転生チート美少女ルーチェの全能感は、イチゴ1個分の肉と共に削げ落ちた
「真剣でやりたいって? ルーチェ、悪いことは言わない。木刀になさい」
公爵である父の言葉を、その時の私は「才能のない者の嫉妬」だと思って聞き流していた。
だって私は転生者で、魔術も剣術もチート級。おまけに鏡の中には、ため息が出るほど美しい銀髪の令嬢。
世界は私を愛でるためにある。そう信じて疑わなかった。
「お兄様、本気で来てください。私、もうその域に達していますから」
微笑む私に、兄は困ったように真剣を抜いた。
空気が震える。最高にハイな気分だった。
私は、兄の鋭い突きを、鼻先数ミリでかわして、懐に飛び込もうとした。
そのつもりだった。
冷たい感触がした。
「……あ?」
足元に、イチゴの先端のような、見慣れない肉片が転がっている。
顔面を熱い鉄板で焼かれたような衝撃が遅れてやってきた。視界が赤く染まる。
兄の絶叫が聞こえる。侍女たちが悲鳴を上げ、崩れ落ちる。
「治せ……っ、ヒール! ハイ・ヒール! リカバリ!!」
私は、血にまみれた手で何度も魔法を放つ。
だが、私の全知全能だったはずのチート能力は、無情なシステムメッセージ吐き出すだけだった。
――【欠損部位の損傷は修復できません】――
嘘だ。
私はこれから王子様と結ばれて、美貌の剣士として崇められるはずだったのに。
「……あ、ああ、あああぁぁぁ!」
◇
翌日、見舞いに来た婚約者の王子は、包帯に血を滲ませた私の顔を見て、一歩後退りした。
その瞳に宿っていたのは慈しみではなく、魔獣を見るような生理的嫌悪感だった。
「ルーチェ……その、君の傷は、王家の妃としては……あまりに、その……」
最後まで聞く必要はなかった。
かつて私を「完璧な令嬢」と称えていた領民たちも、窓の外で「鼻無し令嬢」「調子に乗りすぎ」「自業自得」と囁き合っているのが聞こえた。
一週間後、私は公爵家の裏門から、一枚の鉄仮面を被って姿を消した。
背負ったのは、一本の真剣だけ。かつて自惚れの象徴だったその重みが、今はただ、呪いのように肩に食い込んでいた。
◇
王都から遠く離れた辺境の冒険者ギルド。
煤けた扉を押し開けた私を待っていたのは、安酒と汗の臭いと、容赦のない好奇の視線だった。
私は一言も発さず、受付へと歩む。
顔を完全に覆う武骨な鉄仮面。かつてドレスの裾を揺らして歩いた華やかな足取りは、今や泥にまみれた革靴の重い音に変わっていた。
「……登録をお願いします」
出した声の低さに、自分でも驚く。喉を焼くような慟哭をひとしきり終えた後の声は、かつての鈴を転がすような美声とは似ても似つかない。
「名前は?」
「……ルーチェ」
「名字はなしか。ランクは一番下のFからだ。で、その仮面はなんだ? 規約で素顔の確認が必要なんだよ。取んな」
受付の男が面倒そうに顎をしゃくる。
周囲の冒険者たちがニヤニヤとこちらを見ている。彼らにとって、顔を隠した女など格好の酒の肴だ。
「……どうしてもですか」
「当たり前だ。犯罪者かもしれねえからな」
私は震える指先を鉄の縁にかけた。
かつてなら、この顔一つで男たちは跪いた。だが今は、この顔を人目に晒すことが何より苦痛だった。
カチリ、と金具が外れる。
ゆっくりと仮面を外した瞬間、ギルド内の喧騒が、雪が降ったように静まり返った。
「――っ?!」
受付の男が息を呑み、椅子を鳴らしてのけぞった。
そこにあるのは、女神の化身と謳われたかつての美貌ではない。
鼻の先端が鋭利に削がれ、真ん中にぽっかりと穴の空いた、異様な存在感を放つ異形の顔だ。
「なんだよそりゃ……」
「……病気か? 呪いか何かか?」
「うわっ、縁起でもねえ。おい、あっちへ行け」
さっきまでの好奇心は、一瞬で生理的な嫌悪へと反転した。
ひそひそという囁きが、鋭いナイフのように突き刺さる。
「……確認は、済みましたか」
私は再び鉄仮面を被る。冷たい金属の感触が、今は唯一の救いだった。
男は汚いものに触れるかのように、震える手で登録証を差し出してきた。
