24話 重みと別れと旅立ちと
森の中は、もう完全に静寂とは言えなかった。
枝の揺れる音。遠くで獣が吠える声。さっきまでとは違う気配が、確実にこちらを追っている。
背中のミアは軽い。体重だけなら、きっと私一人でもどうにでもなる。けど、軽いはずなのに重い。あの場所に残してきた仲間たち。覚えると約束した名前。必ず戻ると言った言葉。その全部が、背中にのしかかっているみたいだった。
「……レナ」
肩越しに、かすれた声が落ちる。
「ミア、大丈夫?」
「……うん」
声は細く、息は浅い。背中に感じる呼吸の熱が不自然に高い。血の匂いもまだ残っている。
止まれない。
森の奥から、枝の折れる音がする。低い唸り声。何かがこちらの進行に合わせて動いている。血と死の匂いに引き寄せられた獣か、それとも──考える余裕はない。
ずき、とこめかみが痛む。
視界の端に、細い光の線が浮かぶ。空間に刻まれた傷跡みたいな、頼りない光。それが右へ曲がり、斜面を下り、やがて森の外へと続いている。
集中するほど、頭痛は増す。
「……こっち」
枝を蹴り、走る。背中のミアが揺れないよう腕に力を込めつつ腰を落とす。
その時、左の茂みが弾けた。灰色の影が飛び出してくる。
牙を剥いた狼だった。
線に従って身体を回す。軸足を踏み込み、思い切り蹴りを叩き込んだ。鈍い衝撃とともに狼が地面に転がる。
──止まれない。
線はまだ前を指している。囲まれる前に抜けるしかない。
「──っ」
視界が揺れる。頭が割れそうだ。
「降ろして……」
「嫌」
即答する。
「絶対、降ろさない」
ミアの腕が、弱く、でも確かに私の首に回る。
やがて空気が変わる。森特有の湿り気が薄れ、開けた空の匂いが混じる。最後の斜面を駆け上がり、枝を払いのける。差し込むその光をみて、やっと森を抜けたのだと理解した。
視界の奥に村の柵が見える。見慣れた畑、崩れ落ちている屋根。
やっと戻ってきた、と足の力が抜けそうになるがまだ倒れるわけにはいかない。
村へ向かって歩く。見張りの青年がこちらを見つけ、手を上げかけて──固まる。
背中に抱えているミアを見て、
「レナ……その子は……」
ざわめきが広がる。獣人の耳と尻尾、傷だらけの身体、私におぶわれた姿。
その人垣を割るように、一人が駆け寄ってくる。
「レナ!」
バイルだった。
息を切らしながらも、目は冷静だ。ミアを一目見て、状況を察した顔になる。
「薬草屋へ運べ」
私は頷き、彼の店へと向かった。
木造の小さな建物。住居部分が半壊しているが、表側は無事だった。扉を開けると、吊るされた束が揺れ、乾いた葉の擦れる音が鳴る。
奥の診療用の台に、ミアをそっと横たえる。
「水を。あと清潔な布を持ってこい」
バイルが手早く指示を飛ばす。弟子の少年が慌てて動く。
私はミアの手を握る。
「すぐ治るからね」
できるだけ優しく言ったつもりだったけど、自分でもわかるくらい声が硬い。
「……うん」
バイルは無駄な言葉を挟まず、傷を正確に確認するためにミアの横へ膝をついた。視線は傷口に固定されている。動きは落ち着いているが速い。迷いがない。慣れている者の手つきだった。
「服を切る。動くな」
低く告げてから、刃を入れる。
布が裂ける音がはっきりと響いた。血で固まった服が皮膚に張りついている。無理に引けば傷が広がる。
バイルは刃を置き、指先で布の端を慎重に浮かせた。少しずつ、皮膚から剥がしていく。
「……っ」
ミアの喉から小さな声が漏れる。
「まだだ。力を抜け」
短く指示しながら、布をゆっくり剥がす。
相当痛いはずだ。それでも叫ばない。歯を食いしばって耐えているのが分かる。布が離れるたびに乾いた血がパリッ、と小さな音を立てる。
そうしてようやく剥がれた衣服の下から、生々しい傷口が姿を現した。赤く裂けた部分、腫れ上がった痣。
思ったより深い。
「痣と裂傷が多いな……腕は擦り傷だらけだ。皮膚が広範囲で削れている。何回も体重をかけたような痣もあるな。
一番酷いのは右足だ。腫れ方と変形の仕方が異常だな。骨が砕けている。これは・粉砕骨折だな。無理に動かせば内部をさらに傷つける。」
バイルは適切な処置をするために、淡々と冷静に傷の具合を確認していく。その様子は、薬草屋としての知識や経験だけから来ているものではないように思えた。きっと昔に各地を巡って薬草を集めていた時の経験が活きているのだろう。
「……これ、自分で巻いたのか? 圧迫はできているが固定が足りない。この状態で動けば破片がずれて悪化する。
