打掛、着流しは良いものです
高く輝く太陽の下、森には心地よい薫風吹いていた。
梅雨時ながら爽快な晴れた日の森に不穏な足音が響く。。
一人の軽い足取りと、それをつけ回す複数の砂煙。
―――その一人の人物は人の気配のない森で追い詰められていた。
―――この辺りが頃合いか。
進んでいた足を止め、追跡者達へと振り返った。
「それほどの大勢で何用か!」
隠れるようにして後を追ってきた面々に対し一喝する。
「黙れ小僧!手前ぇのせいで我らは町の笑い者だ!」
―――こういった手合いはもう何度目だろうか。
今まで磨いてきた自身の剣技を試し、世の強者と戦ってみたい、
そう思い道場の門を叩いては、あっけなく勝利してしまっていた。
数度それを重ねてからは彼らに強くなってほしい一心で剣を打ち合わせた。
若き剣士による道場破り。
いつからか、自分のしでかした事の重大さに気付く頃にはそう噂されていた。
『ここの門徒の力はこの程度か。これよりは更に精進せよ』
一方的に打ちのめし投げかけた言葉は、はたして敗者にはどう聞こえていただろう。
頑張って強くなってほしいと願い、不器用なりに出たそれは貶しているようにしか受け止められなかった。
あくまで興味と善意によるのもではあったのだが。
けれど、自分が成してそれに気付いた以上は責任を取らなければならない。
ザッ、ザッ
土を踏みしめる音はゆうに十を越えていた。
道は塞がれ、数名は既に刀を抜いている。
もう剣は握れないかもしれない。
いや、ここで斬り殺されてしまうかもしれない。
しかしそれも仕方が無いこと。
覚悟を決め、張り詰めた空気の中で柄に手をかけた。
「しばらくっ!あいやしばらく!」
その時、道から外れた草むらから呑気な声が届いた。
ガサガサと青葉を払いながら出てきたのは一人の若武者。
「多勢に無勢とはいかがした。刀まで抜くとは穏やかではござらぬな」
若武者は両者に割って入るように飛び込むと、やはりどこか間の抜けた声を上げる。
肩当てや脛当ての外された黒備に加えて腰に下がった太刀と脇差。
どこかの武家の子息をうかがわせる青年だった。
それでも集団を相手にするには無謀であることに変わりない。
「お退きください。これは拙者の不始末にございます」
なにも見知らぬ人を巻き込むこともない、そう思い声をかけると集団からも罵声が響く。
「失せろ若造!そこの小僧を始末せんことにはこちらは収まらんのだ!」
両陣営から煙たがられても若武者はどこ吹く風。
朗らかに笑ってみせると集団へと話しかける。
「そうは申されても刃傷沙汰は看過できますまい。拙者がお相手致します故、こちらの御方はお見逃しくださらんか」
無茶なことを言う。
これ以上この若武者と集団をこじれさせないためにも早々に決着をつけなければいけない。
そう考えて一歩踏み出した瞬間、
キンッ―――
涼やかな金属音と同時に後ろへ飛び退いた。
見れば若武者は太刀の鞘を振り、離れていろとばかりに弄んでいる。
こちらに向かって刀を振ったように感じたが、その太刀筋は全く見えず、ただ剣圧だけを感じた。
これには流石に頭に血が上ったが、それは向こうの集団も同じこと。
「ならばまず貴様から叩きのめしてくれるわぁッ!!」
気の短い男が一人、若武者に飛び掛っていった。
若武者がこちらを向いている間での攻撃、完全な不意打ち。
「危ない...っ」
そう思わず声を上げかけたが、
どすん、と音を立てて飛び掛っていったはずの男の方が崩れ落ちた。
「おうおう危のうござる。開けた道とはいえ、そうやって刀を振り回しては枝にひっかけてしまうやもしれませぬ」
いつの間にか抜刀していた若武者は左手に持った鞘で男を打ち倒していたのだった。
これには場が凍りつく。
襲撃は視界の外だった。
抜刀から鞘の一閃までを目に収めた者は居なかった。
いずれも剣の道を歩む者達であったはずなのに、誰一人として若武者の技を見届けられなかった。
この若武者は一体何者か。
疑問をもたげると、再び集団が動き出す。
「奴を囲め!ええいっ、斬ってかまわん!」
その叫びを皮切りに男達が動き出す。
若武者を取り囲み、打ちのめすべく走り出す。
