↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
境界観測《リミナル・サイト》-その線の先で、私は死んでいる-  作者: Rasky
第2章 都市ラグナス

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

24/57

23話 二人の王の思惑

 魔王ハデスは一度だけ小さく息を吐いた。


 次の瞬間、玉座の間の天井に巨大な魔法陣が展開する。幾重にも重なる高位式が空間を貫き、魔族領全域へと接続された。


 各都市、各村、各砦、辺境の鉱山に至るまで設置された受信結晶が一斉に起動する。


 “魔族領域同調放送”


 魔王ハデスのみが使用を許された、全土同時中継術式である。


 この術式は単なる拡声ではない。視覚情報、魔力波長、感情の微細な揺らぎまでもを伝達する高度な共鳴式だ。広域接続と安定維持を同時に行うため、常時発動できる代物ではない。魔王級の魔力量と制御精度があって初めて成立する。


「あーあー、聞こえてるかな。急で悪いね」


 軽い声が、魔族領全土へと届く。


 市場で足を止める者、工房で槌を止める者、兵舎で剣を振るっていた若い魔族たちも、空を見上げた。そこに映るのは、玉座に立つハデスの姿。


「勇者が選ばれたらしい」


 ざわめきが走る。が、「あぁ」と言いながらハデスは手をひらりと振る。


「慌てなくていい。ただ、改めて“境界線”の説明をしておこうと思ってね。百年前を直接知らない世代も増えた」


 魔族は長命な種族だ。直接的知らない世代が増えたのは、別に世代交代した、という訳ではない。年々、ハデスの政策で魔族領は豊かになっており、出生率が上がった。というのが理由である。


 ハデスが指を動かすと、玉座の間の床に大陸模型と無数の光の線が浮かび上がった。

 その線は国境を縫い、都市を囲み、大陸全体を覆うように広がっていた。


「よし、これで見えるかな…。じゃあ、まず一つ目の境界線。“軍事侵攻型トリガー”。これは、一定規模以上の武装集団が、明確な侵略意思を持って越境した場合に発動する」


 線がわずかに明滅する。


「発動した場合、災厄は侵攻側に落ちる。地震、飢饉、魔力暴走、疫病。規模と敵意に応じて変動する」


 これは単なる呪いではない。越境判定、敵意測定、規模算出、因果逆転処理。それらを瞬時に行う多層判定構造である。しかも発動地点は“攻められた側”ではなく、“攻めた側”。世界法則に逆方向の圧をかける設計だ。


 単一の魔法では成立しない。複数の理を束ね、世界構造そのものに干渉する領域に踏み込んでいる。


「そして二つ目。“感情臨界型”。他種族が一定割合を超えた状態で、なおかつ排除意思が臨界に達したとき、自動的に空間へ境界が発生する。あとはさっきと同じで、その規模や敵意によって厄災が起きる」


 都市模型を囲む円が光る。


「五%だ。その土地の元来種族に対して、他種族が五%を超え、かつ敵意が集中したとき。片方の条件だけじゃ発動しない仕組みさ」


 そう、人数だけでは発動しない。重要なのは“集団感情の総量”。個々の感情波長を読み取り、総体として閾値を超えたかを判断する。


 感情を数値化するなど、本来は神域の処理である。


 ハデスは続ける。


「これは、僕が一から作ったものじゃない」


 視線がわずかに鋭くなる。


「元々この世界には、種族間の均衡を保つ基盤システムがあった。調停神が構築した均等化構造だ」


 その名が出た瞬間、場の空気が引き締まる。


 “調停神”


