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転生チート美少女ルーチェの全能感は、イチゴ1個分の肉と共に削げ落ちた

作者: ○○
掲載日:2026/03/06

「真剣でやりたいって? ルーチェ、悪いことは言わない。木刀になさい」


公爵である父の言葉を、その時の私は「才能のない者の嫉妬」だと思って聞き流していた。

だって私は転生者で、魔術も剣術もチート級。おまけに鏡の中には、ため息が出るほど美しい銀髪の令嬢。

世界は私を愛でるためにある。そう信じて疑わなかった。


「お兄様、本気で来てください。私、もうその域に達していますから」

微笑む私に、兄は困ったように真剣を抜いた。


空気が震える。最高にハイな気分だった。

私は、兄の鋭い突きを、鼻先数ミリでかわして、懐に飛び込もうとした。


そのつもりだった。


冷たい感触がした。

「……あ?」

足元に、イチゴの先端のような、見慣れない肉片が転がっている。

顔面を熱い鉄板で焼かれたような衝撃が遅れてやってきた。視界が赤く染まる。


兄の絶叫が聞こえる。侍女たちが悲鳴を上げ、崩れ落ちる。


「治せ……っ、ヒール! ハイ・ヒール! リカバリ!!」

私は、血にまみれた手で何度も魔法を放つ。

だが、私の全知全能だったはずのチート能力は、無情なシステムメッセージ吐き出すだけだった。


――【欠損部位の損傷は修復できません】――


嘘だ。


私はこれから王子様と結ばれて、美貌の剣士として崇められるはずだったのに。


「……あ、ああ、あああぁぁぁ!」


   ◇


翌日、見舞いに来た婚約者の王子は、包帯に血を滲ませた私の顔を見て、一歩後退りした。

その瞳に宿っていたのは慈しみではなく、魔獣を見るような生理的嫌悪感だった。


「ルーチェ……その、君の傷は、王家の妃としては……あまりに、その……」

最後まで聞く必要はなかった。


かつて私を「完璧な令嬢」と称えていた領民たちも、窓の外で「鼻無し令嬢」「調子に乗りすぎ」「自業自得」と囁き合っているのが聞こえた。


一週間後、私は公爵家の裏門から、一枚の鉄仮面を被って姿を消した。

背負ったのは、一本の真剣だけ。かつて自惚れの象徴だったその重みが、今はただ、呪いのように肩に食い込んでいた。


   ◇


王都から遠く離れた辺境の冒険者ギルド。

煤けた扉を押し開けた私を待っていたのは、安酒と汗の臭いと、容赦のない好奇の視線だった。

私は一言も発さず、受付へと歩む。

顔を完全に覆う武骨な鉄仮面。かつてドレスの裾を揺らして歩いた華やかな足取りは、今や泥にまみれた革靴の重い音に変わっていた。


「……登録をお願いします」

出した声の低さに、自分でも驚く。喉を焼くような慟哭をひとしきり終えた後の声は、かつての鈴を転がすような美声とは似ても似つかない。


「名前は?」

「……ルーチェ」

「名字はなしか。ランクは一番下のFからだ。で、その仮面はなんだ? 規約で素顔の確認が必要なんだよ。取んな」

受付の男が面倒そうに顎をしゃくる。

周囲の冒険者たちがニヤニヤとこちらを見ている。彼らにとって、顔を隠した女など格好の酒の肴だ。


「……どうしてもですか」

「当たり前だ。犯罪者かもしれねえからな」

私は震える指先を鉄の縁にかけた。


かつてなら、この顔一つで男たちは跪いた。だが今は、この顔を人目に晒すことが何より苦痛だった。

カチリ、と金具が外れる。