だが何もしなければ出血はもっと増えていた。応急処置としては間違っていない。よく頑張ったな。…おい、水をくれ」
バイルは弟子が差し出した器を受け取り、傷へ直接水を流し始める。
「……っ」
水が傷口に触れるたび、ミアの呼吸がわずかに乱れる。肩が震え、歯を食いしばる音が近くで聞こえた。
「しっかり洗い流さなきゃいかんからな。まだ我慢しろよ」
全身が怪我だらけの傷だらけで、どうしても洗い流すのに時間がかかってしまう。這いつくばって動いていたせいか、背中側よりお腹側の傷が酷く、砂などの異物がより多く入り込んでいる。
その中でも深い傷の部分に水が触れた。
その瞬間、握っていた手がぎゅっと、骨が軋むほどの力で強く握り返される。
「……っ」
今度は私が息を呑む番だった。
痛い。でも、離さない。
むしろ、もっと強く握り返す。
ここにいる。逃げない。全部受け止める。
そんな気持ちを、言葉の代わりに込めるみたいに。
バイルはすでに次の準備に入っていた。薬草を石皿に置き、手早くすり潰して軟膏を作っていく。葉が潰れる音とともに、青く濃い香りが立ち上った。鼻を刺すような匂い。けどどこか、森を思わせる清涼さも混じっている。
「消毒と止血だ、これで最後だぞ。沁みるぞ、耐えろよ」
言い終えたと同時に、緑色の軟膏が傷口へと塗り込まれた。
「──ぁあっ!」
ミアの体が跳ね、手を握る指の力がさらに強くなる。
「動くな。あともう少し耐えてくれ」
「うぅっ…ぁ…」
短い悲鳴が漏れる。握っているその指から震えがそのまま伝わってくる。
その震えが止まるまで、私はただ、手を握り続けた。そうして、
「…よし、もう大丈夫だ。あとは包帯を巻くだけだからな。ミア、よく耐えたな」
「良かった…、もう大丈夫だからね。よく頑張ったね」
そう言うと、ほんの少しだけ力が抜けた。
包帯が巻かれていく。腕、脇腹、太もも、そして右足。白い布が少しずつ赤く滲むが、止血効果のある軟膏のおかげか、さっきよりはずっとましだ。
最後に、苦味の強い煎じ薬を口元へ運ぶ。
「飲め。熱が下がる」
ミアは顔をしかめながらも飲み込む。
治療が終わる頃には、外はすっかり夜になっていた。吊るされた薬草が月の光に照らされ、柔らかな影を落としている。
一段落着いた様子でバイルが腕を組み、
「レナは急にいなくなるし、ミアはやっと戻ってきたかと思えば大怪我…。聞かせてくれ。一体何があったんだ」
私は、今わかっていることをできるだけ詳しく話した。
ミアの里が襲撃されたこと、ボロボロの状態で仲間たちの遺体を並べたこと、私が着いた時には全てが終わっていたこと。そして、また戻ると約束したこと。
自分が駆けつけた時の様子や仲間の名、そして父のことなどを、ミアも途切れ途切れではあるが、私の言った内容に情報を付け足す。
話し終えると、重い沈黙が落ちた。
「……そうか。…先に“わしは、できるならいつまでも居させてやりたい”と思っていることを伝えた上でだが、この先もここにいると、ミアの里を襲った連中が次はここを攻めてくる可能性がある」
バイルが非情な現実を口にする。冷たいように聞こえるが、言っている内容はごもっともな事だった。
そもそもここは小さな村だ。さらに、先の魔獣襲撃で戦える人間はもうほぼ居ない。そんな状況の中で、襲撃されたばかりの獣人を匿うことがどれだけ危険かは理解している。
私は両親のことを思い出す。守れなかったあの日。
もう同じ悲劇を繰り返したくない。だから、
「私がミアを連れてどこか別の場所に行くよ」
自然に言葉が出る。
「ここじゃ守れない。みんなを巻き込んじゃう。それに、情報を集めたい。ミア達を襲った奴らのことも……全部知りたい。知らなくちゃいけないの。だから…」
ミアが私を見る。その瞳には、ほんの少し光が宿っていた。その様子を見たバイルは長く息を吐き、そして頷く。
「すまないな。せめて、身体を万全にしてから行け。三日は安静にしてるんだぞ」
そうして、三日間のあいだ、私たちは薬屋の奥で静かに過ごしていた。
熱が下がるのを待ち、傷が塞がるのを待ち、ただ時間が流れるのを見つめるような三日間。
けど、何もしなかったわけじゃない。
二日目の朝。
ミアの熱が少し落ち着いたのを確認して、私はバイルと一緒に村を出た。ミアはまだ歩けない。だから、簡易の担架に乗せて連れていく。絶対安静の状況とはいえ、ミアの里をあのままにしておく訳にはいかなかったからだ。
森の奥。
あの場所は、もう静まり返っていた。
獣に荒らされた様子はない。血の匂いも薄れている。
