表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
68/127

第六十八章 餓鬼の島・罠

 トリスタン製薬大手町ラボラトリーの地下フロア、涼が初めて異音に気が付いてから三日目。


 壁外からのS.O.Sは今日も聞こえていた。


 涼は緊張した面持ちで壁際へ再び近づいた。


 胸元の鼓動を抑えつつ、壁面の音が響く場所を慎重に特定しようとしていた。


 その瞬間だった。


「何をしているのかしら、神崎さん」


 背後から唐突に、冷ややかな女性の声が響いた。


 涼は心臓が凍りつくような感覚に襲われ、ゆっくりと振り返った。


 そこには、麻優がいつものように落ち着いた表情で立っていた。

 薄い笑みを口元に湛え、瞳には微かな嘲りがあった。


「麻優さん……」


 涼は必死に冷静を装ったが、麻優の瞳の奥には涼を射抜くような鋭さが宿っていた。


 麻優はゆっくりと歩み寄り、涼を静かに見つめる。


「壁から聞こえる音……不思議よね。あなたがそれに気づくのに、どれくらい時間がかかるか楽しみにしていたわ」


 涼の喉元が緊張で引き締まる。


「一体、どういう意味ですか?」


 麻優は薄い唇をわずかに歪め、静かに微笑んだ。


「神崎さん、あなたは優秀だけれど、残念ながら私には少し疑念があるのよ。だから少し試させてもらったの」


 涼は言葉を失った。全身から血の気が引いていくのを感じた。


「試す……?」


 麻優はわずかに首を傾げ、優雅に腕を組んだ。


「あのモールス信号を模した異音は私が仕掛けたちょっとした(トラップ)。あなたが、罠に誘われて何か余計な行動を取らないか、確認するためのね」


 涼の表情が一瞬硬直した。それを確認するかのように麻優はさらに微笑みを深くした。


「タスケテ……のメッセージに、敏感に反応するーーなんて、やっぱり、あなたは私たちの信用に値しない人間だったのかしら?」


 その声は静かで穏やかだったが、涼の耳には恐ろしい脅威として響いた。



 麻優の言葉には鋭い棘が潜んでおり、涼の心に深く刺さり込む。


 涼は懸命に息を整えながら、何とか冷静さを保とうとした。


「誤解です。私は単に奇妙な音が気になっただけで……」


 麻優は軽く笑い、冷たく言い放った。


「そうかもしれないし、そうでないかもしれない。でも、これからはもっと気をつけて行動してもらう必要がありそうね」


 麻優はゆっくり背を向け、涼に振り返ることなく静かな足音を響かせてラボを去った。


 涼は激しく動揺した心を抑えながら、その場に立ち尽くしたままだった。


 麻優はラボの所長室に戻り、静かに椅子に腰掛けて窓外を見つめていた。


 その表情は冷淡で、わずかな感情すら読み取れなかった。麻優の部下が部屋に入る。


「神崎涼は、このまま放置しますか?」


 麻優は軽く首を振った。


「そうね、もう少し泳がせておいて。ただ、監視をさらに強化して。彼が何らかの行動を起こすまで……」


 麻優は微笑を浮かべて呟いた。


「神崎さん、あなたが次にどう動くのか楽しみだわ」


 涼は麻優の足音が完全に遠ざかるまで、身動き一つできなかった。


 自分の行動が完全に麻優の掌中で踊らされていたことを悟り、彼の中には底知れぬ恐怖が静かに広がっていった。


 全身が冷え切り、背中には氷のような冷たい汗が流れ落ちていた。


 地下の薄暗いラボが、まるで自分の心を映すかのように、より陰鬱な空間に感じられた。


 涼は知らずのうちに、自らが挑んだ心理戦で、さらに深い陰謀の渦中へと引き込まれていくのを感じていた。


「罠だったのかよ……完全に嵌められた」


 低く呻くように呟き、拳をきつく握り締めた。妹の仇を討つために、自ら志願した潜入調査だった。だがその代償は、あまりに大きくなりつつあった。


 一瞬の後悔と自責が彼の心を駆け抜ける。


 しかし、その絶望を涼は必死に振り払った。いま重要なのは、この状況をどう乗り越えるかだ。


 涼は深く息を吸い、無理矢理に動揺を抑え込みながら静かにスマホを取り出した。


『倉沢さん、申し訳ありません。罠でした。麻優に完全に見透かされています』


 涼は簡潔に状況を打ち込んで送信した。すぐに画面に美月からの返信が表示される。


『状況は理解しました。身の安全を最優先に。今はこれ以上動かず、静観してください。必ず対処します』


 涼はその短いメッセージにわずかに安堵しつつも、自分の迂闊さを激しく責めた。


 麻優からの再び信頼を取り戻すためには、さらなる用心と覚悟が必要になるだろう。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