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境界観測《リミナル・サイト》 ―魔王も勇者も転生者!?でも私はただの村娘です―  作者: Rasky
第1章 都市ラグナス

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26話 はじめての外

森を背にして歩き出してから、七日が過ぎていた。


振り返ればまだ緑の濃い影が見える距離なのに、もうあの場所は遠いもののように感じる。


朝は靴の底からじわりと冷えが伝わるほど草が濡れていて、踏みしめるたびに水滴が跳ね、裾を湿らせた。

昼になれば今度は容赦のない日差しが頭上から降り注ぎ、影の少ない道では視界が白く滲む。

夜は焚き火の前で膝を抱え、ぱちぱちと爆ぜる薪の音を聞きながら眠りにつく。炎が小さくなるたびに胸の奥が少しだけ不安になるのは、まだこの広い世界に慣れていないからだと思う。


村の境界線を越えた瞬間の感覚は、今でもはっきり覚えている。森の奥地に入った時、足が一瞬だけ止まった。戻れる場所を、自分の意思で背にする重さ。誰に追い立てられたわけでもないのに、逃げるような気持ちと、踏み出さなければ何も始まらないという焦りが入り混じっていた。


村の外へ出たのは、これが初めてだった。


これまでは、外はただ“危ない場所”だった。森の奥に行けば獣がいて、村の外には知らない人間がいて、理不尽がある。そう教えられて育った。


でも実際に歩いてみると、広がっていたのはただの空と風と地平線だった。誰もいない草原に立つと、逆に自分が小さすぎて、どうして今までこんなにも狭い世界だけを見ていたのかと不思議になる。


世界は、思っていたよりも広くて、そして驚くほど静かだった。


静かだからこそ、自分の足音がやけに大きく聞こえる。隣を歩くミアの呼吸、風に揺れる草の擦れる音、遠くを飛ぶ鳥の羽ばたき。それら全部がはっきり耳に届いて、そのたびに私は「ああ、本当に外にいるんだ」と実感する。


怖くないわけじゃない。けれど、それ以上に、胸の奥で小さな何かが揺れている。


きっとこれが、“知らない場所へ進む”ということなんだと思う。


「……ほんとに遠いんだね」


歩きながら呟くと、隣を歩くミアが頷く。


「バイルは二十日はかかるって言ってた」


出立の前夜。

バイルは無言で木板を持ち出し、炭を手に取った。慣れた手つきで線を引く。まっすぐではない、少し歪んだ線。それが道になる。


“ここがこの村から一番近い村、ハルヴァ村だ”


炭が小さな円を描く。


“南へ下れ。森を抜けて丘を越えれば、二十日ほどで着く。小さいが、行商人が集まる場所だ。そこからラグナス行きの馬車が出ている”


二十日。


その数字を聞いたとき、遠いと思った。でも同時に、行ける距離だとも思った。歩けば届く距離。逃げ場のない絶望ではなく、時間をかければ辿り着ける場所。


都市ラグナス。


王都の南にある交易都市。物資が集まり、人が集まり、噂が集まる場所。私はその名前を頭の中で何度も反芻した。知らない街のはずなのに、その響きだけで胸の奥がざわつく。


そこに行けば、もしかしたら何かが分かるかもしれない。


ミアの里を襲った奴のこと。

そして、私の村を襲った魔獣のこと。


生き残った村のみんなは口を揃えて言っていた。突然現れた4~5体の魔獣達は散発的ではなく、まるで囲い込むように動き、逃げ道を塞ぐように行動した、と。

とても偶然で片付けられる行動じゃない。父と母が命を落としてしまった理由も、ただの魔獣災害ではなかったのではないかと、今になって思う。


ふと、鼻の奥にあの匂いが蘇る。

魔獣に出会う前、森の中で嗅いだ焦げたような匂い。

あの時は、魔獣が火でも吐くのかと思った。

でも、私たちが倒したあの魔獣は、そんな素振りを一度も見せなかった。


もし同じ“何か”が裏にあるのだとしたら、ミアの里と、私の村は、同じ理由で壊されたのかもしれない。


その考えに辿り着いた瞬間、背筋が冷え、同時にはっきりとした形の怒りが胸に灯った。


偶然じゃないのなら、探せる。

理由があるなら、辿り着ける。


私は木板に描かれた歪な円を見つめながら、静かに拳を握った。


もう、何も知らないまま失うのは嫌だった。


“ラグナスを目指すといい。情報を集めたいなら、まずはそこだ”


バイルの声はいつも通り落ち着いていた。でも炭を握る指先に、ほんのわずかな力が入っているのを私は見逃さなかった。


そして最後に、彼は少しだけ視線を上げ、低い声で言った。


“ただし気をつけろ。街は村と違う。優しくもないし、誰も助けてはくれない”


