30話 都市ラグナスと冒険者ギルド
門前の列は思ったより長かった。
石造りの巨大な門の前に、馬車や徒歩の人がずらりと並んでいる。兵士たちが一台ずつ止めて、荷を確認し、簡単なやり取りをしているのが見える。
「思ったより厳重だね」
私が小声で言うと、御者が肩をすくめた。
「都市だからな。盗品も流れるし、指名手配も流れ込む。壁は飾りじゃねぇ」
行商人がにやりと笑う。
「とはいえ、真っ当に生きている者には怖い場所ではありませんぞ。……まあ、多少のお金さえ払えば」
「最後の一言いらない」
ミアが冷静に返す。
やがて列が進み、私たちの番になる。兵士が荷台を覗き込み、商人の荷を軽く確認し、御者にいくつか質問する。
私たちにも視線が向いた。
「ラグナスは初めてか?」
「はい」
少しだけ背筋を伸ばして答える。
兵士は一瞬こちらを見て、それから淡々とうなずいた。
「問題なし。通れ」
それだけ。
拍子抜けするくらいあっさりと、馬車は門をくぐった。
石のアーチの下を通る瞬間、ひやりとした空気が肌を撫でる。影を抜けた次の瞬間──
視界が一気に開けた。
「……わ」
思わず声が漏れる。
石畳の道がまっすぐ伸び、その両側に建物が並んでいる。三階建ての建物もある。看板が揺れ、人が行き交い、呼び込みの声が飛び交い、荷車が行き交う。
匂いも、音も、密度が違う。
ハルヴァ村とは、まるで別世界だ。
「きょろきょろしすぎ」
「だって!」
ミアに袖を引かれても、目が追いつかない。武具屋らしき店、果物を並べた露店、布を売る商人。視界に入るもの全部が新しい。
馬車は街道沿いの広場で止まった。
「ここまでだ」
御者が言う。
荷台から降りると、石畳の感触が足裏に伝わる。硬い。しっかりしている。森の土とも、村の板とも違う。
行商人が荷を背負いながら、こちらを見た。
「さてさて、お二人。ラグナスへようこそ、ですな」
「……本当に来ちゃったね」
私が呟くと、商人はミアの腰元にちらりと視線を落とした。短剣の柄が見えている。
「見たところ、戦うことも厭わぬご様子。お金を稼ぐなら、まずは冒険者ギルドへ行くのが手っ取り早いですぞ。登録さえすれば、仕事は山ほどありますからな」
「冒険者ギルド……」
聞いたことはある。けど、入ったことはない。
ミアが商人を見る。
「危なくない?」
「危険はありますな。しかし、街の外で勝手に狩りをするよりは、よほど安全で効率的です。依頼という形で管理されておりますから」
「つまり、ちゃんとルールがあるってこと?」
「その通り。報酬も明確。腕次第で上へ行ける。若い方には向いておりますぞ」
若い方。
私はミアを見る。
「どうする?」
「お金はいる。強くなる方法も探したい。なら、情報が集まる場所に行くべき」
即決だ。
「じゃあ、ギルドだね」
商人が満足そうにうなずく。
「中央通りをまっすぐ。大きな盾の看板が目印ですぞ。では、わたくしは商売がありますゆえ」
「ありがとう、胡散臭い人」
「ははは!誠実な行商人ですぞ!」
手を振って別れる。
人の流れに飲み込まれないように、私はミアの隣をぴったり歩く。視線はなるべく前。きょろきょろしすぎないように。
しばらく歩くと、確かに見えてきた。
大きな木の看板。交差した剣と盾の紋章。
「あれかな」
「たぶん」
扉を押して中に入る。
木の匂いと、酒と、鉄の匂いが混ざった空気。思ったより広い。長いテーブルがいくつも並び、壁には紙がびっしり貼られている。
「……あれ? 思ったより人少ない?」
私は小声で言う。
数人の冒険者らしき人が席で話しているけど、満席という感じではない。
ミアが周囲を見回す。
「昼前だから?」
たぶん、それだ。
冒険者は基本的に朝早く動く。依頼を受けて外へ出るために、朝一番にギルドへ集まる。そして夕方、依頼を終えて戻ってきた時間帯がまた混む。今はその中間。だから空いているのだろう。
つまり──
ちょうどいい時間。
受付カウンターへ向かう。奥に立っていた女性が、私たちに気づいて柔らかく微笑んだ。
「こんにちは、冒険者ギルドへようこそ」
声が明るい。
