第223話 会えなかった理由♡
フランスは、シャルトル教皇に手をにぎられたまま、彼の執務室まで戻った。
部屋に入ると、アミアンの姿がなかった。
不安に思って、お茶の用意をしている助祭に目を向けると、彼はひとのよさそうな顔に笑顔を浮かべて言った。
「侍女殿は、別の部屋でお待ちいただいておりますので、ご安心を」
フランスは、ほっとしてうなずいた。
助祭はてきぱきとお茶を用意して、すぐに部屋を出ていった。
シャルトル教皇とふたりになる。
「フランス。今回のことは、わたしの手落ちです。すこしは落ち着いたと思っていたのですが……。やはり、あなたを呼び出すべきではありませんでした」
「落ち着いた?」
「あなたを狙う者がいます。今や、あなたは、わたしと、イギリス皇帝陛下の弱点だと考えられている。あなたを手中におさめれば、強力な交渉材料になると考える者は、たくさんいます」
フランスは、最近になって教会を守る教皇直属の騎士団の数が、より一層増えたことを思い出した。
安心して教会で暮らしていられたのは、聖下のおかげだったのね。
何も知らずに、聖下に会えないことを嘆いていた自分の、浅はかさが身に染みた。
シャルトル教皇は、残念そうな表情で言った。
「できるだけ、距離をおいたほうが良さそうです。しばらくあなたを手元に呼ばなかったのは、教皇直属であることを強調したくなかったからです。今となっては、教会にイギリス陛下が入り浸っていることも、都合がいいかもしれません。彼は、守護竜として、その力をあなたの側で存分に示している。……うらやましいほど」
フランスは、シャルトル教皇の様子が前よりもずいぶんと変わっていることに、今になって気づいた。
以前よりも、ずいぶんお痩せになられたわ。
その分、美しさは壮絶なほどだけれど……。
これじゃ、最近聞くうわさも納得ね。
女とみまごう美貌は、衰えることがなく。式典で見せる、まるで聖母のような慈悲深い微笑みに、教皇が着る祭服を、サンクタ・カミシアと言って、欲しがる一派までいるそうだ。
シャルトル教皇は、気分を変えるように、にっこりと微笑んで言った。
「教会は、どうですか? ずいぶんと人が増えて、苦労もあるでしょうが」
「教会は、ずいぶんにぎやかになりました。信徒も増えて、今は女助祭もいます」
女助祭と聞いて、シャルトル教皇がすこし嬉しそうな顔をして答えた。
「そうですか」
フランスは、最近、実感することを口にした。
「教国は、この一年で、ずいぶん変わりました。女たちの意識も、男たちの意識も。わたしの考え方でさえ、おおきく変わりました。いまや、女にも、責任のある立場を目指す道があります」
フランスは、シャルトルブルーの瞳をじっと見つめて言った。
「聖下のおかげです。ついには、女司祭も、任命されたとか」
「ええ、まだ少ないですが」
「今までは、意見を言う場にも行けなかった女たちが、自分たちの意見を言える立場をあたえられるということに気づいて、行動し始めています。こんなに大きく変わるとは、思ってもみませんでした。……すばらしいことです。聖下の道は、わたしの望む道です。たとえそれが、危険な道でも」
「あなたの、その言葉が、どれほどわたしに勇気を与えているか、あなたには思いもよらないでしょうね」
そう言うと、シャルトル教皇が、フランスの肩に額を乗せるようにした。
高貴な花の香りが、つよくかおる。
甘えるような仕草に、どぎまぎしながら、フランスは言った。
「以前も……、そのようにおっしゃいましたね。ブールジュの就任式典で」
「時々、思ってしまいます。なにもかも、今あるわたしの立場も、あるべき姿もかなぐりすてて、あなたに……、すべてを言ってしまえたら」
フランスは、あまりに切なく言われたその言葉に、シャルトル教皇が泣いているのかと思った。
それは、弱音を言うことだろうか。
たしかに、聖下が泣き言を言うところを想像できない。
すべてを、言ってしまったら——、強くいられないのだろうか。
そっと、両手で、彼の頭をなでるようにする。
しばらく、お互いに、何も言わず、そうしていた。
シャルトル教皇は、そのままフランスの肩に額をよせた状態で言った。
「シャルルと呼んでください」
「シャルル」
「大丈夫だと、言ってくださいませんか。すべて、なにも問題ないと」
「シャルル、大丈夫よ。なにも、問題ないわ。なにも。大丈夫」
フランスは、繰り返し、シャルルの頭をそっとなでながら、大丈夫だとくりかえした。
そっと頭をあげたシャルルの、美しい青の瞳と、間近に目が合う。
彼は、泣いてはいなかった。
いつもと変わらぬ、慈悲深い微笑がそこにある。
そうか——。
聖下は、ずっと、この仮面をかぶっているんだわ。
おびえた子どものような部分は、すべてかくして。
シャルトル教皇が、すっかりいつも通りの微笑で言う。
「あなたと、今日はあの地味なほうの、馬番のシャルルの家で、食事をしようと思っていたんです。ですが、今日は、そういう気分にもなれないでしょうから、また日を改めましょう。それに、教会にもどるのも、明るい内にもどったほうがいい。赤い竜が守る、安全な教会へ」
「シャルル、わたしはどんなに危険であっても、あなたの側にいます。ですから、必要な時は、かならず呼んでください」
「……ええ、そうします」
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おまけ 他意はない豆知識
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【サンクタ・カミシア】
シャルトル大聖堂は、フランスの世界遺産。
シャルトル大聖堂が所蔵している聖遺物、聖母マリアのものとされる衣が、
サンクタ・カミシア(聖衣)。




