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第六章 赫の芽吹き・火の国の獅子


   1

「冥華様、ご無事でございますかぁ!?」


 埃と煙が舞う中、戦の帷(イクサバ)から頽れた蒼刃姫達に、周囲で侍っていた神勅の民の下級信者たちが慌てて駆け寄った。


 大地に横たわる蒼刃姫は、薄れゆく意識の中で痛みに顔を歪め、小さく呻いた。雷桜と風魔も重傷を負い、激しい息遣いと苦悶の呻きを漏らすばかりだった。


「冥華様をすぐに聖堂へお運びしろ! 迅速にだ!」


 数人の信者が迅速に蒼刃姫たちを慎重に抱き上げると、待機させていた黒塗りのロールスロイスのリムジンへと急ぎ運び込んだ。


 車扉が閉じられると、リムジンはタイヤを激しく軋ませ、緊急を告げるかのように猛スピードで聖堂に向かって走り去っていった。


   2


 遥は微かな揺れと共に意識を取り戻した。


 頬に伝わる滑らかなメリノ・レザーのシートの冷気と、心地よく響く大排気量の車の低いエンジン音が、徐々に彼女を現実世界(リアル・ワールド)へと引き戻す。


 薄く目を開けると、漆黒の天井には星座のように輝くLEDのアンビエントライトが淡く揺らめいていた。


 車の後ろに乗ってるんだ――遥は混濁した意識の中で認識した。


 彼女はゆっくりと身体を起こそうとしたが、肩口に鋭い痛みが走り、小さく呻いた。


「まだ動くな。傷が開く」


 低く落ち着いた男の声が運転席から届いた。


 バックミラー越しに視線が合う。


 三十歳を幾らか越えたかと思える、精悍な顔貌の無表情な彼の横顔には緊張が漂い、ハンドルを握る、Mのロゴが手首近くに刺繍されたブラック・レザーのドライビング・グローブに、血の赫が滲んでいるのが見えた。


 運転席の液晶メーターパネルに、『M8』のイルミネーションが鮮やかに浮き上がっている。


 隣席では、気を失ったまま、斎が血染めの肢体を横たえている。


「彼は、大丈夫なの?」


 遥の問いに、男は前を向いたまま短く答えた。


「問題ない。今回はどうにか逃げ切った……。ここからが本当の闘いだ」


 遥は後部座席に力なく身を預け、窓の外を流れていく夜景を眺める。


 M8のリヤシートは、決して広いとはいえない。隣り合わせ、肩越しに斎の苦しそうな息遣いを感じる。


 遥は斎の手をそっと執った。


 弱々しく脈を波打つ手は、内出血で浮腫み、氷のように冷たい。


 車がレインボーブリッジを渡っている。


 右眼に、テレビ局の球体展望台が映った。


 左眼には、竹芝桟橋に臨むオフィスビルの屋上にかかったネオン広告の灯が窓を滑り、彼女の瞳に儚い軌跡を残した。深く息を吐き、再びシートに身体を沈めながら突如、ハッと気がつく。


「いけない!学校……!」


 昼休みに屋上に出で、戦闘に巻き込まれ、八傑衆と闘っている間にもう、すっかり陽は沈んでしまっている。


 午後の授業には、遥も、斎も出席していないことになっているはずだ。


「……死にかけてたというのに、午後の授業をサボった事を気にしてんのか、君等の勤勉さには感心するぜ」


「茶化さないでください!こんなことで、学校に目をつけられるわけにはいかないんです!」


「こんなこと……か、ふん、まあいい。『こんなこと』がどんなことだったのか、後でしっかり教えてやるよ。とりあえずは、安心しろ、神宮寺学院は午後から臨時休校中だ。神宮寺学院だけじゃない、渋谷区、千代田区、新宿区、港区、中央区、都心五区の学校は全部だ」


「えぇっ!」


 遥の声がM8の狭い後部座席に響き渡った。彼女は深傷の痛みも忘れ、驚愕に瞳を大きく見開いた。隣で未だ意識を取り戻さない斎の手を握る力が、思わず強くなる。


「都心五区が、午後から授業打ち切り……?」


 遥の問いかけに、運転席の男、孟谷勲は淡々とした口調で答えた。


「そうだ。すべての学校は、午後の授業を緊急停止した。それだけじゃあない。銀行も鉄道も飛行機もな、ぜーんぶだ」


 彼の静かな声に潜む、僅かな苛立ちに、事の重大さを遥は敏感に察知した。


「そんな大事に……。まさか、私たちの戦いが原因で?」


 孟谷は無表情なままバックミラー越しに一瞬だけ遥に目をやった。


「ああ、原因は君の隣で気絶している、僕ちゃんだ」


 遥は斎の横顔を見つめる。青白く、血の気の引いた肌。


 いつもの鋭さを失い、ひどく頼りなげだった。遥の胸に痛ましい気持ちが込み上げる。


「斎が、何をしたんですか?」


「奴が、己の能力の限界も知らず、無謀にも戦の帷(イクサバ)の結界を張った。その結界が予期せぬ磁気嵐を誘発したのさ」


 孟谷は溜息混じりに説明を続けた。


「渋谷の上空を中心に突如、猛烈な磁気嵐が発生したのだ。瞬く間に携帯通信網は完全に遮断され、都心の情報インフラ全体に深刻な影響が及んだ。特に渋谷区を中心に、金融機関やATM、商業施設の電子決済システム、さらにビルや公共施設のセキュリティや管理システムまでもが全面的に停止した」


