第9話 地獄でも、フルコースは最高
フランスは、イギリスに腕をつかまれたまま、貴賓席に立ち尽くした。
地獄のような空気ね。
いっそ、笑顔よ、ここは。
フランスは、できるだけ上機嫌そうな笑顔を浮かべることに集中した。
ここで、イギリスとシャルトル教皇がもめては、あの必死に取り繕った調印式での苦労が、泡と消えてしまう。
イギリスが、この貴賓席をあずかっていそうな使用人に目をつけて、尊大に言った。
「聖女の席を用意しろ」
フランスは、シャルトル教皇とスイス大公の、驚きと困惑と非難がいりまじったような表情を見てから、視線をはずした。
まだ、仲の悪い司教といっしょの席の方がましだわ。
せめて、目だけは、愛らしいものでも見て、癒されておこう。
フランスは、卓上に用意されている花を、無意味にじっと見つめて、心を落ち着かせようとした。
大公国の使用人たちは、優秀なようだった。フランスの席は、あっという間に用意されてしまう。
意外なことに、イギリスが椅子をひいた。
その仕草はきわめて紳士的だったが、彼の表情は、さっさと座っておとなしくはべっていろ、と言わんばかりだった。
フランスは、観念して席にすわる。
誰もにこやかに、話さなかった。
こんなことで、外交は大丈夫ですか。
いや、そもそも、シャルトル教皇とスイス大公は、以前から交流があるはずだが……魔王と呼ばれる帝国皇帝のイギリスが、こういった席に顔を出すというのは聞いたことがない。
かなり、稀な席なのかもしれないわね。
フランスは、自分が口をはさめるような場ではない、と割り切り、地獄の空気は無視して食事を楽しむことにした。
良い仕立ての服を着た使用人があらわれて、本日のメニューを読み上げた。
フランスは配られた、美しいあしらいのメニューを見ながら、それを聞いた。
すごい!
六皿、二十四品⁉
とんでもない贅沢なフルコースだった。
さすが、貴賓席はちがうわ。
わたし、ここに来て良かったかもしれない。
最初のメニューが運ばれてくる。
運んできた使用人が、丁寧に皿の説明をした。
「こちらは、去勢鳥の澄んだスープ、シナモン風味でございます。そえてございますのは、雌鶏の香草風味と、新キャベツと狩猟肉でございます」
「まあ、美しいですね」
色とりどりの一皿に、フランスは、思わずわくわくとして、そう言った。
シャルトル教皇が微笑んで言った。
「スイス陛下は貿易もお得意ですから、きっと、あなたがはじめて食べるようなものも、ありますよ。楽しみですね」
フランスは、心のそこから尊敬する気持ちをこめて、スイス大公に向けて言った。調印式での寛大な措置への感謝も込める。
「ほんとうに、素敵です」
スイス大公は、まんざらでもない顔で微笑んだ。笑うと、整えられた口ひげが、とってもチャーミングに見える。
あら、ほんとに、素敵だわ。
貴賓席に、急遽ひとりぶんの席が追加されても、テーブルは十分に広く、料理も十分に用意されているようだった。
その後、席の雰囲気はやわらぎ、各国トップの三人は、貿易に関する話題でおだやかに話し始めた。どこのなにがどうの、という話はフランスにはよく分からないので、耳半分で聞いておく。
イギリスも普通に話していた。
社交性がない、というわけではないのね。
フランスは、次々と出される料理を遠慮なく食べた。
コルセットをゆるめられたら、もっと食べられるのに。
調印式が帝国側で行われなくて、良かった。帝国の料理は散々だとうわさだもの。行ったことは、ないけれど。
意外にも、イギリスが話しかけてきた。
「聖女殿は、ずいぶん美食家だと噂だな」
それも、悪い噂のうちのひとつだろうか。
正直、フランス自身も、自分の悪い噂がどんな風に出回っているか、すべては把握できていない。
「教国には、とても素敵な料理の数々がございますから。もちろん、大公国の料理も比べられないほど、素敵ですわ」
あえて、帝国については言わないでおく。
イギリスが、目を細めた。
ふん、料理がまずいのは本当のようね。
シャルトル教皇が、にっこり微笑んで言った。
「フランスは、甘いものはお好きですか?」
「はい、聖下。とても好きです」
聖下のことも、好きです。
「そちらの料理は、不思議に甘くておすすめですよ。スイス陛下のお気に入りでもあります」
「まあ」
目の前に運ばれてきたのは、兎の薔薇風味、ゼリー添えだった。
なんなの~、ほんとに、素敵ね。
スイス大公が、上機嫌に言った。
「甘いものがお好きなら、デザートも楽しみにしておいてください。とっておきのスイーツをお出ししますので」
「楽しみです」
あ、この空気なら、もしかして、わたしから話しかけても失礼にならないかしら。
フランスはスイス大公に向かって、言った。
「ところで、カステル・グランデは、本当に美しい城ですね、昨日拝見させていただきましたが、わたくし感動いたしました。難攻不落の要塞と聞いておりましたが、美しさもかねそなえておられるなんて」
スイス大公は、機嫌良さそうに、ぶどう酒をかたむけた。
よし、これなら聞けそう。
「とくに、伝説をもつ泉は、本当に美しく胸を打たれるようでした」
「聖女殿は、お目が高い。あれは、この地で最も古く清い水源です」
よしよし、いいわね。
フランスは、控えめな仕草で聞いた。
「もし、差し支えなければ、伝説について知りたいのですが……」
フランスは伺うように、イギリスとシャルトル教皇の顔をちら、と見た。イギリスに文句があるわけはないか。フランスはすぐに視線を移した。
シャルトル教皇は、優しく微笑んで「いいですね」と言った。
スイス大公は、チャーミングな笑顔で言った。
「あの泉は、妖精王がひらいた水門だと言われています」
「まあ、妖精王が」
それは、知らなかった。
金貨を投げこめば願いを叶える泉の正体は、妖精王なのね。
「伝承によると、妖精王はたいそう気まぐれで、嫉妬深いそうです。ベルンの泉は、その妖精王が開いた水門であり、妖精王はいつでも泉の向こう側から、こちらをのぞけるのだとか」
「泉のそばで、下手なことは言えませんわね」
フランスの言葉に、スイス大公が笑う。
「妖精王が願いを叶えてくださるのですか? 金貨を投げ込むと、願いが叶うという噂を聞きました」
「ああ、それは、民たちが言いだした後付けですよ。伝説では、ただ妖精王がこちら側をのぞくことができるとだけあるのです」
「あら、そうなんですね」
それならば、あの泉でのことは、入れかわりには無関係なのだろうか。
話が落ち着くと、イギリスが唐突にシャルトル教皇に向かって言った。
「シャルトル教皇、しばらく貴国の聖女を借りたい」
へえ。
……。
なんですって⁉
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おまけ 他意はない豆知識
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【難攻不落の要塞?】
カステル・グランデは、スイスの世界遺産。
ローマ帝国の時代からカステルグランデの岩場に要塞が建造され、難攻不落と言われていたのだとか。