【誕生】
海の青と空の青。その境が陽光の煌めきでしかわからないほど、この地方の海は冬でも澄んでいた。静かな漣は白い砂浜をなでては引き、寒さを忘れさせる常緑樹の瑞々しい緑の葉が、爽やかな風でハミングするように揺れている。
「早くあなたにもこの美しい景色を見せてあげたいわ」
日の差し込む窓際のリクライニングチェアで寛ぎながら、この海と空の色の瞳に淡い金色の髪を持つ若い女性が大きなお腹をさすりながら、体内に宿る我が子に愛おしそうに語りかけた。
彼女は日差しよりも雪を多く見るような寒い地方の生まれで、求婚されて初めてこの海辺の街にやって来たときの、陽光の暖かさに心まで温められた事を思い出す。
その陽光が、人造恒星──Eternal The Sunのもたらす、人の手によって造られた擬似自然だとしても。
しかし、ETSが深刻だったエネルギー問題を解決し、1000年以上太陽系全土を潤わせているため、太陽系民はもはや誰も〝擬似〟とは思わなくなっていた。
彼女も、もちろん気にしていない。ETSの恩恵を受けて輝く海をテラスで眺めたいところだが、季節は冬。いくら暖かい地方とはいえ、妊娠中の身では身体を冷やすわけにいかないと、暖房の効いた室内でブランケットを膝に掛け、大きな窓から海と空を眺めている。
手には編みかけの小さな靴下。帽子とおくるみはもう編み上がっており、それを身につけた我が子の姿を想像して、もうすぐ母となる女性はやわらかく微笑んだ。
「名前の候補、考えてみたんだが」
そこへ、彼女の夫が一枚の紙にいくつもの名前を書き込んで、バニラシロップを少し入れたホットミルクと共に持って来た。
「ありがとう。……ふふ。多過ぎじゃない?」
紙には隙間がないほど候補となる名前が書き込んであり、選ぶのが大変そうに思えたが、それだけ父親となる夫も子どもの誕生を楽しみにしているのだと、女性は幸せな笑みをこぼす。アナログな紙にわざわざペンを走らせるのも、温かみがあっていい。
「なぁ、本当に痛みのある分娩でいいのか?」
「ええ。この子と一緒に、頑張りたいの」
現代では無痛分娩は当然で、自分以外のものを瞬間移動させる特殊能力と、透視能力を持ち合わせている医師がいる大きな病院にかかれば、テレポート分娩も可能である。胎児が十分に育っているならば、痛く苦しい陣痛を待たずに日を選んで安全に出産出来るのだ。
だが、彼女のように昔の出産について調べたり聞いたりした者の中には、「我が子と力を合わせて苦しみを乗り越えることにより、得難い深い絆が結ばれる」と、敢えて痛みを伴う分娩を選ぶ妊婦も少なからずいる。
実際には、そう言う気持ちを持ち合わせている時点で、どのようなお産であっても母性に溢れた母親になれるのであるが。子どもにしても、胎児の頃から愛されているのだから、生まれ方に違いはあっても母への愛は変わらないだろう。
子どもにとっては、生まれてからどう愛されるかが大事なのである。
「あら、いけない。のんびりし過ぎちゃったわね。そろそろ病院に向かわないと」
「そうだな。エア・カーを玄関に回して来るよ。君はつまづいたりしないように、気をつけて来て」
夫は妻の分の空いたカップも片付け、コートを羽織って駐車スペースに向かった。エア・カーも子どもを乗せられるものに買い替えたばかりだ。
「やさしいパパも、あなたを待ってるわよ」
妻は細かなところまで気の利く夫に幸せを感じながら、お腹の子に呟いた。
◇
「今日で予定日より10日経ちますが、まだ陣痛は来ませんか?」
産科の医師が透視装置で胎児の状態を確認しながら、診察台に横になっている母親に問う。
「ええ、まったく。先生、あと数日のうちに陣痛が来なければ、テレポート分娩になるんですよね?」
「以前にもお話ししましたが、大昔と違い、薬で無理やり陣痛を起こすのはリスクがあるのでしません。お腹を切って胎児を出す方法もありますが、当院では担当医が代わり、テレポート分娩になります」
「そうですか……」
自然分娩を強く望んでいた母親は、少し悲しげにモニターに映る我が子を見た。
気持ちよさそうに眠っている。予定日をだいぶ過ぎているので、もう身体も顔も肉付きが良い。起きている時はお腹の中でよく動く、元気な男の子だ。
「いいじゃないか、テレポートでも。きっと、ママのお腹の中が居心地いいんだよ」
付き添っていた夫が、気落ちする妻を微笑みと嘘のない言葉で励ます。