ゆっくりと仮面を外した瞬間、ギルド内の喧騒が、雪が降ったように静まり返った。


「――っ?!」

受付の男が息を呑み、椅子を鳴らしてのけぞった。

そこにあるのは、女神の化身と謳われたかつての美貌ではない。

鼻の先端が鋭利に削がれ、真ん中にぽっかりと穴の空いた、異様な存在感を放つ異形の顔だ。


「なんだよそりゃ……」

「……病気か? 呪いか何かか?」

「うわっ、縁起でもねえ。おい、あっちへ行け」

さっきまでの好奇心は、一瞬で生理的な嫌悪へと反転した。

ひそひそという囁きが、鋭いナイフのように突き刺さる。


「……確認は、済みましたか」

私は再び鉄仮面を被る。冷たい金属の感触が、今は唯一の救いだった。

男は汚いものに触れるかのように、震える手で登録証を差し出してきた。

「ああ……もういい。さっさと行け。二度と脱ぐんじゃねえぞ、飯がまずくなる」

私は登録証をひったくり、掲示板の一番隅にある、誰も見向きもしない「下水掃除」の依頼票を剥ぎ取った。


かつてSSS級魔獣を倒すと豪語していた転生令嬢の、これが「最強」への第一歩。

背後から聞こえる「せっかく他のパーツはいいのに。ありゃあ一生縁談もねえな」という笑い声を、私は鉄の奥で噛み殺した。


   ◇


「鉄の女騎士」――。

いつしか私は、そう呼ばれるようになっていた。かつての公爵令嬢ルーチェは、もういない。


鉄仮面の下に「鼻無しの醜女」を隠し、血と泥にまみれて数多の魔獣を屠り続けた。

圧倒的な剣技と、痛みすら恐れぬ狂気。私はS級という頂へと上り詰めた。


「ルーチェさん、今日も無茶をしましたね」

そう言って笑いかけてきたのは、遠征先で知り合ったA級冒険者のカイルだった。

彼は私を「一人の剣士」として扱い、鉄仮面の奥にあるはずの心にまで踏み込もうとしてきた。


「……私は、あなたの想像しているような女ではない」

「顔のことでしょう? 噂は聞いています。でも、僕が惹かれたのは、誰よりも気高く戦うあなたの魂だ」

夜のキャンプファイア。

揺れる炎を背にした彼の言葉は、あまりに甘く、あまりに優しかった。


小説のヒロインなら、ここで真実の愛を見つけ、ハッピーエンドを迎えるのだろう。

私も、その幻想に溺れかけていた。

「もし……もし、この仮面の下が、おぞましい傷だらけだったとしても?」

「僕は君の顔なんて気にしない。心に惚れたんだ。明日、街に戻ったら、いつもの酒場で乾杯しよう。その時は、君の本当の顔を見せてくれないか」


その言葉に、私は生まれて初めて、鼻を失った日以来の温かい涙を流した。


   ◇


翌晩。

街の酒場の隅で、私は震える手で仮面を外した。

鼻の欠損を露わにした私の顔を見て、彼は一瞬、確かに動きを止めた。

だが、すぐに柔らかな微笑を浮かべて言った。


「……ああ、やっぱり、君は美しいよ、ルーチェ」

その言葉に、私は救われたと思った。


彼が「少し飲み物を取ってくる」と席を立った時、私は「女としての自分」が再生していくのを感じていた。


だが。


一時間が過ぎ、二時間が過ぎた。

運ばれてきたエールは温くなり、氷のように冷え切った。


「……少し、遅いな」

私は不安になり、冒険者ギルドへ向かった。

彼が急な依頼に呼び出されたのか、あるいは魔獣の残党にでも襲われたのではないか……?


「カイル? ああ、彼なら、昨晩遅くに街を発ったよ。……どうした、顔色が悪いぞ?」

ギルド職員の声が、遠くで響く。


私はフラフラと夜の街を彷徨った。


なぜ?

