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第225話 聖下のためなら、売られます♡

 フランスは、シャルトル教皇の執務室に入ると、なんだか居心地がわるくなった。


 一見、いつもと何もかわらないように見えるが、シャルトル教皇の雰囲気が、ひどくよそよそしく感じられたからだ。


 慈悲深い聖母のように美しい微笑に、優雅な仕草。

 いつもと、変わらない。


 けれど、なんだか今日は、冷ややかに感じる。


 シャルトル教皇は、執務机の前に立ち、部屋に入ってきたフランスに向かって、すぐにこう言った。


「フランス、突然呼び出してすみません。急ぎの用だったもので。こちらにサインをいただけますか?」


 サインを?


 フランスは、シャルトル教皇から差し出された書類に目を通した。


 一度目を通して、何のことだか、分からず、もう一度上から下まで目を通す。



 これは……。



 フランスは、なんだか現実のことではないようで、ぼんやりとした気持ちで聞いた。


「聖下、これは一体……」


 シャルトル教皇は、微笑を崩さず、なんてことのない様子で答える。


「そこに書いてある通りです」


 ここに、書いてある通り……。


 書いてある通りなら……、これは、『聖女フランスを帝国に貸し出す』というような内容だった。


 しかも、貸し出しの期限は……。


 フランスは、書類をにぎる手にぎゅっと力をこめて聞いた。


「百年というのは……つまり……」


「ええ、あなたは、もう二度と、この教国の地を踏むことはないかもしれませんね。あなたが望めば、死後に墓をうつすということは可能かもしれません」


 シャルトル教皇は、にっこりとやさしげな顔でつづける。


「本来ならば、あなたのサインなど必要ない。ですが、これは、今までのあなたの働きに対する敬意です。さ、サインを。あなたに拒否権はない」


「でも……」


 聖下のお側にいると誓ったのに。


 そう言いたかったのに、冷たいシャルトルブルーの瞳に見つめられて、何も言えなくなる。


 シャルトル教皇が、首をすこしかしげるようにして、駄々をこねる子供をあやすように言った。


「フランス、あまり煩わせないでください。さあ、サインを」


 フランスは勇気をふりしぼって聞いた。


「聖下のお側にいると誓いました。なぜ、急にこのような」


 シャルトル教皇は、ひとつため息をついた。

 その冷たい仕草に、フランスの心が冷え冷えとする。


「あなたは思い違いをしているようです。わたしが、あなたを友のように必要として側においていると思っていましたか? そうですね。そう思っていたはずです。そのように仕向けたのですから。あなたは、ずいぶんと単純であつかいやすかった。本当に、とても役立ってくれましたよ。今回もそうです」


 フランスは、シャルトル教皇のひどい物言いに、混乱した。


 彼は、フランスの近くに寄り、フランスの髪を弄ぶようにしながら言った。


「帝国がつい最近、ひとつの国を手中におさめました。羽振りの良い国で、教国はその国に、多額の借り入れがあります。国の危機ですから、この負債を即刻返還するようにと、申し入れがありました。ですが、あまりに大きい金額です」


 シャルトル教皇が、フランスの髪を弄びながら、嬉しそうな顔で言う。


「あの赤い竜は、すぐにのんでくれましたよ。よっぽど、あなたの存在に目がくらんでいるようだ。その点、あなたは本当によくやってくれた。聖女フランスを貸し出すかわりに、この借金は帝国が肩代わりすることになりました」


 それは、借金の肩代わりに、女をひとり売る、というような内容に聞こえた。


 シャルトル教皇が、フランスの髪から手をはなし、フランスの手ににぎられている書類を執務机の上に置く。そして、優雅な仕草で机の上にある、豪華なペンを手に取り、フランスの手ににぎらせ、言った。


「あなたは、聖女だ。主の女。この地上においては、教皇であるわたしの女でもある。そうでしょう、フランス。あなたは、そう望んでいたでしょう?」


 驚くほど、なんの罪悪感も感じてはいなさそうな笑顔が、彼の顔にあった。


 残酷な声が、聞こえる。


「最後は、わたしのために、帝国に売られてくださいませんか?」


 フランスは、何か言おうと口をひらいたが、何も出てきそうになかった。

 ただ、とまどいだけが、息と一緒に吐き出されるようだった。


 フランスは、ペンを握らされて、執務机の上におかれた書類に向き合うように立たされた。


 動けずにいると、シャルトル教皇が、フランスの肩を抱くようにして言う。


「もうすこし、長く役に立ってくれるかと思っていましたが、正直なところ、もう、あなたの存在にはうんざりしていました。騎士団を護衛にさかねばならないのも手間でしたし、まるでわたしの弱点のように扱われるのもいただけない。それに、すこしの不穏なうわさでばかばかしいほど騒ぎ立てるのですから、目障りなことこのうえありません」


 心臓まで凍るかと思うほど、冷えたフランスの心に、シャルトル教皇の美しい声がつきささるようだった。


「それに、ずっとわたしのことを不快な目で見ていましたね。わたしが、そんな目で見られて本当に喜ぶとでも思いましたか?」


 ペンを持つ手が、ひどく震えた。


 シャルトル教皇が、くすりと笑ったようだった。


 もう、彼の顔もまともに見ることができないフランスに、シャルトル教皇が顔を近づけ、ささやくように言う。


 楽しそうに。


「おろかな女だ。何も知らない、聖なる女。そんなにわたしのことが好きなら、最後に口づけでも、してさしあげましょうか?」


 フランスは唇にキスされそうになったのを、急いで顔をそむけ、震える手で書類にサインをした。


 シャルトル教皇は、もはやフランスには興味はないとばかりに、満足そうに書類を手に取り、サインをたしかめながら言う。


「上出来です。あなたは、十分にわたしの役に立ってくださいました。もう二度と、会うこともないでしょう」


 最後に見たのは、いつもと変わらぬ、美しい笑顔だった。



「さようなら、フランス」



 フランスは、そのあとどうやって執務室を出たのかも、わからなかった。


 気づいたら、大聖堂の裏にある古井戸のところにいた。

 誰も来ない、フランスのお気に入りの場所。


 古井戸のそばに座り込む。

 ひざをかかえてぎゅっとやった。


 フランスは必死に歯をくいしばって、声を出さないようにした。


 それでも、おさえきれない。



 大粒の涙が、ぽたり、ぽたりと、次々に自分の服をぬらした。






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