「クエストの受注でしたら、あちらの掲示板から選んで受付へどうぞ」
私は一瞬ミアと顔を見合わせる。
「あ、えっと……」
深呼吸。
「その、私たち、登録からなんですけど」
受付嬢の笑顔が少しだけ深まった。
「初登録ですね。ようこそ。では、こちらへどうぞ」
受付嬢に案内されて、私たちはカウンターの正面に立つ。近くで見ると、年上だけど若い女性だ。髪はきちんとまとめられていて、胸元にはギルドの紋章入りの小さなバッジがついている。
にこやか。でも、目はちゃんと仕事の目だ。
隣をチラリと見ると、ミアもバッチを見ているようだった。…いや違う。胸だ。胸を見ている。受付嬢さんの立派な胸を何とも言えない表情でガン見している。
受付嬢は気づいているのか、いないのか分からないが、表情は変わらずにこやかだった。
「それではまず、冒険者ギルドについて簡単にご説明いたしますね」
私とミアは同時にうなずく。
「冒険者ギルドは、都市および周辺地域の安全維持と依頼仲介を目的とした組織です。主な業務は、魔物討伐、護衛、採取、調査、運搬補助など。依頼はすべて一度ギルドを通して発行され、成功報酬の一部を手数料としていただきます」
「手数料って、どれくらいですか?」
思わず聞くと、受付嬢はすぐ答える。
「基本は一割です。ただし、特別依頼や高難度任務の場合は二割になることもあります」
「ちゃんとしてる……」
私がぼそっと言うと、ミアが小さく肘でつつく。
受付嬢はくすりと笑った。
「また、冒険者にはランク制度があります。下はFランク、一番上はSランクになります。登録時は全員“Fランク”からのスタート。依頼の達成数や内容、ギルドの評価に応じて昇格していきます」
「ランクが上がると、何が変わる?」
今度はミアが聞く。胸をガン見していても必要な情報はしっかりと聞く。さすがミアだ。
「受注できる依頼の幅が広がります。報酬も上がりますし、指名依頼が来ることもあります。ただし、上に行くほど危険度も増します」
危険度。
その言葉に、胸の奥が少しだけ引き締まる。
「なお、未成年の方の場合、一定期間は単独での高難度依頼は受けられません。高難易度依頼の経験者とパーティーを組むか、条件付きでの受注になります」
「未成年って、何歳までですか?」
「15歳未満ですね」
私はミアを見る。ミアは私を見る。
「……二人とも、未成年ですね」
受付嬢がやんわり言う。
「ですが、ご安心ください。Fランクの依頼は採取や雑務も多いので、十分に経験を積めますよ」
「街の外に出る依頼もありますか?」
私が聞くと、受付嬢はうなずいた。
「あります。ただし、初回登録後は簡単な適性確認と簡易実力測定を行います。それをもとに、受注可能な依頼が決まります」
「実力測定?」
「模擬戦、もしくは基礎技能の確認ですね。危険なものではありません」
よかった。いきなり命がけ、とかじゃないらしい。
「あと、ギルド内での揉め事は禁止です。私闘、脅迫、依頼妨害などが確認された場合、減点、罰金、最悪の場合は除名になります」
「除名されたら?」
「他都市のギルドにも記録が共有されます」
「うわ、ちゃんと組織だ……」
思わず漏れた本音に、受付嬢は少しだけ誇らしげに微笑んだ。
「都市ラグナスのギルドは、王都に次ぐ規模ですので」
王都。
その言葉に、世界の広さを改めて感じる。
「……ここまでで、何かご質問はありますか?」
私はミアを見る。
ミアは少し考えてから言う。
「依頼中に怪我をした場合、治療支援はありますか?」
受付嬢はすぐにうなずいた。
「軽傷であれば、ギルド提携の治療院を割引で利用できます。重傷の場合は、状況に応じて緊急搬送手配も行います。ただし費用は自己負担ですね。他にご質問はありますか?」
現実的だ。でも、何もないよりずっといい。
私は小さく息を吸う。
「いえ、大丈夫です」
ミアもこくりとうなずく。
「では、登録に進みますね。こちらに、名前、年齢、出身地、職業や保有スキルをご記入ください。魔力適正が既に判明している場合は、そちらもお願いします」