ミアは担架の上で震えていた。声は出さない。でも、指先が白くなるほど布を握りしめている。
「……私が…私たちがみんなのこと、ちゃんと覚えてるから」
小さく、そう呟いた。
「名前も、顔も。絶対忘れない」
ミアの言葉に私は頷く。
一人ひとり、土を掘った。
バイルが鍬を振るい、私は手で土を運ぶ。ミアは担架から身を起こし、できる限り名前を呼んだ。
簡素な墓標を立てる。木の枝に刻んだ印だけの、粗末なもの。それでも、何もせずに去るよりはずっといい。
その墓標を見つめていたミアが、ゆっくりと立ち上がろうとした。
「ちょ、ちょっと!まだ立っちゃだめだって!」
止めようとした私の言葉に、ミアはゆっくりと首を横に振り、
「…ごめん。でも、これはしないといけないこと」
ミアは震える足で担架から降り、包帯だらけの身体で膝をついた。
「……行ってきます」
それだけを告げた。
ミアは涙を流さなかった。旅立ちの言葉で涙は流したくなかったのだろう。その強い意志と覚悟を目の当たりにしていた私は、今にも溢れそうな涙を必死にこらえて耐えた。
帰り道、誰も口を開かなかった。
村に戻ったその足で、私は両親の墓にも向かった。
すでに村の者たちが埋葬してくれていた場所。小さな石が置かれただけの、質素な墓。
私はその前に立ち、長く息を吐いた。
「……行ってくるね」
守れなかったことも、謝罪も、後悔も、全部飲み込んで、その一言だけを告げた。
その日の夜、薬屋に戻ったとき、ミアは静かに言った。
「ありがとう」
何に対してかは、聞かなかった。
三日目の夕方、私たちは焼け落ちた家の片付けを少しだけ手伝った。崩れた梁を持ち上げて端に寄せ、まだ使えそうな木材と、完全に使えないものを分けていく。重い木を運ぶたびに腕が痛んだが、黙って続けた。
村人たちはミアに対して、特に声をかけてこなかった。指示も、礼もない。ただ、それぞれ自分の作業をしている。
けれど、ミアへと向けられる視線が前とは違っていた。警戒や戸惑いだけではない。ほんの少しだけ、受け入れるような色が混ざっている。
何かが大きく変わったわけじゃない。
でも、確かに少しだけ、空気は変わっていた。
この三日間は、治癒の時間であると同時に、別れの時間でもあった。
ミアの熱は既に下がり、傷も落ち着いてきた。包帯を替えるたび、彼女は痛みに顔を歪めるが、泣かなかった。
そして、四日目の朝。
朝焼けが村を染める中、私たちは薬屋の前に立っていたり包帯の下にまだ傷はある。でも、歩ける。あまりの治癒速度に私もバイルも驚いたが、ミアが「獣人族は傷の治りがヒューマン族よりも早いらしい」と言うので、納得した。3日目の昨日も家屋の片付け手伝ってたし。
バイルが小さな袋を渡してくる。薬草と替えの包帯、簡易の止血粉、そしてミアが使うための杖。
「持っていけ」
「……何から何まで、本当にありがとう」
振り返り、村の様子を改めて見る、崩れた家屋、両親の眠る場所、慣れ親しんだ景色。
胸が締めつけられる。
でも、足は前を向いている。
「完全に治ったわけじゃない。いくら治癒能力が高いとはいえ、無理をすればくっついたばかりの骨がまた折れるかもしれない。だから絶対、無茶はするなよ」
「うん、わかった。ミア、きつくなったらすぐに言うんだよ?」
「あぁ…。迷惑をかける。すまない」
「…謝らないで。さぁ、行こう」
杖をついたミアが隣で頷く。
二人で、一歩踏み出す。
“守れなかった過去”を背負い、“守ると決めた未来”を連れて。
こうして、まだ誰も知らない、レナとミアの長い物語が静かに幕を開けた。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
この24話をもって、第0章は終わりになります。
第0章ですが、これ実は、レナ目線で行くと1話目の朝から旅立ちまで8日しか経ってないんですよ。
正直、書いてる側なのにびっくりしました。
それはそれとして、本当なら5話目くらいで旅立たせるつもりが、気づいたらもう24話目ですね。
なかなか予定通りにはいかないものですね( ̄▽ ̄;)
第1章からは、タイトルにある通り魔王も勇者も登場します!
(登場が遅くなってしまい申し訳ありません m(_ _)m )
旅立った2人はどうなるのか!里の襲撃者は何者なのか!
今後の展開に期待ですね!
良かったリアクション押していってください!
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