その言葉は、夜気よりも冷たく感じた。


村では、誰かが倒れれば誰かが駆け寄る。名前を呼べば振り向いてくれる。でも街では違うのだと、バイルは言っている。


助けを求めても、手が差し伸べられるとは限らない場所…


正直、怖いと思った。


けれど、それ以上に思ったのは──それでも行かなければならない、ということだった。


あの夜、薬草の匂いの中で描かれた歪な地図は、ただの道案内じゃなかった。それは、私たちが“村の外で生きる”ための最初の覚悟だった。


十日目。


最初に違和感を覚えたのは、朝、立ち上がった瞬間だった。足の裏にじくりとした痛みが走る。靴を脱いでみると、皮が擦れ、赤く腫れた豆がいくつもできていた。歩くという行為が、こんなにも身体を削るものだとは知らなかった。


焚き火の残り火をかき分けながら、私は黙って包帯を巻き直す。布越しに触れても分かるほど熱を持っていて、体温とは別の“疲れ”が溜まっているのを感じる。


「大丈夫?」


ミアが覗き込む。


「平気。歩ける」


そう言いながら立ち上がると、ほんの少しだけ重心が揺れた。無理をしている自覚はある。でも止まる理由にはならない。


ミアの傷は順調に塞がってきている。軽く走るくらいなら大丈夫なくらいには、右足の骨も治っているようだった。包帯を替えるたびに、生き物としての強さを思い知らされる。

でも完全ではない。深く抉れた傷跡はまだ薄く赤く残っていて、長距離を歩けば痛みも出るはずだ。だから歩く速度は決して早くない。急げば急ぐほど、どちらかが無理をすることになる。


それでも、確実に南へ進んでいる。


朝日が昇る方向と影の向き、夜に見上げる星の位置、そしてバイルの描いた地図。自分たちの足で、世界の上を少しずつ移動しているという実感が、疲労の奥で静かに支えになっていた。


十五日目。


丘を登り切ったとき、風が強く吹き抜けた。草が波のように揺れ、その向こうに、細く光る線が見える。


川だった。


遠く、陽光を反射してきらめく水面。蛇行しながら大地を横切っている。


私は思わず立ち止まる。


「……あれ、じゃない?」


ミアが目を細める。


バイルの地図。炭で描かれた一本の曲線。


“その川を下っていけば、ハルヴァは近い”


あの夜の声が、風の中で蘇る。


ここまで来たんだ、という実感が胸の奥でゆっくり広がる。まだ辿り着いてはいないのに、身体の奥に溜まっていた緊張が少しだけ緩む。


「ちゃんと進んでるね」


私がそう言うと、ミアが小さく頷く。


「うん。止まってない」


その一言が、不思議と嬉しかった。


失ったものは戻らない。傷跡も消えない。でも、止まらずに進んでいる限り、何かに近づいている。


川を見下ろしながら、私は深く息を吸い込む。湿った水の匂いが風に混じる。


あと少し。


その言葉が、初めて現実味を帯びた。


十八日目の午後。


丘を越え、踏み固められた道に出ていた。轍の跡が残り、ところどころに蹄の形がある。ハルヴァへ向かう街道で間違いない。人の往来があるはずの道なのに、今は風が草を撫でる音しか聞こえない。


「……止まって」


ミアの声がわずかに低くなる。


視線の先、街道脇の浅い水たまり。風もないのに、水面だけが小さく揺れている。


ぽこ…ぽこぽこ…


「…?」


ぶくりっ

水面が盛り上がった。


「…!?」


次の瞬間──


ぴょん。


半透明の塊が飛び出した。


ぽよん、と地面に着地し、弾むように震える。陽光を受けて内部の核がゆらゆら揺れている。


一拍。


「……可愛い」


思わず口から零れた。

隣で、ミアも小さく笑いながら頷く。


「うん。ちょっと」


ぴょん、ぽよん。


もう一体が跳ね、水たまりから二体目、三体目が姿を現す。小さく弾む様子は、どこか間の抜けた生き物みたいで、思わず頬が緩みそうになる。


そのとき。


じゅうぅぅ、と地面から白い煙が上がった。


スライムが触れていた草が、音もなく溶けていく。緑が黒ずみ、どろりと崩れる。


道の端の小石が、ピシッと小さな音を立てて欠けた。


「……可愛くない」


「可愛くないね」


即答だった。


粘液が地面を侵しながら、ゆっくりとこちらへ寄ってくる。

見た目に騙されるところだった。


私は息を整える。


「さっと片付けよ」


「うん」


ぴょん、と一体が跳ねる。

私は横に流して踏み込み、核を狙って蹴り抜く。粘液が弾け、靴底に嫌な感触が残る。


二体目がミアへと向かっていく。

ミアは一歩引き、短剣で横から斬り裂いた。核に届いた瞬間、粘体が崩れ落ちる。


三体目は私たちの隙を窺うように揺れている。


「右から行く」


「合わせるよ」


私は前へ出てわざと大きく踏み込み、ぴょんと跳ねたスライムの注意を引きつける。その弾んだ瞬間の隙をついて、背後からミアが滑り込んだ。


短剣の刃が陽を弾き、迷いなく核へと突き立てられる。粘体が一瞬ぶるりと震え、抵抗する間もなく形を失っていく。どろりと崩れたそれは、やがてただの水のように地面へ広がり、跡形もなく消えていった。


