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第15話 ふたりでお酒を交わしたら

「ただいまぁ」

「おかえりなさい」


 家に帰り着いたセイジがドアを開けると、いつものように玄関まで駆け出してくるルカがいた。だが今日は、そんなルカの表情がどこか明るく感じて、セイジは首を傾げた。


 ルカの指には、青の宝石がきらめく結婚指輪。普段から家にいる時はこの指輪を付けている。


 ではセイジはどうか? 残念ながら、セイジは仕事の時には付けないようにしている。ルカからの贈り物として受け取った指輪。


 指輪をくれた事はセイジも喜んだが、その指輪には『監視魔法』と言うこの世界でもなかなかにニッチな魔法がかけられており、セイジが受け取った赤い宝石のリングが記録を、そしてルカの持つ青い宝石のリングが再生を行えるようになっている。


 つまり、セイジがつけて活動している時の様子が、ルカには手に取るようにわかる……はずだったのだ。結局セイジは、ルカと出かける時などに着けるに留まり、仕事場でそれをつける事は控えた。


「ご飯、出来てるよ。いっしょに食べよう?」

「ああ、もちろんさ」


 二つ返事で頷くセイジは、自分のカバンをいつものテーブルに置いて、ダイニングにやって来る。


「あ、そうだ。今日は貰い物がある」

「貰い物?」


 ダイニングで、二人の夕飯の準備をするルカ、隣で食器を用意するセイジを見ながら、ルカはふと思い出したように言い放つ。


「そう、お酒」

「お酒かぁ、しかしいったい誰から?」

「ジルコさん」


 ルカの一言で、セイジは鍛冶屋通りのあの人形館と、妖艶な女性の姿を思い浮かべる。だがセイジが顔を上げてジルコを思い浮かべた時、軽い肘鉄がセイジの脇腹をつついた。


「いま、ジルコの事思い浮かべてたでしょ」

「思い浮かべるのはいいだろう? せっかく結婚指輪を作ってくれた人なんだから」


 そう、鍛冶屋通りのジルコは、ルカとセイジの結婚指輪の作成者である。そして、ルカの魔物狩りの仕事におけるビジネスパートナーでもあるので、二人にとっては色々な意味で縁深い女性である。


「今日はジルコはお店を早じまいした。それで私たちの結婚が一年経ったことをお祝いするって言って、このシダーをくれたの」

「シダー? この世界のお酒の名前かい?」


 ルカはそう言って、セイジも見たことのある形状のガラスボトルを取り出した。


 透明なボトルの中に、透き通った黄金色の液体が揺れている。ボトルの口はコルクでキャップがされており、そのすき間からは、ほのかに甘い香りがこぼれていた。


「……これは、聞いたことがあるな。確かこっちの世界ではシードルって言われてる果実のお酒だ」

「シードル? シダーと似てる」


 セイジが嗅いだ香りの正体は、リンゴのような風味。こっちの世界にもリンゴに近い果物があり、それを使って作られたものがシダーなのだろう。


「セイジは、お酒は飲める?」

「まぁ、人並みにはね。次の日が休みの時とかは、ビールを飲みながら、それまでの疲れを一日眠って取ってたことも『昔は』あったよ」


 セイジの思い出語りに、ルカは少しの興味を注ぐ。だが、その思い出の前には「前の世界の、今から五年も前の新卒の頃は」と言う前提が付くことは、ルカには知りようのない事実だった。


 そんな、遠い目をしたセイジを見て、ルカはハッと目を輝かせる。


「セイジ。確か明日はお休みだよね」

「あぁ、そうだね」

「じゃあ、今日は一緒にシダーを飲もう」


 ここぞとばかりに前のめりに、ルカは晩酌の決行を提案した。セイジが何かを言うよりも先に、ルカの目は「絶対に今日晩酌をする」と言う強い意思を秘めており、そんな彼女のお願いに、セイジは断る選択肢を失った。


「やれやれ……こういう時のルカは、僕を囲い込むのが得意だね。わかったよ、食事と一緒に飲むかい?」

「いいよ。それじゃあ私、コップを用意するね」


 そう言って、ルカは二つのガラスのコップを用意する。あいにくとワイングラスと言ったおしゃれなものはこの家には無く、現代ならではのロマンティックさは期待しにくい。


 だが、セイジはそう言ったこだわりよりも、ルカが嬉々としてキッチンで晩酌の準備をしている事こそが大事だと考えて、夕飯の方の準備をこなしていった。




 そうして二人のテーブルには、夕飯と晩酌の準備が整い、いつもとは少しだけ違った食事に、期待を寄せていた。


 トマトベースの野菜のシチュー、いつものバゲット、そして一口サイズのチキングリル。シチューはルカがあらかじめ作っておいたものだが、晩酌があるという事で、急遽セイジがチキングリルを用意した。


