第10話 スイーツは別腹のはずだから
イギリスはまるで、世間話のつづきだ、とでもいうようにさらっと言った。
「シャルトル教皇、しばらく貴国の聖女を借りたい」
フランスが、驚いてイギリスの顔を見ると、彼は、だまっていろと言わんばかりの視線をよこした。
シャルトル教皇が、落ち着いた声で答える。
「聖女にも、与えられた役割がございます。どうかご容赦ください」
イギリスは、まるで都合の悪いことは、何も聞こえないというように続ける。
「とりあえず、十日ほどでよい。スイス大公にも、しばらくここに滞在させてもらいたい」
フランスは、イギリスの尊大な話し方に、眉をひそめた。
そういえば、イギリスはシャルトル教皇とスイス大公に対して、敬称もつけずに呼んでいる。まるで目下のものに話すように尊大だ。
見た目だけでいえば、スイス大公が最も年かさに見えるし、国としての歴史を重んじるなら教国の歴史が最も長い。
これは、魔王イギリスが在位三百年というのも、本当かもしれないわね。
シャルトル教皇は、焦った様子もなく、落ち着いたまま言った。
「司教を何人か残しましょう」
イギリスは、するどい眼つきをシャルトル教皇に向けて言う。
「わたしは、聖女に残れと言ったのだ。二度は言わない」
貴賓席に、緊張の沈黙がおとずれる。
おっと、これは、まずすぎる空気だわ。
スイーツが来る前に、昼餐会が崩壊してはこまる。
わたしが口をはさむのは、出しゃばりにもほどがあるけれど……。
フランスは、イギリスとシャルトル教皇の様子を、ちらちらと伺った。どちらも、厳しい視線をおたがいになげかけたまま、話さない。
さすがに怒られるかしら。
フランスは、ひかえめに言った。
「聖下、よろしいでしょうか」
シャルトル教皇は、厳しい顔のまま、フランスに顔を向けた。
フランスはできるだけ笑顔をたもって言った。
「主の御光とともにありたいのです。どうか、御言葉をのぞむ者がいるかぎり、わたくしにその役目を果たさせてください。イギリス陛下のために、心を込めて祈祷いたします」
イギリスが、いけすかない顔で満足そうな表情をするのが、目の端に見えた。
フランスは続けて言った。
「二日ほど」
途端に、イギリスが、不機嫌な顔をした。
シャルトル教皇が、心配そうな顔でフランスを見る。
フランスは、安心させようと、笑顔で頷いた。
シャルトル教皇は、すこし考えてから、言った。
「では、二日。聖女をスイス大公陛下にお預けいたします。どうか、よろしくお願いいたします」
おお、さすが聖下ね。
これで、わたしは、スイス大公の客人扱いになる。
通常であれば、他国の者がおろそかにはできない。
——が、相手は得体の知れない尊大な魔王だ。どこまで、効力があるのかは謎だけれど、この城での過ごしやすさは、格段に上がるだろう。
スイス大公は、巻き込まれて、若干いやそうな顔をしたが「お預かりいたしましょう」と答えた。
二日くらいなら、着替えもなんとかなる。
よし、あとは、このまま、何事も起きずに過ごせれば、三日後には教国にむけて出発できるわ。
もう、自分の部屋が恋しい。
そうこうしているうちに、フランスの目の前に、ついに素敵なスイーツたちがあらわれた。アーモンドの砂糖漬けと、胡桃と洋梨がそえられた焼き菓子の一皿は、おどろくほど愛らしい。
大公国、万歳だわ。
すると、となりでイギリスが、その皿は不要だとでもいうように、手をふって、使用人を制した。使用人は、おずおずと皿を下げる。
えっ!
うそでしょ!
こんな素敵なスイーツを食べないつもり⁉
フランスは、思わず、下げられていく皿を目でおいかけた。
イギリスが言った。
「その皿は、聖女のところに置いておけ」
フランスは驚いて、イギリスを見た。
イギリスはこちらを見もせず、ぶどう酒をかたむけている。
「ありがとうございます」
フランスが礼を言うと、イギリスは小ばかにしたような顔で言った。
「二日で御言葉を伝えきれるという素晴らしい仕事ぶりの聖女殿なら、いくら食べても食べ足りないだろう」
優しいかもしれないと思ったわたしが馬鹿だったわ。
ほんと、いやなかんじね。
スイーツは、イギリスの不愉快な皮肉をうちけすほど美味しかった。フランスはぺろりと二皿のスイーツを食べきってしまう。
そして、はげしく後悔した。
苦しい。
コルセットの中で、わたしの中身がぎちぎちよ。
昼餐会が終わると、またしてもイギリスに腕をつかまれ、シャルトル教皇とスイス大公への挨拶もままならぬまま、連れ出される。
引きずられながら挨拶をしようとふりむいた先で、スイス大公は、なんだか疲れた顔をしていたし、シャルトル教皇はまた、静かな怒りをのせた表情をしていた。
まだまだ人が談笑している大広間の中を、イギリスに引きずられて出口に向かう。まわりからの視線が、痛いほどつきささった。
一体、これで、まわりにどんな噂をされるのかしら。
もはやいっそ、楽しみだわ。
しかし、途中からまわりの様子を気にする余裕はなくなった。
ヒールで走るように移動するのは、おどろくほど身体に負担がかかるうえ、スイーツ二皿のせいで、コルセットの締め付けが、限界をきたしている。上半身と下半身を切断してやろうか、という勢いだ。
う、まずいわ。
いつもなら調整できるのに、貴賓席の料理は、残すという選択肢を取れないほど、魅力的だった。
走ってゆれるたび、胃の中のものが、あばれまわる。コルセットに邪魔されて、胃の中のものが下に降りられず、てっぺんに戻ろうかな、どうしようかな、と騒ぎだしているような気がした。
息までしづらい。
走って乱れた呼吸を、整えるための息すら、コルセットのせいで入る余地がない。
フランスは、途中から今どこを走っているのかも、よく分からなくなった。なにも、しっかりと目にとめられない。ただ、イギリスにつかまれている腕をたよりに、なんとか足を動かす。
ようやく、イギリスの部屋の扉が見えた。
またしても、投げ込むように、部屋に入れられる。
フランスは、そのまま耐え切れず、つんのめるようにして床に倒れてしまった。
「おい」
焦ったような、イギリスの声が聞こえる。
フランスは立ち上がろうとしたが、息ができないせいか、まるでまわりのことがぼんやりとしてきた。
あ、やっぱり、良い部屋は、床に敷いてある織物まで、分厚くてふかふかなのね。そうだ、イギリス陛下に伝えなくちゃ……、昼餐会のあとにダラム卿が……来るって……。
フランスはそのまま、ひとつ息をして、意識を手放した。




