表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
81/127

第八十一章 餓鬼の島・闇に沈む


 午前3時12分/天候:強風、濃霧、月影なし


 川端本郷一帯に広がる、自動車解体工場群。ネウルダの牙城。


 生コンと錆の匂い、半壊した鉄骨群。


 コンクリ壁の中には、拷問用の廃棄冷蔵庫、密輸ケース。


 中では再利用不能の「かつて人であったもの」が腐っていた。


 だが今、その鉄と血の王国に、"死の足音"が忍び寄っていた。


 耳に聞こえぬ波動。


 湿気をはらんだ気流の底に、"死の足音"を鳴らすのは、ズルロイ・メドヴェーチ。


 "凍土の悪魔"。


 傭兵団ツンドラα中隊を先鋒に、一個師団が帝都に放たれた。


 彼らにとってここは、戦場ではない――「処理場」である。


 最初に飛んだのは、ドローン榴弾。


 工場上部の通信塔が火を噴いた瞬間、赤外線マッピングにより、30箇所の出入口がマークされた。


 次いで、隊長ユーリィ・グリャーチンの命令が落ちる。


「灯りを消せ。"声"を使うな。殺すか、無力化。すべて"見せずに終われ"」


 その直後、無音式の榴弾が一帯を包んだ。


 監視カメラが死に、通信が断絶する。


 工場内にいたネウルダの兵士たちは、まだ何が起きたか理解できていなかった。


 そして――その闇に"影"が滑り込んだ。


 白兵戦特務班イエローベア


 帝政時代のロシア戦術部隊の末裔たちが、撃ち、刺し、斬り、殺し尽くす。


 30分も経たぬうちに、生きた者の声は消えた。


 血は流れたが叫びはなかった。


 煙は上がった。


 だが火は放たれなかった。


 それは"戦争"ではなかった。粛々と進む屠殺・解体であり、"処分"であった。


 鉄骨とコンテナ、人血と脂と骨の混じる臭いが、周囲を満たしていた。


 アスマン・ザルフは、異変に怯え、銀の書類箱を開け、偽名パスポート4冊と現金ケース、USB暗号鍵を抱えた。


 力も、拠点も、すべて溶けた。


 手のひらに残ったものは、なにもない。


 それでも、足が動いていた。


 アスマン・ザルフは走っていた。


 顔の左半分が焼け、耳の穴に破片が刺さっていた。


「……馬鹿どもが。ここを獣の檻とでも思ったか、逃げ切ってやる」


 汗が首を伝う。


 銃は持たない。持っても逃げ切れぬと悟っていた。


「今夜は敗けだ。だが、屍では終わらん……!」


 だが、背後で、何かが起きていた。


 銃声。地響き。瓦礫の落下音。


 アスマンの耳には、すべて遠い。


 体の中を焼いていたのは、


 憎しみではなく、空洞だった。


 妹は殺された。


 部下は消えた。


 ドアを蹴破り、地下駐車場へ。


 彼を迎えるのはダッジ・チャレンジャー改装車。


 最後の逃走車両。


 彼は、火の中を走るように、荒川を背に発進した。


 向かっていた。どこへ、というあてはない。


 ただ、まだ"自分が何かである"うちに、何かに届きたかった。


 首都高速C2から、東関道へ逃走。


 無人の自走トレーラーに乗り換え、千葉県内の小型飛行場へ。


 秘密裏に用意されたセスナで、成田国際空港へ侵入。


 成田から、キルギス名義の偽造パスポートで出国する腹積もりだった。


 アスマンは息を殺し、周囲を見回した。


 男と女が立っていた。


 女は芦名 沙夜。


 黒服、地味な化粧、そして――仮面のように無表情な顔。


 男はユーリィ・グリャーチン。


 ズルロイ・メドヴェーチ日本戦線総隊長。


 黒いスーツ、兵士の姿をしていない。


 武器もない。


 ただ、立っていた。


 アスマンは止まった。


 三人は無言で対峙した。


 冷たい風が吹いた。


 二人の影で、ズルロイの兵が展開しているのが見えた。


 十人。いや、もっと。


 アスマンは、乾いた笑みを浮かべた。


 血に濡れた口で、嗤うように、こう言った。


「殺しに来たのか、傭兵ども……。なら、やれ。終わらせろ」


 ユーリィは首を横に振った。


「――これは、処理だ。遺体として届くべき場所がある」


 それが、合図だった。


 暗闇から、無言の兵が数名、滑るように現れた。


 一人が足を撃ち抜き、もう一人が肩を貫いた。


 アスマンは呻かない。


 ただ、膝をついた。


 呼吸が、喉で詰まる音だけが、辺りに残った。


 視界が傾く。


 アスマンの瞳が回転した。


 手首がねじ切られ、銃を抜く間もなく、喉元に刃が入った。


 痛みよりも、早く、"冷たさ"が来た。


 肺が潰れ、血が逆流し、瞼が閉じられる前に――


 彼は見た。女の手に握られた探検の柄に刻まれた、桐島グループの紋章を。


 言葉はでなかった。


 後日、桐島の元に、銀の菓子箱に入れられた小包が届けられた。


 開封された箱の中にあったのは、指輪をはめた片手首。


 中指に、赤黒い焼印で「Z」の文字。


 桐島は何も言わず、それを見つめ、グラスを傾けた。


「犬は、闇の中に沈んだ。……それでいい」


 そして、もう一つ、写真の入った封筒。

 

 中の写真をみて、桐島は眉をひそめた。


 西川渕のアラビアン・クラブの店内でとられたと思しき写真、そこに写っていたのは、瀬尾とアスマン・ザルフ。


 瀬尾の手首には、Zの文字の入った数珠ミスバハ、アスマンから渡されたものなのか。


アスマンの狗は瀬尾だったか……」


 瀬尾の瞳に怒りの焔が灯った。


 




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