第4章:「健太、故郷の味と向き合う」
日が高く昇り、味変食堂の店内は昼の陽光に包まれている。いつもなら、繁忙の時間帯を迎えるはずだが、この日は少し静かだった。客の姿がまばらで、厨房内では菜々美が盛り付けに集中し、はるかが新しいスパイスの組み合わせを試しながら「うーん」と悩む音が響いていた。
だが、今日の主役は別にいた。
「菜々美さん、ちょっとこれ、食べてみてください」
突然、健太が不安げな表情で料理を持ってきた。その皿には、彼の故郷である静かな村の家庭料理が乗っていた。
「これは……?」
菜々美は少し驚きの表情を浮かべながら、皿を受け取った。それは一見、普通の鶏の照り焼きのように見えたが、その上には不思議なタレがかかっていた。
「故郷の味なんです。……でも、これ、ちょっと違うかもしれません」
健太は少し恥ずかしそうに首をすくめた。
「え?」
菜々美が一口、料理を口に運ぶと、すぐに驚きの表情を見せた。
「このタレ……なんだか懐かしい感じがする。でも、何か物足りない?」
健太は肩を落とし、すこし自分を責めるように言った。
「やっぱり、作り方が違うんです。子供の頃、母が作ってくれた味と、どうしても違うんです。でも、これが唯一、思い出すことができる味なんです」
「健太、どうしてそんなに気にするの?これだって十分美味しいよ」
菜々美が微笑みながらフォローを入れるが、健太はどうしてもその味に納得できなかった。
「でも、僕が覚えてるのは、もっと温かい味だったんです。……母の味が、これじゃないんです」
その言葉に、菜々美は静かに頷いた。
「そうね。味って、どうしてもその人の記憶や感情が絡むから、難しいところがある。でも、確かにあなたが言ってること、わかるわ。母の味を再現するって、簡単にできることじゃないのよ」
健太は料理を少しずつ食べながら、故郷にいた頃を思い出していた。小さな村で、家族と一緒に食事をしていた時間。あの頃の味は、どこかで失われてしまったような気がして、どうしても再現できなかった。
「母が作ってくれた味……ああ、思い出せない。あの頃、俺は何も考えずに、ただ食べていた。なのに、今はその味を再現できない……」
その言葉に、菜々美が優しく微笑んだ。
「でも、あなたがその料理を作り続けていることで、その味はきっと伝わっている。再現できないって思っているかもしれないけど、その気持ちが大切なのよ」
健太はしばらく黙っていた。何か、もやもやとした気持ちが心に残っていたが、菜々美の言葉が少しずつその気持ちを解きほぐしてくれた。
「……そうかもしれないですね。今の俺にできるのは、あの時の気持ちを大事にして料理を作ることだけかもしれません」
菜々美は静かに頷きながら、皿を見つめた。
「健太、その気持ちはちゃんと伝わってる。きっとあなたの料理は、母の味に近づいていると思うわよ」
その言葉を受けて、健太は少し照れながらも、笑顔を見せた。
「ありがとう、菜々美さん……でも、まだまだですね」
菜々美はその笑顔を見て、心から嬉しくなった。健太は、確実に成長しているのだ。
その後、健太はその料理を再度作り直し、次のメニューとして食堂に提供した。今度は、少しずつ自分の気持ちが込められた料理となり、客たちもその“温かさ”を感じ取ることができた。
「……これ、なんか、懐かしい気がする」
「うん。なんだか、ホッとする味だよね」
常連の客たちが、口々にその料理を褒めた。健太はその言葉を聞いて、心の中で一つの決心を固めた。
「これが、俺の“母の味”じゃなくて、これが“俺の味”なんだ」
健太は心の中で呟きながら、再び自分の料理に向き直るのだった。
(続く)