第8話 魔物狩りが始まったなら
冠雪の連峰を国境にしているセンシア国との境目。空の明かりの暖かさが、辛うじて魔物狩り達の体温を正常に保つ。
それというのも、センシア国境に当たる連峰から吹き降ろす風が、周辺の森林の温度を下げており、連峰の麓では、いくつかの動物は頻繁に冬眠を繰り返している。
そんな環境の中で、冬眠から目覚めて森林に降り立つ魔獣も少なからず存在しており、ようやく訪れた暖かな陽気が、そう言った山麓の魔物たちを呼び覚ます可能性も大いにある。
「久しぶりだねルカちゃん。結婚してから全然一緒に仕事してないじゃん?」
「そういえば、もうルカが結婚してから1年が経つんだな」
「そう、三日後で一年」
気楽な雰囲気で魔物狩りのパーティメンバーと会話を交わすルカ。戦闘に入る時のルカは、水の魔力で耐久力を強化した濃紺のコートと、小さな一本の指揮棒で戦場に立っていた。
そんな中、ルカからの返答を聞いた他の冒険者が、彼女の返事に少しクスリと笑う。
「三日後って、ルカちゃん結婚した日付まで覚えてるの? なんだか記憶力が上がったような、ちょっとこだわるようになったような……」
「うん、セイジがそういうことを言ってたから」
仲間の大雑把な感想に、ルカは自分の記憶の中を思い出す。
それは結婚して少しした頃、セイジが結婚したときの日付を確認しに来たことがある。セイジの言葉では、人と人が結ばれ合う日は何年たっても忘れないようにしたいと言っており、それがセイジのいた世界での常識なら……と、ルカもその日を覚えておくようにした。
「へぇ、結婚した日付を覚えておくなんて、マメというかこだわりすぎというか……俺のところは結婚した日の事なんて覚えてないよ」
そんなことを、既婚者である他の仲間が笑い話として語る。ルカですら、セイジの事を差し置けば、それで笑うぐらいの感覚はあった。
シーアノスの結婚は、同じ場所に住むという事を決めて、その時点で結婚の意思を確認することですぐに成立する。以前のルカや他の者たちからすれば、未だに「結婚は子どもを産むこと」という跳躍した解釈で語られる。
それ故に、ルカの結婚は他のものから見た時に珍しく映り、周囲の仲間も二人の結婚生活に、興味が尽きないのだ。
「すげえなぁ、セイジって旦那さんは。俺たちにもそんな結婚が出来るのかね?」
「なんで私に聞くのよ? まぁ、それもこれも……」
仲間の女性の一人がそこで話を切り上げて、森のざわめきに耳を寄せる。他の仲間たちもそれに気づき、ルカはタクトを、そして仲間たちも剣に斧、弓などの得物を構えた。
ズォォォォゥゥン………!!!
爆発音のような『叫び』が響き渡り、森中の鳥たちが一斉に羽ばたいた。鳥で空が埋め尽くされるまであるその光景に、魔物狩り達の緊張感が一気に高まる。
「……まずは仕事を果たさなきゃ、帰れないけどね」
17人。この地に配置された魔物狩りの人数。その中にルカも含まれ、魔法を専門に戦える者たちは皆様々な詠唱を始める。
「ルカっ! 魔法は任せた!」
「わかった。『ウェットコーティング』」
ルカがそう言って、指揮棒を一振りすると、六人の仲間に泡の膜のようなものがなされる。火の攻撃を軽減・無効化する力。魔法職に求められるサポートの基本形だ。
「見えるぞ!」
一人が声をかけ、そして敵の正体が判明する。
ズォォォォゥゥン………!!!
爆発のような音は、鳴き声。
縦に伸びる木々に手をかけて、
チリチリと火花を纏って二足で立つ熊。
「来たな……魔獣【インフェルベア】」
その身長10メートル強。見上げる程のそれに、全員の緊張と興奮が高まる。
「少し大きいぐらいだな。これなら何とか出来るだろう」
その冒険者の一声で、17人の冒険者は一斉に攻撃を開始した。戦う意思を持って駆け出した人間たちを見て、インフェルベアはまたも鳴き声を上げて、炎をまき散らしながらその剛腕を振りぬいて、迎撃を始めた。
「……絶対に、帰る」
――
手紙屋の社屋では、いつもより少なくなった客の対応をしながら、いつもの業務が進んでいく。だがその中で、一人上の空で仕事が手についていない人物がいた。
「おーいセイジさん? 手紙を届けたいんだけど?」
「……あぁっ、すみません。封筒付きですから、160ゴールドですね」
「大丈夫かい? なんか身が入ってないみたいだけど? 腹でも壊した?」
「いやぁ、あはは……」
実直な仕事と、穏やかな対応が目立っていたセイジだったゆえに、常連のお客さんや他の受付仲間、そして主任も彼の変化に気付いており、口々に相談をしあっていた。
(今日のセイジさん、なんだか変な感じね)
(もしかして、奥さんと何か?)
(でも、奥さんの話をするときは、いつも照れくさそうに喜んでたし…奥さん《《に》》何かあったとかかしら)
「ほらほら、噂話はほどほどに。お仕事をつづけてねー」
主任が手を二、三回叩くと、受付の女性たちは「はーい」と返事をして、各自の業務に戻っていった。そして主任は、どこか仕事に身が入っていないセイジにも声をかける。
「今日はなんだか、集中できてないねセイジ君」
「は、はい……今日からルカが家にいなくて……」
「あぁ、そう言えばルカちゃんって魔物狩りのお仕事してたんだっけ。なら今も?」
「そう、ですね。センシアの国境だとかで」
歯切れの悪い返事で主任に返すセイジ。だが、主任はセイジの心配の気持ちは量れるが、それほどまでに仕事の効率が落ちる程の不安定さにはイマイチ心当たりがなかった。
「まぁまぁ、ルカちゃんの事が心配なのは分かるけど、この世界じゃこういうのもいつもの事だからね。心配ばかりしてたら心なんていくつあっても足りないよ」
「あ、あはは……」
主任なりの励ましに、乾いた笑いしか返せなかったセイジ。わかってはいても、このシーアノスでは、結婚とはそういうものだった。そしてセイジは、自分もそんな世界に来て長いのだから、少しはこの場所に慣れなければならないと思い、自分の頬を二回叩いて、再び受付と仕分けの仕事に戻ることにした。
「……そういえば、もう一年を超えてるんだな。ここにきて」