第3話 魔王と聖女、出会う
聖女フランスは、扉の向こうにいる、自分の姿をしたものを、見下ろした。
へえ、わたしって、上から見ると、こんな感じなんだ。
変な感じね。
聖女の姿をしたものは、押し入るようにして、部屋に入ってきた。
そして、尊大な雰囲気で言う。
「閉めろ」
やっぱり、中身は魔王イギリスかしら。
フランスは、きっちり扉をしめて、相手と向かい合った。相手は、こちらをじっと睨みつけている。
うわあ、わたしの顔ったら……。
自覚はあったけれど、けっこう目元がきつい印象よね。
睨むと、けっこう、こわい顔をしている。しかし、今はこちらの方がはるかに背が高いので、ひるむということはない。
背が高いと、心理的に有利になるのね。
へえ、新しい発見。
今度から、倍くらい高いヒールでもはこうかしら。
相手が先に口をひらいた。
「わたしの身体に入り込んでいるのは、何者か」
ふうん、やっぱり中身は魔王イギリスなのね。
入れかわっているんだわ。
フランスは、失礼のないようにと挨拶をした。
「教国にて聖女として主に仕えております、フランスと申します。帝国のイギリス皇帝陛下に、ご挨拶申し上げます」
イギリスが、いけすかない感じで、ひとつ息をついて言った。
「ああ、たいそう清くて尊いと評判の、聖女殿か」
あ、むかつくわね。
いかにも、帝国の人間の話し方だわ。
いやみで、皮肉なんだから。
聖女フランスの、一般的な噂は『悪女』だった。
フランスは気にせず、微笑んで答えた。
「陛下のお耳にまで噂が届くとは、光栄です」
ふたりの間に沈黙がおとずれる。
イギリスが、いやそうにため息をついて、言った。
「教国の聖女には、あやしの力で心を入れ替える術でもあるのか」
「まさか、わたくしに、そのような力はございません」
「本当だろうな」
フランスは、ことさら、にっこりと笑顔をつくって言った。
「陛下にできぬことが、わたくしにできるはずもございません」
フランスの目の前で、見慣れた自分の顔が不愉快そうにした。
お、イラっとしたわね。
お返しよ。
イギリスは、しばらく考えるようにしたあと、言った。
「調印式は、無事に行わなければならない」
それは、そうね。
フランスにとっても、それは滞りなく進んでもらいたい事だった。
イギリスが、言い聞かせようとでもするように、しっかりとフランスを見つめて言う。
「もう、すぐに、使用人たちが来るだろう。準備はすべてまかせればいい。ただ、身一つで調印式に向かい、サインをするだけだ」
できるか、とも聞かないのね。
フランスは頷いて言う。
「はい、承知いたしました」
「わたしの姿で、その話し方をするなよ。今日は一日だまっていろ。おしとやかな聖女殿なら得意だろう」
いちいち、むかつくわね。
だから帝国人は気に食わないのよ。
「はい。話しません」
「そうか、なら、すっかり安心だよ」
イギリスはあきらかに疑いの眼差しを向けたまま、そう言った。
自分の顔だけど、むかつく顔してるわ。
フランスは、笑顔を崩さず言った。
「わたくしも、すっかり安心しております。すべてにおいて完璧な陛下ならば、わたくしなどよりずっと、清くて尊い聖女にふさわしい振る舞いをされるのでしょうから」
清くて尊い、の部分は気持ち強調して発音する。
イギリスが、露骨にこちらを睨んだ。
あら、こわい。
いつもなら、こんなことしないけど、つい、うっかり、身体が大きいから、心まで大きくなっちゃったのかしら。気をつけないと。
「聖女も、調印式に出る予定なのか」
「はい、わたくしも参列する予定でございます。ですが、調印式はただ参列するだけで、特別な役割はございません」
イギリスが、小ばかにするような顔で言った。
「ふん、にぎやかしか」
お、露骨になってきたわね。
いっそ、こっちのほうが、まだ好きだわ。
今、思いっきりほっぺをつねってやったら、どんな顔するかしらね。
フランスは想像しながら、にやにやしそうになる顔を抑えて、笑顔をキープした。
「調印式のあとは、昼餐会まで時間がある。すぐに、この部屋に戻れ。わたしも、こちらに戻る」
イギリスの言葉に、フランスは思わず、声をもらしてしまう。
「え」
「なんだ、不満か」
「いえ」
帝国の皇帝の部屋に、一目散に向かう教国の聖女の姿を、だれかに見られたら——。と、一瞬、フランスの頭に、まずいか、という気持ちがよぎったが、すぐ消えた。
悪名が高まるだけだから、まあいいか。
すでに、まあまあ『悪女』として十分に噂されているようだし。
イギリスは、言うだけ言って、そのままさっさと部屋を出ていこうとする。
フランスは、思わず大きい声で呼び止めた。
「あ! 陛下!」
イギリスが怪訝な顔でふりむく。
「なんだ」
「あー……、しばらくすれば、わたくしの侍女が陛下の身支度を手伝いに現われるかと思いますが、どうか態度が失礼であってもご容赦ください。アミアンという名なのですが、わたくしとは姉妹同然に育った者ですので、すこし……、まあ、かなり、ちょっと、態度がゆるいかもしれません」
イギリスはそれを聞くと、答えもせずに、さっさと出ていった。
大丈夫かな、アミアン。
まあ……、大丈夫か。アミアン、可愛いし。態度がゆるいと言っても、妹をかわいがるような素振りをするくらいだし……。
フランスは、両手を胸元で組んでにぎりしめ、目を閉じて祈った。
「まことに親愛なる主よ、アミアンのゆるゆるお喋りが炸裂して、魔王の怒りを買ったりしませんよう、お見守りくださると信じます。アーメン」
しばらくすると、使用人たちが、うやうやしく礼をして部屋に訪れ、身支度が始められた。
フランスはだまって、されるがまま、ぼーっと終わるの待つ。
調印式かあ。
はやく、終わらないかな。
ん?
あれ?
あー……。
フランスは、黙ったまま、まずいことに気がついて、ひんやりとした気持ちになった。
魔王イギリスのフルネーム……なんだっけ……。
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おまけ 他意はない豆知識
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【主】
聖書に出てくる神を指す。
新約聖書ではイエス・キリストのことも主と呼ぶ。
【アーメン】
聖書を教典とする宗教で使われる用語。
ヘブライ語で、「まことにそうです」「そうありますように」という意味。
【アミアン】
アミアン大聖堂は、フランスの世界遺産。
1220年に建築開始、フランスで最も高い大聖堂であり、複数あるノートルダム大聖堂のひとつです。
※ノートルダムは「我らの貴婦人」という意味で、聖母マリアを指す敬称。