を解きつつ掃討の構えに移行する。
「それじゃ……OK、詰みだ」
仔細を見取った彼は虚空をタッチして操作を加え、自らの配下に命令を下した。
『……カカッ』
『カカカカカッ!』
『へ? しまっ……きゃあぁ!?』
瞬間、不意の足音で姿を見せる白骨の群。
背後の横道から湧き出た敵に、事態が逆転してしまう。
剣と鎧を刀に替えて速度を上げた骸骨刀士が現れたのは、魔法を放った2人の後方。
前衛職の護衛もつかない無防備な背に直撃を受け、体力を一気にすり減らした。
『こいつらっ……! ぐあ!?』
気付いた前衛が位置を替わろうと駆け出すが、さらされた背中に先のアーチャーが矢を射かける。
射線をふさがねば標的はそのまま後衛に移り、かつ無防備な背中に受ける攻撃は、ダメージ増加判定を帯びるため迂闊に動けない。
パーティーの全滅は避けるべきだが自分が死んでは意味がなく、射手の排除と仲間の護衛のどちらが先か。
判断の間に骨侍は数を割いて前衛にも取り付き、彼らをはさむと封殺した。
『こ、この……!』
始めに倒れたのは、取り付かれて下がることも出来ず、詠唱も叶わず生命を刈られた2人だった。
エルフの魔法使いと人間の僧侶。
次に小人の盗賊が少ない体力を削り切られ、遅れて獣人の剣士、最後にドワーフの戦士が地に倒れる。
せまい通路で完全に不意打ちのバックアタック、実際は前後からの挟撃が決まったとすれば、至極当然の結末だった。
『な、なんて性格の悪いダンジョンマスターだ……!?』
『こんな迷宮、二度と来るかぁ!』
やがて伏した骸が燐光となって存在を解き、断末魔ならぬ罵倒を叫んで消えていく。
スケルトンと違って生者である彼らも、朽ちるべき死体は残さなかった。
死亡による代償を受けての拠点復帰で安全に離脱し、設定したどこかで復活する。
ペナルティとあるように多用は前提にできないが、敗者の去ったあとにはアイテムなどがドロップされた。
場の存在がモンスターだけになると、彼の座す空間に静けさが満ちる。
「どうせだったら性格よりも性質が悪いと言って欲しいな。そう簡単に攻略されちゃ、作る方も攻める方も甲斐がないだろ」
篝火だけを遠い光源とする広間に、苦笑気味の返答がこぼれた。
「あとはちょっとだけ自動迎撃にしておいてっと」
スケルトンが戦利品の回収にかかるのを見てモニターを切り、複層と複雑な通路からなる迷宮の最奥、玉座で深い吐息を漏らす。
「ふう」
肩を落とすと兜に手をやってガチャガチャとひねり、外して肘掛に置いた。
零れた黒髪が遠巻きの炎に照らされ、微かな艶を帯びる。
頭髪と同じ、だがより深い黒の瞳が燃える赤を眺め、何度かまばたいた。
「初心者は連携と警戒がまだ甘いな。だから見ていて面白いんだけど。町で会話して意気投合したんだろうが、適正レベル以上のフロアを5人で攻略できるかっての。迷宮なめんな。次は30レベルくらいになってからのお越しをお待ちしてまーす」
セリフの前半は真剣に、半ばは不貞腐れて、最後は営業スマイルの似合う抑揚でいう。
口を閉じてほお杖をつき、それからガックリ首を下げると、しばらくしてから顔を戻した。
「ま、いいさ」
一転、晴れやかな笑顔で告げる。
「あの様子だとそのうちリベンジに来るだろうし。知恵をしぼって戦略を練って、仲間を増やしてレベルを上げて、装備を鍛えてアイテムを持って来るといい」
含むように笑うと頬につけた拳を解き、肘掛をたたいて立ち上がる。
「このハルキこと鷹風 晴樹────────職業<魔王>! 来るもの拒まず去るもの逃がさず、正々堂々ボスやってやるよ!!」
置いていた兜を勢いよくさらってかぶり直し、放した指を空中に向けて躍らせる。
「よーし休憩終わり! それじゃあ元気に迎撃しますか!!」
その声に従い、消さずに残していたもの加え、更に数十もの表示枠が展開された。
空間を輝かせる電子の光。
彼の身長の数倍までも縦横に並んだモニターは、同じ数だけ誰かのプレイを映している。
彼のいる世界の呼び名を、<ファンタジー・クロニクル・VR>といった。
機械と電脳の発達が仮想空間の構築を現実性を得て可能とし、かつてあったインターネット上の様々な活動や商取引、通信その他を取り込んだもう一つの現実が社会によりそう時代に作られた技術。
装着した専用機器を介することにより、利用者がリアルな情報として脳に刻む新たな幻想。
もはや平面の媒体を廃した、旧来と異なる<第二虚構>の代名詞。
現実と変わらない精度で現実にないモノを表現した、現代のもたらす魔法の世界、新時代のネットゲームだ。
発売当初のキャッチコピーは、『異世界の住人になれる!』、というシンプルなもの。
強さの基準は普遍的なレベルとスキル、装備制にプレイヤーの個性がいくらか。
選択できる職業や生い立ちは農家の子供から無頼の冒険者、貴族や新興国家の国主、アウトローから果ては人外までもある。
