第233話 大罪人の本当の姿
フランスは、自分を落ち着けようと、肩にのっているコウモリにふれた。
イギリスが、コウモリのちいさな手で、フランスの指先をぎゅっとやる。
フランスは、ふるえる息をゆっくりとはいた。
動揺している場合じゃないわ。
しっかりしないと。
いよいよ、処刑の時が近い。
フランスは、じっと、処刑台の上のシャルトル教皇の姿を見つめた。
華奢で、すぐに折れそうなほどに見える。
最近、お痩せになったから、余計にかもしれない。
シャルトル教皇は、まっすぐに背をのばし、凛とした表情で、広場の群衆を見つめていた。
凛として立つ、ひとりの女の姿。
まさか、聖下が、女だったなんて。
女——。
この教国で、何の権利も、権威も、有することのなかった、たったひとりの女だ。
彼女は、誰にも頼ることなく、あの座にのぼりつめ、教国のすべての女のために、たったひとり、立ち向かった。
そして、変えてしまった。
教国を。
女には意見を言う場すら与えられなかった国を、女にも意見を言える国に。
そんなことができる?
たったひとりの、人間に。
たったひとりの、生まれながらに罪あるものとされた子に。
おかしいと思っていた。
弾劾裁判から、処刑が決まるまでが早すぎることを。
それに、聖女の子であることを理由にして大罪人とするのは、ひどくやりすぎだと思った。
彼女は——、この国の最高の地位についた。
男にしか、ゆるされない地位に。
女が、立てない場所に。
それは、この国の伝統に照らし合わせれば、まさに、大罪だ。
教国を恨んで、呪ってもおかしくなかったのに、すべてを投げ打って、自分の命すら惜しまず、いつかこうなることも覚悟のうえで、教皇にまでなったの?
そんなの、すごすぎる。
広場から、声が上がった。
「魔女だ!」
その声に、触発されるように、口々に、魔女だ、悪魔だと、おそれるような声が上がった。
「殺せ!」
次々に、わめきたてる声が聞こえた。
おそれのようなものが、広場を支配しはじめていた。
罪状を読み上げていた男が、手をあげる。
人々の声がすこしおさまった。
「大罪人シャルトルは、すべての民をあざむいた罪で、火あぶりの刑とする!」
男の声に、群衆がつづいた。
「そうだ!」
「火をつけろ!」
「殺してしまえ!」
さっきまで、処刑に反対していた者たちは、予想外の事実に、口をつぐんでいるようだった。
「では、最後に、大罪人シャルトルに、おおきな慈悲の心をもって、懺悔の時間をあたえる」
人々は、大罪人が何を言うのかと、口を閉じ、じっと耳をこらしはじめた。
広場が、不穏な静けさにつつまれる。
シャルトル教皇は、じっと、広場を見つめたあと、いつもの慈悲深く美しい微笑をうかべた。
はっとするような表情だった。
今から処刑されるものの表情には見えない。
彼女の声は、叫んでいるわけではないのに、不思議と遠くまでとおるようだった。
シャルトル教皇は、歌うように言う。
「わたしはシャロンのサフラン、谷のゆりの花」
雅歌だわ。
教国において、正典とすべきかいまだに議論されているものだ。聖書の中でも、男女の愛をうたう、他とは性質のことなる書の句だった。
「ご覧、あの方が来られます。山々を飛び越え、丘丘の上をはねて」
まるで、舞台のうえで、美しい芝居が行われているようだった。
「わたしの愛する方はわたしのもの。わたしはあの方のもの。あの方は、ゆりの花の間で群れを飼っています。わたしの愛するかたよ。そよ風が吹き始めて、影が消えるころまでに、あなたはかえってきて、けわしい山々の上のかもしかや、若い鹿のようになってください」
しんとしていた。
誰もが、雅歌の美しい余韻にひたっているようだった。
シャルトル教皇が、おだやかな笑顔で言う。
「主の愛に、感謝いたします。あなたは、わたしに多くを与えてくださいました。あなたがすべてを愛すように、わたしもすべてを愛しましょう」