 二千年前に失われた、均衡を司る存在。


「僕はそれを、侵攻抑止用に再定義しただけ」


 “だけ”と彼は言う。


 だが、神が構築した世界基盤を再利用するなど、魔王であれど容易に成し得ることではない。


 必要なのは、まず圧倒的な魔力量。世界規模の構造へ接続するだけで膨大な負荷がかかる。


 次に、神代級の理論理解。基盤は神の設計思想で構築されている。解析不能なら触れた瞬間に崩壊する。


 さらに、因果律干渉技術。発動結果を“侵攻側へ逆流”させるためには、因果の流れをねじ曲げなければならない。


 そして何より、世界そのものへの知識。大陸構造、種族分布、魔力循環、歴史的対立構図。それら全てを把握した上でなければ、均衡は維持できない。


 どれが欠けても失敗する。


 いや、全て揃っていたとしても成功する保証はない。


 神の遺構に手を入れるとは、それほどの行為だ。


 ハデスは軽く肩をすくめる。


「僕の魔力だけで動いてるわけじゃない。世界に溜まった歪み──恐怖や憎悪、それを閾値に変換してる」


 感情を燃料とし、基盤構造へ入力する。すでに世界構造の一部として固定されているこのシステムは、だからこそ、ハデスが倒れたとしても即座には消えない。

 ──魔王自らがシステムを消さない限りは。


 これは術式や魔法ではなく、“構造”である。


「残酷だと思う?」


 返答はない。放送なので当然ではあるが。


「でも縛らなければ、百年前が繰り返される」


 百年前。


 大軍が魔王領へ侵攻し、多くの魔族が死んだ。子供も、男も、女も、老人も。魔王ハデスの友人達もだ。


 その結果として境界線は敷かれた。


 それは報復でもあり、抑止でもあり、固定でもあった。


「勇者は来るだろう。少数精鋭なら軍事トリガーは回避できる。そこまでは想定内だ」


 線が一瞬揺れ、すぐ安定する。


「だから今は様子見。こちらからは動かない。攻めてこなければ何もしない。それが基本方針」


 魔族領の各地で、緊張がゆっくり解けていく。


 ハデスは最後に穏やかに言う。


「境界線は檻じゃない。防波堤だ。君たちの生活を守るためのものだよ」


 そして少しだけ、声が低くなる。


「ただし、一線を越えたら容赦はしない。

 …あぁ、もちろん、君たちの行動を縛るつもりはないよ。僕が言ってるのは相手方の“大規模な侵略”の話だ。

 境界線を壊すほどの大規模な侵略や暴走が起きた場合は、僕個人としても本気で止める。

 だから皆は安心して生活してね」


 それじゃ、と一言挟み、光が収束すると共に放送は終了した。


 目の前に浮かぶ無数の線は、静かに脈打っている。


 それは神の遺構を再構築した結果であり、魔王ハデスという存在の異質さを示す証でもあった。


 均衡は固定されている。


 だがそれは、停止しているという意味ではない。


 怒りも恐怖も憎悪も、消えたわけではない。

 ただ、臨界に達しないよう押しとどめられているだけだ。


 静寂は保たれている。


 しかし静寂とは、安定そのものではない。

 圧が均衡を保っている状態にすぎない。


 ハデスはその構造を見つめる。


 その目は魔王としてではなく、世界規模の装置を預かる者として。


「さて……勇者くん。どう動く?」


 軽い声音の裏で、境界線は今日も回転している。




 ◇




 ──勇者が選ばれる数日前。


 王城の大広間はまだ静まり返っていた。高い天井から差し込む光が、赤い絨毯と列柱を淡く照らしている。その中央に立つ男の背は、歳を重ねてもなお揺らがない。


 歳をとっても衰えないその眼光には、確かな怒りと信念が宿っていた。


「忌々しい魔族め…」


 低く、押し殺した声が広間に落ちる。


 現ヒューマン族の王、アルベルト・フォン・グランディア。王家の正統な血を引く貴族にして、この国の頂点に立つ男である。


 彼の怒りは、今日生まれたものではない。血の中に流れ、語り継がれ、形を与えられてきた感情だった。


「祖父は言っていた。魔王が代替わりして二百年、魔族は一度も侵略をしてこなかった。動かなかったのではない、動けなかったのだ。何らかの理由で弱っている今こそ好機だと」


