第31話 魔王、ついに教国に登場
フランスは、夜明けに、赤い竜の姿で、目覚めた。
ちょっと慣れて来た四つ足で、伸びをする。頭側をぐっと低くして、お尻をつきだすように伸びた後、今度は後ろ脚をかたほうずつ、あげてのばす。さいごに、のばした右の足先をぴぴっと動かすと、なにか、完了した感じがする。
目覚めてすぐに、竜の姿になって、寝室を吹き飛ばして以来、目覚めると、城の外にいる。どうやら、イギリスは、赤い竜の姿になって、屋根もない夜空の下の、草っぱらの上に寝てくれているらしい。
目覚めてすぐに、赤い竜の姿だと、フランスは案外落ち着いていられた。姿が変化して、なにかを壊してしまうこともないし、竜の姿で外で寝転がっているのは、案外、開放感があって心地よい。
フランスは、人の姿のときに、ちょっとでも頭の中に、竜のことがちらつくと、もうすぐに身体が赤い竜になってしまう上に、一度竜の姿になると、戻り方が分からなかった。
だからか、いっそ、ずっと竜の姿で過ごしている方が、びくびくせずにすむ。
ただし、竜の姿では、小さな手紙をもらっても読むことはできない。
この姿で目覚めるようになってからは、ダラム卿の手紙はなく、アミアンからイギリスの言伝を聞くようになった。
「しばらく、赤い竜の姿に慣れた方がよいと、陛下がおっしゃっていました。ただし、飛ぶのはやめておいたほうが良いとのことです。危険だからダラム様を近づかせることはできない、ともおっしゃっていました」
フランスは、城の回りを、四つ足でうろうろと歩き回ったり、城のそばにある池に鼻先をつっこんでみたり、尾をくるっと身体にまきつけてうとうとしたりして、午前中の時間を過ごした。
そうやって、赤い竜の姿にすこしずつ慣れている間に、教会ではどんどん帝国の皇帝受け入れ体制が整えられていた。
*
シャルトル教皇から、イギリスが教会に来ることを告げられて、三日がすぎた午後。
フランスは窓から教会の裏側の空地をながめて言った。
「もう部屋なんてあまっていないのに、どうするつもりかと、思ったけれど、なかなか派手ね」
アミアンが、となりで頷いて言う。
「ほんとに、立派な天幕ですよね」
教会の裏には、巨大な天幕が建てられていた。
「これで、騎士たちの天幕までならんでいたら、完全に帝国軍の駐屯地に見えたでしょうね」
アミアンが感心しきりといった声で言う。
「それにしても、準備がはやいですね」
「そうね、シャルトル聖下から答えが出るのを、どこかで待ち構えていたみたいね」
国境にでも人員と資材を配備していたのだろうか。
空地にはすでに三つの大きな天幕が建てられている。ひとつはおそらく皇帝用で、他は使用人用だろうか。
ほんとうに、来るのね。
なんだか、こわいわ。
「結局、いつになったらイギリス陛下は来られるのかしら」
「明日って言ってましたよ」
アミアンの思わぬ答えに、フランスはびっくりして、大きな声で言った。
「えっ⁉ 初耳よ。どうやって来るのよ。今朝は帝国にいたのに」
「さあ、お聞きしていませんが。明日の午後に来ると言っていました。今朝、教区長と領主に先ぶれを出しておられました」
「ええっ、急なことで、教区長と領主も大慌てでしょうね」
フランスは、言いながら、天幕を見て、覚悟を決めた。
しっかり怒られて、ちゃんと謝らなきゃね。
*
次の日、フランスは、正午に教会で自分の身体にもどってから、アミアンに言った。
「ねえ、今日こっちに陛下が来るのは絶対無理よ。さっきまで、帝国にいたもの」
「でも、なんだか教会の前が騒がしくなってきているみたいですよ」
ふたりが教会の前の広場に行くと、そこには、ひしめくように馬車があった。
なぜか広場の中央に、帝国の騎士たちが大きな円陣をつくっている。円陣の内側は、なにもなく、あけられていた。
フランスは様子を見ながらつぶやいた。
「ずいぶんな数の馬車がいるわね。教会の紋章つきの馬車に、領主の紋章つきと……。あとは、ひやかしかしら」
教会の紋章をつけた馬車から、いかにも良いものばかり食べてますといった体形の男がでてきた。
「あ、ガルタンプ大司教じゃない。ええ、大司教まで出てきちゃったのね」
まあでも、帝国の皇帝が来るのだから、司教だけでは役不足かしら。
にしても、めんどうね。