ひとつ、呼吸をおいて、彼女は言った。
「あなたは、癒された」
強烈な光が心の内を照らした。
それは、まるで闇をはらうような、強い光だった。
痛みさえ、感じるほどの。
どこからともなく、鐘の音が聞こえる。
それは段々と大きくなった。
そこらじゅうの鐘が鳴り響いているようだった。
そのとき、心の内を焼き尽くすような光が、まるで、その場にもあらわれたように見えた。
突如として、分厚く空にかかっていた雲がわれ、陽の光が、灰色の広場に差し込む。
処刑台の上にふりそそいだ光は、シャルトル教皇そのひとを、はっきりと真っ先に照らしたあと、あっという間に広場全体を、あたたかな温度でつつみこんだ。
飛んでいた。
光の中。
白い鳩が。
白い影は、ゆっくりと旋回して、光のなかに見えなくなった。
そうして、鐘の音も、ともに消えた。
まるで、幻か、奇跡のように見えたその光景に、フランスがぽかんと見とれていると、広場の遠くから叫ぶ声があった。
「聖女だ!」
そう、これはまぎれもない、聖女の力だ。
広場の中央からも、はしからも声が上がる。
この場にいるすべてのものが、この力を感じたのだろうか。
百人以上、いや千人ほどもいる人々、すべてが?
だとすれば、それは……。
フランスのごく近くにいた女が、喉がさけんばかりの声で叫んだ。
「第一番の聖女だ!」
そうだ、今、あの処刑台にあげられて、縄でつながれているあの方は……。
まぎれもなく、第一番の聖女だ!
そのあとは、おそろしい混乱になった。
広場からは「聖女を殺すな!」という、つよいうねりのようにも感じる叫びが上がり続けた。
教国において、いかなるものも、聖女を傷つけてはならない。
今まで、民衆に害された聖女は、聖なる力を失った者たちだった。
けれど、今、目の前にいる聖女は、最も力の強い聖女であり、その力を完璧に有している。
だが、執行人たちは、無理にシャルトル教皇を処刑しようと、薪がくべられている場所に、追い立てた。
広場は、その様子に、すぐにでも暴動がおきそうなほどになった。
「ヴラド、出てきて」
フランスは自分の胸元に向かって、そういったが、ヴラドはすっかり胸元で大人しくしている。
まさか、寝てる⁉
フランスは、ヴラドを起こそうと胸元に手をやった。
だが、まわりの人間が押し合うようにして、うまく身動きが取れない。
その混乱の中、突如として処刑台になだれ込むものがあった。
一番先頭をきってとびこんできた男が、シャルトル教皇を横抱きに抱き上げる。
いつもの聖職者らしい装いと異なるから、一瞬分からなかったが、その男は、教皇付きの助祭だった。聖下の幼馴染の。
それを阻止しようとする執行人たちを、なだれこんだ教皇直属の紋章をもつ騎士団が制圧する。冬将軍の姿もあった。
教皇直属の騎士団は、シャルトル教皇の姿を完全に隠すようにして守り、あっというまに連れ去った。
群衆たちの間に、混乱がひろがる。
つかまえろと叫ぶもの、逃げろとさけぶもの、怒号、悲鳴。
逃げないと。
危険だわ。
フランスが、暴徒と化しはじめた群れから出ようともがくと、強くうでをひかれた。
たくましい腕。
緑の。
えっ?
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おまけ 他意はない聖書豆知識
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【雅歌】
旧約聖書におさめられている書。
ソロモン王の作とされている。
男女の愛をうたう詩で、古くから議論が絶えなかったが、さまざまな経緯を経て正典におさめられた。
【雅歌 第2章】
作中でシャルトルが言葉にしたのは、雅歌の第2章の一部。
様々な解釈がされる、非常に魅力的な詩。
シャルトルの言葉の感覚は、『あの方』とか『愛する方』の部分を『主』と入れ替えて読むと、分かりやすいかもしれません。




