第六十三章 餓鬼の島・ダーク・ウェブ
深夜、自宅アパートの薄暗い自室で、神崎涼はノートパソコンの画面を凝視していた。
指がキーボード上で慎重に動き、ダークウェブSNSの深層部へと潜り込んでいく。
「とうとう、見つけた……」
指が微かに震える。
神崎涼、三十歳。
昨年までは都内の製薬会社で創薬技師として勤務していた。
優秀な成績で薬学部を卒業した涼は、職場でも評判が良く、明るく親切な性格で周囲からも信頼されていた。
しかし、涼の人生は突然、暗転することになる。
妹の神崎玲奈は、都内の高校に通う活発で朗らかな少女だった。
ある日突然、玲奈が学校で倒れ、病院に運ばれた。
告げられた診断は、合成麻薬の過剰摂取による急性中毒症状。
涼は衝撃と共に深い自責の念に襲われた。
「玲奈が麻薬に手を出した、しかもそれに気づかなかったとは……」
妹に意識が戻らぬまま病院で亡くなった日、涼は呆然と病院の廊下にへたり込んでいた。
失意の日々を送る、彼のもとを、警視庁の刑事が訪ねてきた。
倉沢美月だった。
「神崎涼さんですね?私は警視庁の倉沢美月と申します」
涼は顔を上げて美月を見つめた。
「警察……?」
美月は静かに頷いた。
「妹さんが亡くなった原因薬物の製造元を追っています。彼女を死に追いやった合成麻薬は、秘密の組織が密造・流通させています。以前から私たちはその組織を壊滅させるために動いていたのです」
涼は震える手を強く握り締めた。
「その組織は……許せない」
美月は涼の目をじっと見つめて言った。
「神崎さん、あなたは優秀な薬学者であり、専門知識もある。非常に危険なお願いですが、私たちのために、妹さんの仇を討つためにも、あなたの協力がいただけると助かります」
涼は強い決意で美月を見返した。
「……わかりました。妹のためにも、こんな恐ろしい薬物をこの世から消すためなら、引き受けます」
美月は涼の決意を確認し、小さく頷いた。
「あなたの覚悟、確かに受け取りました。私たちと一緒に闘いましょう」
その日から涼の人生は一変し、Sとして
潜入調査という危険な任務に挑む日々が始まった。
妹の死を決して無駄にしないため、涼は静かな怒りと深い悲しみを胸に秘めて、闇の世界へと足を踏み入れたのだった。
涼はネット上で流布される怪しげな噂を辿り、ある一つのサイトにたどり着いた。
その画面に表示されたのは「AZコネクション」という文字だった。背景は暗く、薄い緑色の文字が不気味に光っている。
『創薬の技術を持つ、医療従事者求む――常識に捉われず、優れたスキルを持ち、高額報酬を求める者のみ連絡を乞う』
求人内容は非常に簡素だが、異常なほどの報酬と不透明な仕事内容から、ただの医療求人でないことは明らかだった。
涼は息を深く吸い込んだ後、自分の詳細な履歴を入力していく。過去に薬剤師として積み上げてきた確かな経歴、そして妹を失ったことから芽生えた密造組織の殲滅への強い信念を偽装した野望へと巧みに変換して記述した。
『貴社のスカウト情報を興味深く拝見しました。自分の能力を最大限に活かし、適切な報酬を得たいと考えています』
送信ボタンをクリックする瞬間、涼の心臓は激しく鼓動した。数時間後、彼のスマートフォンが小さく震えた。画面に表示されたメッセージには、場所と時間が示されていた。
指定された場所は歌舞伎町の雑居ビル地下のバーだった。
涼はその場所へ赴き、指定された席に座った。ほどなくして、一人の若い女性が向かいの椅子に腰掛けた。
梓沢麻優だった。
麻優は涼を鋭く観察しながら口を開いた。
「神崎涼さん……興味深い経歴ね、得意な分野を教えていただきたいわ」
涼は冷静に彼女の視線を受け止めた。
「私には、標準並みの薬学者以上のスキルと創薬の経験があります。特に神経作用薬の改良や創薬には自信があります」
麻優は唇を歪めて小さく笑った。
「それは楽しみね。でも、あなたが本当にお仕事を任せられる、信頼できる人か、試させてもらうわ」
涼は静かに頷いた。
「どうぞ。どんなテストでも受ける覚悟です」
麻優は涼をじっと見つめ、再び笑みを浮かべた。
「いいでしょう。気に入ったわ。歓迎します、ようこそAZコネクションへ」