合わないのよね、ガルタンプ大司教。
もうひとり別の馬車から出てきたのは、これまた、フランスとはうまの合わない、この教区を管理する司教だった。
フランスの口から、思わず大きめのため息がでる。
フランスが近づくとガルタンプ大司教が、にこりともせず言った。
「聖女フランス、またずいぶんな騒ぎですな」
「サン=サヴァン・シュル・ガルタンプ大司教にご挨拶申し上げます」
ややこしいことこの上ない名前なのに、ガルタンプ大司教は、挨拶のときにはフルネームで呼ばれたい人だと有名だ。
めんどくさい。
ガルタンプ大司教が、いやみな目つきで言う。
「大公国でもずいぶん騒がれたとか、あまり暴れて聖女の名をおとされては困りますぞ」
「肝に免じます」
フランスが大人しく返事をすると、ガルタンプ大司教は、ふん、と鼻をならした。
その時、領主の紋章をもつ豪奢な馬車から、華美なマントを羽織った領主がおりてきた。フランスはガルタンプ大司教のあとについて、領主のもとに行った。
ガルタンプ大司教が、にこやかに言う。
「領主さま、ごきげんうるわしゅう」
な~にが、ごきげんうるわしゅうよ。
嫌いなくせに。
大司教ともなれば、そこらの小さな領地持ちの領主よりは、えらそうにできる。だが、この辺りをおさめる領主の領地は広大だ。ガルタンプ大司教が管轄する複数の教区にまたがって、領地を支配しているうえに、相当なお金持ちだというから、ガルタンプ大司教も、ずいぶんと身を低くしている。
お金とお金の、力関係がそっくりそのまま見えるわね。
領主がふんぞりかえって言った。
「ガルタンプ、相変わらず良いものを喰っていそうだな」
「……」
ちょっと笑えるわ。
領主も、ガルタンプ大司教のこと嫌いなのよね。
領主が、ふんぞりかえったまま、フランスにちらと目をやって言う。
「聖女フランス、聞いておりますぞ。どうやら、皇帝陛下はいたく、あなたのことをお気に入りだとか。しかしまあ、身の程はわきまえているんでしょうなあ」
「まあ、もちろんですわ。領主さまのお心を悩ませるようなことは、ございませんので、ご安心くださいませ」
「ならばいいがな」
あ~、やだやだ、この教区にからむ人間、みんなウマが合わないのよね。
あら、待って、そういえば、ここにいる人間、全員おたがいのこと嫌いじゃない?
フランスはとなりで空気と化している、この教区の司教に目をやって思い出す。この司教も、たしかガルタンプ大司教と領主と、仲が悪い。
やだ、楽しくなってきちゃったわね。
だれか、口喧嘩でもやらかさないかしら。
フランスは、しばらく、刺々しい会話を楽しんだ。喧嘩を期待しつつ、喧嘩しやすそうな話題を提供してみたりする。アミアンがうしろで、やれやれという顔をしているのが、目に入った。
しばらくすると、帝国の騎士たちに動きがあった。にわかにあわただしい。
なにかしら。
円陣の中央に大きな旗があがった。帝国旗だ。赤い竜の紋章が描かれている。一番からだの大きい騎士が、その大きくて長い旗を、全身をつかって大きく振った。
誰かに合図を送るように、しばらく振って、すばやく下げて、はしへよる。
群衆が空を指さした。
フランスも、その指さす先を見上げた。
赤い翼が、風をうけておおきく開いていた。赤い尾が、風のなかにゆったりとはためくように揺れる。鱗が太陽の光をうけてかがやいていた。
広場に影がおりる。
大きな赤い竜が、翼をひろげて、広場にむかって降り立とうとしていた。
竜のつばさのはばたきで、広場に風がおこる。
群衆たちが、おそれるように叫んだ。
竜がおりたつと、すぐにその姿はほどけるように消え、円陣の中央にひとりの美しい男が立っていた。
魔王イギリスだ。
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おまけ 他意はない豆知識
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【ガルタンプ】
サン=サヴァン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会は、フランスの世界遺産。
保存状態の良好なロマネスク期の壁画が数多く残されています。