「旦那さんの言う通りです。分娩方法によって愛情が変わるわけではありません。お母さんの気持ちは、赤ちゃんにもちゃんと伝わっていますよ。──あ、起きましたね」
自分の事を話しているのが聞こえたかのように胎児は眠りから覚め、狭くなった子宮内で身体を身じろがせる。
直後──。
「……え?」
モニターから、胎児の姿が消えた。
「あれ? 故障かな……」
室内の特殊能力探知機のブザーが鳴り響く。だが、今この部屋に特殊能力者はいない。医師は胎児と胎盤以外は映っている画面に眉を顰める。医師の脳裏に、ひとつの可能性が浮かんだ。「まさか」と思いながら、診察台の母親を見て、息を呑んだ。
母親は突然消えた我が子に声も出なかった。しかし、それ以上に感じる、腹部の大きな違和感。そして、流れ出す羊水で下着も服も濡れていく感覚。何より、手元に生暖かいぐにゃりとした何か。彼女は、その「何か」で濡れた手も、身体に寄り添う『やわらかな存在』にも目を向けられなかった。動悸が激しくなる。身体が強張り、今起きている事を拒絶している。
「なんてことを……先生……っ!」
父親が、医師に叫ぶ。何故こんな事に──と。これは医療ミスだと、疑問と疑惑が脳裏で渦巻く。医師に掴み掛かりたい衝動を抑えるのがやっとだ。
「──私は特殊能力がないので、何もしていません。原因はわかりませんが、とにかく処置をしますので」
医師も現状を把握して困惑したが、原因究明よりも先にやるべき事がある。産後となった母体のケアをしなくてはならないと、いつも温厚な父親にも怒りを鎮めるよう促す。
分娩室から産後の回復用カプセルと、新生児用のベッドを持ってくるよう医師が指示を出し、看護師たちが慌ただしく行き来する。
「あー」
かわいらしい声に、その場にいた者は一瞬足を止めた。
生まれたての新生児が発するはずのない声。
母親も、声を聞いて恐る恐る自分の腕に抱く形になった『やわらかな存在』を瞳に映す。震える手元に、再び生肉を掴んだときのような触感が伝わる。
「ひ……ひぃ……」
手が掴んでいたのは、血濡れた胎盤。そして、身体に寄り添っているのは、先ほどまでモニターに映っていた、我が子。自分と同じ色の髪と瞳。父親によく似ているが、少したれ気味の目尻は自分にそっくりだ。間違いない。
「い……嫌……嫌…………」
「大丈夫。大丈夫だ。──先生、本当に、何が……」
母親は動けないまま、歯を鳴らして震えている。父親は妻を抱きしめるようにしながら、医師に状況説明を求めた。
「……普通では考えにくいことですが、おそらく、この子は自らテレポートして生まれて来たと思われます」
「そんな……赤ん坊ですよ?! いや、胎児がテレポートを使ったと言うんですか!」
父親は「信じられない」と、医師から別の……納得がいく言葉を引き出そうと語尾を強くする。
「確かに前例はありません。しかし、それ以外考えられないのです」
医師はまだ繋がったままだったへその緒を切り、母親の手にあった胎盤をトレーに乗せながら、父親の問いに答える。
医師にとっても、初めての事象だ。それでも、実際に目にした事を否定する事は出来ない。
「……! あっ」
「どうした!? どこか痛むのか?!」
「胸が──……」
周囲の喧騒の中、絞られるような痛みが胸に走り、母親はうめいた。
父親は妻が錯乱していると思っていたので、まともな言葉を発した事に安堵するが、何も解決していない。
「けぷ」
本来なら、愛しくてたまらないだろう。赤子は、小さくげっぷをした。満足げに笑っているように見える。その愛らしい口元から、母乳がたれていた。だが、母親は乳を吸われてはいない。
「──念動力で、乳管から直接母乳を飲んだようです。大きな産声をあげなかったのも、能力を使って最初から呼吸を楽に出来たからでしょう。笑顔は、〝生理的微笑〟……だと思うのですが」
医師は、特殊能力計測器で赤子をスキャンしながら両親に伝える。
能力の数値は、特殊能力医師にも匹敵する。しかも、複合能力者だ。すでにテレポートとサイコキネキスを使っている。他にも能力を持っている可能性もあるが、現段階では判断がつかない。
赤ちゃんは、狭い産道を通るとき母親と一緒に頑張っている。
赤ちゃんは、生まれた瞬間、初めての呼吸をするために大きな産声をあげる。
赤ちゃんは、本能的に母親の乳から母乳を吸う。
赤ちゃんは、赤ちゃんは──……。
母親の脳裏を、楽しみにしていたお産や育児の情報が巡る。想像していた光景が、ガラスが割れるように壊れていく。何もかもが、現実と違う。
現実──現実とは、なんだろう……?
