第224話 うわさと、魔王の留守と、呼び出し
それは、唐突だった。
中央の修道院の地下でのおそろしいできごとから、一ヶ月ほどたったある日に、それは起きた。
まるで変わらない日常の中に、たしかに不安なことはいくつかあった。
東西の対立。
いざこざ。
喧嘩事。
もめ事。
悲しい事故のようなものもあったという。
ただ、それらは、日常の範囲を超えないものだ。
でも、唐突にもたらされた、それは、そのほかのどんなことよりも、不吉に感じられた。
その日、フランスがいつものように、午後の教会の執務室で手紙をやっつけていると、貸衣装屋がとびこんできた。
フランスは、貸衣装屋の形相にびっくりして言った。
「どうしたの、血相変えて。呼んでもいないのに来るなんて」
貸衣装屋は、走って来たのか、息も荒いままに言った。
「これは、聖女様に、一番最初にお伝えしないとと思って、馬をひっぱたきまわして、走り帰って来たんです」
「どこに行っていたの?」
「東のきな臭めのところです。西側といちばん、もめにもめているあたりの町でっ」
貸衣装屋がそこまで言って咳き込む。
フランスは、急いで水差しから水をグラスに入れて、貸衣装屋に手渡した。彼は水を勢いよく一気に飲みほしてから、大きく息をつき、言った。
「いくつかの家門の貴族が集まって、弾劾裁判を起こすらしいといううわさです」
フランスは眉をひそめて聞いた。
「弾劾裁判? だれを裁判に引きずり出すつもりなの?」
「教皇様です」
フランスは、それを聞いて、一瞬頭の中が真っ白になった。
教皇様?
え、聖下?
教皇を、裁判に引きずり出そうというの?
「そんな……、なぜ、聖下を……」
戸惑うフランスに、貸衣装屋がけわしい顔付きで説明する。
「最近になって、急に出回り始めたうわさがあるんです。教皇様が……、罪人の子ではないかと」
そんな……。
どこかから、聖下の出自がもれたんだわ。
どこまで、もれたんだろうか。
聖女の子であるということまで?
……。
そうに、ちがいないわ。
とつぜん出たうわさなら、それを流したものがいる。
裁判を進めるために、民にまでおそろしいうわさを流しているのかもしれない。
フランスは、執務机からよく見もせずに金貨をひっつかんでとりだし、貸衣装屋におしつけるようにして渡した。
「そのうわさ、これから進展があったら、逐一報告してくれる?」
「もちろんです」
「ありがとう。助かるわ」
フランスは貸衣装屋が執務室を出たあと、急いでシャルトル教皇に手紙を書いた。
何事かあったときには、教皇直属の騎士団に手紙を渡すようにと言われている。今聞いたうわさについて書き記して、騎士団に急ぎ届けるように手紙をたくす。
受け取った騎士は、すぐさま教会を出ていった。
フランスが、おそろしい気持ちでそわそわとして、ろくにゆっくりと座ることさえできないまま、その日を過ごしていると、シャルトル教皇から、すぐに返事があった。
手紙を持ってきた騎士の男は、相当急いで馬を走らせてくれたのか、身体のあちこちに泥がついていた。
フランスは、礼を言って騎士を下がらせ、あせる気持ちで手紙をあけて読んだ。
手紙の中身は、フランスのつんのめるように焦った気持ちとは裏腹に、ずいぶん落ち着いた内容だった。
うわさにすぎないから、心配しないように。
精神的にゆさぶるための、計画だろうから、いつも通り過ごすように、とだけあった。
なにも、気にしてはいなさそうな手紙に、心のやりどころを失ったようになる。
フランスは、ようやっと執務机にむかい、どさっと力をぬいて椅子に座り込んだ。
うわさを聞いて、あせってしまったけれど……、そうか、たしかに、これは教皇派をゆさぶるための、計画なのかもしれない。
事実が、知られたわけでは……、ないのかもしれない。
取り乱し過ぎたかも。
ちょっと反省。
フランスは、大きくため息をついて、椅子の背もたれにだらっと身体をあずけた。
イギリスに、話でも聞いてもらえれば、客観的な意見も聞けるかも。
聖下の、秘密は言えないにしても……。
そう思って、フランスはイギリスを待ったが、その日、彼は夜になってもフランスのもとには来なかった。
それどころか、一週間も、イギリスはあらわれなかった。
その日以降、フランスは、午前を見知らぬ城で目覚め、ひとりで過ごした。
イギリスからは、しばらく忙しくて教会に行けないという手紙が、最初の日に置いてあっただけで、それ以外は手紙もない。
本当に、すごく忙しいのね。
まあ、今までも、そういうこともあったわよね。
タイミングがわるいわ。
こんなに、不安で落ち着かない気持ちの時に、さらに落ち着かない。
何も、ないといいけれど……。
そうやって、一週間、不安な気持ちを抱えたまますごしたあと、シャルトル教皇から、急な呼び出しがあった。
朝に報せがとどいていたらしく、正午に入れかわると、もう馬車の中だった。フランスは、正午に入れかわった後、驚いて言った。
「え、馬車? どうしたの?」
となりに座るアミアンが、フランスの手をもみもみしながら言った。
「聖下から、緊急の呼び出しです」
とたんに、不安になる。
「やっぱり何かあったのかしら」
「分かりませんが、今日はすごい護衛です。ものものしさがすごいです。完全武装の騎士団にがちがちに囲まれています」
フランスは馬車の小窓から外を見た。
「ほんとだ。え~、なに、こわい」
もう、中央の大聖堂はすぐそこにせまっている。




