第5話 もしもここが異世界なら
ひとしきり夫婦をからかって気が済んだのか、ジルコは一つ咳払いをして、改めて真剣な顔で二人に向かった。
「それで、今日はデートの報告? それともルカ、また何か欲しいものがあるのかしら?」
「欲しいものは、ある。でも……」
ジルコの言葉に、ルカはちらとセイジを見る。そして、彼がショーケースの品をみて回っている隙に、ルカはジルコに耳打ちをした。
「――――――なんだけど。できる?」
「……ふぅん。それはなかなか珍しいご要望ね。その依頼。私すごく気に入ったわ」
そんな短いひそひそ話の後に、ふたりしてセイジの顔を見る。
セイジは自分が見られていることには気が付いたものの、なぜ見られているのかは分からず、とりあえずルカの口元がほんの僅かに笑っている事をして、楽しそうな会話をしている事だけを察して、その場では言及はしなかった。
「けれど、それを作るとなれば八万……いえ十二万ゴールドくらいは覚悟した方がいいかも知れないわねぇ」
「うっ……そ、そこは仲良しのよしみで……」
「うふふ、だ〜め。そもそも、そんな交渉をするのは、マナー違反じゃないかしら? 特に……」
再びの二人の視線。セイジは幾度となく交わされるその視線に、そのつど首を傾げるが、やはり向こうで起こっていることに対して、セイジは特に言及はしない。
「さて、どうするの?」
「うぅ、わかった。それじゃあ今日は、水魔法強化の指輪を二つ」
「はいはーい。いつもありがとうね。それじゃあこの話も私が進めさせてもらうわね」
「うん。よろしく」
一通りの商談が終わったようで、セイジは振り返ってルカのもとに戻ってくる。そして、ルカが買った一つの指輪を見る。
「それは魔装具の指輪かい? 青い宝石って事は、水魔法の?」
「そう。水魔法強化」
そう言って、ルカはその指輪を手にとってセイジに見せる。楕円状のオーバルカットがなされた青い宝石が、指輪の中央にはめ込まれており、セイジが中を覗いてみると、まるで水が揺らめいているかのような幻影が映し出される。
「不思議な宝石だね、水の動きが見えるようだ」
「それは、魔法を使える人が、頭の中で描いてる空想。セイジは火の魔法が使えるから見えてる」
曰く、ルカの持っている指輪の石は魔鉱石と言う素材らしく、属性の魔法の入り具合で色が変化する不思議な鉱物らしい。
「これは水魔法強化。つまりお皿洗いやお風呂のお湯張りが楽になる」
「あぁ……普段使い用の道具、なんだね」
自信をもってそれを掲げたルカに、セイジは肩透かしを食らったような気分で頬を掻いた。
「ありがとうございました。またいらっしゃってね、セイジさん」
「えぇ、またルカと一緒に来たいと思います」
少し含みを持たせるように、ジルコに返すセイジ、そしてそんな彼の右腕には、やはりルカがくっついており、環境的にやや気温の高い鍛冶屋通りを抜ける間に、セイジの右腕は随分と汗をかいていた。
「あとは用事はいいのかい?」
「うん。とりあえずは大丈夫、そのうちまた来ると、思うから……」
セイジの右腕を独り占めしていたルカだったが、鍛冶屋通りを抜けて街道に近付いたところで、少し歩調を緩めた。
「……ルカ?」
足が遅くなるルカを右手に見て、セイジは彼女の顔が俯いていることに気がついて、立ち止まる。するとルカは、後ろで煙と火花を知らしている鍛冶屋通りに視線をやって、セイジに尋ねた。
「……セイジは、私が戦うことは、嫌い?」
「戦うこと……」
エウロと言う異世界の、シーアノスと言う町。セイジもこの世界が剣と魔法の世界であることは知っている。だが、知識として知っていることと、その意味を理解することは別の話だった。
ルカは魔物狩りに出て戦う人間でもある。それはセイジと出会った頃から分かってた事であり、それが分かっているのであれば、そのルカも、一つ間違えれば命の危険と直面する可能性だってある。なればこそ、ルカからの質問に対する答えはセイジには一つしか無かった。
「そうだな。大事な人がそんな事をしなければならないと言うのなら、僕は嫌いだとしか言えない」
「けれど、それがこの世界の普通のことだとしたら?」
「それは……」
世界の違い。
命がけの戦いとの距離が、両思いの恋人並みに密接なこの世界。その世界に生きる人間にとって、ルカの言う戦いは、生きるため、かつ自分が死なないための手段である。
セイジには、知識として理解は出来ても、その戦いが持つ意味まではまだ理解はできていない。そして、いつしか考えに耽って俯いていたセイジに、ルカがポツリと声をかける。
「私は、セイジに結婚の返事をしたこと。正しかったと思ってる」
「返事をしたこと?」
ルカの主観での言葉。プロポーズをしたのは間違いなくセイジの方であったが、それでもルカは自分の返事を主観にしてそう呟いた。
「戦いや生き死にが、あなたの世界の何倍も近いここでは、結婚はただの生存戦略。私も、セイジがあんなふうに私を扱ってくれなかったら、おそらく目についた誰かと仕方なく結婚してた。けど……」
そこまで言って、ルカはぐいっとセイジのすぐ側に顔を寄せた。少し背伸びをして、呼吸が伝わるほど近くまで来たルカ。そして、至近距離のルカはセイジが一番欲しかった笑顔を見せて言葉を続けた。
「……セイジが私に、結婚の意味を教えてくれた。だから、私はそんなセイジのために、もっと生きてたくなったよ」
上目遣いのルカ。そしてルカはセイジの顔に飛びつき、笑顔に見惚れていたセイジの唇を直接奪った。
1秒にも満たない僅かなキス。行き交う人には捉えられない、その一瞬の犯行を果たしたルカは「へへ」と心から嬉しそうに笑っていた。