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第七十三章 餓鬼の島・No.2

 涼が考えた計画はシンプルだが極めて危険なものだった。


 麻優の支配力を弱めるためには、彼女の組織『AZコネクション』に内在する潜在的不満分子に働きかけ、内部崩壊を誘発させるしかない。


 だが、そのためには周到な準備と巧妙な駆け引きが必要だった。


 翌日、涼は注意深く、ラボの外に出た。


 彼の目的は、AZコネクションで、麻優に次ぐ実力者である、瀬尾啓吾という男との接触だった。


 瀬尾啓吾は組織のベテラン幹部であり、麻優が台頭する以前からAZコネクションの中枢に君臨してきた男だ。


 麻優のカリスマ性と冷酷な支配によって影が薄れつつあるが、組織内には未だ彼に忠誠を誓う者も少なくない。


 瀬尾が抱く麻優への反感を利用すれば、涼の計画は現実味を帯びてくる。


 涼はラボ近くの廊下で瀬尾が一人になる瞬間を狙い、さりげなく声をかけた。


「瀬尾さん、お話ししたいことがあります」


 瀬尾は警戒した様子で振り返り、鋭く涼を睨みつけた。


「神崎か……。麻優に目をかけられてる奴と話すことはないな……」


 涼は落ち着いて答えた。


「あなたも彼女には相当ご不満をお持ちだと思いますが。私には分かります。あなたがここ数年、ずっと押さえつけられているのを」


 瀬尾は足を止め、じっと涼を見つめ返した。その目には怒りと困惑が交錯していた。


「俺に何を求めている?」


 涼は慎重に言葉を選んだ。


「麻優の暴走を止めるためには、あなたの力が必要です。組織を正常な形に戻すには、あなたが再び主導権を握るべきだ」


 瀬尾は冷笑を浮かべる。


「冗談じゃない。麻優を裏切るのは自殺行為だ。お前も承知のはずだ」


 だが涼は引き下がらなかった。静かな、それでいて力強い声で続けた。


「もちろん危険は承知しています。しかしこのまま放置すれば組織は遠からず崩壊します。麻優は我々全員を巻き込み、自滅の道を歩んでいる」


 瀬尾の瞳が僅かに揺れた。


「それにあなたはご存知のはずです。麻優は最近、大口顧客の桐島雄吾に接近しすぎている。桐島の望むままに麻優は動く。桐島が要求した無茶な取引をあなた達が強いられたのは、一度や二度ではないはずだ。彼女は桐島の歓心を買うためならば、組織の中核メンバーを切り捨てることも厭わない、そういう女です」


 瀬尾は沈黙し、眉間に深い皺を寄せた。


 涼はそこで言葉を止め、瀬尾の反応を待った。数秒の沈黙の後、瀬尾が低く唸るように言った。


「まあ、考えておく。だが、このことは絶対に漏らすな。麻優に知られれば、お前も俺も生きてはいられない。奴のバックには禍眼導師というとんでもない怖ろしい奴が控えている……」


 涼は頷き、冷静に応じた。


「その点はご心配なく。命がけであることは理解しています」


 瀬尾は再び歩き出したが、その背中には明らかに迷いの色が浮かんでいた。


 涼は密かに安堵の息を吐いた。


 瀬尾の心に、謀反の誘惑の楔を打ち込むことにひとまず成功したのだ。


 その時、涼の端末が小さく振動した。涼は素早く画面を確認したが、それは麻優からのメッセージだった。


『神崎さん、準備はできたかしら?倉沢美月の誘導方法を、今夜までに報告して』


 涼は端末を握り締めた。胸に冷たい汗が滲む。


 しかし、妹の玲奈を失った悲劇を繰り返さないためにも、迷っている時間などない。


 涼は静かにメッセージを打ち込み始めた。あえて危険な嘘を麻優に提示し、美月を守るため、偽の誘導策を伝える。


(この一手で全てをひっくり返すしかない……)


 涼の手は震えていたが、彼の瞳には新たな覚悟が宿っていた。


「折を見計らい、近日中に大がかりなヤクの取引があるという偽情報を彼女に伝えます。これに踊らされた倉沢美月を私が連れ出して、ボスに差し出します」


 涼が誘導策を麻優に送信した直後、彼の胸には後戻りできないという冷たい決意が深く刻まれた。


 メッセージの送信ボタンを押した瞬間から、心臓が重苦しい鼓動を打ち始める。麻優からの返答を待つ時間は耐え難いほど長く感じられた。


『了解したわ、神崎さん。あなたの忠誠心、見届けさせてもらうわね』


 麻優の返信が届いたのは数分後だった。淡々とした文面が、逆に恐ろしく感じられる。涼は肩の力を抜いて深く息を吐いたが、安堵とは程遠い心情だった。


(本当にこれでよかったのか……)


 自問しながらも、涼は迷いを振り切った。後悔している暇などない。この状況を利用して組織の瓦解を誘うためには、次の一手を迅速に打つ必要があった。



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