私は小さく息を吐きながら、靴底を地面に擦りつけて、べったりと付いた粘液を落とす。ぐにゃりとした感触がまだ残っていて、思わず顔をしかめた。


「うげぇ……」


草に何度も擦りつけるけれど、透明な糸がびよーんと伸びる。


「……踏んだ?」


ミアが静かに聞く。


「うん、最悪……おぇぇ……臭い……腐った卵みたいな匂いする……」


鼻をつまみながら靴を振ると、ぬるりとした欠片が飛んで、今度は裾に付いた。


「やだあぁ……」


レナの情けない声に、ミアは吹き出すでもなく、ただ心底同情したような目を向ける。そして、指をピンッと立てて、


「それ、乾くともっと臭いらしい」


「早く教えてよそれ!?」


「ぶはっ」


ミアは吹き出した。心底同情したような眼差しは一体どこに行ってしまったのか。

そんなミアを横目に、裾についた粘液を慌てて草で拭き取る。


…もう遅い気もするが。


戦闘のときは平気なのに、終わった途端これだ。自分でも情けないと思う。


「にしても、街道でも出るんだね」


踏み固められた土の道。轍の跡。人が通っているはずの場所。


「水場があれば、どこでも出るらしい」


ミアが、ほらと言いながら、指を刺して淡々と答える。「さっきの川の支流が近くにある」と。それを聞いて、だからかと納得する。


大した戦いじゃない。怪我もない。息も上がっていない。


でも、ここはもう“村の外の森”じゃない。人が通る道だ。そこにも魔物はいる。安全な場所なんて、どこにもない。


私はふとミアを見る。


「……ちゃんと戦えてた?」


少しだけ、不安が混じる。


村にいた頃の私は、魔物と正面からやり合うような存在じゃなかった。ただ逃げる側だった。


しかし、ミアはきょとんとしてから、少しだけ口元を緩める。


「戦えてた。前よりずっと」


「ほんとに?」


「体重の乗せ方、良くなってる。踏み込みも速い。無駄に力入ってない」


淡々とした評価。でもそれが逆に嬉しい。


出発してからの夜、焚き火の前で何度も教わった。重心の落とし方、相手の動きを見る位置、力の抜き方。ミアは口数は多くないけれど、教えるときは驚くほど丁寧だった。


「まだ荒いけど」


「えー」


「でも、ちゃんと“戦ってる”」


その言葉が、胸の奥にすとんと落ちる。

守られるだけじゃない。隣に立てている。それがとても嬉しかった。


「油断しないで行こ」


「うん」


粘液の臭いがまだ少し残っている気がして顔をしかめながらも、私は前を向く。


二人は並んで歩き出した。


ハルヴァ村は、もうすぐそこだ。


そして──


開けた街道を歩いていると、遠くにそれが見えた。


最初は、ただの影だと思った。草原の向こうに、ぽつりと濃い色が混じっているだけ。でも歩くたびに少しずつ形がはっきりしていく。低い屋根、立ち上る細い煙、柵の線。


村だ。


二十日目の夕方だった。


空気が、ほんの少し違う。風に混じる匂いが変わっている。乾いた草の匂いの奥に、焚き火の煙の匂い。家畜の体温を含んだ、あたたかい匂い。


「……人の匂いする」


ミアの呟きに、私は小さく頷いた。


丘の斜面をゆっくり登る。足はもう慣れているはずなのに、なぜか少しだけ重い。緊張なのか、期待なのか、自分でも分からない。


心臓が、静かに早くなる。


頂に立った瞬間、視界が開けた。


木造の家々が集まり、その中央に小さな広場のような空間がある。畑が規則正しく並び、柵の向こうで牛がゆっくりと草を食んでいる。煙突から上がる白い煙が、朝の光に溶けていく。


ハルヴァ村。


地図の上の丸印だった場所が、ちゃんと形を持って、そこにあった。


「……着いた」


声にすると、胸の奥がじんわりと熱くなる。まだ村の入口にも立っていないのに、足の裏から伝わる地面の感触が、ここまで来た時間を思い出させる。


二十日。

長いようで、短かった。二十日前の私は、きっとここまで来られないと思っていた。


痛かった足も、夜の不安も、粘液の臭いも、全部ここに繋がっている。


ここから馬車に乗って、都市ラグナスへ向かう。


もっと大きな街へ。

もっと知らない場所へ。


村の外へ出たあの日より、さらに遠くへ。


私は一度だけ後ろを振り返る。遠くに続く道と、うっすらと見える丘の影。さらにその向こうに、私たちの故郷がある。


世界は、まだ続いている。

そして私は、その中を歩いている。

隣には、ミアがいる。


私たちは並んで、ハルヴァ村へ向かって歩き出した。

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なんか2人とも必死に生きてて尊い
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