絶体絶命。
どれほどこの若武者が強くともあまりに数が多過ぎる。
慌てて加勢しようと踏み出すと、
「ああ、少々お待ちくだされ。御召し物が汚れてしまいます」
若武者はそう言うやいなや猛然と集団へ走り出す。
まずは先陣を切った中年の男に太刀を一閃。
横薙ぎに相手の刀を弾き飛ばした。
予想だにしない衝突と弾かれた刀に驚き集団の足が止まる。
そしてその隙を逃がす若武者ではない。
打ち合った中年の男には肩を一突き。
横合いに出ようとした若者を峰で小手打ちすると返す刀で脛を一薙ぎ。
懐に来ようとした男は鳩尾に鞘の先端を叩き込まれ、遠間から挑もうとした男は打ち合った刀を巻き取られるとそのまま脳天を叩かれた。
まさに縦横無尽の大暴れ。
その剣の冴えは流派も定かでなく天衣無縫。
あっけに取られ、踏み込んだ足もそのままにその戦いぶりに目を奪われた。
刃が煌けば立ち会った相手の武器が叩き折られ、
鞘が揺らめいたかと思えば一閃された男が倒れ伏す。
一人、また一人と集団の剣士が地に伏され、ついに初老の剣士一人が残された。
「これ以上の争いは無益であろう。どうかお弟子様を連れて退いてはもらえぬか?」
息一つ乱さず、若武者は初老の剣士に問いかけた。
声色は相変わらず呑気で、とても集団を一人で叩きのめした人物とは思えない。
「ここまで来ては引き下がれぬ。そこの小僧もろとも斬り伏せてくれる」
初老の男はそう啖呵を切ると背負った刃を抜き取った。
どうやら本気の時は長巻を使うらしい。
薙刀よりは短いが、刃渡りは脇差と同程度。
多少調整されてはいるが、打ち抜きのための長柄の刀が握られていた。
どうにも若武者の太刀では長さと重さで分が悪い。
手に汗握り、すっかり立ち尽くしてその様子に魅入られる。
若武者は変わらず飄々として初老の男と向かい合う。
「拙者も命が惜しうございます。互い、得物を取り落とした方の負けと致しましょう」
「おう、多少の怪我は仕方がなかろうが、なぁッ!!」
先に初老の男が長巻を振り抜いて仕掛けた。
対して若武者は横へ退き剣閃を見定める。
ジュ、ジュ、と音が響くのに気が付くと、長巻が小さく火を灯していた。
やがて火は刃を包み燃え盛る。
どうやら初老の男は得物に仕掛けをしていたらしい。
「これで紙一重とはいかぬ。この場で荼毘してくれようぞッ!!」
見れば初老の男は肌を真っ赤に染め、仁王の如く顔を歪めていた。
この男は全力で、本当に若武者を斬り捨てるべく挑んでいる。
若武者の超絶した技にも驚かされたが、初老の男の鬼気迫る剣閃にも息を呑む。
木刀を手に立ち会った時とは別人のような剣鬼がそこに居た。
一閃。
また一閃。
長さを活かしてじわりじわりと若武者を追い詰める。
燃え盛る刀身は近付いただけで相手を焼き尽くさんとしていた。
小さく鋭く振るわれる長巻相手では太刀を構える余裕もない。
若武者は後ろへひらり、横へするり、ただひたすらに避け続けていた。
いよいよ道から外れ、若武者が追い詰められる。
しかし、
ガギンッ!!
金属の擦れ合う耳障りな音が鳴った。
若者が太刀の先を振り、初老の男の振るう長巻と打ち合わせていた。
刃をぶつけ合わせることを恐れもせず、燃え盛る炎など気にも留めず。
それから更に一合。
二合。
一歩、また一歩と若武者が初老の男を押し返す。
もはや見切った、そう物語るかのように火の粉を散らす刃を全て合わせ打ち止め弾き飛ばす。
若武者の側に形勢が傾いた、
かに見えたが、
不意に若武者の表情が強張ると、ゴウ、と風切り音が鳴った。
右へ、左へと避ける若武者を追うようにして放たれるのは鋭い突き。
本来の使い方ではないにせよ、距離で勝る長巻の特性を以って攻め立てることにしたらしい。
その熟練の技に思わず舌を巻く。
一進一退。
いつのまにか両者は今五分の激戦を繰り広げていた。
そしてまた若武者が押され始める。
再び流れを取り戻した初老の男は目を見開き動き出した。
「キエェェェーーーイッッ!!」
初老の男がついに裂帛の気合で長巻を大きく振るう。
若武者を袈裟斬りにすべく刃が走り、ついに斬り裂かれる!
はずだった。
カンッ!!ギン!!ギン!!
