第200話 思い出を重ねる庭園
フランスは、たっぷりと草がおいしげった、アキテーヌの城にある、思い出の庭園をあるいていた。
うわあ、草だらけ。
花も、まだたっぷりあるみたいだけれど、ほとんど草ね!
むかし、妖精の女王様みたいだったアミアンの母親の歌を聞いた、思い出の東屋まで、なんとか必死でたどりつく。
東屋に着くと、イギリスが、服をはらいながら言った。
「小箱を持って帰らなくてよかったのか?」
「うん。いいの。あそこが、思い出の場所だから。思い出は、あそこに置いておくわ。肖像画だけは、持ってきちゃったけど」
考えても、しようのないことだけれど、おそらく自分の母親である女性のことを、なぜ、なにひとつ思い出せないんだろうか……。
うーん。
ま、考えてもしょうがないか。
いつか、思い出すかしら。
フランスは、あたりを見回しながら言った。
「むかし、ここで、アミアンの母親が歌をうたってくれたのよ。ほんと、とっても素敵な歌声だった。今のアミアンの歌声みたいに」
「母親ゆずりなんだな」
「そうね」
フランスは、東屋の手すりにこしかけて、庭園の様子をむかしと比べながら言った。
「だいぶ草が生え過ぎだけど、ここの雰囲気はなんとなく、昔の記憶の中にあるものに近いかもしれないわ。なんだか、なつかしい」
イギリスが、フランスとなりで、柱にもたれかかるみたいにして立った。
ふたりとも、だまったまま、しばらく過ごす。
午後の風が、花の香りを運んでくる。
陽の光の中で、ゆらゆらとゆれる明るい草花が、白く光ったりする。
おだやかな、空気だった。
フランスは、同じようにおだやかな気持ちで言った。
「今日で、あなたが教会に来てから、ちょうど一ヶ月ね」
「……ああ」
フランスは、自分が持つ気持ちを伝えるべきか、迷った。
いつのまにか、イギリスに対して、特別な気持ちを抱いていることは、もう十分に分かっていた。
それに、多分、これはお互いが持っている、特別な感情のような気もする。
ただ……。
言ってしまえば、ひどくお互いのことを苦しめることになるかもしれない。
フランスは、聖女であることを捨てられない。
イギリスは、不死ゆえに、いずれ、ひとり取り残される。
イギリスのことを思うなら、本当の気持ちは、隠しておいたほうがいいのかもしれない。でも、それじゃあ、あんまり、自分の心に正直とは言えないから。
今だけ……、自分に正直になってみる。
「わたし、あなたと会ってから、すごく自由を感じる。いろんなところに行ったり、いろんなことで笑ったり、驚いたり、泣いたり。いろんなことを知るのが、とっても楽しい」
風が、ざあっといっせいに、花も緑も揺らした。
「あなたといると、まるで聖女の立場を忘れて、楽しいと感じてしまう」
白い花びらが、風におされて、フランスの足元に転がってきた。
たよりなげな動きで、今にも飛ばされそうになりながら、足元で揺れている。
「わたしは、特別な力を与えられた。そこに、どんな理由があるのかは分からないけれど。でも、この力を人々のために使いたい。それが、わたしの本当に望んでいることだというのは、間違いないわ。わたしは、主の前に正しく、愛をもって生きるものでありたい」
足元の白い花びらが、風にさらわれて飛んでゆく。
あっという間に。
「でも、あなたの前では、わがままになってしまう」
フランスは、すこし躊躇ってから、でも、正直に言った。
「もっと……、あなたの側にいたいと、思ってしまう。身も、心も」
イギリスが、フランスの前に立った。
フランスも、立ち上がって、イギリスと向かい合う。
彼の瞳に、自分の姿が見える。
イギリスが、落ち着いた声で言った。
「きみは、いつだって強くて、まっすぐなんだな……。わたしは、あの調印式の日、きみに腕をつかまれて調印台の前まで引きずって行かれたときから、ずっときみに振り回されっぱなしだ」
イギリスが紳士らしい仕草で手を差し出した。
フランスは、そっと、その手に、自分の手を置く。
イギリスの言葉に、耳をすませる。
「楽しいと実感するほど……、きみへの自分の気持ちを実感するほど、つらくなる」
イギリスが、ぎゅっと、フランスの手をにぎりしめて言った。
「お互いにつらいことになるのは目に見えている。君が年おいていって、わたしはそのまま残される。死がふたりをへだてる前に、時間がふたりの心をへだてるだろう」
イギリスはまっすぐにフランスの瞳を見て、はっきりと言った。
「それでも、側にいたいと思ってしまう」
不思議な感覚だった。
まるで、世界がイギリスのほうにすこし傾いたような感じがした。
ひっぱられるようにして、傾いていく。イギリスのほうに。
そうして、ゆっくりと、心も身体も引き寄せられるようだった。
すこしずつ、ふたりの距離がなくなってゆく。
もうほんのすこし、近づいたら、唇まで重なってしまうほど。
フランスは、とっさに指先でイギリスの唇にふれるようにして、この傾きを止めた。
これ以上は、進めない。
イギリスが、すこし悲しい顔をして、フランスから離れようと動いたとき、フランスは、自分から唇をよせた。
イギリスの唇にふれている自分の指先に、キスする。
唇をはなして、イギリスの瞳を見つめると、目の前がぼやけた。
「これが……、精一杯なの。あなたに、すべてあげてしまいたいと思うのに、何一つ与えられない。女としてのわたしは」
イギリスが、そっと、フランスをなぐさめるように抱き寄せた。
「フランス、泣くな。大丈夫だから」
「わたし、ひどいの。あなたに、何も与えられないのに……、それなのに、あなたの側に他のひとがいるところを想像するとつらいの」
イギリスが、優しい手つきでフランスの背をなでる。
「わたしは、きみから何も奪わないし、きみを傷つけたりしない。それに、君が望まないことは、しない。なにひとつ」
フランスは、目の前にある温もりに、引き寄せられるように言葉にした。
「わたしが、奪って傷つけて欲しいと、望んだら?」
言ってから、後悔した。
そんなことを望むなんて。
フランスは、震える声で言った。
「いいえ、聞かなかったことにして。いまのは、ちがうの」
イギリスの腕がフランスのことを強く抱きしめた。苦しくなるほどの力で。
イギリスが、小さな声で言う。
「きみが、もし……、それを、望んでくれるなら……」
そこまでだった。
ふたりが言葉にできたのは。
フランスもイギリスの首に手を回して、ぎゅっと抱きつくようにした。
しばらく、そうやって、ふたりで耐えるようにする。
イギリスが、力をゆるめて言った。
「キスをしても?」
目が合う。
近い場所で。
「ともだちのキスを」
フランスはうなずいた。
妙に熱っぽく、浮かされたような気持ちで、頬にキスをされて、同じように返す。
ふたりの、言葉が重なる。
「好きよ」
「好きだ」
強い風の音がした。