その言葉と同時に、受付嬢はカウンターの下から二枚の用紙とペンを取り出す。さらさらとした紙だ。すでにいくつかの項目が整った字で並んでいる。
「魔力適正…まだ測ったことありません」
「私も」
「未測定でも問題ありません。お金が少しかかりますが、教会やギルド内で簡易鑑定で測定できます。今、行いますか?」
私とミアは顔を見合わせる。
「今、できるんですか?」
「はい。水晶を使った簡易判定ですので、数分で終わります」
そう聞かれて、私は一瞬だけミアと顔を見合わせたあと、「お願いします」と答えた。
お金を払ったあとに案内されたのは、門の脇にある小さな石造りの部屋だった。中には机と椅子、それから透明な水晶玉が台座の上に置かれている。
手のひらより少し大きい、透明な球体。台座に乗せられたそれは、昼前の光を受けて静かにきらめいている。中は空洞のようにも、無限に奥行きがあるようにも見えた。
「では、まずレナさんから。両手で包むように触れてください。無理に力を込める必要はありません。ご自身の内側にある“流れ”を、そっと外へ滲ませる感覚で」
私は一歩前に出て、水晶に両手を添える。ひやりとした感触が掌に広がる。その冷たさが、逆に意識をはっきりさせた。
目を閉じ、胸の奥に意識を沈める。
魔力というものを、はっきり掴んだことはない。けれど、あの日──森で必死に走ったとき、守ると決めたとき、体の奥が熱を持った瞬間は確かにあった。
あの、奥から湧き上がる感覚。それを、思い出す。
静かに、深く呼吸をして集中する。
次の瞬間、水晶の中心に小さな光が灯った。
最初は、夜に瞬く星のようにかすかだったそれが、ゆっくりと広がっていく。柔らかい白い光。やがてそれは、澄んだ輝きを帯び、球全体を内側から照らし始めた。
「……おや」
受付嬢の声がわずかに弾む。
白い光は、濁りのない純粋な輝きへと変わる。その周囲に、今度は赤い揺らめきが混ざった。炎のように、しかし激しすぎない、小さな火種のような色。
光の中に、火が宿る。
目を開けると、水晶はまるで小さな太陽のように淡く輝いていた。
「光属性が主ですね。それも、かなり明瞭です。副次に炎の反応も出ています」
「炎……?」
思わず呟く。
受付嬢はうなずく。
「光と炎は親和性が高い属性です。攻撃、補助、どちらにも応用が利く組み合わせですね。出力は……どちらも平均以上。伸びしろも大きいです」
平均以上、伸びしろ。その言葉が、胸の奥にじんわりと染み込む。森の中では、ただ生きることに必死だった。けれど今、私は初めて“力”というものを、形として見ている。
自分の中に、こんな色があったなんて。そう思うと、守ると決めたあの日の感覚が確かにここに繋がっていた気がしてくる。
「次はミアさん、お願いします」
ミアが一歩前に出る。表情はいつも通り落ち着いているけれど、その指先にはわずかな緊張が見えた。
同じように水晶へ触れる。
目を閉じ、数秒の静寂の後、水晶の奥に深い青が滲み出す。
静かな湖のような色。透明で、冷たく、けれど底知れない広がりを感じさせる青。
それはゆっくりと球全体に広がり、安定した光を放つ。その中に、今度は淡い茶色──大地を思わせる色が、根を張るように混ざっていった。
青と土色が重なり合い、揺らがずに留まる。
「水属性が主ですね。出力も安定しています。獣人族は魔法に長けた種族ではないのに、すごいですね…副次に土の適性も見られます」
受付嬢が少し嬉しそうに続ける。
「水属性を十分に扱えるようになれば、氷系統への応用も可能です。土の適性もありますから、防御や拘束系との相性も良いでしょう」
「水と土…悪くない」
水晶の中で揺れていた青い光は、やがてゆっくりと弱まり、静かに収束していく。淡い輝きが細くなり、やがて完全に消えると、水晶は何事もなかったかのように透明へ戻った。
私は隣に立つミアを見る。
「すごいね」
「レナも」
ミアの声はいつも通り落ち着いているけれど、ほんの少しだけ口元が緩んでいた。
自分の中に、確かな力があると知った瞬間の、少しだけ高揚した感覚。口が緩むのは当然だった。
受付嬢が書類に丁寧に追記していく。
