ほんのり甘い
有名なメーカーの缶のカフェオレを今更ながらのように美味と感じたこと。個人的に好感を持っている動画配信者もさらっとではあったがその商品の良さを語っていた場面があった。クリーム色の缶の印象からなのか口当たりも柔らかく感じ、少し疲れがあった時間にすっと染み渡る。
頭を抱えてしまいそうな課題でとにかく色々試してみないといけない状況にあることが分かってからというもの、著名人が何気なく言った一言にこれまでにないくらい感心してしまっていたりする。分野は違えど開拓者の『実感』は今の自分にとっては貴重なのかも知れない。かなり久々に銭湯に立ち寄ってみたりして、昔ながらの山々の絶景が描かれた壁面に寄りかかりながら、
「あー」
と声を漏らす。その音の響き方に少し驚いた。時間帯の関係なのか客の数もそれほど多くはなく、経営状態の心配をしてしまう必要はあったのか無かったのか。普段はあまり意識せずに生活しているけれど、そういった風情のある場所が存在しているという事はなんとなく心強く感じる。少しだけ熱い湯船の水面をぼんやり見つめ、薄暗がりの中考えていたことは夕食に何を食べようかという事。
のぼせ気味になって風呂から上がり、着替えながら付けっぱなしになっている扇風機の心地よい風に当たる。疲労感が中和されたようになって、
<生きるとはこういうことなのかもな>
と思った次第。こんなタイミングでフロントの瓶の『コーヒー牛乳』を見つける。記憶よりも値段が張ったような気もしたが、迷わず一本飲み干す。昼間のカフェオレとコーヒー牛乳の違いは、『成分の比率の違い』というごもっともな意見としてではなく、もっと曖昧で微妙な雰囲気の違いとして語りたくなる。たとえばそれは、余所行きの自分ではなくてありきたりでもいいじゃないかと思っている自分のというような。まあ、言ってるそばからよく分からない。
瓶を回収用のプラスチックのケースに戻し、椅子に座って配信者の動画を少しだけ観る。
『オクラと納豆のパスタ。手軽に出来るのに食べやすくていいんですよ!』
そういうのもあるのか。そういうのもあるんだよな。不思議なくらいすんなり夕食が決まってしまっても構わない日なのかなと思えたり。夕刻の何気ない音がすべてを包み込んでいる。
☆☆☆☆☆☆☆
数日後、いつもと同じように配信を視聴しようとアプリを立ち上げたら見慣れない広告が表示されていることに気付く。それがベタベタなラブコメ漫画だったりして。
『出会いは意外なところにある』
テロップの妙に納得感のある言い回しに一瞬錯覚させられかけ危うくポチるところだったが、自分でもそんな何かを無意識に求めているんだなと感じる。新発売だというシャインマスカットのチューハイの風味を確かめながら予告されていた配信時間になったので動画を開くと、
「今晩は!マイク大丈夫でしょうか?今宵は某所の『お祭り』の様子を流してみようと思います!」
と突然いつもとは違う賑やかな音声が混じった配信が始まった。この季節にはよく目にする飲食の出店とか、懐かしいの射的とか、ノスタルジーを刺激する光景が画面越しにどんどん流れてくる。配信者は自分と同世代くらいの男性なので熱狂的なファンとのトラブルなどもそれほど心配されないと踏んでこういう配信に至った模様で、屋台の店主に「動画配信大丈夫ですか?」ときちんと確認を取ってから撮影するので観ている側としても安心できる内容。
「僕、射的が昔から得意なんでね、今回はちょっと挑戦させてもらおうと思います」
『配信の見どころ』となった配信者による『射的』のチャレンジ。どこかしら祭りの高揚感に包まれた雰囲気があって、厳つい顔つきではあるが柔和な笑顔を見せる店主に見守られつつ、ライフルを構えて3度発弾。初回は明後日の方向でかすりもしなかったが、二発目に箱型のお菓子にクリーンヒット。
「観てましたか!やりました!」
見るからにテンションの上がった3度目は景品と景品の間を器用にすり抜け失敗に終わる。
「筋がいいね。おめでとう」
店主からそう讃えられた配信者はお菓子を抱えてニンマリ顔。商店街の小規模なお祭りであった為、それほど混雑はしていないと見える。動画に流れてくる視聴者からのコメントも「懐かしいな〜」とか「行きてー」とか概ね好評で、試みは『成功』だったと言える。実際、自分も近場で祭りがあったら行ってみたいと感じ始めて軽く検索してみた。