あんなに優しく微笑んでくれたのに。美しいと言ってくれたのに。

歩き回るうちに、私は路地裏の鏡の前に立っていた。

月の光が、私の顔を照らし出す。そこにあるのは、平坦に潰れ、不格好に歪んだ肉の塊。


「……あ」


悟った。

彼は、私を「見た」のだ。

そして、叫び出したいほどの嫌悪感を、その善人としての仮面で必死に押し殺し、顔色一つ変えずに逃げ出したのだ。

私は地面に膝をつき、鉄仮面を再び被った。

冷たい金属が、今度は私の魂を凍りつかせるためにそこにあった。


「……そうか。私は、もう二度と人間には戻れない」


   ◇


「S級冒険者」という称号は、栄光ではない。それは「人類の最後の盾として、理不尽の極致と相見えろ」という、死刑宣告に等しい。

王都を揺るがす地響きと共に現れたのは、古の伝承にすら名のないSSS級魔獣「終焉のアギト」だった。

山を背負ったような巨躯、神の如き魔力。他のS級冒険者たちが絶望し、武器を落とす中、私だけが仮面の奥で冷たく笑った。

「失うものがないというのは、これほどまでに体が軽いのね」


私は銀髪をなびかせ、チート級の魔力と、地獄で練り上げた剣技の全てをぶつけた。

空中を舞い、光速の斬撃を叩き込む。

かつての転生直後の万能感が蘇る。これだ、これこそが私に唯一残された存在証明だ。


だが、現実は甘くなかった。


「……あ」


魔獣の漆黒の尾が、予測不能の軌道で私の側頭部を掠めた。

平衡感覚が狂い、空中で姿勢を崩す。

その一瞬の隙を、魔獣の顎は見逃さなかった。


――グチャリ。

嫌な音が響いた。

気づけば、私は地面に叩きつけられていた。

激痛すら感じないほどの衝撃。


立ち上がろうとして、左手をつく。

しかし、右肩に力を入れた瞬間、そこには「何もない」という虚無の感触だけが返ってきた。

私の利き腕、数多の魔獣を屠り、かつてカイルに握らせようとした右腕は、魔獣の口の中に消えていた。


「は、はは……あはははは!」


片腕を失いながら、私は笑った。

SSS級を辛うじて退けた代償は、剣士としての命だった。


   ◇


数ヶ月後。

王都の路地裏で、私は泥を啜っていた。

右腕を失ったことで、魔力回路が致命的に損なわれ、剣技はおろか魔法さえロクに使えなくなっていた。


「おい、見ろよ。あの『鉄の女騎士』の成れの果てだぜ」

絡んできたのは、全盛期の私なら指先一つで捻り潰せたはずの、安酒臭いチンピラ三人衆だった。

私は左手で剣を抜こうとするが、重心が安定せず、無様に地面に転がった。


「よせよ、片腕の障害者をいじめるなよ……おっと!」

一人が私の仮面の裏に指をかけ、力任せに引き剥がした。


「やめ……やめてっ!」

晒されたのは、鼻を欠き、絶望に歪んだかつての剣聖の素顔。

チンピラたちは一瞬、その異様さに言葉を失い、次の瞬間、腹を抱えて笑い出した。


「ぎゃはははは! なんだこれ! 鼻がねえぞ!」

「腕もねえ、鼻もねえ! これでS級だなんて、笑わせるなよ!」

「おい、この顔で王子様と結婚するつもりだったのか? 鏡見てから言えよ!」


羽交い締め(はがいじめ)にされ、泥の中に顔を押し付けられる。

かつて崇拝された銀髪は泥に汚れ、誇りは蹂躙された。


これが、かつて調子に乗って真剣を握った、私の終着駅。


   ◇


「おい、来るぞ! 逃げろ、魔獣だ!」


かつての王都。今は、打ち捨てられた辺境の宿場町。

地響きと共に現れたのは、かつての私なら一撃で首を撥ねられたであろう、低級のオーク数頭だった。

だが、今の町にはそれを追い払える若者はいない。皆、戦争や飢えで消えていった。

残されたのは、かつて私を「鼻無し」と嘲笑い、石を投げた老人や子供たちだけだ。


「……ひっ、助けて……!」

震える子供の前に、一人の女が立ちはだかった。

ボロボロの灰色のマント。右袖は力なく風に揺れている。

そして、その顔には――もう、鉄仮面はなかった。


「……あ、あの女……『鼻無し』のルーチェじゃないか?」

一人の老人が声を震わせる。

私は何も答えない。

ただ、残された左手で、刃のこぼれた安物の剣を抜いた。


右腕がない。重心が取れない。

一歩踏み出すだけで、かつての自分が鼻で笑うような無様な足取りになる。


「グガァッ!」


オークの棍棒が振り下ろされる。

私はそれを紙一重で、地面を転がって避けた。


かつての「美少女剣士」の華麗な舞いではない。

泥を噛み、己の醜い顔を晒しながら、必死に生きようとする野獣の足掻きだ。

左腕一本。渾身の力を込めて、オークの足首を斬りつける。


「がああああ!」


倒れ込んだ魔獣の首筋に、私は全体重を乗せて剣を突き立てた。

手が震える。息が切れる。

たった一匹倒すだけで、死ぬほど苦しい。

だが、私が膝をつこうとしたその時だった。


「……がんばれ」

小さな声だった。

見れば、さっきまで怯えていた子供が、泥だらけの拳を握りしめて私を見ていた。


「がんばれ! 行け! 鼻無しの騎士様!」

一人、また一人。

かつて私を嘲笑った町の人々が、今度はその喉を枯らして叫び始めた。


「行け! ルーチェ!」

「死ぬな! 立ち上がれ!」

それは、かつて公爵令嬢として浴びた崇拝とは、全く違う響きだった。


「……ふっ、あはは……」

あんなに欲しかった肯定が、全てを失った今、ようやく私の元に届いた。


「さあ、来なさい!」

左腕一本。折れかけた剣を構え直す。


夕日に照らされた銀髪は汚れ果てていたが、その瞳だけは、人生で今が一番、眩しく輝いていた。



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