第216話 助祭との時間
「フランス」
フランスは、教会の廊下を歩いているところに声をかけられて、振り向いた。
うしろに、シトーが立っている。
フランスは嬉しい気持ちで、シトーに走り寄った。
「シトー! どうしたの?」
「修理が終わった」
「わあ、ありがとう。やっぱりシトーって器用よね。修理前より立派かも」
フランスは、受け取った聖書の中身をひらいて確認した。
よしよし。
完璧よ。
わたしの、何よりも大切な大切な、聖書ちゃん。
何かあったら、これだけ持って飛び出すわ。
愛しの、聖書ちゃ~ん!
「フランス」
呼ばれてシトーに目をやると、彼は微妙な表情で言った。
「その聖書……」
フランスは、にんまりして最初のページをめくり、シトーに見せながら言った。
「いいでしょ。この特別仕様の聖書。最初に開くと、聖下の姿絵があるの。で、つづいて、聖下スケッチコレクション! へそくり使って豪華仕様で作っちゃった!」
シトーが微妙な表情のまま言った。
「変だと思う」
「みんなには内緒よ。これは、わたしの大事な大事な、大事な‼ コレクションなんだから」
フランスが、力をこめて言うと、シトーがちょっとおそれるような顔をした。
この一年ほど、この最高に素敵な聖書を毎日なんどもひらきすぎて、背がくずれてしまったけれど、シトーによって完璧に修理されていた。
毎日、祈りの時間にも日中にも、いつでも聖下の姿を見ることのできる画期的なアイテムだ。
フランスは大して急いでもいなさそうなシトーの腕を、ぎゅっとつかんで言った。
「ね、もしかして、ちょっと時間に余裕ある?」
「ない」
「あるのね。ちょっとだけ一緒にサボろう!」
「ない」
「いいから、いいから!」
フランスは、あまり使われていない細い螺旋階段を、シトーを無理矢理ひっぱりながらかけあがり、教会の屋上に出た。
シトーとそこらに並んで座る。
良く晴れた空がある。
つきぬけるような、午後の青空。
フランスが、ごろりとやると、シトーもあきらめたのか、となりで横になった。
ふたりで、ぼーっと午後の空を見上げる。
緊張感のない、まるい雲が、ゆっくりと横切ってゆく。
フランスは、ひとさしゆびを、空めがけて突き出し、ちょっとシトーのほうに指先をむけて言った。
「シトー、さわって」
シトーが、ひとさしゆびで、フランスの指をちょいっとやった。
うん。
満足。
また、ふたりで、ぼーっと空を見上げる。
シトーは、あの無茶苦茶なバプテスマの一件以来、すこしずつ、自分からフランスに話しかけるようになった。どうやら、他の人には、以前とさほど変わらないらしいが、それでも彼にとって大きな前進だ。
しかも、触れても大丈夫!
すごい!
フランスは、ひとつ、大きなあくびをしてから、力を抜いて言った。
「ね、前よりは、サボれるようになったよね」
「サボるのはよくない」
「おかたすぎるわよ、シトー。こうやって息抜きするのも大事よ。教会にもずいぶん人が増えたんだし」
「そう……、かな」
「そうよ!」
こうやって、ちょっとずつ、ゆるゆるシトーにしてやるからね。
大聖女フランスが人気になって、教会にくる信徒が増えた結果、教会を運営する聖職者も増えた。
相変わらず、大きなお母さんに頼っているところは変わらないけれど、なんと、最近流行りの女助祭までいる。
以前とくらべると、教会にいる家族たち、ひとりひとりが負担する仕事量は、かなりましになった。それでも、聖女フランス人気のせいで、かなり忙しいけれど。
でも、それぞれが、ゆっくりと過ごせる時間くらいはできた。
フランスは、ふと、気になったことを聞いた。
「シトーはさ、なにかないの? おつとめ以外でしたいこと」
「ない」
フランスは、考える間もなかったシトーの即答に、さらに言った。
「ええ、考えてみてよ。楽しそうなこととか、やってみたいこととか」
「……むずかしい」
むずかしいかあ。
そっかあ。
そんなに、むずかしいことじゃなくて良いんだけどな。
たとえば……。
「一緒にお酒でも飲んでみる?」
「飲んだことない」
「そうなんだ……」
フランスは、がばっと起き上がって、シトーの顔を見て言った。
「……エッ⁉ ないの⁉」
「ない」
「いやいや……、うそ? だって、最初にこの教会に来た頃なんて、アミアンとわたしたち、たった三人だったから、わっるいぶどう酒たまに飲んでいたじゃない、三人で!」
「水、飲んでた」
「えー……」
そうだったの?
ずっとシトーってお酒強いんだと思ってた。
全然顔色変わらないし。
北方人ってお酒に強いってきくし。
なのに、ずっと水飲んでたんだ……。
フランスは思いついて言った。
「え、じゃあ、最近教会の人数がふえて、大人数であれやこれやする機会はふえたけど、初期メンバーであらためて一緒に飲まない? アミアンと三人で。嫌なら、やめとくけど」
シトーは、ちょっと考えるようにしてから答える。
「いや、じゃない」
よおし。
カーヴの結婚式の時に、ふるまった上等な酒の残りがある。
フランスは、上機嫌に言った。
「じゃあ、今日ね」
「急すぎる」
ぽかぽかと、まるい雲が通りすぎていった。




