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第13話 もしも彼女が生きていたら

「やった……のか?」


 生き残ったメンバーの一人がそう言って、かなりの距離を取りながらワイバーンの様子を窺う。動きは鈍っているが死んでいる様子はない。その状態を確認したメンバーは、今の内なら逃げることが出来ると口を合わせて、ここからの撤退を全員に知らせた。だが、


「まだ、ダメ」


 傷を負って、息を整えたルカはそれを良しとしなかった。


「ワイバーンはまだここにいる。こいつがセンシアの連峰に帰るまで、私は逃がさない」

「バカっ! そんなこと言ってる場合か! わかってるのか? こいつはワイバーンなんだぞ!」


 他のメンバーからの叱責。ルカも怒られている理由は分かっている。生きて帰る事で次の魔物に立ち向かう事が出来る、ここで撤退しても、今度は魔物狩りの総力でこのワイバーンを叩けばいい。それが本来の魔物狩りの仕事だ。


 だが、ルカは引かない。


「だめ、だよ……こいつをシーアノスには、絶対近づけさせない。シーアノスで戦うのは嫌。戦いが嫌いな人が、待っているから」


 ルカの脳裏によぎる、セイジの腕のぬくもり。ルカはそれを感じながら、ワイバーンと対峙する。そして、今まで静かだったワイバーンが「グルゥ……」という弱い声と共に目を開けた。




「かかってきて、ワイバーン。あなたに私の大切なものは、壊させないから」




 距離3メートルの、静かな攻防。他のメンバーがその状況に緊張を張り巡らせる中、ルカだけは真っ向からワイバーンの瞳を見据える。そしてしばらくにらみ合いが続いたところで、背中に乗っていた氷をワイバーンがはねのけて、その翼を広げて龍哮を上げる。


グァァァァァァァァァッッッッ!!


 するとワイバーンはそのまま飛び上がり、魔物狩り達の周囲に風をまき散らしながら空に浮く。何事かと魔物狩り達は空を見上げて、その動きを探っていたが、そのワイバーンは、まるでルカを見るように首を降ろしており、地上の人間をちらとだけ見て、そのまま体の向きを変えてセンシア連峰方面へ飛び去って行った。


「……はぁっ」


どさっ!


 姿が遠くなるワイバーンを見送ったルカは、その場にへたり込んで、放心したように指揮棒を落とした。


「ルカっ! 大丈夫かっ!」

「すごい傷じゃないの! とにかく早くここから脱出しましょう!」


 ワイバーンの撃退を喜ぶ間もなく、その場の全員が、放心状態で座り込んで、傷とケガに苛まれたルカを心配する。そしてセンシア方面の魔物狩りは、幾ばくかの犠牲を払い、ワイバーンの撃退まで達成する大勝利によって締めくくられた。


――


 龍哮の避難が解除され、各所の魔物狩り達が戻って来た。鍛冶屋通りに避難していたセイジやジルコも外に出て、セイジはセンシア方面の街道に駆けだした。


「はぁっ……はぁっ……!」


 ルカはどうなったのか。まさかあの龍哮はルカの方向ではないだろうな。もしそうなら、ルカは生きているのか……不安に胸を痛めつつも、セイジは自分なりの全速力でセンシア方面の魔物狩りチームを探した。


 そして、吐きそうなほどに荒く乱れた息を我慢して、センシアから帰って来た数人の魔物狩りチームを見つけたセイジは、その集団に向かって人の目にも構わず大きな声で叫んだ。


「ルカァッ!!」


 そこに集まっていた全ての人間の注目を集める声に、戻って来たばかりの魔物狩り達も、それが彼女の旦那だという事が分かり、一人の男がルカをおぶって彼の前までやって来た。


