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第4話 グレート……ブリ……テ……

 聖女フランスは魔王イギリスの姿で、だんまりのまま身支度を終え、だんまりのまま調印式の場へと、案内された。


 どうも、使用人たちがびくついている気がする。あまりにも、フランスが話さないからかもしれない。しかし、話せば確実にぼろがでる。イギリスらしい態度が分からないのだから。


 不審な目で見られるくらいなら、いっそ、不機嫌なオーラを放っておけば、帝国のトップである皇帝に何か物申すものなどいないだろう。


 フランスは調印式のある大広間に向かう道中、必死で思い出そうとしていた。


 イギリスのフルネームを。


 調印式に向かっているのに、サインすべき名前が分からないのは致命的だ。


 教国を出発する前に、帝国側の要人の名前を覚えようとして見たはずなのに、ここにきて全くしっかり思い出せなかった。


 わたし、思ったより、動揺しているのかしら。

 全然、思い出せないわ……。


 フランスは人差し指で唇をとんとんとたたきそうになって、はっと、手をおろす。誰が見ているか分からない。背筋をのばして尊大にあごを上げて歩く。


 皇帝らしく、皇帝らしく、よ。


 名前、すごく長いのよね、たしか。グレート、ブリなんとか。キタ……アイル……とかも入っていたような……。


 ああ、全部は思い出せないわよ。

 こんな状況じゃ余計に……。


 しかし、まかり間違っても、大切な書類に適当な名前は書けない。そんなことをすれば、宣戦布告くらいの挑発行為ともとられかねない。


 うーん。

 どうしよう。


 書き記すべき名前を思い出せないまま、調印式がひらかれる大広間が、もう目の前に迫っていた。


 大広間の前で、フランスに近づくものがあった。


 あ、この顔は……、何度か見たことがある。

 まずい、魔王の最側近のダラム卿だわ。


 表に出てこない皇帝の代理として、式典などで、幾度か目にした顔だった。


 ダラムは「陛下」と言って、うやうやしく礼をした。


 極力喋らないようにしなければ。

 フランスは「ああ」とだけ返した。


 ダラムは、存外くだけた朗らかな表情で言った。


「いくつかご確認いただきたい事案があるのですが、調印式ののちに、お時間いただけませんでしょうか」


 え、いやよ。

 それは、まずいわ。


 調印式のあとは、中身がイギリスの聖女フランスが部屋にかけこんでくる予定なのだから。そこに誰かがいるとなったら、ただでさえややこしいことが、さらにややこしくなる。


 フランスはぼろが出ないよう「いや」とだけ答えた。


 ダラムは一瞬、はて、という顔をしたがすぐに「では昼餐会ちゅうさんかいののちに」と言った。


 それなら、なんとか魔王と話した後だから、大丈夫かしら。

 フランスは「うむ」とだけ答えた。


 ダラム卿、たのむから、はやくあっちへ行ってくれないかな。


 こんな状況でなければ、ダラム卿に声をかけられるのは、嬉しいかもしれない。彼は、帝国の人間にしてはめずらしく、いつも洒落ていて、優し気で、嫌みったらしさがない。帝国人の紳士である部分だけを抜き取ったような、理想的な男性という噂だ。


 しかも、帝国で最も大きな領地を持つのだとか。


 すてきなお金持ちね。


 ダラムは礼をしたあと、大広間の入り口に向けて、どうぞ、と目上のものに道をゆずる礼儀正しい仕草をした。


 今は彼の褒められるべき折り目正しさが、わずらわしい。まだ、イギリスの名前を思い出せていないのに、大広間に入るしかなくなってしまった。



 いや、もう、こうなったら、なるようになれ、よ。



 フランスは顔をあげて、堂々と、皇帝らしく大広間に向かって歩みを進めた。


 大広間に入ると、すでに、人でいっぱいだった。もう、帝国の皇帝さえそろえば、調印式ははじめられる、といった様子だ。


 舞踏会も行われるという大広間は、格式高く、天井の高い、大きな広間だった。天井画も床のモザイクも美しい。


 大広間の奥に設けられた壇上では、すでに、大公国のトップであるスイス大公と、教国のトップであるシャルトル教皇が談笑している。


 フランスは、できるだけ尊大な態度で、ゆっくりと中へと進んだ。


 進みながら、右側を見る。

 教国側の司教たちが並んでいた。


 私の身体もそこらへんに、いるはずよ。


 いた!


 一番奥の方に、フランスの身体がいる。


 フランスは進みながら、必死で考えた。

 今、取れる行動はふたつ。


 ひとつは、思い出せる限りのでたらめな名前を、いちかばちか書く。


 しっかり、挑発行為よ。


 もうひとつは……、誰か名前を知るものに書いてもらう。それも、皇帝が自分の名前を書けないことに、不審な目を向けないものに。つまり、イギリス本人に書いてもらうしかない。


 ただし身体は聖女フランスだ。皇帝のサインを他人に書かせるという前代未聞の、これまた挑発行為になるだろう。


 どちらも挑発行為なら……。


 フランスは心を決めた。



 せめて、ちゃんと書ける方にしよう。



 よく考えれば、この身体は魔王と呼ばれて恐れられている、得体の知れない権力者の身体よ。こうなったら、得体の知れなさを、上書きしてやるわ。


 フランスがイギリスを見つめると、見るなとでも言うように、イギリスが睨んでくる。


 フランスはゆっくりと進み、ちょうど、イギリスが司教たちにまじって立っているあたりで、立ち止まった。


 イギリスにちら、とまた視線をやると、さっさと行け、というような目線と小さな仕草をよこされる。


 フランスは、大きく息を吸って、覚悟を決めた。


 ごめんなさいね、イギリス陛下……。


 でも。



 今は、わたしが、魔王よ。



 フランスは、大股で歩きイギリスに近寄った。イギリスの目が何をしていると言わんばかりに見開かれる。


 フランスは、ためらいなく近寄って、イギリスの今は細い女性の腕をつかんだ。


 大広間に、さざなみのように、ひそひそとざわめきが広がる。


 とんでもないわね。

 よし、いっそ、落ち着いてきたわ。



 見てなさいよ、わたしの魔王っぷりを。





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 おまけ 他意はない豆知識

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【イギリスの正式名称】

グレートブリテン及び北アイルランド連合王国


【ダラム】

ダラム大聖堂は、イギリスの世界遺産。

1093年に創建され、ノルマン様式の教会としてはヨーロッパで最も精巧な建築物の例とされています。


【シャルトル】

シャルトル大聖堂は、フランスの世界遺産。

1145年に建築開始、フランス国内において最も美しいゴシック建築のひとつと考えられています。

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