 その言葉を、アルベルトは何度も聞かされて育った。


 若き日の祖父は周辺諸国を説き伏せ、エルフ、獣人、ドワーフといった他種族を巻き込み、魔王討伐部隊を編成した。総勢三十万を超える大軍勢。各地から集められた精鋭たちが、魔族領へと進軍した。


 圧倒的な戦力差。初動は確かに人族側が優勢だったと記録にはある。


 だが、それは長くは続かなかった。


「やつは突然動いた。“沈黙の魔王 ハデス”……」


 その名を吐き捨てるように言う。


 一騎当千という表現では足りない。一騎当万でもなお足りないと、帰還した僅かな生存者は語った。魔王とその幹部たちは、過剰戦力とさえ思われた討伐部隊を、文字通り蹂躙した。


 戦場は地獄と化し、三十万の軍勢は瓦解した。


「なにが、沈黙の魔王だ」


 アルベルトの拳がわずかに震える。


 沈黙とは、無害という意味ではなかった。ただ、攻めてこなかっただけだ。動けば、あれほどの力を持っていることを、あの大戦は証明してしまった。


 そして大戦の後、ハデスは侵略をするでもなく、報復で人族を滅ぼすわけでもなく、境界線を引いた。


 それが何よりも厄介だった。


 軍が出せない。国家間の戦争も、種族間の大規模衝突も、この百年一度も起こっていない。記録上、かつて常態だった争いが、完全に封じられた。


 魔王は境界線を引いた際、「平和のためだ」と言ったという。


「魔王が平和を語るなど、許されざることだ」


 怒りは、理屈より先に立つ。


 先代魔王、そのまた前の魔王。人と魔族は何百年も争い続けてきた。血で血を洗い、奪い、奪われる歴史の果てに、今さら平和だと口にするなど、アルベルトには受け入れ難かった。


 それは単なる政策の違いではない。価値観の否定だった。


 大戦後、各種族が次々と距離を置いたことも、彼の怒りを深めている。


「沈黙の魔王はこちらが攻めねば何もしない。我々は大戦から降りる」


 そう宣言し、エルフも、獣人も、ドワーフも軍を引いた。


「馬鹿じゃないのか?」


 広間に響く声は、王の威厳よりも苛立ちを帯びている。


 攻め込まないのは、力を蓄えるために決まっている。境界線はやつが引いたものだ。戦力が整いさえすれば、いつでも消すことができるのではないか。そうなれば、人族は無防備のまま蹂躙される。


 アルベルトの思考は、一つの前提に基づいている。魔族は本質的に侵略者であり、和平は偽装にすぎないという前提だ。


 その前提を疑う余地は、彼の中にはない。


「だいたい、代替わりしたから戦争が無くなるなど、あるはずがないだろう。相手は魔族だぞ」


 彼自身は人魔大戦の時代を生きていない。それでも祖父や父から繰り返し聞かされてきた。焼かれた村、食い破られた城壁、笑いながら刃を振るう魔族の姿。語られる記憶は、いつも鮮烈だった。


 それらは体験ではなく、継承された恐怖だ。


 だが継承された恐怖であっても、王の判断を形作るには十分だった。


「相手の準備が整う前に、早く打たねば……しかし境界線が……」


 軍は出せない。他種族も動かない。王として出来ることが、あまりにも少ない。


 均衡という名の封鎖。百年続いた静寂は、安定であると同時に、行動の自由を奪う枷でもあった。


 アルベルトは玉座の背に手を置き、深く息を吐く。


「どうしたものか……」


 そのとき、大広間の重厚な扉が静かに開かれた。


 入ってきたのは白衣をまとった老人。大聖堂の最高位に立つ者、大神官レオニール・アストリアである。長年神意を読み解いてきたその顔は、普段の穏やかさを失っていた。


「王よ」


 低く、しかし震えを含んだ声。


「神のお告げがありました」


 広間の空気が変わる。


 この国において“神のお告げ”とは政治的比喩ではない。数百年に一度、確かに降りるものだ。そしてそれは常に、世界規模の転換点であった。


 アルベルトの眉がわずかに動く。


「……申せ」


 大神官は一歩進み出る。


「勇者を選び、魔族を打つのです、と」


 その言葉は短い。だが意味は重い。


 “勇者”