◻︎レナ:主属性・光/副次・炎
◻︎ミア:主属性・水/副次・土
「では、受付に戻って記入しましょうか」
そう言って、受付嬢が受付へと戻りはじめたので、二人は自然と口元が緩んだまま、受付へ戻った。
「改めて、こちらに記入をお願いします。また分からないことがあれば言ってくださいね」
「分かりました。ありがとうございます」
私はうなずいてペンを取った。
けれど、ある項目まで来たところで、ふと手が止まる。
「……あの」
受付嬢が顔を上げる。
「はい?」
「出身の村、名前が無いくらい辺境の村なんですが……」
自分で言って、ちょっとだけ変な感じがする。名前がない、って。
隣でミアも静かに言う。
「私の里も、特に名前はなかった」
受付嬢は驚いた顔もせず、穏やかにうなずいた。
「そうですか。では、どの辺りになりますか?」
「ハルヴァ村から西に、徒歩で二十日くらい離れたところです」
受付嬢の目が少しだけ細くなる。頭の中で地図を広げているみたいに。
「なるほど……その辺りでしたら、ここ都市ラグナスの領地内ですね。では“都市ラグナス領・辺境部”と書いていただければ問題ありません」
「それでいいんですか?」
「はい。村や里に正式名称がない場合、地理区分で登録しますので」
きっぱりしている。安心する。
私は紙にゆっくり書く。
──都市ラグナス領・辺境部。
なんだか少し、ちゃんとした所属ができた気がした。
次の欄に目を落とす。
職業。
スキル。
「……職業、スキルって」
私が呟くと、ミアも同じところで止まっていた。
「スキルって、どう書けばいいの」
受付嬢が優しく補足する。
「これまで生業にしていたことや、得意なこと、戦闘経験などですね。例えば“狩猟”“採取”“剣術経験あり”などで構いません」
「……森で狩りと採取をしてた。だから薬草の選別はできる。あと簡単な治療補助。戦闘は短剣中心。……でも、少しだけ剣と弓も使える」
「え、そんなに武器使えたの?爪と短剣だけかと思ってた。てか治療補助?」
「うん。父さんとか里のみんなから、教えてもらったから使える。治療補助は、包帯巻くの上手い」
「確かに上手。ミアすごい…」
受付嬢がクスッと笑い、誇らしげにしているミアを微笑ましそうにこちらを見ている。
「では、“狩猟・採取・治療補助の経験あり、短剣・剣・弓の基礎扱い可”といった形で大丈夫ですね」
私は自分の欄を見つめる。
「……私は村近くの森で採取はしてました。あとは、最近、ミアから短剣の使い方を教えてもらってます。私のいた村でミアと、村のおじさんと一緒に魔獣と、この街に向かう途中でスライムも倒しました」
「魔獣…ですか。魔物ではなくて、ですね?」
「…?は、はい」
「そうですか…、それは…大変でしたね。まだお若いのに凄いです」
「ありがとうございます…?」
受付嬢の反応がなにかおかしい気がする。よく分からないか褒めてくれているようなので、とりあえず感謝の言葉を伝えたが、私たちはなにかすごいことをしたのだろうか?
「では、“採取経験、魔物・魔獣討伐の経験あり、短剣の基礎扱い可”といった感じで書いてみましょうか」
受付嬢の指示通りに書いていく。自分のことをこうやって文字にするのは、自分を形にしていくようで、なんだかワクワクした。
最後の項目まで書き終え、私はペンを置いた。
インクが乾くのを待ちながら、改めて紙を見下ろす。そこには、確かに“今の私”が書かれていた。
「お二人とも、非常に良い素質をお持ちです。基礎訓練をしっかり積めば、実戦でも十分に活躍できるでしょう」
ギルドの中は相変わらず落ち着いている。遠くで椅子が引かれる音、低い笑い声、紙をめくる音。その中で、私たちは静かに立っている。
「これで登録は完了です」
受付嬢が顔を上げ、柔らかく微笑む。
「ようこそ、都市ラグナス冒険者ギルドへ。レナさん、ミアさん」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かが静かに動いた。
ついに、私たちはたった今、ただの旅人から冒険者になった。




