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第3話 夫婦が夜を過ごしたら

「ただいまぁ」


 夜。陽が落ちてからしばらくした頃、セイジは今日の分の仕分けをようやく終わらせて帰って来た。疲労で気の抜けた返事をするセイジに対して、トタトタと木組みの廊下を歩いてくるルカ。そしてルカはすぐにセイジをダイニングに案内して、椅子に座らせる。


「おかえり。ごはん、もう出来てるよ」


 淡々と、しかしどこか嬉しそうにそう言って、ルカはキッチンに入って夕飯を用意する。セイジが「手伝うよ」と言うものの、ルカは自信ありげに「大丈夫、待ってて」とセイジを椅子に張り付きにさせた。


 そして一通りの準備が出来たところで、ルカはセイジの分の料理をお盆に載せて彼の前に差し出した。


 二切れのバゲット、ゆで卵が一つ。そして牛乳と、グラタン皿に注がれたスープ。


「これは……?」

「セイジが、前に言っていた牛肉とスパイスのスープ」


 ルカがスープと言ったそれは、少し大きめに切ったキャロット、ポテト、そして角切りの牛肉、それらを数多くのスパイスと小麦粉のペーストとスープで煮込んだ料理。そう、それはまごうことなきアレだった。


「……もしかして、カレーを作ってくれたのか?」

「そう、かれー」


 こくこくと頷いて、早く食べて欲しいと目で訴えるルカ。この世界にも同じような材料があり、カレーを作る事が出来るというのも驚きだが、セイジが最も心打たれたのは、ルカがこれを覚えていて、こうして作ってくれたことだった。


 木のスプーンですくって、少しさらさらとした、スープカレーじみたそれを、ポテトを具材として口に運ぶ。


 辛さはあまり感じられないが、カレーの風味を醸し出すいくつかのスパイスが口に広がり、スープのうまみも混ざって、かなりカレーに近い料理を再現できていた。


「どう、美味しい?」

「とても美味しいよ。それに、なんだか嬉しい。よく覚えてたね。そういう話をしたのも、結構前だと思うんだけど?」


 この世界流のカレーという料理を楽しみつつ、セイジはルカに尋ねる。


「少し前のセイジは、ときどき前の世界の話をしてた。楽しい事も話してくれたけど、結婚する少し前は、ここに来るまでの、こうつう事故?の話とか、働いて苦しかった事を話してて、それを聞いて私思ったの」


 そう言うと、ルカはカレーを食べているセイジの頭を、その細くて柔らかい手で撫でてから答える。


「……セイジが前の世界の事を、少しでも楽しく語れるようになってほしいって」


 ルカの言葉と、いつもの少し淡泊な表情の奥に混じる寂しさ。セイジは、彼女なりに切実にそれを伝えたいのだと理解して、胸が温かくなる気持ちを感じつつ、ただ一言「うん」と頷いた。だが、そんな暖かな時間の直後に、ルカはまたも淡々と言葉を続ける。


「あと、今の世界でセイジを幸せにできるのは、私だけだってアピールしようと思って」

「あ、あはは……」


 さっきの表情よりも、こちらの方が真に迫っているような雰囲気を感じ取って、セイジはそんな彼女の前のめりな姿勢に、苦笑いを零すしか出来なかった。




 夜。この家は寝室が一つで、ベッドも一つしかない。そのため寝る時は、今朝と同じように二人が同じベッドで寝る事になっている。


 そして二人の位置はいつも決まっていて、枕を上にしてセイジが右の窓際に、そしてルカが左側に寝る事になっている。どちらが決めたわけでもなく、お互いが自分の安心できる場所を探した結果である。


「今日も疲れたよ。まあ明日行けば、その後は休みだけどね」

「じゃあ、明後日はどこかに出かける?」


 寝床に二人で入って、お互いが眠るまでの会話を楽しむ。部屋の明かりは消えて、夜空と、月の代わりの星明かりが降り注いで、心の距離と二人の眠気を近くしていく。


「いいね。またどこかにデートをしたいな」

「と言っても、もうセイジが行ったことない場所、少ないかも」


 結婚するまでに幾度となく巡り歩いたシーアノス。異世界での暮らしに不慣れだったセイジにとって、ルカの付き添いは自分を支えてくれる貴重な思い出だった。そんな事を二人で考えていた時、ルカはふと思いついて、セイジに提案する。


「そうだ。鍛冶屋通りに行こう」

「鍛冶屋通り?」


 それは、セイジにとっては未開の、そしてルカにとっては時々立ち寄る場所であった。魔物狩りが仕事となる世界において、丈夫な金属製、もしくは革製の装備品は重要な道具である。魔物狩りパーティーの支援もする事があるルカにとっては、そこは大事な場所だった。


「考えたら、セイジはまだ鍛冶屋通りに連れて行ってなかったね」

「そうだね。手紙屋にはなかなか縁遠い場所だと思うし」


 実際、セイジの仕事の範囲内では、手紙を直接届ける仕事は含まれておらず、主任などの上司も彼を運び屋の仕事に就かせようとはしない。そのため、セイジは多少身ぎれいにしてさえいれば仕事に支障はない。防具を必要とする感覚が、まだ培われていないのだ。


「それじゃあ、明後日は鍛冶屋通りに行こう」

「あぁ、わかったよ。楽しみにしてるね」


 飾り気のないセイジの言葉で安心したような笑顔を見せるルカ、そして寝る前に、彼女はセイジにしっかりと抱きついて、頬と首に唇を寄せてから、穏やかに眠りについた。セイジの心に「ズルいなぁ」と言う独白を残して。

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