 遥は驚きと動揺を隠せず、口元を抑えたまま聞き入った。


 自分たちが巻き起こした事態の規模の大きさに、体の震えが止まらない。


「高速道路や交通管制システムも麻痺し、都心部は大混乱を来した。警視庁も警戒態勢を引き上げ、自衛隊の派遣要請も検討されているらしい。幸い、人的被害はほとんど出ていないようだがな」


 遥は愕然として斎を再び見つめる。自分たちが関わった戦いがこれほどまでの社会的影響を引き起こすとは想像もしていなかった。


「斎は、こんなことになるとは……」


 彼女の声は震えていた。


「当然、予測してなかっただろうな。奴もお前も、能力を全く制御できていない。今回の事件で、それがよく分かっただろう。若さの勢いだけで、二千年の戦いに終止符(ピリオド)が打てると思ったらとんでもない間違いだ。本人は認めたくはないだろうが、若さゆえの過ちで、命を失った者は数多くいるのだ。今後は気を付けてほしいものだが……まぁ無理だろうな。もっとも、僕ちゃんの張った、稚拙な結界のおかげで、俺の放った(ちから)の言霊が、戦の帷(イクサバ)を貫き、冥華に致命傷を負わせるとともに、お前たちを救出することができたので、結果オーライだとはいえる」


 孟谷の言葉が痛いほど胸に響く。


 遥は深い罪悪感を覚えながら唇を噛み締めた。


「それで……これからどうなるの?」


「政府は磁気嵐を『原因不明の異常現象』として報道規制をかけた。表向きは自然現象として処理されるだろうが、裏では原因究明に躍起になっているだろうな。だが邪馬統の連中はすでに次の手をうちにかかって、動き出しているようだ」


 遥の表情がさらに強張る。


「彼らも気づいたの?」


「ああ。邪馬統にとっても今回の磁気嵐は予想外だったはずだが、連中は赫の一族の中にとんでもない暴走戦士が育っているということは織り込み済みだ。今回の、風魔、雷桜、冥華の出撃は、お前たちのような暴走戦士の「赫の新しい芽吹き」を、芽のうちに刈り取ることが目的だったに違いない。その目的がついえた以上、今後はきっと、より厳しい戦いになろう」


 孟谷の語る事実は、遥に重くのしかかる。


 彼女は車窓を流れる夜景を見つめ、複雑な心境のまま息を漏らした。


「こんなことになってしまったなんて……」


「気に病むな。終わったことだ」


 遥の動揺を察したかのように、孟谷は少し柔らかな口調で慰めた。


「俺たちには、事態を収拾し、これ以上被害を拡大させない義務がある。そのためには、お前たちが 赫の能力を完全に制御できるようにならなければならない。特に斎――奴には今回の責任を取ってもらう意味でも、より厳しく指導する必要があるだろう。あとひとつ、奴には『大変厄介な懸念材料』があると思っている……」


 遥は再び斎の青白い顔を見つめる。


 無力感と責任感が混ざり合い、胸を締めつける。


「学校には……私たち、戻れるんでしょうか?」

「心配ない。だが、問題はこれから先だ、お前たちの学園生活において、平穏無事な日々がいつまでも続くことはないだろうな。そこは、覚悟を決めろ。しかし、安心しろ。俺が、お前たちを命の限り(まも)ってやる。……そういえば、まだ自己紹介をしていなかったな、俺の名は孟谷勲たけたにいさお、一度でも(やいば)を交わした相手は、赫の一族の『火の国の獅子』と呼んでいるらしい、俺は肥後(ひのくに)の生まれでな」


 遥はゆっくりと頷いた。覚悟――その言葉は遥の胸に深く刻み込まれる。


 遠く、霞むようにネオンの光が東京の夜空を照らしている。遥は冷たいメリノレザーのシートに深く身を沈め、静かに目を閉じた。


 彼女にとって、この夜は自分たちの戦いが単なる争いではなく、もっと深遠なところで世界と繋がり、社会を揺るがすほどの重みを持っているのだということが嫌というほどわからされた一夜であった。


 遥は静かに、しかしはっきりと心の中で呟く。


(私たちにもはや逃げ場はもうない――ここからが、本当の戦いの始まりなんだ)


 孟谷は、M8を台場に聳えるタワーマンションの地下駐車場に進めた。


「これからしばらくは、このマンションの安全地帯(グリーンゾーン)での生活が主体となる、そこで君たちは、もう一人の庇護者(ガーディアン)と逢ってもらう、わかったね」



毎日午前6時に更新(新章追加)されます。よろしくお願いします。


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