ぶつかりおじさん避けないおばさん :約3000文字 :ぶつかり系
「……って」
夜の駅前。おれは思わず声を漏らした。
すれ違いざまに肩がぶつかった――いや、違う。ぶつけられたのだ。
おれは足を止め、素早く振り返った。
――あいつだ。
歩道はかなり混み合っていた。仕事帰りのサラリーマンや学生、カップル、主婦、老人。人の流れは途切れることなく続いていたが、それでも相手はすぐに特定できた。
なぜなら、そいつはおれだけでなく、他の通行人にもぶつかりながら歩いていたからだ。
――ぶつかりおじさんだ……!
おれはすぐにその背中を追った。
ワイシャツ姿のサラリーマン風の男だ。小太りで、年齢は四十代から五十代といったところか。人混みをものともせず、肩をわずかに前に突き出し、振り払うような動きですれ違いざまに体当たりを繰り返していた。
ぶつかる。またぶつかる。謝るどころか振り返ることすらしない。
無差別型だ。
ぶつかりおじさんといえば普通は女性ばかりを狙うものだが、こいつは違う。男女の区別なく、目の前にいる通行人全員に肩をぶつけていた。
右側の通行人にぶつかれば、その反動で左へ逸れ、左でぶつかれば今度は右へ逸れる。まるでピンボール台を跳ね回る鉄球だ。
おれはスマートフォンを取り出してカメラを起動すると、男の背中にレンズを向けた。こいつをSNSに投稿すればコメントが山ほどつくに違いない。いいぞ、もっと近づこう。できれば顔も押さえたい。
――えっ。
男との距離を詰めようとした、そのときだった。
男の進行方向の先で人の流れが妙に乱れていることに気づいた。一つの流れが何かにぶつかり、押し返されている。
何だ、とおれは男の肩越しに目を凝らした。そして理解した瞬間、震えが走った。
――あれは。
マスク姿のおそらく中年の女。それが通行人にぶつかりながらこちらへ向かって来ていた。
――避けないおばさんだ……!
前方に人がいようとお構いなし。避けるという発想自体が端から存在しない。ぶつかり、押しのけ、人の流れを真っ二つに裂くように突き進んでいる。その勢いは雑草をなぎ倒して進む猪――いいや、まさに暴走列車。親子連れの間に平然と突っ込み、小さな子供がよろめき、あわや転ぶところだった。
間違いない。あれもまた“ぶつかり系”だ。
おれは慌ててカメラをズームした。
ふくよかな体つきにロングスカート。眉間には深い皺が刻まれ、口元は固く結ばれていた。その険しい表情は『幸せなんか知るか』と世の中に宣言しているように見えた。
これは珍しい。いったいどっちを撮ればいいんだ……!
……いや、待て。このまま進めば――。
おれはじっと目を凝らした。
ああ、間違いない。二人の進路はもろに重なっていた。仮に少しずれていたとしても、ぶつかりおじさんのほうから当たりに行くはずだ。
避けようとしない女など、格好の制裁対象ではないか。
いや、この場合はむしろ正当なぶつかりなのか? いや、どっちだ。悪対悪。それはもはや正義対正義と呼べるのではないか。
ああ、いったいどうなるんだ……!
おれは足を速め、二人の衝突予測地点へ先回りし、決定的瞬間を逃すまいと位置取った。
スマートフォンを握る手につい力がこもる。おれはそのときを待った。
来る。いや、行く。ぶつかる――。
二つの醜体がぴたりと重なった――その瞬間だった。
鈍く重い衝突音が響き渡った。
ぶつかりおじさんと避けないおばさんの体は、まるで同じ極の磁石のように同時に弾き返され、それぞれ二、三歩ほど後ろへ押し戻された。
互角か――いや、まだだ。まだ終わっていない。
おれは驚いた。二人とも体勢を立て直すや否や、一瞬のためらいもなく再び前へ踏み込んだではないか。
そして――またぶつかった。
ゴッ、と鈍い音が雑踏のざわめきを押しのけて耳に飛び込んだ。
二人はまたしても二、三歩ほど後ろへ弾き返された。しかし、次の瞬間には何事もなかったかのように互いに向かって踏み出した。
そして、再びの衝突。
まるで相撲の立ち合い。独楽同士の弾き合い。あるいは縄張りをかけて角を突き合わせる牡鹿の決闘――これは意地と意地のぶつかり合いだー!