鋭い音と鈍い音が鳴り、両者の動きが止まった。
若武者に長巻の刃は届かず、さりとて初老の男が斬られたわけでもない。
見れば若武者は太刀を捨て、脇差を振るっていた。
切り落とされたのは初老の男の握っていた長巻だった。
刃の付け根で一回、柄の握りに近い部分で一回、石突で一回。
計三箇所を切られ、初老の男の手には棒切れだけが残されていた。
その閃撃は雷耀の如し。
短い脇差を自在に振るい、若武者は神速の技で初老の男を封殺した。
「ッ!!おのれ、おのれおのれェ!!」
初老の男は一瞬呆然としていたが、棒切れとなった長巻で若武者を突き殺さんと肉薄した。
それでも若武者は揺るがない。
ドゴン、
鈍い音が辺りに轟いた。
初老の男より一瞬速く動いた若武者が取った手は当て身の技。
棒の突きよりもさらに近く飛び込むと、初老の男の胸へ掌打を叩き込んでいた。
初老の男の身体が浮き上がり、そのまま向かいの杉の巨木へと叩きつけられた。
杉の木が揺れ、木の葉が舞い、初老の男は気を失ったようで座り込む。
勝敗は決していた。
嵐のような戦いではあったが、結果を見れば一方的。
衣服に刃をかすめることもなく若武者の勝利に終っていた。
「おおぅ...やり過ぎてしまった...」
声をかけるのをためらっていると、何故か若武者は膝を折る。
「あ、ああ、剣士殿にお怪我が無いようで何よりです。ははは、なるべく傷つけないようにと思ったのですが、ああ、どうしたものか...」
どうやら若武者はうめき声を上げて地に伏す集団を案じているようだった。
「いや拙者は場を収められればそれで良かったのですが、ううむ、後で手当てをさせましょう。...ああ、これはまたお小言を頂いてしまう...」
急にまごまごしだす様子がおかしくて、私はつい笑ってしまった。
くすくすと笑う私に力が抜けたのか、若武者がこちらへ向き直る。
「気になるところもありますが、ご婦人にお怪我が無くてよかった。それだけが救いです」
ピシリ
言われて私は凍りついた。
ご婦人。
視線を胴着、より正確には首の下へ下ろすと胸元まで合わせが開くほど乱れていた。
より深刻なのは、その内側。
先ほどの騒動でよほど気が動転していたのか、さらしの締め付けが緩み胸の膨らみがこぼれかけていた。
つまりは、女であることがバレていた。
最悪なことに、だらしなく肌を晒すことによって。
「っ、きゃああああああああぁぁぁっ?!?!?!」
思わず絶叫。
だってそうでしょう?
わざわざ髪をまとめ、無闇に膨らんだ胸を押し込んで男装していたのに、見知らぬ殿方にとんだ醜態をさらす現在。
いっそ気を失ってしまえればよかったのに。
今はこの精神力すら恨めしい。
あ、ちょっと涙が出そう。
泣かない。
泣くもんか。
自分を抱くようにしてうずくまる私を見て、若武者は楽しげに笑っていた。
「あっはっは!それだけの元気があれば大丈夫でしょうな。いやそれにしても美しい。胴着姿もなかなかどうして凛々しいですが、機会があれば内掛け姿も拝見したいものです。それでは」
本当に楽しそうに、去り際まで肩を揺らしながら若武者は去っていった。
時は水無月の頃。
風薫る森で私は膝を抱えていた。
あくる日のこと、とある城の姫君が一人の国人集の青年を呼びつけることになる。
言うまでもなく、姫君とは小僧呼ばわりされていた剣士であった私のこと。
青年とは私の窮地を救ってくれた若武者のこと。
「ご所望の通り、打ち掛けでお迎え致しました」
これみよがしに嫌味ったらしく丁寧に礼をする。
「え、あ、いや、姫様?あの時の?」
最低限度の礼を返すに留まり狼狽する青年。
そうです。
それとその慌てふためくご尊顔を拝見したかったのです。
表向き淑やかに、わずかな微笑みをたたえた顔で。
...その内心では悪戯が成功したと大笑いしながら。
気の毒そうに、少しだけ楽しげにしていた父に席を外していただいて、あとは若い二人にお任せ願う。
せっかくなので侍従も下がらせてみた。
これで何も取り繕うことなく向かい合える。
「この度は先日の御礼のためにお招き致しました」
そう、この度は。
この青年には言葉通りの礼と、私を辱めたことへのささやかな復讐を致しましょう。
今後、私の生涯をかけて。
ここから先は、とある姫君と青年を巡る物語。
それはまたの機会に語ると致しましょう。
「助けてーーー?!」
駄目です。逃がしません。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。