 その存在は神話ではない。歴史だ。聖剣を手にした勇者は、魔王に匹敵する力を持つとされる。個で軍に抗い、個で世界を動かす存在。


 だが──


 ここ数百年、勇者は現れていない。


 百年前の大戦にも、勇者は誕生しなかった。選ばれなかったのだ。記録には「神は沈黙した」とだけ残されている。


 なぜ現れなかったのか。


 神学者たちは様々に推測してきた。魔王ハデスが自ら侵略を行わなかったため、世界は“勇者を必要とする段階”に至っていなかったのではないか。あるいは、均衡が崩れていなかったため、神が介入しなかったのではないか、と。


 勇者とは、戦争のための兵器ではない。世界の均衡が大きく傾いたときにのみ現れる“修正装置”である、という解釈が主流だった。だからこそ、アルベルトの中でその可能性は薄れていた。


 百年現れなかった存在。数百年沈黙していた奇跡。それを、現実の一手として数えることを、無意識にやめていたのだ。


「勇者……だと?」


 思わず口から零れる。


 大神官は静かに頷く。


「聖剣は既に反応を示しております。選定の儀を行えば、持ち主は現れるでしょう」


 聖剣。それは王家が保管する神具であり、勇者以外には反応しない。選ばれた者が握ったときのみ真価を発揮し、魔王と同格の力を与えるとされる。


 その瞬間、アルベルトの思考が一気に繋がる。


 軍は出せない。


 大規模侵攻は不可能。


 だが、個はどうだ。


 境界線は軍事規模を判定基準としている。百年の歴史がそれを示している。国家単位の進軍が封じられただけで、個の越境まで完全に遮断された例はない。


「……そうか」


 王の目に、初めて光が戻る。


「奴らを滅ぼす者たちは軍である必要はなかったのだ。勇者一人、あるいは少数精鋭であれば……」


 勇者が魔王を打ちに行くこと。それは戦争ではなく、使命だ。境界線の閾値を超えない可能性がある。


「しかし、数百年沈黙していた神が、今この時に告げたということは……やつは動こうとしていたということか」


 あるいは、動く前兆がある。

 勇者が現れたという事実そのものが、均衡の揺らぎを示しているのかもしれない。


 百年前は現れなかった。あのときは、まだ世界は“勇者を必要とする段階”ではなかったのだろう。だが今は違う、世界の均衡が魔王によって崩れると神が判断したのだ。


 そう解釈することで、全てが一本の線に繋がる。


 アルベルト・フォン・グランディアはゆっくりと立ち上がる。


「選定の儀を行え。各地から勇者候補を集めるのだ。ついに我々は勇者を迎える。我らヒューマン族が、再び主導権を握る時が来たのだ」


 その決断が、均衡を崩す一手になるのか。

 それとも、世界が望んだ修正となるのか。


 まだ誰も知らない。


 だが確実に言えることが一つある。


 百年続いた静寂は、今、揺らぎ始めていた───

境界線には2種類あったんですね。

ここで分かりやすく振り返ってみましょうか。


“軍事侵攻型トリガー”

一定規模以上の武装集団が、明確な侵略意思を持って越境した場合に発動する


“感情臨界型”

他種族が一定割合を超えた状態で、なおかつ排除意思が臨界に達したとき、自動的に空間へ境界が発動する(境界線が生成される)


どちらも発動した場合、災厄は侵攻側に落ちる。

地震、飢饉、魔力暴走、疫病。規模と敵意に応じて変動する。


ということです。


レナの村とミアの里の間の境界線は“感情臨界型”によって生成されたものということですね。第3者の少数精鋭によってどちら滅ぼされたので、境界線が消えたってことになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
転生者だからやっぱ特殊能力的なもの持ってんのかね
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。