両者一歩も引かず! 悪びれる様子など微塵もない! 社会の敵である自覚ゼロ! 自分こそが秩序を正す正義の執行人だと言わんばかりの顔で人波に逆らい、時代に逆らい、ただ己の進む道を貫く! だが、その原動力は高潔な信念などではなく、ただの社会へのやっかみ! 満たされない情欲の発散! Shoot one's load on the road!
ぶつかる! 弾かれる! またぶつかる!
身体が押し戻されるたびに体勢を立て直し、再び前へ出て胸と胸、肩と肩を真正面からぶつけ合う。両者文字どおり一歩も譲ることなく激突を繰り返した。
おれは人波を掻き分けて二人へ近づき、その場で陣取り、その異様な光景を撮影し続けた。
二人とも顔がひどく歪んでいた。口元はひん曲がり、食いしばった歯が剥き出しになっており、眉間には何本もの深い皺が刻まれている。目は怒りからか、白目を剥きかけていた。やはり人間の内面というものは顔に滲み出るものなのだろう。醜いものである。
いや、それにしても凄まじい気迫だ。汗が蒸発しているのか、二人の身体から白い湯気が立ち上っていた。耳から煙が噴き出し、目からは火花が散るほどの勢いで……いや、本当に飛び散っている。
これはどうなっているんだ……。二人の顔や胸元から青白い火花がバチバチと弾けているではないか。
服のあちこちが黒く焼け焦げ、立ち上る煙は衝突のたびに濃さを増し、やがて二人の顔の輪郭を白く覆い隠した。
――あっ!
何度目かの衝突だった。
高圧電線が破裂したかのような轟音とともに、それまでとは比較にならないほどの巨大な火花が炸裂した。白い閃光が夜の歩道一帯を呑み込み、周囲の人々の姿を掻き消した。
そして光が消えた次の瞬間、二人は同時に膝から崩れ落ち、仰向けに倒れ込んだ。
全身が痙攣し、バチッ、バチッと鋭いショート音に合わせ、身体のあちこちから細かい火花が散っている。
――これは……。
おれはおそるおそる近づき、二人を見下ろした。
首には、ぱっくりと裂け目が生じていた。ただし傷口は溶けたようになだらかであり、その奥に覗いていたのは血肉ではなかった。
鈍く光を返す金属だった。
それだけではない。色分けされた細いコードや基板らしきものが、焼け焦げた皮膚の裂け目から露出していた。
どうなっているんだ。いや、それ以上に理解できないのは周囲の反応だ。これだけの異常事態が目の前で起きているというのに、なぜ誰も気にしない。なぜ悲鳴を上げない。立ち止まる者すらおらず、誰もが平然と歩き続け、倒れた二人をまるで工事現場のパイロンでも避けるように自然と迂回していく。
誰も、誰もぶつからない――。
おれは呆然と立ち尽くしたまま、二人を見下ろし続けた。
しばらくして、路肩に一台の黒い車が停まった。ドアが開き、作業着姿の男が二人降りてきた。
「ああ、これだこれだ」
「おお。しかし珍しいな。故障品同士がぶつかり合うとは」
「ははは。大抵は壁にぶつかり続けるもんな。じゃあ、そっち持ってくれ」
「はいよ。にしても、客を入れていない時間帯で助かったな。怪我人でも出ていたら一大事だった」
「『令和にはこんな人たちがいました』で済ませるんじゃないか? 運営の連中ならな」
「ははは、ありえる。……いや、実際にいたらしいぞ。わざと通行人にぶつかって歩く奴が。なんだっけな、ぶつかり、ぶつかり……」
「ほんとかねえ」
「ほんとだって。そういうのを動画に撮ってSNSに晒していた奴もいたらしい。フォロワー欲しさにな」
「どっちも信じられないな……。今じゃとても考えられん」
「いやお前、ここで働いているくせに『令和村』を一度も回ったことないのか?」
「ああ、わざわざ客として入る気になれなくて――ん? おい、そこのロボットもエラー起こしていないか?」
「ほんとだ。後ろ向きに歩きながら、ぶつかりまくってる。間違いないな」




