第110話 魔王さまは、そういうのは、ゆるせない
フランスが、シャルルの腕の中で、脳内大音量の限界を感じながらじっとしていると、部屋からぞろぞろと人が出ていったようだった。
扉がひらく音がして、いくつもの足音が遠ざかってゆく。
シャルルが、フランスを抱きしめたままだったことに気づいたのか、苦笑して腕をゆるめた。
「すみません、集中していたもので。失礼しました」
シャルルが穴のあいている壁に、元通りに小さな板をもどす。
彼はにっこりして言った。
「今日は、あなたのおかげで助かりました。ここは、色々と情報を得るには、いい場所なのですが、男ひとりで隠れていては不審な場所ですからね」
「いつもは、どうされているんです?」
「おや、それは内緒です」
フランスはさっきの、思いっきりキスしていた男女を思い出した。
あんな感じで、聖下も、女性とここで過ごしたりするのだろうか。情報を得るために。
いやいや、そんな。
まさか。
フランスは、いけないものを想像しそうになって、頭をふった。
シャルルが、にっこりと、雰囲気を柔らかくして言った。
「それにしても、今日の装いは、いつもと違う雰囲気ですね」
あ、悪女っぽくないものね。
いつもは、ぎらぎらしたアクセサリーに、いかにも強そうなドレスを貸衣装屋から借りて着ていた。だが、今日は、ダラム卿が用意してくれた、最新流行の愛らしいドレスだ。アクセサリーはアミアンが用意してくれた花飾りだけ。
「とても愛らしい。あなたに、よく似合っています」
「ありがとうございます。シャルルも、とても素敵です」
ほんとの、ほんとに。
シャルルの瞳が、じっと、フランスを見つめる。
何もかもを見透かすような、シャルトルブルーの瞳。
彼は、感情の読めない声で言った。
「あなたは、何も聞かないのですね。わたしが、ここで、なにをしているのかと」
まあ、そんなおそろしいこと、聞かないわ。
巻き込まれたりなんてしたら……。
フランスは、にっこりして言った。
「わたくしが、シャルルのなさることに、疑問を持つことなどありません。すべて、この国のために、なさっておられることです」
「わたしは、あなたのそういう賢いところが、本当に、とても気に入っています」
彼の瞳が笑う。
ぞっとするような、目が離せなくなるような、魅力的な瞳だった。
シャルルが、いや、シャルトル教皇が、ささやくように言った。
「あなたのことを、手元に置いておきたいと、思うほどです」
フランスが何も言えずに緊張していると、シャルトル教皇は、表情をゆるめて言った。
「舞踏会を、どうぞ楽しんでくださいね」
聖下は、楽しんだりしないのかしら。
なんだか、しなさそう。
暇があれば、シャルルになって荘園の世話をして、夜には身を隠して情報を得るために動いたりする。
一体、いつ、お休みになるのかしら。
シャルトル教皇が、垂れ幕をあけようと、手をやる。
そろそろお別れのようね。
キスを!
キスをいただかないと!
フランスは、目をとじて、いつものように額にキスしてもらおうと、祈るような恰好をした。
花の香りが、強く香る。
肩に手をおかれて、そっと、頬にキスされる。
あ、そっか。
シャルルだから?
どちらにしても尊いわ。
聖下も、舞踏会を楽しめるといいのに。
そのとき、垂れ幕が勢いよく引かれた。
フランスはシャルルから頬にキスを受けた状態のまま、ぱっと目をひらいて、垂れ幕を引いた人物を見た。
えっ‼
陛下⁉
仮面越しにもわかる、とんっでもない不機嫌な顔のイギリスがそこにいた。
シャルトル教皇が、さして驚いてもいない声で「おや」と言った。
イギリスがフランスの腕をつかんで、猛然とその場を離れる。
フランスは、引っぱられながら、シャルトル教皇のほうを振り向いた。彼は、追いかけては来ず、じっとこちらを見ている。その表情は、どんな風なのか、フランスには分からなかった。
フランスは、混乱しながら、イギリスに引かれるまま、ついていった。イギリスは階段を降り、舞踏会の会場を出て、庭園へと歩いてゆく。
彼は、ひとけのない場所で、立ち止まった。
庭園の中にある、小さな東屋だった。
イギリスが、フランスの腕をつかんだまま、向き合うようにさせて、不機嫌な声で言った。
「あんなところで、何していたんだ」
何していた……。
部屋の中を聖下とふたりでのぞいていました。
とは言わないほうがいいのかしら。
フランスは、そこは言わずに、ほんとのことを話した。
「知り合いがいたので、お話していました」
「知り合い? ずいぶん、いい仲の知り合いのようだな」
いい仲……。
そんなのいないわよ。
フランスは、なんだか悲しい気持ちになって言った。
「いたって普通の知り合いです」
イギリスが鼻で笑うようにして言う。
「教国では、せまっくるしい場所で抱き合いながらキスをするのは、普通のことらしい」
抱き合ってなかったわよ。
いや、ちょっと前まで、そういう感じになっていたけれど。
でも、男女のそういうことじゃない。
フランスは、なんだか胸が苦しくなって言った。
「あれは、たんに挨拶のキスです」
そう。
いつもの、聖下にいただくキス。
尊い、挨拶の。
「たんに挨拶のキス。そうか。そこらじゅうで、そうやって男とくっついてキスするのが、教国流なら、そうなんだろう」
「……」
イギリスのとげとげしい言い方に、なぜだか、急にすごくつらくなった。
いつも、悪女と言われても、笑い飛ばせるのに、今はまるで切りつけられるみたいに痛い。
「久しぶりの舞踏会で浮かれたようです。もう、帰ります」
すこし声が、震えてしまう。
フランスが離れようとするのに、イギリスは腕をつかんだまま離さなかった。
不機嫌な声のまま、イギリスが言う。
「なぜ、泣く」
フランスは、すこし考えて言った。
「あなたが、わたしのことを、そこらじゅうで男とくっついてキスしている女だと思っているから」
はっきりと言うと、よりショックだった。
フランスは、両手をぎゅっとにぎって、涙がこぼれないように耐えた。
イギリスが、冷たく言う。
「違わないだろ」
違うもの。
フランスは、もう耐えられなくて、泣きながら全部説明した。
あれは、敬愛するシャルトル教皇で、忍んで部屋の様子をうかがうために、あそこでああしていたことも、お別れの挨拶に、祝福のキスをいただいたことも、話す。もう最後の方は、しゃくりあげながら、話した。
仮面をつけていられなくて、外して、両手で目を抑える。
イギリスがハンカチを差し出した。
カヌレとネコの刺繍入りのハンカチ。
フランスは、それを受け取って、目元をおさえた。
イギリスが弱弱しい声で言う。
「悪かった。きつい言い方をした」
フランスはしゃくりあげながら言った。
「わたし、そこらじゅうで、男とくっついたり、しないわ」
「わかった」
「男の人と、ほんとのキスだって、したことないもの」
フランスはそこまで言って、うわっと泣いた。
イギリスのおろおろするような声が聞こえる。
「わたしが悪かった。たのむから、泣くな」




