21話 ゴキブリ
朝の光が壊れた里を照らしていた。倒れた柱、崩れた屋根、割れた器、土の上に横たわる仲間たち。乾きかけた血が黒く残っている。
ミアは里の真ん中で目を覚ました。どうしてこんな場所で横になっているのか分からないまま、重たいまぶたをゆっくり持ち上げると、最初に視界へ入ってきたのは空だった。やけに広くて、やけに静かで、けれどどこか現実味がない。体が冷たい。指先に力が入らず、頭の奥がじんと鈍く痺れている。
起き上がろうとしてようやく気づく。景色が、いつもと違う。見慣れていたはずの家並みは崩れ、壁は割れ、屋根は落ち、土煙の匂いがまだ残っている。
「…んぁ?」
すぐ近くに父が横たわっているのが見えた。
その瞬間、昨夜の記憶が一気に戻った。襲撃、父の悲鳴、飛び散る血、必死に「逃げろ」と叫ぶ声、最後の言葉を言い終わる前に潰された頭。夢ではない。
夢ではなかったのだ。
「っ!! 父さん!」
駆け寄ろうと右足に力を入れた瞬間、
「──っぁぁぁあああ!」
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い
手が痛い。腕が痛い。肩が痛い。お腹が痛い。太ももが痛い。関節が痛い。筋肉が痛い。頭が痛い。
そして何より、右足が痛い。
骨が粉々に砕けている。細かく割れた破片が、肉に、血管に、神経に、グサりと刺さったままになっている。立ち上がろうと力を入れたせいで、その破片がさらに深く食い込んだ。内側から鋭いものを何本も押し込まれるような痛みが走り、息が止まる。声が出ない。膝から崩れ落ちる。
「…あっ…あぁ……」
右足は大きく腫れ、血で固まっている。少しでも動かすと骨の破片が中で動き、肉を刺す。動かさなくても痛い。鼓動に合わせて内部がずきずきと軋む。
──立てない。でも父はそこにいる。
このままにしておけないと思った。土の上に倒れたまま、無造作に転がされているみたいな姿で放っておくなんてできなかった。父は最後まで族長として戦った。だからこそ、こんな形のままにしたくなかった。せめて他のみんなのそばに寝かせたい。冷たい地面に伏せたままではなく、空を見上げる形にしてやりたい。
ただそれだけでいい。
「っぐぁ…っぁあ…っぐ…」
ミアは両手を地面につき、腕の力だけで体を引きずって父のそばまで進んだ。砕けた足が地面に触れるたび、骨の破片が肉を刺す。歯を食いしばる。止まりながら、呼吸を整えながら、少しずつ進む。
「あと…少し……」
どうにか父の肩に手をかける。その体はとても冷たく、仰向けにさせようとするが自分の体を支えられない。立てない以上、持ち上げることはできない。
体を低くしたまま父の両肩をつかみ、腕の力だけで少しずつ、何分もかけてどうにか上を向かせる。
「……」
首から上を直視してしまった。
あまりにも無惨な姿に言葉がでない。
だが、このままここに寝かせている訳にもいかない…が、抱き抱えて運ぶことはこの身体では出来ない。
だから引くことにした。
父の腕に手をかけ、後ろへ引く。思っていたよりもずっと重い。力を込めた瞬間、指が土と血で滑り、体がわずかに動いて止まる。歯を食いしばってもう一度引く。ほんの数十センチ。
それだけ動かすのに、腕が震え、肩が軋む。足に鈍い振動が走り、砕けた骨が内側から肉を刺すように痛んだ。息が詰まり、視界が白くなる。それでも手を離さない。何度も体勢を変え、滑った手を拭い、また掴み直す。
せめて壁の残っている場所まで。せめて里の中央から、少しでも端へ。土の真ん中に置いたままにはしない。その一心で、震える腕に力を込め続けた。
父を少し移動させたところで、周囲が目に入る。仲間たちが至る所に倒れている。このまま放っておけば、獣に荒らされるかもしれない。食われるかもしれない。誰にも見送られず、ただ崩れた里の中で朽ちていく。
それは嫌だった。
何もできなくてもせめて並べたい。
皆の顔が見えるようにしたい。
最後まで族として扱いたい。
ふと、割れたガラスに反射した自分の姿が視界に入った。そこに写るのは、血と土にまみれ、あれだけの攻撃を受けても死なず、骨を砕かれてもまだ動き続け、地面に張りつき腕だけで進んでいる、尊厳も何も無い、ただの死に損ないその姿はまるで、
「……ゴキブリ」
小さくつぶやく。
──ミアは知る由もないが、奇しくも、あの男が父に言い放った言葉とミア自身を見た時の言葉が重なった。
仲間はもういない。自分一人だけが生き残ってしまった。森の秩序を守るものはもう居ない。獣が攻めてきたら終わりだ。
だからこそ、砕けた骨が肉に刺さったままでも、腕が震えても、何度倒れても、どれだけ痛くても、ミアは仲間を少しずつ並べていく。
誰も見ていない。褒める者もいない。
それでも。
最後の一人が何もしなければ、本当に族は消える。
だから這う。
みっともなくてもいい。
痛くてもいい。
砕けたままでもいい。
それでも。
族の最後の一人として、今はただ生き残った者の責任を果たす。