「ああ……もういい。さっさと行け。二度と脱ぐんじゃねえぞ、飯がまずくなる」
私は登録証をひったくり、掲示板の一番隅にある、誰も見向きもしない「下水掃除」の依頼票を剥ぎ取った。
かつてSSS級魔獣を倒すと豪語していた転生令嬢の、これが「最強」への第一歩。
背後から聞こえる「せっかく他のパーツはいいのに。ありゃあ一生縁談もねえな」という笑い声を、私は鉄の奥で噛み殺した。
◇
「鉄の女騎士」――。
いつしか私は、そう呼ばれるようになっていた。かつての公爵令嬢ルーチェは、もういない。
鉄仮面の下に「鼻無しの醜女」を隠し、血と泥にまみれて数多の魔獣を屠り続けた。
圧倒的な剣技と、痛みすら恐れぬ狂気。私はS級という頂へと上り詰めた。
「ルーチェさん、今日も無茶をしましたね」
そう言って笑いかけてきたのは、遠征先で知り合ったA級冒険者のカイルだった。
彼は私を「一人の剣士」として扱い、鉄仮面の奥にあるはずの心にまで踏み込もうとしてきた。
「……私は、あなたの想像しているような女ではない」
「顔のことでしょう? 噂は聞いています。でも、僕が惹かれたのは、誰よりも気高く戦うあなたの魂だ」
夜のキャンプファイア。
揺れる炎を背にした彼の言葉は、あまりに甘く、あまりに優しかった。
小説のヒロインなら、ここで真実の愛を見つけ、ハッピーエンドを迎えるのだろう。
私も、その幻想に溺れかけていた。
「もし……もし、この仮面の下が、おぞましい傷だらけだったとしても?」
「僕は君の顔なんて気にしない。心に惚れたんだ。明日、街に戻ったら、いつもの酒場で乾杯しよう。その時は、君の本当の顔を見せてくれないか」
その言葉に、私は生まれて初めて、鼻を失った日以来の温かい涙を流した。
◇
翌晩。
街の酒場の隅で、私は震える手で仮面を外した。
鼻の欠損を露わにした私の顔を見て、彼は一瞬、確かに動きを止めた。
だが、すぐに柔らかな微笑を浮かべて言った。
「……ああ、やっぱり、君は美しいよ、ルーチェ」
その言葉に、私は救われたと思った。
彼が「少し飲み物を取ってくる」と席を立った時、私は「女としての自分」が再生していくのを感じていた。
だが。
一時間が過ぎ、二時間が過ぎた。
運ばれてきたエールは温くなり、氷のように冷え切った。
「……少し、遅いな」
私は不安になり、冒険者ギルドへ向かった。
彼が急な依頼に呼び出されたのか、あるいは魔獣の残党にでも襲われたのではないか……?
「カイル? ああ、彼なら、昨晩遅くに街を発ったよ。……どうした、顔色が悪いぞ?」
ギルド職員の声が、遠くで響く。
私はフラフラと夜の街を彷徨った。
なぜ?
あんなに優しく微笑んでくれたのに。美しいと言ってくれたのに。
歩き回るうちに、私は路地裏の鏡の前に立っていた。
月の光が、私の顔を照らし出す。そこにあるのは、平坦に潰れ、不格好に歪んだ肉の塊。
「……あ」
悟った。
彼は、私を「見た」のだ。
そして、叫び出したいほどの嫌悪感を、その善人としての仮面で必死に押し殺し、顔色一つ変えずに逃げ出したのだ。
私は地面に膝をつき、鉄仮面を再び被った。
冷たい金属が、今度は私の魂を凍りつかせるためにそこにあった。
「……そうか。私は、もう二度と人間には戻れない」
◇
「S級冒険者」という称号は、栄光ではない。それは「人類の最後の盾として、理不尽の極致と相見えろ」という、死刑宣告に等しい。
王都を揺るがす地響きと共に現れたのは、古の伝承にすら名のないSSS級魔獣「終焉の顎」だった。
山を背負ったような巨躯、神の如き魔力。他のS級冒険者たちが絶望し、武器を落とす中、私だけが仮面の奥で冷たく笑った。
「失うものがないというのは、これほどまでに体が軽いのね」
私は銀髪をなびかせ、チート級の魔力と、地獄で練り上げた剣技の全てをぶつけた。
空中を舞い、光速の斬撃を叩き込む。
かつての転生直後の万能感が蘇る。これだ、これこそが私に唯一残された存在証明だ。
だが、現実は甘くなかった。
「……あ」