「え!?今日祭りだったんだ!?」
思わず大きな声が出てしまった。あの銭湯の近くでこちらも小規模な祭りが開催されているらしい。祭りの終了まで残り2時間というタイミングだったので思い切って出向いてみる事にした。
<射的あったらやってみよっと>
最近なんだか影響され易くなっているなと自覚。それでも日々の中に隠れている『楽しみ』はそうやって見出してゆくものなのかも知れない。少しアルコールの入った顔に夜風が心地よく、銭湯を目印に歩いていると次第に賑やかで艶っぽい『音』が響いてくるのが分かった。会場を見つけた瞬間に一瞬にして心が踊り出すように脈打つ。配信と同じように飲食の屋台にちょっとした人だかり出来ていて、中にはうら若い浴衣姿の女性たちの姿もあった。
香ばしい匂いにやられてさっそく唐揚げとビールを購入し、雰囲気を味わいながら会場の全体を一通り眺めて歩く。ほんのちょっとだけだが、自分がこんなところに居てよいのだろうかと思ってしまう。それは何というか幼い頃には感じなかった感情のはずで、それを振り払うように目的の場所を探していた。
「あった」
意外にも会場の外れの方。ひっそりと構えた射的の出店を発見する。こちらの店主は自分よりもずっと若いように見えて、景品も配信で見たものよりはスケールダウンした感じ。世代的なものなのかクレーンゲームで取り扱われるようなアニメのキャラのフィギュアが並んでいることも少し独特に感じた。
「やってみたいのですが」
「わかりました。ではルールをご説明します。倒れなくても景品に当てればOKのシステムです。3回挑戦できますので」
実は射的の経験はほぼ皆無の自分。配信の様子を思い出しながらそれっぽくライフルを構えて当て易い景品を探したらその中にあのカフェオレの缶がちょこんと置いてある事に気付く。
<よし、それじゃあれを狙ってみるか>
実際にやってみるとこれが全然かすりもしない。最初は手前に落ちてしまうし、二発目は横に逸れてしまう。「難しいんですね」と店主に確認すると曖昧に微笑まれる。何となく背後が気になって振り向くとそこにこちらに熱視線と呼べそうなものを送っている黒髪の女性の姿を認めた。
「…やっぱり下手ですか?」
傍目にも下手過ぎて目についてしまったのだろうと感じて何か申し訳ない気持ちで彼女に話しかけていた。酒が入っていたのもあってつい思ったことを口にしてしまったのだ。急に話しかけられた彼女は少し当惑した様子で、
「いえ、何を狙っているのかなと思いまして」
と丁寧な口調で返事してくれる。鋭い視線とは対照的に話し易そうな人だったので「あのカフェオレです」と素直に告げた。少し思案顔になった女性は、
「それだと、もう少し低い姿勢で狙った方がいいと思います。軌道はわずかに『放物線』を描くので」
というアドバイスを自分にくれる。学生以来聞くことの少なかった語句に戸惑いつつも、言われてみればそうだなと瞬時に理解できたのは事前に配信を視聴していたからだろうか。彼女の言に従い、なるべく軸がぶれないよう心掛け、見守られたプレッシャーの中放ったコルクはカフェオレの缶の真ん中にヒットした。
「うわ!やった!!」
初めての経験だったから七日それこそ年甲斐も無く狂喜乱舞してしまい、その姿を女性にも店主にもしっかり目撃されてしまった。女性の方は「よかったですね!」となぜかとても嬉しそうで、流れでハイタッチまでしてしまった。彼女はたぶん、自分より少し若いくらいだろうか。店主から「おめでとうございます」と手渡されたカフェオレをしばし見つめる。
「これ、貴女にプレゼントしますよ。美味しいんです、受け取って下さい」
その時の自分はこの上なく嬉しかったのだと思う。急に手渡されて困惑していた彼女だったが、『ネットの配信で射的を見て挑戦したくなったのだ』と経緯を説明すると「え!?」という驚きの表情に切り替わった。
「もしかして○○さんの配信ですか!?」
まさに配信者の名前が彼女の口から飛び出した。すごい偶然ではあるが、彼女も先程までその配信を視聴していたらしい。
「そんなミラクルがあるんですか!?」
その日はお互いに驚きあってはいたが、今では動画のコメント欄に表示された彼女のアカウントの名を見つけて不思議な気持ちになる日々である。何となくあのカフェオレを飲みたくなることが多くなったのは、ほんのりと甘い風味を恋しく思うからなのだろう。