「ルカ……ルカは、ルカは生きているんですか!?」


 男の背中で、ぐったりとしているルカ、喧噪の中で呼吸らしい呼吸が聞こえてこないその身体に、セイジは心臓の早鐘を抑えきれない。


「心配すんな。ルカは生きてるぜ。しかもワイバーンを一人で撃退しちまった。お前の奥さんは、シーアノスの……いや、あんたのヒーローだ」


「あ、あぁ……あぁっ…………!!」

「よかった……よかった……」


 そうして男からルカの生存を告げられた時、セイジは膝から崩れ落ちて、人目もはばからず大粒の涙をこぼした。それと共に、セイジの耳にはルカの息遣い、そして、ワイバーンから町を救ったルカに対する、周囲の人間からの温かい拍手が聞こえてきた。




 命がけの魔物狩りの戦いにより、手紙屋は五日間の休業となり、ルカは治療院で一日かけて、傷の治療と身体の回復を受けていた。ルカが治療院で治療に当たっている間。セイジは彼女につきっきりで、手伝えることには積極的に手を貸していた。


 そして丸一日の治療も終わり、傷はまだ残るものの、打ち付けられた背中とそれに伴う痛みもかなり軽減され、その日の夜には家に帰る事が出来た。


「ただいま」

「おかえり。ルカ」


 きちんと片付けられている家。キッチンも食器が洗われており、人が暮らしていたとは思えないくらいに綺麗なままだった。そんな不自然な綺麗さを見たルカは、目を丸くしてセイジに尋ねた。


「……セイジ、もしかして料理作ってない?」

「あ、えっと……あはは、作ろうとは思ってたんだけどね」


 ごまかすように語るセイジに、ルカは怪訝な顔をする。そして、覚えたばかりの氷の魔法で、セイジの足元を冷やしてから彼に詰問する。


「言って。どこで、何を食べたの?」

「ちょ、ちょっとルカ! なんだか足が冷たいよ!?」

「言って。」


 セイジにだけ分かる強い圧のある表情。それを見たセイジは観念したように息を吐いて、正直な話を伝える。


「……はぁ、実はほとんど食べていないんだ。料理をしようと思ったんだけど、家に帰り着いた途端、ルカがいない事で不安が押し寄せて、何も食べる気力が湧かなくて…一応仕事に出ていた時は、ミケーナに寄っていたからいつものポークソテーは食べていたけれど……」


 そう。セイジはルカが出かけてから、家での食事をとっていなかったのだ。それを聞いたルカは、この小ぎれいなままの家が、急に空虚な場所に感じられた。


「ルカが行ったのが旅行や買い物なら、僕だって気には留めない。けれど君が行った場所は戦場だ。そして、君は人間には到底太刀打ちが出来ないワイバーンと戦っていた。それを思った時、何をやるにも『君がいなくなったら』と考えてしまって……」

「……っ!」


パシンッ!


 セイジの言葉を聞いたルカの手が、セイジの頬を一発叩いた。戦う人のそれとは思えない力ないその一発に、セイジは驚きの表情でルカを見た。


「……約束した。生きて帰るって、それなのに、セイジは私が帰ってこない事ばかり考えてたの?」

「そ……」

「約束をくれたのはセイジなのに、なんでセイジが信じてくれなかったの……」


 ルカの力ない言葉に、セイジはハッとする。


 そうだ。どんな戦いだったとしても、ルカは約束をした。それも、自分から口にした約束。ルカはそれをきちんと守ったのに、セイジはその約束に叶うだけの行動が出来なかった。


「……ごめん。本当にごめん」

「もっと謝って。そして、私を信じて……今日は、ちゃんとセイジの所に帰って来たから。次からは、ぜったい信じて」

「うん。うん……」


 そうして、二人の約束を再確認したルカとセイジは、この時間の止まりかけた部屋でまた夫婦として暮らし始める。セイジの火の魔法が家の明かりを点けて、ルカの水の魔法が料理の準備を始める。身体の痛みが残るルカに、セイジが支えとなり、こうして動き始めたキッチンで、簡単なワンプレートの料理が完成する。


「今度からは、私がいなくても料理をすること。約束」

「料理だけじゃないね。君が戦いに出向いても、僕はこの家を守る。約束だ」


 そう言って、二人はお互いのコップを突き合わせて、誓いの杯を交わした。死闘を乗り越えたルカと、それを見守ったセイジ、この異世界で、二人は何でもない夫婦のように、この夜を過ごしていった。

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