膨大な職業には上位職のパターンが足され、プレイを始めればいくらでも凝れるキャラクターメイキング、フィールドの魔物やダンジョンのボス、プレイヤー同士での戦闘や冒険、競争や協力、無数の成功と名誉が待っていた。
平凡だからこそ分かりやすく、分かりやすいからこそ幅広く。
異世界の住人となって生活し、冒険し、創造し、いつかこの世界の年代記に列せられる人物になれと、世界の造り主は告げたのだった。
そんな多人数同時参加型の仮想空間で、今日も彼は孤独に過ごす。
己の他には誰もいない、しんと冷えた<魔王の間>。
王冠のない玉座で1人、ひたすら戦い続けていた。
「お。このレベルでミノタウロス2体にねばるとは、なかなかやるな」
PN:ハルキとして登録される彼の職は、<迷宮の魔王>。
プレイヤー自身が他者の敵となる<人類種の敵>にして、ボス属性の上位職だ。
その実態は強大な能力を付与される代わり、町や売店といった施設利用、仲間と組んでのパーティープレイ、アイテムのトレードなどに機能制限を受ける、孤独にして孤高の<魔王>である。
「うっわ、裸ニンジャかよ。しかもパーティー。なんだこの変態。本当に気持ち悪いくらい避けるな。この位置ならあのトラップに────────って解除しやがった!?」
<迷宮の魔王>は複数ある魔王職では変わりダネであり、単体での戦闘能力が同レベルの魔王に大きく劣る。
一方、迷宮や遺跡の外観・内装を持ったダンジョンと呼ばれるフィールドを建造し、内部に多数の下僕や罠を配して迎撃することで、例外的に集団戦を可能としていた。
生きた人間と冒険をすることは出来ないが、そういった意味ではにぎやかになる。
「こっちは常連だな…………あ、落ちた。今回もありがたくいただきまーす。次は宝箱を調整しとくからまた来てくれ、ははは」
専用と流用を合わせた運営システムを駆使し、経験値やレアアイテム、宝箱、強力な装備に自らの首をエサとして英雄・冒険者を誘き、これを討つ。
モンスターを強化し、敵の遺品を宝箱に詰めて置き、富を欲する者を招き、攻略されないことで名声を求める難敵を呼ぶ。
異形を放って財宝を奪い、不落の拠点で敵を待つ、ファンタジーの超大物。
邪悪の首魁、災厄の巨悪。それが<迷宮の魔王>なのだった。
「うっわ危な、38階まで来やがった。フェンリルとベヒモスとニーズヘッグに3連勝かよ。造るのにどれだけ魔力を食うと思ってんだ。素材持って行かれたし」
名称こそ継続するが60レベルの<魔王>を超え、現在のレベルは80台に達している。
まだ100レベルの限界到達者はいないため、一応は上位の範囲といえた。
「んー。再生成の時間が微妙か。久々にバトルの準備が要るな」
難攻不落の<魔王十三宮>に数えられる一大ダンジョン、地下8階層42階からなる<ファラク深淵迷宮>を運営する大魔王。
プレイヤー迷宮難易度ランキング7位、同総合ダンジョンランキングでも50位以内をキープする、高位の実力者である。
「ん?」
対集団、対多数。防衛と迎撃、拠点の構築や運営に長けた迷宮の魔王。
だからこそ。彼は選ばれたのかもしれない。
「何だ? 画面が」
視界が前触れなく歪んだ。
ダンジョン各所を表示していた数十個もの映像が数秒、ノイズが走ったかのように乱れる。
かと思うと断線、空間がスイッチを切ったように暗くなり、元の薄闇に戻された。
「……!?」
ほぼ全てのモニターが光を失い、次々と勝手に閉じていく。
間近にしていた明かりが消え去り、意識の追いつかない彼が視線をさまよわせた。
「バグ? 処理落ち……は無いな。緊急メンテナンスか?」
侵入者の迎撃に励んでいたところへのトラブルだ。
「あーあ。深部まで来てた連中はクレーム入れるだろうなぁ」
真っ先に気にかけるのがその辺りな点、彼もまた迷宮というものの運営者だったが。
管理職的なため息をつくと、鎧を鳴らして玉座に腰かけ、憂鬱そうに天井を見上げ────────そして気付いた。
「あ?」
展開していたモニター群の浮かんでいた位置。
その中央に、淡く光るフレームが一つ、滞空している。
単体では光量が足りず、周囲を照らすことはできない四角枠。
今や広間に唯一の映像板は、なおも中継を続けていた。
映るのは外縁が木々に、地が草に満ちた森の広場。
地下にある迷宮には無縁の、太陽の光が降り注いでいる。
「日光? ってことは迷宮の中じゃないな。一体……」
そして。
「うわぁ!?」
見上げる画面が光を放ったかと思うと、座る彼を白く染めた。
目のくらむ純白が世界を押し包み、そこにいた者の影を消し去る。
閃光の最中、輪郭を失う四肢と体。
全てを呑み込む白景が不意に収まった時、もう広間には誰もおらず、最後の電光も消えていた。
『助けてください────────魔王様』
後にはただ。その呼び声が響くだけ。