 小さなフライパンに自分の火魔法で熱を入れて、火力を調節しながら塩と胡椒……簡単なものだが、ルカはそんな酒のアテの様な一品で、セイジに尊敬の眼差しを向けた。


「いつもセイジは凄いね。火の魔法が上手だし、お料理もちゃんと手伝ってくれる」

「大したことはしてないよ。それに、僕はルカの魔法の方が羨ましいけどね」


 そう言ってセイジは、お互いの手前に置かれている、少し霜の降りたコップを見る。それは、ルカが覚えた氷魔法によってキンキンに冷やされたコップである。


「ちょっと凍らせちゃった」

「それも御愛嬌さ。じゃあ注ぐよ」


 コポコポ……と言う子気味の良い音と共に、黄金色の液体が注がれ、二人のコップの中で、シダーから「シュワァァ……」と言う音が溢れてくる。


「いい香り、とても甘い」

「果物の素敵な香りだね」


 それぞれのコップに、よく冷えたシダーが注がれて、二人はグラスを持って顔を見合わせる。


「それじゃあ、もう祝った後だけど、この世界での結婚一周年を祝して」

「うん。カンパイ」


チリン!


「……美味しい、お酒の感じもする」

「うん。とても甘いシダーだね。チキンを焼いたのは正解だったかな」


 お互いにシダーを一口、冷たい炭酸の喉越しと、あとから広がる甘さに、二人とも感動を味わう。そしてルカは、すぐにセイジの作ったグリルチキンを食べて、シダーとチキンの味の取り合わせに目を細めた。


「……このチキン、とても合う」

「それはよかった。トマトシチューも、酸味がいい刺激になるね。ジルコさんには頭が上がらないな」


 食卓に彩りを添えたシダーの味に、ルカよりは食の細いセイジも、トマトシチューのおかわりを注いだりして、晩酌の魅力に二人ともすっかり夢中になっていた。




 時は深夜になり、二人は風呂も終えてベッドに着く。いつものようにセイジは窓際、ルカはその右側に眠っていた。だが、晩酌の酔いが程よくまわっていつも以上に眠りが深いセイジとは裏腹に、ルカは右側でもぞもぞと蠢いていた。


「っ…………」


 明かりも消えた夜のベッド、誰にも見えないその布団の中で、ルカは酔いから来る心臓の鼓動で寝付けずにいた。


 ルカもお酒を知らないわけではない。シダーそのものは一般流通品で、その存在は知っている。


 だが、ジルコがくれたシダーの酒分が思ったよりも強く、ルカは雰囲気に流されて二杯ほど飲んでしまったため、身体の火照りがしばらく収まらなかった。


「ふぅ……ふぅ……」


 息が早くなり、布団を着ているのも暑苦しく感じる程に酔いが回るルカ。隣では静かに、そして深く眠っているセイジ。


 そして、未だ酔いの覚めないルカは、うっかりセイジの方に顔を向けてしまう。


深く眠っている。


今なら無防備


ここはシーアノス


結婚は子どもを残すこと


一年経ったし、そろそろ


 頭の中に次々と浮かんでくる、酩酊での誘惑。そんな甘言にフラフラとしていたルカは、




いつの間にかセイジの身体に上から覆い被さっていた。




「……そう、シーアノスでは、結婚は」


 うわ言のように呟きながら、ルカは自分の寝間着に手をかける。ズボンを脱いで、飾りのない水色の下着が露わになる。上着に手をかけて、少し筋肉質な細い下腹部を星夜に晒す。そうしてジリジリと距離を縮めて行ったところで、ルカはふと、セイジの微かなつぶやきを聞いた。


「…………ルカ、子どもは、必ず……」


 それは、ルカが積極的に言ってきた言葉だった。結婚を通して子どもを残す事は、セイジもよく理解はしている。だがこの一年、セイジはルカの積極的なアプローチに苦笑いだけを残していた。


 それは今のルカがそうであるように、彼女の心に不安を残した。もしかしたらセイジは、自分との子どもを欲しがってはいないのではないか。


 だが、セイジも理解していた。シーアノスの結婚の流儀。それ故に、セイジも常日頃から思っていた。必ずルカにも子どもを残してやりたい、と。彼の寝言は、そんな彼の奥手ながらも願いを果たそうとする葛藤の表れだった。


 ルカはセイジのつぶやきを聞いて、残っていた理性を呼び覚まして、セイジの上から退いた。


 コップを冷やして、一杯の水を飲み、酔いを覚ます。まだ心臓の鼓動が早まっているのは感じるが、ルカの理性は次第に身体を落ち着けていった。そして、寝間着を脱ぎ捨てたままではあるが、ルカは再びセイジの隣に潜り込み、ゆっくりと眠りの中に落ちていった。




 翌朝、セイジが目を覚ますと、隣に下着だけで寝ていたルカが居て、セイジは大いに慌てることとなった。そして、その日二人は鍛冶屋通りのジルコの店にデートがてら向かい、ジルコから昨日の顛末を根掘り葉掘り聞かれることとなった。


「どうだったルカ? あなた的に強めなお酒を用意したのだけれど? もう一夜を遂げたりした?」

「ジルコさん。今度からは、お酒の贈り物は……なし」


 そうして、夫婦そろってジルコにもてあそばれたが、肝心のセイジは、ルカの悶々とした夜を知らずに、何も知らない顔で首を傾げた。


 そしてセイジが、あとで理不尽に『寒い目』に遭うのは、今のセイジには予想もつかないことだった。かないことだった。

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