魔獣の漆黒の尾が、予測不能の軌道で私の側頭部を掠めた。
平衡感覚が狂い、空中で姿勢を崩す。
その一瞬の隙を、魔獣の顎は見逃さなかった。
――グチャリ。
嫌な音が響いた。
気づけば、私は地面に叩きつけられていた。
激痛すら感じないほどの衝撃。
立ち上がろうとして、左手をつく。
しかし、右肩に力を入れた瞬間、そこには「何もない」という虚無の感触だけが返ってきた。
私の利き腕、数多の魔獣を屠り、かつてカイルに握らせようとした右腕は、魔獣の口の中に消えていた。
「は、はは……あはははは!」
片腕を失いながら、私は笑った。
SSS級を辛うじて退けた代償は、剣士としての命だった。
◇
数ヶ月後。
王都の路地裏で、私は泥を啜っていた。
右腕を失ったことで、魔力回路が致命的に損なわれ、剣技はおろか魔法さえロクに使えなくなっていた。
「おい、見ろよ。あの『鉄の女騎士』の成れの果てだぜ」
絡んできたのは、全盛期の私なら指先一つで捻り潰せたはずの、安酒臭いチンピラ三人衆だった。
私は左手で剣を抜こうとするが、重心が安定せず、無様に地面に転がった。
「よせよ、片腕の障害者をいじめるなよ……おっと!」
一人が私の仮面の裏に指をかけ、力任せに引き剥がした。
「やめ……やめてっ!」
晒されたのは、鼻を欠き、絶望に歪んだかつての剣聖の素顔。
チンピラたちは一瞬、その異様さに言葉を失い、次の瞬間、腹を抱えて笑い出した。
「ぎゃはははは! なんだこれ! 鼻がねえぞ!」
「腕もねえ、鼻もねえ! これでS級だなんて、笑わせるなよ!」
「おい、この顔で王子様と結婚するつもりだったのか? 鏡見てから言えよ!」
羽交い締め(はがいじめ)にされ、泥の中に顔を押し付けられる。
かつて崇拝された銀髪は泥に汚れ、誇りは蹂躙された。
これが、かつて調子に乗って真剣を握った、私の終着駅。
◇
「おい、来るぞ! 逃げろ、魔獣だ!」
かつての王都。今は、打ち捨てられた辺境の宿場町。
地響きと共に現れたのは、かつての私なら一撃で首を撥ねられたであろう、低級のオーク数頭だった。
だが、今の町にはそれを追い払える若者はいない。皆、戦争や飢えで消えていった。
残されたのは、かつて私を「鼻無し」と嘲笑い、石を投げた老人や子供たちだけだ。
「……ひっ、助けて……!」
震える子供の前に、一人の女が立ちはだかった。
ボロボロの灰色のマント。右袖は力なく風に揺れている。
そして、その顔には――もう、鉄仮面はなかった。
「……あ、あの女……『鼻無し』のルーチェじゃないか?」
一人の老人が声を震わせる。
私は何も答えない。
ただ、残された左手で、刃のこぼれた安物の剣を抜いた。
右腕がない。重心が取れない。
一歩踏み出すだけで、かつての自分が鼻で笑うような無様な足取りになる。
「グガァッ!」
オークの棍棒が振り下ろされる。
私はそれを紙一重で、地面を転がって避けた。
かつての「美少女剣士」の華麗な舞いではない。
泥を噛み、己の醜い顔を晒しながら、必死に生きようとする野獣の足掻きだ。
左腕一本。渾身の力を込めて、オークの足首を斬りつける。
「がああああ!」
倒れ込んだ魔獣の首筋に、私は全体重を乗せて剣を突き立てた。
手が震える。息が切れる。
たった一匹倒すだけで、死ぬほど苦しい。
だが、私が膝をつこうとしたその時だった。
「……がんばれ」
小さな声だった。
見れば、さっきまで怯えていた子供が、泥だらけの拳を握りしめて私を見ていた。
「がんばれ! 行け! 鼻無しの騎士様!」
一人、また一人。
かつて私を嘲笑った町の人々が、今度はその喉を枯らして叫び始めた。
「行け! ルーチェ!」
「死ぬな! 立ち上がれ!」
それは、かつて公爵令嬢として浴びた崇拝とは、全く違う響きだった。
「……ふっ、あはは……」
あんなに欲しかった肯定が、全てを失った今、ようやく私の元に届いた。
「さあ、来なさい!」
左腕一本。折れかけた剣を構え直す。
夕日に照らされた銀髪は汚れ果てていたが、その瞳だけは、人生で今が一番、眩しく輝いていた。