母親の澄んだシー・スカイブルーの瞳は、何も見ていないと言うように光を失い、同時に意識も手放した。
◇
「──と、いうわけで、この子は三歳くらいになるまで、ぼくたちで面倒を見ることにしたよ」
中年の女性の変装を解き、やわらかいウェーブのかかった白金の髪を揺らしながら、藍碧い瞳の青年が留守番をしていた幼児に言う。腕には淡い金髪とシー・スカイブルーの瞳を持つ新生児が抱かれている。
青年と幼児は驚くほど似ていた。絶対的に違うのは、肉体年齢と、幼児の髪がプラチナブロンドだという事だけだ。
「ここまで能力値が高いと、専用施設でも面倒みられないだろうし、仕方がないね。僕はこのサイズだからあまり役には立てないけれど、出来るだけのことはするよ」
「うん。二歳の身体じゃ、抱っこも難しいからね。気にしないで」
特殊能力者が多く出生するようになった当初は、能力値が低くても一般家庭では育児が困難であった。太陽系を統治する政府的化学組織・L/s機関は早急に対処を開始。出産時に特殊能力値測定を義務付けた。
能力値が一定以下の新生児には能力制御ピアスを着け、能力計測機を家庭を含めた各所に無料で提供する事により、大多数の能力者は学校や社会でも問題なく過ごせている。
だが、能力値が高い者はピアスでは制御出来ず、脳内に制御チップを埋め込まなければならない。しかし、その施術は児が三歳くらいになってからではないと危険である。それ故、親元から離れて専用の施設で育てられる事になるのだ。成長と共に能力も強くなるため、一時帰省以外は実家に帰れない。
強すぎる能力を持って生まれた子の親の中には、子どもを恐れ、親権を捨てる者さえいる。
今回もその類だが、特殊能力者観測史上、それまでの最大能力値を遥かに超える赤子の誕生であった。
専用施設には、外付けの特殊能力制御装置が張り巡らされており、成長により個々の制御装置が効かなくなっても、探知した上で新しいものに取り替えて、常に制御出来るようになっている。
その制御装置でも、この子には効き目がなかった。ならば制御装置の出力を強めればいいかと言うと、そうもいかない。自分の能力を大きく上回る制御は、子どもの脳に著しい負荷がかかってしまうのだ。
「肉体年齢的に、ぼくが親役で、キミがお兄ちゃん役だね」
「幼児らしくするのは大変そうだけど、この子のために頑張るよ」
この子が寂しくないように。大人の愛情で包み、近い年頃の兄弟や友人と遊ぶ。乳幼児にとって、今後の人生を歩むためには、とても大切な事だ。二人は自分たちの手から離れるその時まで、精一杯の愛情を注ぐと心で誓う。
「名前は何て言うの?」
幼児がソファに座って赤子をあやしている青年に聞く。
「父親に渡された候補の名前は、残念ながら使ってあげられないね。母親の気が触れそうだったから、可哀想だけど二人とも記憶を消したんだよ。思い出すことはなくても、一度考えた名前は、心に引っ掛かると思う」
この子は何れ顔が知れるほど有名になるに違いない。あの両親が心にもやを抱えないようにしなくては──青年は腕の中で眠る赤子の髪を愛しそうに撫でる。
「じゃあ、僕がファミリーネームを考えるから、キミがファーストネームを付けなよ」
「ぼくがファーストネームでいいの?」
「だって、もう決めてそうだし」
幼児は、ソファに登って青年の肩越しに赤子を見た。生まれた直後に親に拒絶されたとは思えないほど愛らしい。この子が、自分の能力を悲観しないようにしてあげたいと、心から思う。
「バレたか。この子の顔を見ていたら呼びたくなった名前があるんだ」
「わかる気がする。僕も今浮かんだ」
二人は顔を見合わせて頷き合い、赤子に視線を落とすと、青年から順番に呼びかけた。
「ユーレック」
「カルセドニー」
『ユーレック・カルセドニー』
二人から赤子への、最初のプレゼント。
将来、一人でも多くの人に愛されますように。
本編から読んでくださっている方、ありがとうございます。
こちらは戦闘シーンは少なく、ヒューマンドラマがメインです。ユーレックの成長を見守ってください。
初見の方、ありがとうございます。更新がかなりゆっくりなのですが、気長にお待ちくださいませ。
待てない方は、まずは本編をよろしくお願いいたします。(図々しく)
連載を開始した今日、2月1日は、ユーレックの誕生日です。だから、どうしても今日から連載開始したかったんですよね。
ただ、惜しむべきは満月が明日だという事。ん〜〜〜! 残念!!
あの時代ではもしかしたら満月かもしれませんが、計算無理なので描写出来ませんでした。
この辺りも、本編を読めば納得いただけると思います。(強欲)
それでは、ユーレック・カルセドニーの成長をお楽しみください。




